16 / 16
第16話
フィルは、退院したオギーと共に町へと戻った。
しかしその帰還を、まず両腕を広げて迎えてきたのは「多忙」だった。弁護士が予想していた通り、フィルの訴えにネッドは反抗し、たちまち裁判が起こった。ネッドは証拠となるカメラの映像について、これは盗撮で、自分は嵌められたのだと言い、逆にフィルを訴えた。さらに、今までに警察へ相談をしていなかったことも指摘される。
フィルの弁護士曰く、ネッドは裁判を長引かせて、経済的に余裕のないフィルを追い詰めようとしているとのこと。やがてこちらが音を上げたところで、やれやれ仕方ない、なら示談で済ませようじゃないかという魂胆なのだという。
そしてフィリップ・ライトも、弁護士も、一歩も引く気はなかった。
まず訴える相手が警察関係者であるため、当然、被害者は身構え、警察に相談することは避けるだろう。そして、絶対に負けることのない、確たる証拠を欲するのが当然である。被害者の覚悟は本物だ。だからこそ、カメラの前に立った。自らの姿を映した。
さらにフィルは、自分の身体の状態を撮った写真も、証拠として提出していた。写真は複数の人の目に触れた。首にくっきりとついた指の痕、痣だらけの身体、鼓膜が破れて以来、補聴器をつけている耳。ふとフィルは、この身体の痣をオギーはまだ見たことがないことを思い出した。初めて裸で身体を重ねた時、室内は暗闇だったからだ。
さらに裁判中の数日間、フィルは不眠症を再発させていた。毎晩、バスルームに閉じ籠もっては睡眠導入剤の入ったオレンジ色の壜を握り締める。そばにいてくれたのはオギーだった。導入剤を飲んだ日も、飲まなかった日も、彼は変わらず同じベッドに入ってくれた。この身体を見ても、彼は変わらず同じベッドで眠ってくれるだろうかとフィルは考える。
しかし、不安はそこまで大きくはない。おかげで最後まで戦えた。
もとより、ネッドには勝ち目のない裁判だった。フィルへの暴力行為の証拠がたっぷりあるだけでなく、署内の職員達が黙認していた被疑者への暴力行為も、白日の下に晒された。最後の悪あがきでネッドはオギーの存在を持ち出したが、本件とは関係ないことだとされ、結果、彼が巻き込まれることはなかった。何より、フィルはそのことにほっとした。
そしてネッド・スファンスは警察をクビになり、然るべき罰を受けることになった。
勝利したフィリップ・ライトは今、午後六時の街並みを横目に、家路を辿っている。
「連絡があったんだ。だから、今日はいつもより早く帰らなくちゃいけない」
サングラー病院の一室。円状に並んだ椅子に座っていたオギーは、そう仲間達に言って立ち上がった。すると、隣に座っていたグレッグが言う。
「お? 祝いでもするのか?」
「さぁ、どうだろうな。でもしばらくは、フィルにしっかり休んで欲しいんだ」
オギーの脳裏に、バスルームに籠もり、トイレの便座に座って、睡眠導入剤の容器を十字架のように握り締めるフィルの姿が蘇る。眠ればあっという間に朝が来て、また裁判所へ行かなければならない。でも眠らなければ、集中力が切れてきっと隙を見せてしまう。フィルは葛藤し、恐れ、疲弊していた。
自分は彼を、少しでも支えられていただろうか。
「そうか、そうか。しっかり見ててやんな」
グレッグは大きく頷いて言った。「お前も無理すんなよ。仕事の方は何ともないのか?」
「前みたいに苛つくことはなくなったよ。俺のやるべきことは変わらない」
そうしてオギーは会場全体を見渡し、こちらを見ている全員に向けて口を開いた。
「今日ここへ来たのは、俺がまたここへ戻ってきてもいいのか、確かめたかったからだ。身体の傷はほとんど治ったが、内側はまだわからない。この先、ずっとわからないままだ。だからもし、また俺が無茶なことをしそうになったら、その、頼ってもいいのかって……」
