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エピローグ『俺の中の先輩』

それから、先輩は週末毎に俺の身体をゆっくり慣らしてくれた。 ただ、最中の先輩は時折何かに迷うような苦しげな表情を見せる事があって、俺はそんな時どうしたらいいのか分からないままだった。 「そろそろ入りそうだよな」 俺の隣で横になったまま頬杖をつく先輩が、俺の髪を撫でながら呟く。 俺はドキッとしたけれど、なるべく平気なフリをして頷いた。 明日の仕事が終われば、また週末が来る。 そうしたら、俺は……。 「お前、本当に妊娠しないんだろうな?」 先輩の怪訝そうな眼差しに、俺は少しだけ肩をすくめて答える。 「だ、大丈夫だと、思いますけど……」 「……まあ、万が一デキちまった時には、俺が責任とってやるよ」 サラリと言われて、俺の方が慌てる。 「どっ……どういう責任ですかっっ」 「んー? お前を嫁にもらってやるとか……、な?」 ニッと悪戯っぽく笑って、いかにも冗談だという顔で先輩は言った。 「おっ、俺には彼女がいますからっっ」 冗談だと言われるのが分かっていながらも答える俺に、先輩はほんの少しだけ寂しそうに目を細めた。 「そーだな。……早く会えるといいな」 そう言っていつものように頭を撫でてくれた。 それが、昨夜のことだった。 ――なのに、先輩は今……。 グシャッという音を立てて、先輩は手を付くことすら出来ずに、硬く冷たい石畳に沈んだ。 辺りに広がるのはほんのり生臭いだけの透明な液体で、彼がどのくらいの出血量なのか、一見では分からない。 絹を裂くようなチャコの悲鳴。 「ゼスタさん!!」 「ゼスタロドル!!」 ガッサやオライドの声も重なる。 「先輩っ!! なんで……っ! 俺は銀に触れたって、焼かれないのに……」 「ん? そーだったか? 俺の勘違い、だな……」 先輩の言葉の終わりは、口からごぼりと溢れた体液にかき消された。 分かってるよ。とその瞳が言っていた。 焼かれなくても、あの弾を全部浴びれば、お前は死ぬ。と……。 「先輩っ! しっかりしてくださいっ! 先輩っ!!」 「マルクス、下がれ!」 「逃げたぞ! 追え!!」 「回復を!」 「くそっ、ダメだ間に合わない……」 先輩に縋り付く俺の肩を、誰かが掴んで引き剥がそうとしている。 『間に合わない』のは、追撃か、それとも……。 その先を考えようとしない俺の頭に、先輩の掠れた声が届く。 「俺の魂……、お前に、やるよ……」 そんな事……。許されるわけがない。 俺は反射的に仲間達を振り返る。 けれど、仲間達は「もう助からない」とか「せめて、食ってやれ」とかそんな言葉を口にした。 俺が……。俺が、先輩の魂を……? 「早死に、すんなよ……」 ごぽりと、もう一度先輩の口から、声とともに液体が漏れた。 先輩の翠の瞳が、言葉の代わりに俺に伝える。 『俺の魂は、これから先お前とずっと一緒だ』と。 ……本当に……? 胸に湧き上がる喜びが、悲しみを上回ってしまいそうで、俺は焦った。 「早くしろ!」 悲痛に叫んだのは、回復術をかけ続けていたオライドだった。 先輩に深く打ち込まれた銀弾が、先輩の細胞を、組織を全て壊してゆく。 それは、回復術をかけられた先輩の驚異的な回復速度を、それでもわずかに上回っていた。 大柄だけど引き締まった肢体が、波打つ髪が、見る間に崩れてゆく。 けどこれは全部、擬態だ。 俺は静かに腹の口を開けると、先輩の命を欠片も残さず刈り取った。 途端、先輩の体は色を失い、まるで水のような無色透明の液体になった。 これが先輩の、本来の姿……。 ごくり、と誰かが喉を鳴らした。 先輩だったはずのものは、じわじわと石畳の間に流れ込み、消えてゆく。 この遺体を、俺達はどうやって連れ帰ったらいいんだろう。 あの瑠璃色の髪も、あの翠の瞳も。 俺が大切に思っていた先輩は、全部、幻だったんだ……。 「……ゼスタロドル……」  ぽつり、と誰かが呟いた先輩の名に、俺の中で先輩の魂が揺れて応える。  温かい、命の塊……。    ああ、そうだ。これは紛れもなく先輩だ。  これが……これこそが、先輩そのものだ……。    俺は、どうしようもなく嬉しくて、腹の口をぎゅっと閉じる。  この魂だけは、消化しないように。けれど決して逃さないように。  先輩を一滴もこぼさないように、俺は慎重に口を仕舞った。  呆然と立ち尽くす仲間達の中で、チャコが泣き出す。  その声に、皆もようやく我に返ったように、口々に悔やんだり悼んだりを始める。  そんな中で、俺は俯いたまま、喜びを表に出さないよう必死で隠していた。  先輩を失った皆には悪いけれど、俺は、先輩を手に入れてしまった。    俺はきっと、この魂を一生離さないだろう。  そんな確信に近い思いを抱えながら、俺はそっと自分の腹を撫でる。      先輩は、今も確かに、俺の中にいた。

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