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師範の昔話(俺)

師範は、しばらく俺の顔を見つめた後で「わかりました」と言った。 師範の闇色だった瞳からは、日に日に闇の色が薄れていて、俺はそれがなんだか淋しかった。 ……師範には、とても言えねーけどな。 元々師範は魔族化するまでは金髪碧眼だったらしい。 俺は銀髪で闇色の瞳をした師範しか知らなかったから、金髪碧眼の師範を想像するのは難しかった。 「あんまり昔のことですから、もう覚えてないこともたくさんありますよ」 師範はそう言いながら、ベッドの上でコロンと仰向けになる。 「それでいい。師範が覚えてることだけで」 俺も、師範に倣って隣に仰向けた。 そういや、小さい頃も、神話の話だとか歴史の話だとか、そういう長い話をするときはこうやって並んで寝転がっていたっけな。 俺が途中で寝ると、決まって師範も一緒に寝るんだよな。 「おかしいですね……、私はギリルが起きるのを待っていたはずなのですが」 なんて本気で言ってた師範の顔を思い出して、俺は思わず苦笑する。 なんつーか、あの頃から師範は師範だったよな。 きっとそれは髪の色や目の色で変わるようなものじゃないんだろう。 「こ、こんな話を聞いて、私のこと嫌いになっても知りませんからね?」 不安を滲ませる師範の言葉に、俺は苦笑しながらその手を取って、甲に口付ける。 「ならねーって」 「そんなこと言って……。ギリルに嫌われてしまったら、私、すぐ死にますからね?」 「どんな脅しだよ」 「お、脅しじゃありませんっ、事実です」 あまりに可愛い師範の言葉に、俺は思わず笑ってしまう。 師範は、笑う俺を見て幸せそうに微笑んだ。 なんでそんなに可愛いんだよ。 もうこのまま、ずっと俺のそばで、俺だけを見てて、師範。 俺は願いを込めて、俺を見つめる師範に囁いた。 「聞かせて、師範のこと」 師範は「そうですね……」と天井を見上げると、そこよりもずっと遠くを見つめるようにして、話し出した。 「私が生まれたのは、ここよりずっと北でした。冬が長くて、夏が短いところで……」 師範の話は、俺にとって初めて聞くものばかりだった。 師範が代々北の大地に暮らしていた少数民族で、その陶器のように滑らかな白い肌や色素の薄さは血筋によるものだということも、俺は初めて知った。 長い冬に、氷に閉ざされる湖や、その上で滑って遊ぶ子ども達。 氷に穴を開けて釣りをする大人。 ようやく迎えた春のあたたかさと、緑あふれる木々の、美しい生命の色。 「ああ、そうですね。その頃から私は春の新緑の輝きが大好きでした」 ふわりと微笑んで、そんな風に言われると、なんだか俺の事を好きだと言われたような気がして俺の心臓が跳ねる。 けれど、そんな師範の愛した日々は、ある日突然終わりを告げた。 師範の暮らしていた集落は丸ごと、兵士達の手によって強制的に施設へと送られたらしい。 「私が生まれた頃にはもう、私の民族は虐げられて当然になっていました。おそらく北へ領土を広げる際に私達が邪魔だったのでしょうね。ああ、集落といっても家族単位で集まって暮らしていましたから、三十人程ですね。兄のところに女の子が生まれて、私には三人目の姪っ子ができた年でした。私もそろそろ良い人を見つけなさい。と、そんな圧も年々強くなっていて、もう少し暖かくなったら、私も伴侶探しの旅に出ようかと思っていたのですが。……いつまでも、親元でのんびりしていたのが悪かったのでしょうね。あの年に集落を出ていた従兄弟達は強制収容は免れたのでしょうけれど。……北の民が死に絶えたと聞いたのは、もう七百年も前のことですね」 そう言って苦く笑う師範は、何もかも諦めた顔をしていた。 「……施設って、どんなとこだったんだ?」 「私達が送られたのは、当時作られたばかりの秘密実験施設でした」 秘密だとか、実験だとか、怪しげな単語ばっかりじゃねーか。 「ちょうどその頃、他国では魔族が急速に増えていて、うちの国でも早急に対策を取る必要があったのでしょうね。当時は『人は負の感情が高まると魔族化する事があるらしい』という情報も噂しかなかったので、国としては対策費用だとかを確保するためにも、まずはその情報を検証する必要があったようです」 ……それ、って。つまり……。 「国立魔族化実験施設。職員の皆さんは略して魔化験と呼んでいたようでしたね」 「っ、じゃあ師範は――」 魔族化を目的として、人の手によって、なりたくもないのに無理矢理魔族化させられたって事なのかよ。 そんなの、あんまりだろ……。 「実質拷問施設のようなものでしたね。ただ、具体的にどうすれば魔族化するのか、というのが誰にも分かりませんでしたから、向こうも手探りだったのでしょう……」 そこまでで、師範は言葉を切ると、俺を見た。 「……もうこのくらいにしておきましょうか? 大体の流れはわかったでしょうし」 そう言って、師範は俺を慰めるように優しく微笑む。 ……いや。違うだろ。 慰めが必要なのは、俺じゃなくて師範なんだろ……? 俺は、隣で仰向けになっていた師範をぐいと引き寄せ横を向かせて、その背を抱いた。 「俺が抱き締めとくから。俺の顔見たくなったら、いつでもこっち向いて。話し辛かったら、ずっとこのままでいいから」 「ギリル……」 師範は俺の腕に頬を寄せると、そのまま寄りかかった。 「ではもう少しだけ、話しますね」 「ん。師範が話せるとこだけでいい。無理しなくていいんだからな?」 「ええ、わかりました」 くすりと笑った師範に、ホッとしたのは俺の方だった。

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