「オギー、あなたは変わったわ」
離れた席に座っていた女性が声を上げた。豊かな茶髪を肩に垂らし、青いスーツを着て足を組んでいる。その目が真っ直ぐ、オギーを見つめていた。
「あなたは怒りのその先を知り、それを認めることができた。あなたの内側はこれからどんどん変わっていくでしょう。でも私達からの愛は変わらないわ。いつだって頼っていいのよ」
「ミセス・ブルー……ありがとうございます」
「そうだぞ、オギー坊。いつでも俺達に会いに来い」
グレッグが立ち上がり、ぐっと肩を抱き寄せてきた。その力強さに不安は消し飛ぶ。
「フィルによろしく伝えてくれ。また落ち着いたら会おう」
「ありがとう、グレッグ。本当あんたには、なんて礼を言ったらいいか……」
「おいおい、俺が聞きたいのはそんなかしこまった礼じゃねぇぜ? いつか電話してこい。フィルと一緒にな。そん時のお前の声が聞きたいんだ」
そう言うグレッグの目は優しく、わずかに溜まった涙が光っていた。オギーはたまらず、彼の巨体を腕いっぱいに抱き締める。
グレッグも痛いくらいに抱き締め返し、やがてさっと抱擁を解いた。
「さぁ、駅まで送ってやる! 遅くなっちゃいけねぇ!」
「頼むよ」
周りに別れを告げ、オギーとグレッグはホールを後にした。足早に病院を出ると、駐車場に停めていた車に乗り込む。車が走り出したとき、時刻は午後六時を少し過ぎていた。
帰宅したフィルは、夕食の準備をしていた。
テイクアウトでもよかったのだが、何だかそわそわしてじっとしていられなかった。キッチンの窓からは、まだ明るい夕日が見えている。冬に比べて、春は少しずつ明るい時間帯が増えていく。これからどんどん日が長くなっていくのだろう。
ふと焦げ臭い匂いが鼻孔を掠り、フィルは視線を窓から、手元のフライパンへと戻した。
「うわわっ、おっと!」
慌ててフライパンを持ち上げ、中を覗き込む。炒めていたパプリカはやや黒ずんでしまったが、これからソースと絡めるので問題はない、ということにしよう。フライパンを戻し、事前に作っていたソースを入れ、パプリカとさっと絡ませる。用意していた二枚の皿にそれらを盛る。すでにステーキとマッシュポテトは盛り付けていた。フィルはパプリカのソースが流れ出して他の料理の味を変えてしまわないよう、隣のステーキとマッシュポテトをフォークで押しやった。
「うーん、これ、足りるか?」
そう呟くと、唇がくすぐったくなった。自分以外の誰かのために、食事の心配をしている。誰かの帰宅を心待ちにしている。フィルはまだ熱を持っているフライパンを見つめた。
「……いや、これ以上はやめよう。フライパンから溢れるくらい作っちゃいそうだし」
フィルは両手を上げると回れ右をし、それから二枚のプレートを持ち上げて、ダイニングテーブルへと運ぶ。狭いダイニングテーブルは、プレート二枚でいっぱいになってしまう。しかし、これ以上のスペースはいらないような気もしている。
「だって花なんて飾らないし。テーブルマナーなんてクソ食らえだよね、ドクター?」
夕日が差し込む窓の反対側――東の静かな闇が見え始めている窓辺にある水槽で、優雅に泳いでいたドクターは肯定するように尾を揺らした。
「もうそろそろ、帰ってくるかな」
噂をすれば影――そう言った瞬間、玄関扉ががちゃんと音を立てた。フィルは反射的に玄関の方を見る。
薄暗い廊下から足音が近づいてくる。軽やかな足音だった。
「ただいま……フィル」
「おかえり、オギー!」
フィルは、はにかみながら帰宅した恋人に駆け寄り、強く強く抱き締めたのだった。
