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 水族館を思う存分楽しんだ後。私たちは疲れ果てて帰宅した。  料理をするのも億劫なので、コンビニで食事を買って戻る。そういえば、シノさんが自炊している様子も、私の家で何を作る様子もない。いつも彼はコンビニの弁当を食べていた。その辺りをどうしているのだろうかと疑問に思う。  シノさんは1人暮らしなのだろうか。どんな仕事をしていて、どこで私の個展を知ったのだろう。未だに教えてもらっていない本名や住所、それに今日初めて知った、彼の好きなこと。  私は、驚くほどシノさんのことを知らない。なのに、身体ばかりを重ねている。  聞けば教えてくれるだろうか。シノさんがどういう人で、どうして私のそばにいてくれるのか。何故私を愛してくれるのか。  私にはまだ、尋ねる勇気が無い。  食事を終えシノさんは、先にシャワーを浴びるように言った。今日は一緒ではないのか、と少し残念に思ったことは伏せる。  先に入浴し、シノさんと入れ替わる。シノさんが出てくるまでの間、私は自室のベッドでそわそわと落ち着かない気持ちで過ごしていた。  こういう流れである以上、今日もああしたことをするのだろう。つまり、セックスを。考えるだけで身体と頭が熱くなる。なにしろシノさんは、私と交わる度に反応が変わっていくのだ。  最初こそ、辛そうな時間も多かった。しかし近頃は、シノさんも気持ちいいのだと見ているだけでわかる。あの涙の滲んだ瞳、甲高い声で名を呼ばれ、震える手足が絡みついてくる愛しさ。思い出すだけでこみ上げてくるものがある。私は慌ててスマホを手に取った。このままでは、身体が青少年のように期待しているのを見られてしまう。それは少々恥ずかしかった。 「ん」  画面を開くと、何かメッセージが届いているのに気付いた。身体と頭を巡っていた熱が、一気に冷え込む。予感を持ってそれを開くと、案の定、例の人からのメッセージだ。 『お前に生きていられると迷惑する。なんでお前なんかが。早く死んでくれクソ野郎』  1日に2通届くのは珍しい。どうやら私がシャワーを浴びているうちに届いていたようだ。通知がホーム画面に表示されていなかっただろうか。シノさんがこれを見ていなければいいのだけれど。まあ、何も言わなかったし、きっと気付かなかったのだろう。  それにしても。私はメッセージを読み返し、溜息を吐く。  まるで、私が殺してしまった人からのメッセージのようだ。あるいは、その遺族からのような。  あの人を死なせておいて、私がのうのうとこのような生き方をしていることは、きっと彼らを傷付けている。わかっていて、私は死ねない。死ぬわけにはいかないのだ。恐らく、また多くの人を傷つける。私にはその道を選べなかった。  そして浅ましくも私は生きていたいと願っている。私が生きているだけで迷惑し、傷付く人がいると知っていて尚。まだ筆を握っていたい。シノさんの隣にいたいのだ。  考えているうちに、不安になってきた。  もし、シノさんが私の真実を知った時、彼は今のように、私を愛してくれるのだろうか。  シノさんならきっと、と思いもするし、さすがのシノさんでも、と思いもする。しかし、シノさんと特別な関係になってしまった以上、隠し通すことに罪悪感を覚える。私はきっと、彼の思うような人間ではないのだ。シノさんを騙している感覚、それに甘んじている罪。私はそのようなものに身のうちから焼かれていった。  もし。もし、シノさんが真実を知った時、私を軽蔑し、見捨て、彼にもう二度と会えなくなったら。想像するだけで涙がこみ上げる。私はいつのまにか、彼にこれ以上ないほど依存している。それはきっとよくないことだ。終わるなら、早く終わらせなければいけない。私などは愛されるにふさわしくない罪人なのだと、己に思い出させなければ。 「タマさん、どうかしましたか?」  声をかけられ、ゆっくりと顔を上げる。いつのまにかシャワーから出たらしい、しっとりと濡れた髪のシノさんが、私を見下ろして首を傾げていた。私はスマホをベッドに伏せると、「シノさん」と彼の名を呼ぶ。 「はい」 「実は……シノさんに隠していることが有って」 「隠していること、ですか」 「はい。だから、シノさんに……それを、聞いて欲しいと思っています」  それでシノさんが私のことをどう思っても、それは自由です。  私の言葉に、シノさんはその表情から微笑みを消す。やがて私の隣に腰かけると、「わかりました」と頷いた。 「お聞きしますよ、タマさん」 「シノさん……」 「目を合わせていないほうが話しやすいならそうします。どうぞタマさんのペースで、言いたいことが言えるように……上手く話そうなんて考えないで。とりとめが無くても、構いませんから」  きっと、そんなに思いつめるほど、言いにくいことなのでしょうから。シノさんの声はやはり優しくて、私はそれだけで救われたような心地になった。  これほどの人に見捨てられるなら、それはもう仕方ないとあきらめもつく。私は一つ深呼吸をして、シノさんの顔を見られないままに、口を開いた。 「――私は、人を……死なせてしまったんです……」

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