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第22話 不在

 けれど翌朝、彼は言葉通り陽向の元へはやってこなかった。まどろんでいた陽向を代わりに起こしたのは尖った男の声だった。 「おい、起きろ」  言葉と同時に、どか、と横たわった寝台を蹴り飛ばされる振動が背中に伝わる。まだ眠気に沈んだ頭で薄目を開けた陽向は、険しい顔でこちらを睨み下ろす男の顔を見て、目を見開いた。 「あんた、あのときの……あせ、び?」  ぎりぎり、と引き絞られた弦の音が耳の中に蘇る。必死に身を起こそうと無事な片手で手をつき半身を起こした陽向に向かって、彼、馬酔木、と呼ばれていた男は嫌そうに顔を歪めた。 「気易く名前呼んでんじゃねえよ」  そう言う彼の背には今日も弓矢がある。もしかして楓がいない間に殺しにきたのだろうか、と寝台の上、陽向は身構えた。が、その陽向の鼻をくすぐったのは、ここ数日で随分馴染んだ香ばしい粥の香りだった。 「飯だ」  言葉短く言い、馬酔木がくい、と顎をしゃくる。見るとよく楓が座る椅子の上に器に盛られた粥があるのが見えた。  問いかけるように馬酔木を見上げると、彼は顎を上げて怒鳴った。 「勘違いするな。長の命令だからだ。じゃなきゃとっくにお前なんて殺してる」  すねたような声音で彼は言う。その口調、そしてつんと背けられた彼の顔を見て陽向は驚いた。  あのときはわからなかったが、まだ少年といっていい歳に見えたからだ。 「あんたみたいな歳でも警備、なんてやるんだな」  自身も里の警備の仕事をしている。だがその任を任されるようになったのは二年ほど前。十七のときからだ。だが目の前の彼はまだ十四、五くらいに見える。 「当たり前だろ、お前らは違うのかよ。おめでたいな」  鼻で笑われ陽向は肩をすぼめた。生意気だな、とも思ったが、闇人である彼らの心根の強さを彼の言葉から感じて自分の一族の甘さを思い知らされた気がしたからだった。 「食えよ」  面倒臭そうに彼は促す。頷いてぎこちなく手を伸ばすがまだ動かすと体中が痛い。顔をひきつらせた陽向に、馬酔木は盛大な鼻息を吐くと、器の乗った盆を掬い上げ、陽向の膝の上に置いた。そのままそそくさと後ずさる。  おっかなびっくりのその仕草に目を見張ると、馬酔木は嫌そうに怒鳴った。 「いいか! 飯は運んでやるけど間違っても俺に触るなよ! 俺はまだ死にたくない」 「あ、ああ、そうか。そうだよ、な」  馬酔木の必死の形相に彼がそれを固く信じていることに気づき、ずきりと胸が痛む。やはり闇人の間でも自分達一族に触れられたら命が取られる、と言い伝えられているのだ。 「すまなかったな」  頭を下げつつ、盆に添えられた杓子を取り上げる。 「あの人もその言い伝え、知ってたはずなのに」 「はあ?」  馬酔木が胡乱な声を上げる。不器用に粥を掬いながら陽向は呟いた。 「触られると死ぬってやつ。でもあの人はまったく躊躇なかったんだよな。怖くなかったのかな」  いや、陽向が何者かも気づかぬまま触ってしまった、というところなのかもしれない。  だとしたらやはり自分はとんでもない危険物だ。苦い思いで粥を飲み下す陽向に馬酔木が馬鹿にしたように言った。 「そりゃあ長は最強だもん。俺たちみたいな能無しとは違う。怖いはずねえじゃん」 「能無し?」  問い返すと、馬酔木は陽向と距離を取るように戸口近くまで下がりながら頷いた。 「里で黒鳥の力使えるのなんて長含めて数人だからな。けど長がいれば大丈夫なんだ。長は最強だから」

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