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第23話 役目
「楓って、やっぱり長なのか」
確かめるように呟くと馬酔木が苛立ったように片足を踏み鳴らした。
「だから! 気易く名前呼ぶんじゃねえよ! 悪鬼のくせに!」
「ごめん」
頭を下げると、まだなにかを言い立てようとしていたらしい馬酔木がふっと口を噤む。どすん、と戸口の前に胡坐をかいて座り、馬酔木はぽりぽりとこめかみを掻いた。
「なんか、悪鬼って思ったのと違うのな。もっと凶暴だと思ってたけど」
「同じようなことをあんたの長にも言われたよ」
苦笑いしながら答え、陽向は片頬で笑う。馬酔木は居心地悪そうに尻の位置をもぞもぞさせながら言った。
「長は言ったんだ。触ると危険ではある。だから距離は取って接してほしいけれど、心がわからない人間じゃない。だから悪いけれど留守の間、食事を届けるだけしてくれないかって」
「あの人が、そんなことを?」
「そうだよ。なんの気まぐれかと思ったけど、まあ、長は優しいからな」
誇らしげに言う彼を見やり、陽向は笑った。
「あの人は慕われているんだな。あんたと話してたときは独裁者かと思ったけど」
「長は」
言いかけて馬酔木は目を彷徨わせる。
「怖いよ。怖いけど、優しい。だから少し心配になる」
「心配って?」
そっと尋ねると、馬酔木は唇を引き結んで黙り込んでから低い声で言った。
「全部、長がやらなきゃいけなくなってるから。できるのは長だけだから仕方ないのかもしれない。でも長だって人間なんだ。それを只人の奴らが好き勝手言いやがって」
「今日って、役目がどうとか言ってたけどそれのことか?」
問い返す陽向にちらっと黒い目を向けてから馬酔木は、ああ、と吐き捨てた。
「長は今日地上に行ってるんだよ。地上の毒消し」
「地上のって……! あそこは出ただけで体が溶け崩れる場所だろ?! なんでそんな!」
怒鳴ったとたん、がしゃん、と器が傾く。慌てて片手で支えると馬酔木は目を剥いてこちらを見つめてから、舌打ち交じりに言った。
「長くらいになると耐性があるから少しの時間なら大丈夫なんだと。けど……そんな簡単に消せるほどの毒じゃない。なのに長は只人の奴らに泣きつかれてときどき地上に出てるんだ。住める場所、増やせるように」
「地上に、住めるようにって、そんなことできるのか……?」
「夢物語だよ。そんな簡単にできねえよ。なのに、あいつらは神様かなにかみたいに長に頼る。しかも長はそれを断らない。なんでかわかるか?」
ぎらり、と黒い目が光る。無言で見返す陽向の前で馬酔木は立ち上がり、指を突き付けて怒鳴った。
「只人の奴ら、言うこと聞かないなら俺たちの里の場所をお前ら悪鬼に知らせるって言ってきやがったからだよ! 長はそれを恐れている。俺たちがお前らにかなわないと思ってる。そんなのわからないのに! 俺たちは能無しかもしれないけれど、お前らよりもきたえてる! お前らより仲間を愛してる! 必ず里を守り通すのに!」
「俺たちはあんたたちを」
攻撃したりしない、そう言いかけて陽向は言葉を飲み込んだ。楓の寒々しく凍った声を思い出したからだ。
……恨みを晴らそうと、君たち一族が僕らの里を虎視眈々と探し続けていること、僕らが知らないとでも思ってるの。
「まさか本当に……でも、そんなの……」
言葉を失ってうなだれた陽向を肩で息をしながら馬酔木が睨む。だがやがて大きく吐き散らすように息をすると言い放った。
「あんたは悪い人じゃないかもしれない。でも俺は悪鬼を信用できない。みんなそうだ。長がどう言おうとそれは変わらない。それだけは忘れないでくれ」
言うなり音を立てて馬酔木は扉を開け放つ。そのまま入り口を飛び出し、ぴしゃり、と力任せに扉を閉める。遠ざかる馬酔木の気配を感じながら陽向は口元を覆った。
吐き気がしていた。
なにも知らない自分に。いいや、なにも知ろうとしてこなかった自分に。
確かに炎の里でも話し合いはされていた。元通り地上に住む方法がなにかないか、と。
地上人の里とも協力をしようという話も確かに出ていた。
それは純粋に地上へ出る道を探す、それだけのものだと思っていた。だが、陽向は知らなかった。自分達の一族が楓の一族の里を探していることなど。
それは恨みを晴らすためなのか。いいや、もしも彼らの力をすでに自分たち一族が把握していたのだとしたら?
闇人の力を使って地上を取り戻そうとするのではないのか。楓たちの意志など関係なく。
そんなことになっていることを自分は何も知らなかったのだ。なにも。
そしてそんな自分を、悪鬼と呼ぶ一族の末端たる自分を、楓は看病し続けた。怪我をしているから、まだ生きていたから、それだけの理由で。
どうしてそんなことができるのか。自分達一族のせいで自分達が危機に陥っているというのに。どうして。
聞かないでほしいと言われた。でももう聞かずにいられない。
楓。
ここにいない彼に陽向は問いかける。
あんたは今、なにを思っているのか、と。
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