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第11話

 夜も明るい街の中にありながら、そのスーパーマーケット裏のゴミ捨て場は、闇と静寂を保っていた。周りは古い金網フェンスで囲まれており、店から出た廃棄物や、近所の持ち主から手放された家具、太ったネズミや痩せたホームレスなどが一時の住処にしている。今夜のように騒がしくなるのは、実に数ヶ月ぶりのことだった。  入り口に停まったパトカーのテールランプが、ネッドとその同僚、そして彼らが引き立てる男達の顔を照らし出す。 「てめぇ、一般市民に対してやり過ぎじゃねぇのか!」 「黙れ、くそ野郎」  ネッドは男の髪を掴むと、彼の顔をパトカーの扉へ叩きつけた。鈍い音がし、ネッドはまた男の髪を掴んで引き戻す。真っ白だった男の歯は血で汚れていた。男が激しく息をすると血が飛び散り、男の白いシャツに付着した。 「ネッド、やり過ぎだぞ!」  他の男二人をパトカーへ収容していた同僚が怒鳴る。 「黙ってろ!」  ネッドは怒鳴り返すと、男へと視線を戻した。男はすっかり戦意をそがれてしまったようで、目が合った途端、ひっと発作のように息を吸って身体を小さくさせる。歪んだ口の端から血が垂れていた。その表情を見ても、ネッドの胸のざわめきは治まらない。  ようやく同僚が、二人の間に割って入った。 「これ以上は俺でも庇いきれんぞ。ネッド、下がっていろ」  同僚の引き攣った顔と焦った口調に、ネッドは眉を上げ、引き下がった。それを見届けた同僚は、赤い歯の男の腕を引き上げて立たせた。 「お前だけ他の連中とは違うな。ちゃんとしたシャツにスラックス……まともな会社で働いているんだろう。残念だが、お前達には不法侵入に器物損害、騒音の苦情も来てる。次の転職先を考えておくんだな」 「くそっ、全部あいつのせいだ。あいつが勝手なことをするから……苛々してどうしようもなかったんだ」 「なんだ、まだ仲間がいるのか?」  同僚はパトカーの扉を開けかけて手を止める。ネッドも視線だけを男に向けていた。二人の注目を獲得した男は、にやりと血塗れの笑みを浮かべた。 「そうさ。俺よりもずっと派手に暴れる奴がいるんだ。勝手に身を引きやがったが、そいつは実の父親を半殺しにしたこともあるヤバい男だ。放っておいたら、きっとまたここで騒ぎ始めるぞ。俺にはわかる」 「苦し紛れの嘘だな。ほら、さっさとパトカーに乗れ。その親玉の話は署で――」 「待て」  同僚の声を遮り、ネッドはパトカーに乗り込もうとする男を引き留めた。同僚は警戒の視線を、男は怯えの視線を向けてきたが、ネッドは努めて穏やかな口調で続けた。 「その男がリーダーか?」  尋ねると、男は怯えと笑みを混ぜたような複雑な表情で頷いた。 「話を聞かせろ。どんな組織も核を壊さない限り、際限なく再生するからな」  その日、ゴミ捨て場からテールランプの光が消えたのは、日付が変わる少し前だった。  自分のアパートへ逃げ帰ったのは一時間も前のことだ。しかしオギーは、未だ玄関扉に背中を押しつけたまま動けずにいた。冷静になろうと意識を集中させようとした途端、マグマの波のようなものが頭に覆い被さってきて、思考を焼き尽くしてしまう。  やがてじっとしていることにも耐えられず、オギーは扉から離れると、照明もつけずにリビングへと向かった。闇の中でも、そこに何があるかはだいたい把握している。壊した椅子、ベッド代わりのソファ、がたつくテーブル、手垢のついたスケッチブック――それら全てを持ってしても、そこは殺風景な部屋に違いなかった。 「くそ……」  喉の奥から熱いものが込み上げてくる。それが怒号なのか、破壊衝動なのかはわからない。オギーはその熱に追い立てられるようにキッチンへ行き、皿を収めている戸棚を乱暴に引き開ける。その衝撃で皿ががたがたと音を立てたが、割れたものは一枚もなかった。目についた一枚取り上げ、頭の近くまで振り上げる。しかし、オギーはそこで動きを止めた。 「……駄目だ」  熱い何かはいつしか冷え切り、頭の中は重たい虚無で支配された。オギーは皿を持ったまま手をだらりと身体の横に垂らし、闇の中でじっと立ち尽くす。 「俺は怒ってなんかない……あいつとは違う……違うんだ……じゃあ、これは何なんだ?」  しゃがみ込み、皿を床に置いて膝を抱える。膝頭に額を押しつけて目を固く閉じても、脳裏に、あの時のフィルの目が蘇る。 「まだ治っちゃいないんだ……」  そう呟くと、身体の中で何かがふっと消えたような感覚があった。オギーは目を開けて立ち上がる。足にはまるで力が入らず、下半身だけ消えかけているようだ。ズボンのポケットからスマホを取り出し、目を射る光の中で画面を操作する。 (戻らないと)  スマホをポケットにしまい、よろよろと玄関へ歩き出した。

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