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第38話 『誰のための』

 翌日、レヴィンはミルクの入った瓶とこんがり焼けた菓子をテーブルに置いた。柔らかなそうな見た目の菓子で、バターの香りがしている。 「紅茶の完成を祝って」とモーリスから渡されたことを言うと、 「これで不味かったらどうしよう」  と、クオンは苦笑したが、完成を疑っていない言い方だった。  二人は顔を見合わせ、試飲に臨む。まずは熱い湯をそのまま入れる。味と香りに変わりはないことを確認した。次はミルクだ。ミルクは朝市で買ってきた搾りたてのものである。  ミルクを入れると、香りが少し飛んだ。しかしこれは従来の紅茶もそうなので、花の香りが残っているだけでも、新作らしさがあった。 「味はどうかな」  クオンが緊張した面持ちで、ひとくち飲んだ。レヴィンもまた口に含んでみて、顔を上げる。二人でうなずきあった。 「いけるな!」 「ああ、問題ない。とてもおいしい」  花の香りが立つ紅茶が完成した瞬間だった。  窓から入る陽射しが二つのカップを明るく照らしている。クオンは椅子にずるずると沈みこんだ。 「よかった……ほんとに」  三か月以内に完成させなければならなかった重圧から解放されたかのように脱力した。  実際は一か月で完成させたのだから、上出来である。  クオンはすごいな、とレヴィンは改めて思った。 「商人には一か月って言ってもよかったな」  レヴィンが軽口を叩くと、クオンが跳ね起きた。 「そもそも、おまえが期限なんかつけるから! もっとのんびり作るつもりだったのに」  口では不満を言っているが、喜び満面である。  レヴィンは文句を無視して「この焼き菓子とよく合う」とクオンの口元に菓子を持っていった。するとクオンはパクリとかぶりついた。口をもごもごさせ「うん、おいしい」と言った。  手で取って食べると思っていたので、内心動揺した。  レヴィンは手元に残った焼き菓子を見つめ、ためらいがちに口に運ぶ。 (いまのは恋人同士みたいだ)  レヴィンは自分の想像にくすぐったくなった。  焼き菓子は柔らかい歯触りで甘く、おいしかった。    クオンはこれまでの過程で大変だったことを語り出した。  紅茶に香りをつけようとし、香草を多く入れると味がおかしくなる。かといって、少量だと香りが出ない。  香草同士の香りが混ざり合って、とても不味そうな匂いがしたりと、バランスが難しかった。すでに売りに出している紅茶風味の香草茶とは違うものにしたかったため、どの香草が紅茶に合うのかも一から探りなおしたという。  その手探り段階の失敗作を飲まされ続けたのがレヴィンだった。 「兎配合茶よりマシだった」  レヴィンが言って、二人で笑っていると前触れなく玄関が開いた。 「楽しそうだな」  訪問客が顔をのぞかせた。 「いいタイミングで来たな」  クオンが明るい顔で立ち上がった。  ロッドは肩に掛けていた袋を下ろしながら、テーブルの上に目をやった。 「焼き菓子、うまそうだな」 「椅子持ってくるから、待ってろ」  クオンは二階に上がっていく。ロッドはレヴィンに話しかけた。 「二か月ぶりか? 先月はいなかったよな」 「たまに来れない日もあるんだ。先月はそのときだったのかもしれない」  何をやっているのか訊かれ「面会だ」と答えているとクオンが椅子を持って降りてきた。 「ちょうど新作ができたところなんだ。ロッドも飲んでみてくれ」  クオンが台所からカップを持ち出し、紅茶を入れる。 「貴族向けに売るつもりなんだ。レヴィンが協力してくれてさ」  クオンの声が弾んでいる。ロッドは「へえ」と言いながら、新作を飲んだ。 「いい匂いがする」と言ったが、彼にとっては渋味が強かったのか、かすかに顔をしかめた。 「ミルクを入れるといいぞ」  クオンがすかさずロッドのカップにミルクを注いだ。ロッドはミルク入りの紅茶を飲み、口端を上げた。「良いんじゃないか」と言いながら、焼き菓子に手を付けた。 「新作売るんだったら、いつもの『紅茶風香草茶』はどうするんだ?」 「あれは今まで通りだ」 「ならよかった。これも香りが良いけど、俺はやっぱり、あっちの方が好きだな」  ロッドはちょっと申し訳なさそうな顔をしたが、クオンは「当然だろ」と言った。 「あれはおまえに合わせて作ったんだから」  その一言に紅茶を飲んでいたレヴィンの手が止まった。嫌な心臓の鳴り方がした。  ロッドはきょとんとしている。 「そうなのか? 知らなかった」 「ひどいな。ロッドがあれこれ文句言うから、あの味になったんだぞ」 「そうだっけ。でも偶然できたって言ってなかったか?」 「最初は偶然! そのあと何度か飲ませただろ」  言われて思い出したらしい。二度、三度うなずいた。 「そうか、あれは俺に合わせてくれてたのか。ありがとなあ。俺は愛されてんだなあ」  ロッドは茶化しながらクオンの黒髪をわしわしとかき回した。「やめろ」と手を払っているがその顔は笑っていた。  二人のじゃれ合う姿に、レヴィンはテーブルの下でぎゅっと拳を握った。

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