夕食中、オギーはふと、様子を窺うような視線に気づいて皿から顔を上げた。
「どうかしました?」
「いや、その、まともに料理するのが久し振りだったから、味の方は大丈夫かなって……」
向かい側に座るフィルはやや引き攣った笑みを浮かべていた。「帰ってきてからすぐ忙しくなったでしょ? あの頃の食事はほとんどレトルトか、テイクアウトだったか――それどころか僕は、電子レンジですら触っていないような気がするんだけど……オギーが食事の面倒を見てくれたんだったよね?」
「さぁ」オギーは肩をすくめた。「今、目の前の食事が美味いので、そんな大昔のこと思い出す余力はないです」
フィルは一瞬きょとんとしたが、やがて眉尻を下げて笑った。
「まったく、オギーったら」
しかしオギーは、あの頃のことはしっかりと覚えていた。フィルは食欲不振に陥り、料理を作ることはおろか、食べることすらままならなくなった。かと言って、料理センスが壊滅的だと自覚している己がキッチンに立つこともできず、フィルの言う通り、レトルトやテイクアウトの食事で済ましていた。オギーにとって、それは普段と変わらぬ食事だ。とにかく当時は、フィルのことだけが気がかりだった。
「君ほど料理を美味しそうに食べてくれる人に、僕は久しく会ったことがないよ」
「だって美味いんですもん」
フィルの顔に穏やかな笑顔が戻った時、オギーの両頬はじんわりと熱くなった。彼の笑顔を見ていると、何だか照れてしまう。思わず俯いた時、フィルがそっと手に触れてきた。
「オギー」
少し掠れた彼の声に、心臓がどくんと大きく高鳴る。顔を上げてみると、少し申し訳なさそうな――でも何かを確信しているような――表情のフィルと目があった。
「実はね、もう一つちょっと不安なことがあって、それを君に見てもらいたいんだ」
「えぇ……いいですよ。何です?」
「後で教える。片づけが終わった後でね」
フィルの目が艶っぽく、そして不安定に揺れた。最高に色っぽいのだが、垣間見える不安の色が何なのか、その真意がオギーにはよくわからなかった。それを確かめるためにも、身体の奥底で燻りだした火花のためにも、オギーは目の前の食事を一瞬で平らげると、光の速さで片づけに取りかかった。
「大変な日が続いたんだから、今夜はゆっくり休んだ方がいいですよ」とか「今日じゃなくて、明日にしましょう」などという言葉は頭の中から消えていた。パーカーの袖を捲り上げ、肘まで水に濡らしながら皿を洗っていく。
その間にフィルはバスルームへ行き、やがて出てくると今度は寝室へと向かった。
寝室に光が灯ったのをオギーは見た。しかし、片付けにはもう少し時間がかかりそうだ。
時刻は午後九時に差しかかろうとしていた。
バスルームで身を清め、寝室に明かりを灯したフィルはベッドへ近寄り、そこから部屋全体を見渡す。つい最近までここには、夜にでも浮かび上がってくるような闇が居座っている気がしていたが、今夜、その闇は見当たらない。
扉を開け放っていたため、キッチンからの忙しない水音が聞こえてくる。彼なりに急いでいて、それでも皿を割らないようにと慎重になっているようだ。そんなオギーの姿を想像し、フィルはふっと笑みをこぼす。
やがて水音が消えてしばらくすると、袖を捲り上げたままのオギーがやって来た。
「片付け、ありがとね」
「こっちこそ、料理ありがとうございました」
オギーも微笑み返してきたが、その目は静かな疑惑を纏い、鋭さを持っている。こちらの不安を感じ取っているのだろうとフィルは思った。歩み寄ってきたオギーを両腕に迎え入れ、抱擁したまま彼の唇に己の唇を押しつけた。自然に互いの口が開き、温かい粘膜と唾液、熱い舌が絡み合う。ふと唇が離れた時、オギーの唇が首筋へと移動してきた。浮き出た首の筋を唇でそっとなぞられ、思わずはっと鋭く息を吸い込む。震える右耳に、彼の唇が触れる感覚がした。
