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事後(俺)

俺は力を失った師範の身体をそっと毛布で包み直すと、自分の身体を見まわした。 出血したのは、いち、に、三箇所か。 腹とアソコはちょっと悲惨な見た目になってはいるが、それでもなんとか役目は果たせたようだ。 止血、しないとな。 まずはウィムに……。 「ちょっと!! 師範の気配が完全に消えたんだけど!?」 いきなりテントの入り口を捲ったのは全裸のウィムだった。 「って何これ!? 血塗れじゃないの!?」 「大丈夫だ、全部俺のだから。師範には、傷一つ……」 ぐらり。と視界が揺れて俺は床に手を付いた。 目の前が暗い。貧血か……。 「もう! おバカちゃん!! すぐ治すから、そのまま動かないで! ティルちゃん、腕!」 俺の横に膝をついたウィムが、高速で高等治癒術の詠唱をする。 いや、ありがたいんだけどさ、お前……、せめて服着て来いよ。目のやり場に困るだろ。 ……つーかデカいな。 俺の……何倍だ? 二人入ればいっぱいのテントに、なんとか強引に頭と肩と腕までをねじ込んできたティルダムが、俺の肘下を掴んでグッと握り締める。 ああ、そっちの腕、もうあんま感覚ねーんだよな。傷の大きさは大した事なかったんだが、どうも手首の太い血管を切ったようだった。 腹にムズムズした感触を感じたと同時に、ウィムが二度目の詠唱に入った。 一度では治りきらなかったようだが、痛みは随分とマシになった。 薄暗かった視界も幾分はっきり見えるようになって……。 ……だからさ、服着て来いよ。そうじゃなくても下着だけは、せめて。 最初にくっきり見えたのがウィルのそれだと、なんかもう生きる気力を失うよな。 なんだかじわじわおかしくなってきて、くつくつと俺が微かに笑えば、ティルダムが俺の顔にマントを乗せた。 どうやら、俺の状況に気付いたらしい。 まだ首も手足も動かせそうにないが、なんとか動かせるようになった口で俺は力無く呟いた。 「……お前ら、服着て来いよ……」 ウィムはまだ詠唱が続いてるから返事はできねーだろーけどな。 なんて思ってれば、ティルダムが「俺は、着てる」とだけ答えた。 「あんただって全裸じゃない」 ウィムは詠唱を終えた途端に文句を言って、息を吸いながら俺の腕へと手を翳し直すと、三度目の詠唱に入った。 ああ、そうだよな。こいつらだって最中だったんだろうに。 俺たちを心配して、なりふり構わず駆け付けてくれたのか。 つーか、ウィムがこのタイミングで来てくれなかったら……。 俺は二人を呼ぶ前に、血を無くしすぎで倒れて。 朝を待たずに俺はあっさり死んでただろうな。 あんなに必死で俺を求めてくれた師範を、置き去りにして……。 ようやく回ってきた頭で、やっと状況を判断すれば、ゾッと背筋が凍りついた。 「……いや、悪ぃ。助かった。……ありがとな」 ティルダムが俺の腕を止血していた手を離すと、俺の肩をポンポンと撫でた。 手首の傷も塞がってきたらしい。 「っはぁ〜。全部繋がったわぁぁ〜」 ウィムが詠唱を終えて、ため息と同時に呟く。 「ティルちゃん、血が足りないから、回復薬持ってきてくれる?」 すぐさまティルダムがテントを出た気配がした。 「あら、服も持ってきてって頼めばよかったかしらん?」 「ティルダムなら気ぃきかせて持ってくんだろ」 「それもそーね」 クスッと笑ったウィムの気配が、ごそごそと狭いテントの中を師範の方へ近づく。 「おい、触るなよ」 今の師範は、その内側で色んなものを作り直してるサナギのようなもんだ。 多分今は、誰も触らないほうがいい。 そうじゃなくても、俺がもう、師範を俺以外の誰にも触らせたくなかった。 「師範はこれ、大丈夫なの……?」 ウィムの声には、珍しく不安が滲んでいた。 たまたま顔を隠されてるせいで、声だけ聞いてたから気付けた程度のものではあるが。 やっぱりウィムは、感情を隠すのが特別上手い奴なんだろうな。 俺は、ウィムが伝えまいとしてる物には気付かなかった事にして、答える。 「別に息もしてるし、苦しそうでもねーし、平気だろ。多分」 「あ〜んもうっ、見えないっていいわよねぇ!?」 そうか、ウィムには見えてんのか、師範の中で何がどうなってんのかが。 「ウィムから見て、師範はヤバそうなのか?」 