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第51話 あなたは俺を

「陽向くん!」  下がれ!と怒鳴りながら引っ張る如月の手を陽向は渾身の力で押しのけた。陽向くん! となおも名を呼ばれたが、構わず足を踏み出す。  未だ、地面は黒く染まっている。それでも構わずに歩を進めると、じりり、と足の裏に焼けつくような痛みを覚えた。その痛みを皮切りに、じりじりと体に影が這い上って来る気配を感じる。空気は重く、吸っても吐くことができない。苦しくて地面に倒れ込みそうになる。でも、陽向は倒れなかった。  倒れるわけになんていかなかった。今ここで倒れ伏したら自分は失うことになる。  この人を。  地面へ張りつきたがる体を引きずり、陽向は走った。走って走って。手を伸ばす。  喉元にあてがったその刃を今まさに横に引こうとする、彼の手に。 「か、えで」  名を呼ぶ声がしわがれる。きっと喉も焼かれてしまっているのだろう。足ももはや感覚はない。全身は炎にあぶられたように熱い。激痛に叫びだしそうになる。それでも止まらず陽向は楓に飛びついた。  今、自分に出せる力なんてごくわずかなはずだ。おそらく少しでも気を抜いたら、自分も地面に転がる人々と同じく死体へと変わるのだろう。でもそれでいいと思った。  この一瞬、この人を止められればそれでいい。だから自分の体よ、まだ止まるな、そう願いながら彼の手を掴むと、楓が、どうして、と唇だけで言った。 「離れて……」  彼の手を掴む自分の手がただれ血にぬめっているのがわかる。多分全身ひどいことになっているのだろうな、と彼の表情で察する。でも陽向は退かなかった。握りしめた彼の手から懐剣を奪い、地面に投げ捨てる。  離れて、と楓がそれしか言えなくなったように繰り返す。その彼の体を陽向は胸に抱きこんだ。 「あんたさ、本当に、しょうもないね」  もはや声にもなっていない声で陽向は楓の耳元に声を落とす。陽向の腕の中、離れて、と呻くように彼がまた呟く。でも陽向は離れない。決して離さない。 「俺は、言ったはず、だよ。俺の力であんたの命が、尽きるときは、あんたの毒、で俺も殺してって。でもさ、あんたの命、まだ尽きるときじゃ、ないだろ。まだ……一緒にいられるのに」  いやいやをするように楓は首を振る。 「一緒になんて、いられない。悪鬼となんてもう」 「だったら、離れてじゃなくて、離せって言えばいいのに……」  はっと陽向を見上げた楓を腕に閉じ込め、陽向は笑った。 「離れて、離れてって……。あんた、こんなことになっ、ても、まだ俺を心配してくれてる。それってさ」  言いかけた陽向の体の中からごぼり、となにかが沸き上がる。たまらず吐き出したそれは血の塊だった。ぐらり、と傾いた体を楓の腕が抱きしめた。  陽向、と名を呼ぼうとするその彼の腕の中で、陽向は咳き込みながら続けた。 「俺を、愛してるって、ことじゃないの」  なんとか保ってきた意識が消えそうだ。でもまだ手放すわけにはいかない。陽向は必死に彼の肩にすがりついた。 「聞かせてよ。あんたの、口から」  彼が陽向を受け入れた理由。それは自分の命を陽向が持つ呪いの力で削ってもらうため。きっとそれも事実なのだろう。だが目的のためだけに助けた悪鬼に対するには、彼の手は、表情はあまりにも優しすぎた。  あれほどに思いやりに満ちた微笑を浮かべながら、陽向に対してなんの感情もないなんてことがあり得るだろうか。  陽向との出会いを悔やみ、自らの命を絶とうとするその間際でさえ、陽向を案じる言葉を発してしまう、その彼の中に愛情がかけらもないなんてことが本当にあるのか。  答えはどちらも否だ。  はっきりと感じる。この人は陽向を、愛している。 「僕、は」  彼の唇が動く。その動きを見届け、ふっと陽向は息を漏らす。そのままずるずると彼の体へと自分のすべてを預けた陽向の背中に、するり、と腕が回された。陽向は深く安堵の息をついて目を閉じた。

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