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第94話 君が

「こ、れ…………」 「海」  掠れた声で楓が陽向の横で囁く。すうっと彼の顔が上向き宙を見上げる。  降ってくる、光の粒子を瞳に映した彼の声が震えた。 「星…………」  ああ。  声にならない声を上げ、陽向は楓の肩を引き寄せた。その自分たちの横手からふいに眩い光が射しかけられる。  顔を向けた先、暗く沈んでいた海の端を徐々に染め変えていくように白い光が広がるのが見えた。光はじりじりとその幅を広げ、海面を金色に変えていく。  暗く沈んだ藍色を極彩色へと塗り替えていく。  地下で見る疑似太陽とは比べ物にならない巨大な光球が黒い空を白く白く染め上げていく。  頭上から降り注ぐ柔らかい熱を含んだ黄金色の光を浴びながら陽向は隣に立つ楓の肩をきつく抱いた。  終わったんだ、と目頭を熱くする陽向の耳元で、陽向、と楓がそのとき呼んだ。  滲みそうになる右目を彼の肩を抱いていない方の手で擦りながら彼の方を見た陽向はそこで再び声を失った。  彼が笑っていた。  瞳に涙をたゆたわせながら、どうしようもなく優しい顔で彼が微笑んでいた。  …………やっと、見せられた。  蘇ったのはあの夢。海の中、波に足元を洗われながら言った彼の声だ。  光にさらわれ消えていく彼の声だ。  彼の唇が震えながら動いた。 「君が、見せてくれた」  ふっと目を見張った陽向の前で、彼は瞳を潤ませながら囁いた。  柔らかく、涙に滲んだ声で彼は言葉を紡いだ。 「全部、君が」  いてくれたから、と言いかけた彼の体を陽向はとっさに正面から抱きしめた。 「よかった。本当に、よかった」  声を震わせる陽向の後ろ頭をそうっと彼が撫でる。細い体を抱きしめたまま、陽向は空を仰いだ。  輝き続ける太陽を。  青く澄んだ空を。  空を渡っていく冷たくも優しい風を。  泣きたくなるほど美しい、この星の顔を。  でもこれらをこれほどに美しいと感じるのはきっと、ここにこの人がいてくれるからだ。  腕の中のこの人が生きて、笑っていてくれるからだ。 「楓」  名前を呼ぶと、頭を撫ぜる手が止まる。その彼の耳元に陽向は声を落とした。  祈りを込めて言った。 「出会ってくれて、ありがとう」 ………………了………………

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