「俺に見てほしいものって?」
「うん……」
フィルはぎこちなく抱擁を解くと、一歩後ろへ下がり、着ていたセーターを脱ぐ。明るい照明の下に現れたのは、赤や紫、黄色っぽくなった痣、ミミズ腫れの痕、ベルトで強く縛られた痕がいくつもある上半身。過去の残滓達ひしめくこの身体。
脱いだセーターを床に落とし、精一杯の笑みで緊張を誤魔化す。
「君がスケッチブックに描いていた僕は、窓辺に立って微笑む綺麗な男だったかもしれない。でも本当はこうなんだ。こんな傷だらけで、目も耳も悪くて、五十歳手前のおじさんで……それでも君に愛して欲しいって思ってる」
我ながら欲張りな台詞だと、フィルは内心自嘲した。
オギーは黙っていた。
フィルは彼の沈黙に堪えきれずに俯いたが、その瞬間に勢いよく抱きつかれ、そのまま後ろのベッドへどすんと押し倒された。
「うわっ! どうしたの、オギー!」
声を上げると、耳元でオギーが囁いてきた。
「それ全部ください」
「え?」
「あなたも、あなたの傷も、全部俺のものにする。全部欲しいです」
「あはは……本気で言ってる?」声が震えた。
「本気ですよ……この傷だって、もう俺のもの」
オギーは掠れた声でそう言うと、フィルの胸辺りにあった痣に顔を埋めた。色の変わった皮膚を優しく吸い、ついばむようなキスをしてきた。
そのくすぐったさに、フィルは身じろぎする。
「あはは! オギー、やだっ、あはっ、くすぐったいよ!」
「そりゃよかったです。これでここは俺のものですからね」
オギーは顔を上げず、別の痣に同じようなキスを繰り返した。むず痒さにフィルはもがき、顔を仰け反らせて笑い、ベッドを軋ませる。笑いすぎて身体が熱くなり始めていた。
「全部……俺のだから……」
「ん? オギー?」
ふと彼の異変に気づき、フィルは上体を起こした。オギーは腹の辺りに顔を埋めたまま、こちらを見ようとしない。そっと手を伸ばし、彼の顔を上向かせーーフィルは目を見開いた。
「どうして泣いてるの?」
オギーは真っ赤な顔でしかめ面をしながら、ぽろぽろと涙を流していた。尖った鼻先から涙が滴り落ちる。こちらが驚いて固まっていると、彼はふて腐れた子供のように唇を尖らせた。
「俺は絶対に……あなたをもう二度とこんな目には遭わせない、から!」
「うん」
「絶対に守るから……でも……っ」
唇が震え、声が涙で裏返った。「でも俺は気づけない……それが情けないし、怖い……あなたはそういうのを隠すのが上手いから……」
赤く腫らした目をして訴えるオギーに、フィルはたまらなくなった。彼の顔を引き寄せてキスをし、その涙の味を自身の舌に覚えさせる。二度と、この味を忘れないために。
「君に隠し事はできそうにないね」
「……あんまりしないで欲しいです」
「じゃあ、今夜、僕の全部を暴いて見せてよ」
弾かれたかのようにオギーが顔を上げた。
視線が合った時、フィルは彼の瞳孔がぐんと大きくなって黒々しているのを見た。その中で火花のような光が瞬く。オギーもきっと、フィルの目に同じ光を見ただろう。その火花はやがて炎へと成長し、身体の内から沸き上がる熱は、服を着続けることを困難に感じさせた。フィルとオギーは互いに身に付けているものを奪い合い、それらを全てベッド下へと投げ捨てる。
共に生まれたままの姿になったのを確認し、フィルはさっと身を起こすと、オギーをベッドへ押し倒した。彼の目が大きく見開かれる。
「フィル?」
「今夜は僕からもさせて……ね?」
身体に覆い被さってにこりと微笑むと、オギーはまだ潤っている目を見開いてこくこくと頷いた。
