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第2話 触れないで

「陽向」  背中から聞こえた声に反応して振り向くと、淡い桃色が目を柔らかく射た。 「春菜。似合うな。それ」  普段着ない鮮やかな色合いのワンピースに目を細めると、幼馴染の宮川春菜は頬を染めて俯いた。 「今日は火祭りだもの」 「ああ。そっか」  呟いて陽向は頭上を見上げる。閉ざされた世界を照らす偽りの太陽が中空で緩やかな光をこちらに向かって投げかけてくる。 「陽向、行かない? 一緒に」  視線を上向けたままの陽向の横顔におずおずと春菜が声をかけてくる。その彼女を見返り、陽向はにっこりと笑った。 「俺はいいや。楽しんでこいよ」  じゃあな、と片手を上げて彼女に背を向けようとしたときだった。春菜が思わずというように陽向の腕をつかんだ。  細い指の感触と、ほの温かい体温がじわり、と皮膚を震わせた。  瞬間、目の前が赤く染まった。  気が付くと思い切り腕を上げ、春菜の手を振り払っていた。 「ひ、なた、あの、ごめん」  春菜が掠れた声で謝罪する。その彼女から目を逸らし、陽向は赤茶けた頭髪をかきあげ、ごめん、と零した。 「ほんと、ごめん。俺、その、触られるのとか、ほんとだめで。ごめんな」 「あ、ううん……。私こそ。知ってたのに。ごめんね。無神経で」  慌てたようにぶるぶると彼女が首を振る。二つに結わえられた陽向と同色の赤茶けた髪がふるふると揺れた。 「でも……その、大丈夫だよ? 私は同族だし。触ってもその……」 「うん、わかってる。俺が気にし過ぎなだけ。ごめんな、ほんと」  早口に謝り、陽向は笑顔を必死に作って春菜を振り向いた。 「祭り、楽しんできてな」 「……うん」  曖昧に頷く彼女に、にっこりともう一度笑いかけて、陽向は今度こそ彼女に背を向けて歩き出した。  まだ追ってこられたらどうしようかと思ったが、春菜は追ってこなかった。  ほっと息を吐きつつ、陽向は再び中空を見上げる。  頭上を覆うのはぬらぬらと黒い岩天井。光と呼べるものは、一族最高位の巫女、光の宮が村落の上空に浮かべたくすんだ黄金色の光を放つ疑似太陽と、里のあちこちに焚かれたかがり火だけ。  低い岩天井に押しつぶされそうになりながら、星名陽向はずっと思っていた。  自身の名に含まれる星と陽。これらを肉眼でいつか拝んでみたい、と。  拝むことができたからといって今の自分が抱える問題が解決するわけではないことくらいわかっている。自分はきっとあの記憶を忘れられはしないだろうし、その記憶ゆえに誰とも触れ合えない。  けれどもしも、本物の太陽、本物の星を見ることができたのなら、なにかが自由になる気がするのだ。こんな閉ざされた世界ではなく、無限に広がる「空」というものを見ることができたのなら。根拠はない。けれど陽向は願い続けずにはいられない。  いつか太陽を、星をこの瞳に映してみたいと。

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