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わからない事(私)

ギリルは、私の頬に漏れてしまった罪悪感を慌てた様子で拭いました。 幼い頃からギリルは私が涙を流すとすぐに駆け付けて、私の涙が止まるまで必死で雫を拭ってくれる子でした。 子にとって、親のような存在が涙する姿は辛いのでしょう。 私は歳のせいかすっかり涙脆くなっていて、ギリルのちょっとした成長にもつい涙してしまうのですよね。 胸に幼い頃からこれまでのギリルの姿が次々と蘇ります。 初めて持たせた剣の重さに振り回されて尻餅を付く貴方も、初めて奪った命の重みに震える貴方も、初めて人々に感謝された時の貴方の横顔も。昨日の事のように思い出せるのに。 ……そんな日々もここで終わりなのですね……。 これから貴方は私の慰めを受けて、……それから、私の命を摘んでくれるのですから。 ……けれど本当に私のこんな貧相な身体で、ギリルを満足させてやることができるのでしょうか。 不安を抱えながら見上げれば、新緑の瞳が鏡のように不安を宿して私を見つめていました。 ああ、また彼を不安にさせてしまいましたね。 「大丈夫ですよ。ギリル……。貴方のしたいように私を扱ってください」 なるべく優しく告げれば、ギリルは不服そうに口を尖らせて答えました。 「……俺は、心の通わない行為をしたいわけじゃない」 「一方的ではありませんよ? 私も同意の上です」 にこりと笑って伝えると、ギリルはほんの少しだけホッとしたような表情を見せました。 ああ、こういう所はいつまでも変わらず可愛いのですね。 ギリルは、私の唇にもう一度そっと自身を重ねてきました。 彼の腕に包まれて目を閉じれば、ギリルの鼓動が聞こえてきます。 こんなに優しい、まるで私を慰めるかのような口付けをする癖に、彼の心臓はバクバクと激しい音を立てていました。 そこで私はようやく気付きました。 彼にとっては、先程のキスが生まれて初めての物だったのだと。 そして、これから私に行う行為が、彼にとっての初めてなのだと……。 そんな、彼の記憶に残るかも知れない相手が、本当に私なんかで良いのでしょうか。 ギリルほど容姿に実力に名声が揃っていれば、もっと可愛らしいお嬢さんを選び放題でしょうに……。 実際、ここまでの道中でも助けた村や町の美人さんが名乗りをあげてくださったのですが、ギリルはまるで相手にする様子がありませんでした。 私の事を好きだと言う彼の『好き』は、親への情だとか師への思慕のようなものかと思っていたのですが、まさか……、私をこんな風に見ていたなんて……。 私なんて、どれほどの人に使われたかも分からないような、ぼろぼろの使い古しだというのに……。 遠い遠い過去がどろりと足元から這い上がる気配に、私は必死でそれを振り払いました。 あれからしばらく、私は人に触れる事が出来ませんでした。 触れられる全てが怖くて、親切で声をかけてくださった罪のない人まで、気付けば塵にしてしまうような時期が百年以上続きました。 そんな日々が終わりを告げたのは、あの方が……。 森に一人隠れ暮らしていた私をあの方が訪ねてくださって、私に……触れてくださったからでしたね……。 あんなに穏やかな方が、どうして殺されてしまったのでしょうか。 ただ静かに暮らしたいとおっしゃっていたのに……。 あの方の気配が途絶えた後、私は幼いギリルを連れてあの方の気配が途絶えた場所へと向かいました。 けれどもそこには大きな戦いどころか人が争ったような痕跡は全く無く、平和な農村が広がっているだけでした。 私の知らないうちに、あの方も自らの死を望んだという事なのでしょうか? 私には、それだけがいまだにわかりませんでした。

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