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第70話 『リウ』

 翌日、どんよりと曇った空に雨の気配を感じた。ひどく降りそうだったが、雨具を持って出かけた。    森の家に行く前に菓子品評会の優勝者のパン屋に立ち寄る。店主が早速「ヨーク家御用達のお菓子がある」と勧めてきた。  レヴィンが欲しいと言うと、店主が出してきたのは、見た目はどこにでもある焼き菓子だった。だが甘味と酸味が融合した新しい味なのだそうだ。  レヴィンは二人分よりも多めに買った。彼にたくさん食べてもらいたかった。  林道をはやる心で進んで行く。  昨夜はクオンがリウだったことがわかり、気が昂っていた。ひと晩空けたら、確かに少しは落ち着いた。  彼が言った通り、冷静に話しを聞けそうだった。ただ、気になることもあった。平静でなければ信じられないような話とは、一体なんなのだろうか。  そう考えながら歩いていると、わざわざ一日置く必要が本当にあったのだろうかと思った。  何かおかしいような気がするが、それが何かはわからない。  レヴィンは首をひねりつつも、六年前の謎がやっとわかるということ、『クオン』という名に変えた理由など訊きたいことがあり、考えがまとまらなかった。  森の家に着くと、玄関前で一呼吸した。  扉を開けると、軋んだ音が鳴った。    いつものテーブルに黒髪の青年がいる。 「リウ」と呼ぼうとして、その顔を見た瞬間、どくん、と心臓が大きく鳴った。  いつもの椅子に緑のペンダントをした『彼』が座っているが、『彼』ではない。  信じられないものを見て、レヴィンは掠れた声で、『彼』の名を口にした。 「り……う……」  応えるように、彼もまた立ち上がった。 「レヴィー様」  そこにいたのは、黒い髪、黒い瞳、体つきの細い『リウ』だった。  六年の歳月があっても、思い出の中のリウがそのまま大人になって出てきた印象だ。  なによりも、自分のことを昔と変わらぬ愛称で呼んだ。  だが、ずっと会いたかった『本物のリウ』に向かってレヴィンは叫んだ。 「クオンはどこだ⁉」  レイトンに来て一年。ずっと一緒にいたのは、緑のペンダントをした彼ではない。  レヴィンの大声に、調合の部屋から人影が出てきた。  クオンの顔を見て、レヴィンはホッとした。消えたわけではなかった。  安心したら、東国の民のふたりが同時に目に入った。  クオンとリウが並んでいるのを見ると、兄弟のようによく似ていた。  ただ、リウの方が線は細く、体も彼よりも小さかった。  似た顔をしているのに、クオンは大人の男だったが、リウは妹といってもいいくらい中性的な顔立ちをしており、美人ともいえた。  レヴィンはクオンを見た。 「これは……どういうことなんだ?」  混乱してきたレヴィンにクオンが低い声で答えた。 「六年前のことは、本人が話す」  そう言って、レヴィンの横をすり抜けて行こうとしたので、咄嗟にその腕を掴んだ。 「どこに行くんだ⁉」  外に出ようとしたクオンを引き留める。 「二人で話せ」 「クオンもここにいたらいい」  掴んだ手に力を込めた。振り払われた悪夢が脳裏をよぎる。離すものか、と思った。クオンは顔をしかめて、リウに視線を送った。リウは眉根を寄せてレヴィンを見た。 「レヴィー様。僕がクオンに二人で話したいってお願いしたんです」  リウの言葉を聞いても、レヴィンは手を離さなかった。今、離したらクオンが戻ってこないような気がしたのだ。 「レヴィン。リウの話を聞いてやってくれ」  諭すように言われたが、レヴィンが無視すると黒い瞳でにらんできた。 「レヴィン!」  怒気を含んだ声音に渋々、手を離す。そしてクオンは出ていった。  ぱたん、と扉は閉まった。  隔てられた扉を見て、レヴィンはぎゅっと口を結んだ。  気持ちを切り替え、振り返った先でリウは不安そうな顔をしていた。  改めて彼と向き合う。 「……久しぶりだ」  レヴィンが懐かしくて目を細めると、リウも安堵したように口元を緩めたが、すぐに神妙な顔をした。 「レヴィー様。まずは謝らせてください。何も言わずに出て行ったこと、申し訳ありませんでした」  深々と頭を下げる。緑の石がぷらんと揺れた。レヴィンは近寄り、細い肩に手を置いた。 「顔を上げてくれ」  リウと視線が合うと、レヴィンは「元気そうでよかった」と微笑んだ。  リウは今にも泣き出しそうな顔をした。  二人でテーブルにつく。いつもクオンがいる席にリウがいる。不思議な光景だった。  向かい合うと、リウは黒い瞳を揺らして言った。 「今さらですが、僕の話しを聞いてもらえますか」  レヴィンがうなずくと、リウは語りだした。

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