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第66話 『クオンとロッド』
玄関にいたヨーク家の使用人から旅装束のコートを羽織りながら、レヴィンは尋ねた。
「黒い髪の人がここを通っただろう。どちらに行ったかわかるか」
使用人は街の中心部を指さした。クオンは自分の服をレヴィンの屋敷に置いてきている。
家に帰る気なら丘に向かうはずだ。街のどこかにいる。
レヴィンはクオンを探して走った。
商店が並ぶ通りの道を見回しながら、街行く人に「黒髪の人を見なかったか」と訊いた。
人の事は言えないが、彼が特徴のある髪をしていてよかったと思う。
何度も首を振られたが、噴水の近くで川の方で見たという人がいた。
レイトンの東側には川が流れていて、近くに公園がある。公園の先に川があった。
樹木が立ち並ぶ公園の中を走っていると、公園を抜ける手前で藍色の服が見えた。柵に体を預けながら、川をのぞき込んでいる。
呼びかけようとしたとき、「クオン!」と別の方角から声が飛んで来た。
クオンは呼ばれた方に顔を向け、軽く手を上げた。横顔に優しげな笑みが浮かんでいる。
川沿いに歩いてきたのはロッドだった。
レヴィンは咄嗟 に大きな木の陰に隠れた。
「珍しいな、こんなとこで」
と、ロッドは言った。樹木に背をつけ、レヴィンは耳をそばだてた。
二人の会話が聞こえてくる。
「服、かっこいいじゃん。レヴィンにもらったのか」
「そう。どう、貴族に見える?」
「ん~、似合ってっけど、貴族っぽくはない」
ロッドの声は笑っていて、クオンも「だよな」と笑った。
「レヴィンはどうしたんだ?」
「貴族の相手してる」
「へえ。で、終わるまで時間潰してんのか」
二人の掛け合いを聞きながら、隠れる必要などなかったなと思う。
レヴィンが出ていこうとしたとき、ロッドが神妙な声で言った。
「あのさ。このまえ言ってたこと、本気か」
身を出そうとした体が止まる。なんだろう、と気になった。
「一年付き合ったんだ。いい加減、引き際だろ」
レヴィンは小さく口を開いた。
さらにクオンの声色が低くなった。
「これ以上懐かれても困る。それにあいつはやんごとなき身分だしな」
どく、と心臓が鳴った。
かすかに震えた指を丸め、息を呑む。
「レヴィンは身分とか気にするような奴じゃないだろ。それはクオンの方がよくわかってんじゃないのか」
「……そうだな。俺が気にしてるだけだ」
レヴィンの口の中が急速に乾いていった。「なあ」とクオンが言った。
「あの子、元気か?」
「ああ。おまえのこと心配してた。会いに来いよ……って、まあ、無理か」
レヴィンは固まったまま、二人の会話を聞いていた。
天頂をとうに過ぎた陽の光が目に刺さる。
「クオン。もう少しだけ時間をくれないか。俺、まだ不安で……」
「もう少しってどれくらいだよ。大体、なんであの子の気持ちを疑うんだよ。信じてやれよ」
クオンの口調は責めていた。ロッドがぼそりと言った。
「……クオンに俺の気持ちはわかんねえよ」
「おまえだって俺の気持ちはわかんないだろ!」
クオンが声を荒げた。
「どんな思いで協力したと思ってんだ……!」
春風がそよぐ中、その声は哀しげに響いた。
ロッドは何も言わなかった。
「もういい。俺は勝手にやる」
焦れたようにクオンが吐き捨てる。
しばしの静寂のあと、「クオン」とロッドが呼びかけた。
「ごめんな」
ぽつりと零された謝罪は何に対してなのか、レヴィンにはわからなかった。
ロッドが立ち去る気配がする。嫌な鼓動がずっと耳の奥でしていた。
クオンをうかがい見ると、見つけたときと同じように柵に体を預けている。川をじっと見ていたが、その背中が丸まっていた。
レヴィンはそっとその場を離れた。
公園に立ち並んだ樹々たちが、足早に去るレヴィンの姿を隠してくれた。
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