「そんなの分かんないわよぅ、アタシもこんなの初めて見るんだからぁ」 「アイツの話を信じるしかねーか」 「そうねぇ……」 そこにティルダムが戻ってきて、ごそごそと動いたウィムが俺の顔からマントを取って、俺の身体に掛け直した。 ウィムは全裸から下着とネグリジェ姿に。ティルダムは貫頭衣だけを一枚被った姿をしていた。ティルダムの前髪があげてあるのは行為中に邪魔だったからか? 括られた前髪がぴょこんと跳ねていて、妙にファンシーなことになってんな。 身体を起こそうとする俺を、ティルダムが支えてくれる。 ウィムが蓋を開けて渡してくれる瓶を受け取って、どろりとした半透明な液体を一気に胃に流し込む。苦いもんじゃないが、なんか味らしい味もしねーのに妙に生臭い感じが、何度飲んでも俺は好きになれない。 ウィムに言わせりゃ「凝縮した人間の体液なんだから、そんなもんでしょ」とのことだが。 「何本持ってきた? 五本全部? バッチリよぅ。ありがとティルちゃん」 「五本も飲むのかよ……」 「そりゃねぇ、こんだけ派手に出血してればねぇ……」 ウィムが血まみれのテント内をもう一度見渡してげんなりと言う。 「あんまり確認したくないんだけどぉ……アンタ、その状態でヤッたわけ?」 「まあな」 「ぅうぅっ、想像しただけで縮むわぁっ。なんでそんなことできちゃうわけ? 若さってやつなの? 愛なの? それとも単にバカなだけなの?」 「真ん中のにしといてくれよ」 「そんなの大出血するに決まってんじゃないのよぅ。ちょっと考えればわかるでしょ? こんなんでアンタが死んで、師範がそのままだったら、明日にはこの国丸ごと消えてなくなるとこだったのよぅ?」 「いや、それは……」 言い過ぎだ。とも言えない気がして、俺の背筋をもう一度悪寒が走る。 ウィムがペラペラ喋りながらも次々に蓋を開けて差し出す回復薬を、俺はなんとか五本目まで一気飲みして、酷く重かった身体もまあ動かせるようになった。 師範は、テントの隅で毛布に包まれて静かに眠っている。 「はぁ〜不思議ねえ……。あの膨大な闇は一体どこに消えちゃったのかしら……」 確かに、すやすや眠る師範の横顔には、常に感じていたはずの恐れ多さとか、威厳とか、侵し難い空気が感じられなかった。 三人で師範の寝顔をじっと見ていると、不意に、ティルダムが師範の髪にさらりと触れた。 「ティルダム!?」 「……ああ、分かるわぁ。さっきまでとても触れられそうになかった人が、急に触れそうに見えたから、試しに触ってみたのよね?」 ティルダムは師範を撫でた自分の指と、師範を不思議そうに見比べている。 「でもダメよ?」 不意に低くなったウィムの声に、ティルダムがビクリと肩を揺らす。 「ギリルちゃんも気をつけなさいねぇ? 師範はこの見た目で態度も性格もふんわりなんだから。近寄り難さがなくなったら、もーそこら中から声かけられ放題よぅ?」 「お、おう」 なるほど……? 今までこんなに見目麗しい師範に、変な奴が滅多に寄ってこなかったのは、魔王の圧のおかげだったのか。 「ごめん……」 ティルダムがポツリと謝る。 「今回はいいわよ」と答えたウィムが笑顔のまま「二度目はないけどね」と続ける。 ティルダムは、もう一度ビクリと肩を揺らした。 「まあ、アタシ達も中央に戻るまでは付き合うから……って、ギリル達はもう中央に戻る必要もないのかしら?」 ウィムが血痕を見つけるたびに浄化で消しながら言う。 濃い血の臭いは魔物を呼ぶからな。 ティルダムもテントに上半身だけ突っ込んだまま、器用に木製のポールや金具に散ったのを拭いてくれていた。 「ん? ああ、これからどーすっかな……」 返事の終わりは、ふわぁ、と、大きなあくびに変わった。 「うふふ、ギリルちゃんも遅くまで頑張ってお疲れ様よねぇ。これからの事は、また明日話しましょ」 ウィムはそう言って笑うと、ティルダムと共にテントを出ていく。 「おやすみねぇ」 「おやすみ……」 「ああ、また明日な」 そうだよな。ウィム達は、師範が人になれば、もう俺達についてくる理由がなくなるのか。 確かに、俺達にももう、魔物を退治したり魔王を倒したりする必要はねーしな。 そこまで考えてから、ふと気付く。 ……いや、むしろ魔王は俺達が倒したのか。 数々の村や町を消し去ったと言われている北の魔王は、もういない。 テントで背を丸めるようにしてすやすや眠る師範は、なんだかとても小さく見えた。

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