フィルは彼の首筋から肩、胸へとキスしていき、徐々に下肢の方へ下りていく。へそを通過し、下生えに辿り着いたところで、むくりと頭をもたげていたペニスを優しく握る。熱く、芯を持っていた。フィルはそれにキスをすると舌を出し、ゆっくりと這わせながら濡らしていく。浮き上がった血管の凹凸を舌に感じると、口を開けて咥え込んだ。舌を絡ませたまま、上下に頭を動かす。下品な水音と、頭上から聞こえてくるオギーの呻き声に、フィル自身の下肢も疼き始める。しばらく夢中になってしゃぶっていると、ふいにオギーが上体を起こした。彼の手が伸びてきて、引き時かと思ったフィルは顔を上げかける。しかしその手はフィルを引き留めず、自分のものを咥えて膨らんだ頬に触れてきた。
優しい手つきとは裏腹に、オギーの顔は真っ赤で険しかった。
「いくらなんでもエロすぎませんか」
「さぁね。君は僕にどんなエロいことしてくれるの?」
唾液を引きながらペニスを口から出すと、すかさずオギーの手が口元へ触れてきた。フィルは口を開け、人差し指と中指の侵入を許す。音を立ててちゅうと吸いつくと、口内で指先が動き始める。歯列をなぞられ、上顎を撫でられる。舌先をきゅっと摘ままれた時、フィルの身体の奥がぞくっと震えた。くちゅくちゅと唾液を掻き回され、舌を弄ばれる度に頭がぼうっとし、股間の熱が疼き出す。無意識にシーツへ腰を擦りつけていると、やがてオギーの深い溜め息が聞こえてきた。指が引き抜かれる。
「ちょっと腰、上げて……」
言う通りに腰を上げると、前屈みになって腕を伸ばしたオギーが、唾液にまみれた指を後ろの穴へあてがってきた。
「あっ……」反射的に腰が跳ねる。
「俺はずっと見てたんですからね……」
「ガン見してたよね」フィルはくすくす笑う。
オギーの指は緊張でやや強張っていたが、手つきは慎重かつ丁寧だった。浅く入ってきた指先が、入り口近くの筋肉をほぐしていく。次第にぐっと深く入ってきて、フィルは震えながら息を吐いた。より敏感な肉壁をぐにぐにと刺激され、思わずシーツを掴む。やがて指の本数が増え、動きは徐々に強く、滑らかになっていく。
「はぁ、ん、オギー、もう大丈夫だから……」
「ん……じゃあ抜きますね」
指が引き抜かれる間、フィルは唇を噛み、シーツに顔を押しつけながら快感に耐えた。四つん這いの姿勢のまま息を吐き出し、オギーがいなくなって切なくなった身体の奥を必死に宥める。それはあまりに耐え難く、ナイトテーブルの引き出しからコンドームを出し、包装を食い破ってペニスへ被せているオギーを待つことすら辛かった。
「すみません、お待たせしました」
「もう……抱き締めて」
フィルはよろよろと身を起こし、縋るように彼へ抱きついた。もじゃもじゃした頭を抱き、逞しい膝の上に跨がると、尻の割れ目に触れる屹立の熱さを感じる。
するとオギーが両手で尻の肉を掴み、横へ広げてひくつく穴を曝け出してきた。やや性急なその仕草にフィルは呻く。
「いいですか……」
「うん、いいよ、きて」
フィルは目を閉じ、オギーが体内へ押し入っていく感覚に震えた。凶悪さすら持ち合わせたそれは、身体の奥を広げ、熱く満たしていく。
「うぁっ、あぁ……」
「くそ、やば……大丈夫ですか?」
切羽詰まった声でオギーが問う。
フィルは彼を抱き締めたまま頷いた。頭がじんじんと痺れて声もでない。恐怖も、背徳も、後悔もないセックス――こんなに甘くて、熱くて、胸がいっぱいになるなんて知らなかった。オギーの全てを飲み込んだ時、フィルはほとんど泣きながら彼に抱きついていた。
「今度はあなたが泣いちゃいましたね」
「だって、もうわけわかんなくて……」
「気持ちいいのはわかるでしょう?」
