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第67話 『悪夢』
庶民の住宅街から貴族街に入る道は一本しかない。その境目となるところにレヴィンは立っていた。
フードを目深にかぶっているので、視野は狭い。住宅街には目を向けず、数歩先の地面を虚ろな目で見ていた。
「レヴィン?」
呼ばれて顔を上げると、クオンが住宅街から向かってきた。
「悪い、勝手に外 出て。探したか」
素知らぬ顔で話しかけられ、レヴィンは小さく口端を上げた。
「いや……なにかあったのか」
「……何も。外の空気を吸いたくなっただけだよ」
レヴィンはぎゅっと拳を握った。
あっただろう! と問い詰めたかった。
使用人扱いされたことや、ロッドに会ったこと。
(なぜ……言ってくれないんだ)
レヴィンが口を引き結んでいると、クオンが不思議そうに首をかしげた。
「どうした、変な顔して」
感情を消そうとしたが、うまくできなかった。レヴィンは下手な笑顔を作り、首を振った。
「少し……疲れたみたいだ」
「そっか。これからどこか行きたかったんだろ。今日はやめとくか?」
言葉通りに受け取ったクオンが気遣うように言った。
「……そうだな。またにしよう」
頬が強張っているのが自分でもわかる。気取られないよう、丘の上の屋敷に足を向けた。
クオンが横に並んだので、レヴィンは無意識にフードの端を引っ張った。
「…………」
ヨーク家でひとりにしてしまったことを謝ろうと思って追いかけたのに、言葉が出てこない。
緩やか坂道を歩いている間、クオンは話しかけてこなかった。ちらと横目で窺いみると、クオンも思案顔だった。何を考えているのか怖くなり、すぐに視線を外した。
屋敷に戻るとモーリスが出迎えてくれた。レヴィンは慣れた手つきで脱いだコートを渡す。
クオンが着替えて帰ると言ったら、モーリスは残念そうにした。
「お似合いですのに。お召しになられたままお帰りになられては?」
「そうしたいんですけど、帰る途中に藪があったりするんで、汚したくないんです」
森の家に行くには枝をかき分けるので、どうしても生地をひっかいてしまう。上質な服を着て通るような場所ではない。
クオンが二階の部屋で帰り支度をしている間、レヴィンは一階の応接間で待っていた。
モーリスに連れられて、いつもの麻の服で現れたクオンが言った。
「帰るよ」
藍色の絹の服は薬草茶を売りに行くいつもの鞄に入れているようだった。レヴィンは玄関前まで見送りに出た。クオンの背中越しにぼそりと言った。
「明日は……行けないと思う」
森の家には行かない。クオンが向きなおった。
「うん。品評会の後始末もあるだろうし、ゆっくり休めよ」
それには答えなかったレヴィンだったが、クオンは気にせず、モーリスに挨拶をした。
玄関扉を閉めると、モーリスが何か言いたげに振り返ったので、レヴィンは声を低めて言った。
「呼ぶまで来ないでくれ」
今は一人になりたかった。
二階の奥の自室に戻ったレヴィンは、飾り立てられた服を脱ぎ捨てた。軽装になると、そのままベッドに倒れ込む。腕で顔を隠し、きつく奥歯を噛みしめた。
ロッドとの会話が頭から離れない。
クオンは自分を特別扱いしないと思っていた。彼はずっと、そういう態度だった。
だがそれは表面上のことで、心の中では線を引いていたのだ。そのことに気付かないでいた。身分など関係なく、対等だと思っていたのは、自分だけだった。
しかも、クオンはレヴィンと一線を画そうとしている。
レヴィンは片耳を枕に押し付け、布団をかぶった。
二人の話の内容はわからないこともあったが、クオンはまだロッドのことが好きなんだと思った。胸が締め付けられて、悲しくて、苦しかった。
レヴィンはすべてを忘れたくて、眠ることにした。睡魔はすぐにやってきた。抗うことなく、すぐに意識を手放した。だが、そのとき夢を見た。
クオンがどこかに行こうとする夢だ。
慌てて引き留めたら、腕を振り払われたので、抱き締めた。「行かないでくれ」と言うと腕の中で暴れられたので、「好きだ」と言って強引にキスをした。
クオンは顔を背け、レヴィンを見てくれなかった。頭にきて、嫌がるクオンを抑えつけ、情欲のままに犯した。
目が覚めたときは真夜中だった。おぞましい夢にレヴィンは両手で顔を覆った。夢の内容を思い出し、吐き気がした。レヴィンは自分が恐ろしくなった。
いつか本当に夢のようなことをしてしまうのではないかと思った。
レヴィンの心はもう限界だった。
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