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第65話 『主人』

 品評会会場に入ると、レヴィンは注目を浴びたが、好奇の目は無視した。  会場にはテーブルが点在していた。その上には見るからにおいしそうな、フルーツをふんだんに使った菓子などが各テーブルに並べられていた。  クオンが喜んで食べそうな菓子がたくさんあった。    主催者のヨーク夫人に顔を見せ、近くにいる別の婦人に声をかけた。    レヴィンは沈んだ気持ちを億尾(おくび)にも出さずに、型通りの挨拶をしていった。ここを出るまでに気持ちを切り替えねばならないと思っていた。    クオンと一緒に見たかったのは、この街の景色だ。    レイトンには時刻を知らせる鐘があるが、その鐘を鳴らしているのは尖塔の教会である。  実はこの尖塔、中から昇り、街を一望できる場所がある。普段は入ることはできないが、モーリスの知り合いに言えば、昇らせてもらえることになっていた。    レヴィンはクオンと様々なものを一緒に見たかった。    これから一緒に見ていくんだと漠然と思っていた。だからクオンの線を引くような一言に過剰に反応してしまった。    クオンに悪気はなかった。ちょっとからかおうとしただけだったと思う。  だが、彼に「殿下」と呼ばれるのがこんなに嫌なものだとは思わなかった。それが態度に出た。  そしてクオンに謝らせてしまったことに落ち込んだ。    レヴィンは笑顔の裏で反省する。早く終わらせてクオンのところに行きたいのに、なかなか進まなかった。  婦人は十人もいなかったが、一人ひとりの話が長い。おしゃべり好きなご婦人方を相手にするのだ。仕方のないことではある。    笑顔を張りつけ、話を長引かせないように寸断しながら、挨拶に回る。    最後の一人が終わり、足早に出口に向かっていると、扉付近にいた夫人の声が耳に入った。 「黒い髪の子はどなたの家の子かしら」  その言葉にレヴィンは足を止めた。振り返り、夫人の名を呼んだ。 「ステファニー夫人。いま、なんと」  レヴィンは会場内にいる夫人の顔と名前を覚えていた。この夫人との挨拶は早々に済ませていた。ヨーク夫人よりも少し若いくらいの年配女性で、おっとりとした人だった。  かの夫人の他に二人いるが、話しかけられたステファニー夫人は、レヴィンに辞儀をして、ゆったりと話しだした。 「廊下で黒い髪の子が腕を組んで壁にもたれかかっていたから、お行儀が悪いわって注意しましたの。  あなたはよくても、主人が恥をかくのよって言ったら、驚いておりました。  思いもよらなかったみたいですわ。  自分はヨーク家の人間ではないから、ヨーク夫人を悪く思わないでくださいって言いましたのよ。  ヨーク様のことを庇ってらして、思いやりのある子だと思いました。  ここで何をしているのか訊いたら、待っている人がいるっていうから、主人は誰か訊きましたの。  呼んであげるわって言ったら、主人の恥になりますので言えませんと言って、帰ってしまったんです。  ここにいたら、どなたの家の子かわかってしまうと思ったのかもしれませんわ。  使用人として日が浅いのだろうけど、ちゃんと主人のことを考えていて、いい子だったから、どこの家の子かしらと思いまして」  ステファニー夫人が小首を傾げた。レヴィンは(はや)る胸を気取らせずに、にこやかに言った。 「教えてくれて感謝します。彼が待っていたのは、私だ。けれど使用人ではありません。私の大切な友人です」  レヴィンは軽く腰を折り、踵を返した。  背後から「まあ!」と驚いた声がした。自分の非礼に気づいたようだった。  だが、彼女を責める気はない。使用人としてのあり方を教えようとした彼女は親切な部類だ。使用人の分をわきまえない者を罵倒する貴族だっている。  むしろ責めるべきはひとりにしてしまった己に対してだ。  元々クオンは貴族の屋敷に来ることに乗り気ではなかった。それでも承諾してくれたのは、自分の顔を立ててくれたからだろう。  わかっていたはずなのに、クオンの優しさに甘えてしまった。  レヴィンは唇を噛んだ。  嫌な、とても嫌な思いをさせた。早く謝らなければならない。  ステファニー夫人が語った言葉が思い出される。  ―の恥になりますので―  レヴィンは足早に玄関に向かいながら、その胸は鋭く痛んでいた。

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