オギーはフィルの胸元にキスすると、唇で乳首を探し当て、そこへ強く吸いついてきた。瞬間、ひりつくような快感がフィルを襲う。
「うあぁっ、吸っちゃ……オギー……」
「ここ好きでしたよね。覚えてますよ、俺」
熱く濡れた口内で、舌先で弄られた乳首はぴんと硬くなった。自然に口が開き、嬌声がだだ漏れになる。全身がぞくぞくと痺れて反っていくが、オギーの腕と、下肢に差し込まれた屹立が倒れることを許してくれない。彼の舌の動きに呼応するように、身体の奥がきゅんきゅんと収縮した。
「あぁ……すげぇ……うねってる」
「うぅ、すぐいきそうになるからやめて……おねがい……もうちょっとこうしてたいから……」
「わかりました……じゃあこっちにします」
オギーは乳首から口を離すと、今度は腰を動かし、下から激しく突き上げてきた。
「ああっ、うぁっ、やば、オギー」
腹の奥から頭の芯へと、稲妻のような快楽が駆け上がる。フィルは顔を仰け反らせ、悲鳴じみた嬌声を上げた。オギーの腹で擦れるペニスも限界寸前で、溢れ出した先走りは潤滑油のようだった。快楽でぐずぐずに溶けていく脳を感じながら、フィルはオギーに訴える。
「もうだめ……いっちゃう……って」
「いって。俺もいきそう……くそ、くそ……っ」
きつく抱き締められ、より深い場所を突かれた瞬間、フィルの下半身の筋肉がびくびくと痙攣した。込み上げてきたものを我慢する理由など見つからず、フィルはオギーの腹へと精を吐き出していた。身体の奥がぎゅっと締まったのと同時に、オギーが獣の唸り声のような声を上げて震えた。
しばらく互いに動けずにいたが、やがて二人で繋がったままベッドへぐったりと横たわる。
フィルは、荒い呼吸を繰り返しているオギーの、汗で貼りついた前髪を上へ掻き上げてやる。すると、額の傷跡が見えた。
その時、オギーとぱちりと目が合う。しばらく見つめ合った後、二人でふっと吹き出した。
「愛してる」
「俺も愛してます」
フィルは笑いながら、オギーの額へキスをする。たまらないくらい幸せだ。
オギー・ヘイスティングズは目を覚まし、腕の中で眠る恋人の寝顔をぼんやり見つめた。
昨夜はすっかり盛り上がってしまい、結局、夜明けまで二人で盛り合っていた。まだ全裸だし、キスのしすぎで唇はひりひりするし、腰は痛いし、身体中が鈍く軋んでいる。頭をもたげて窓の方を見ると、外は明るく、車の行き交う音も聞こえた。もう昼近くだろう。
枕に頭を戻した時、腕の中のフィルが「んん」と呻いた。起こしたかと少し焦ったが、彼は寝返りを打って背中を向けただけだった。うなじには痣と、オギーがつけた歯形がある。
「……もう大丈夫。俺が守ります」
泣きじゃくりながら交わした約束を、一生守ろうと思う。そっとうなじへ唇を落としながら、ふと、我ながら格好がつかない約束の仕方だったなと思った。恥ずかしくなったオギーは、もう一眠りしようと目をつむりかける。
瞬間、フィルがぐるりと寝返りを打ってこちらを向いた。
「うおっ」
「ひひ、期待してるよ」彼はにやにやと笑っていた。
「起きてたんですか……もうお昼ですよ」
「そうだね。よし、ブランチだ! 何食べたい? それとも外へ食べに行っちゃう? とりあえずコーヒー煎れよう! あっ、その前にドクターにご飯だ! お腹空かせてるから!」
フィルはゴム仕掛けの人形のように起き上がると、てきぱきとベッドから降りて捲し立て始めた。あまりの寝起きの良さにぽかんとしていると、フィルが昼の陽光が差し込む窓の前で立ち止まり、振り返った。
「お早う、オギー。これから毎日、起きたら君に言うよ」
「お早うございます。約束ですよ」
「うん、期待してて」
穏やかな陽光を背にフィルは微笑む。
その美しさに、オギーは笑みをこぼした。
(完)
ともだちにシェアしよう!