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第21話
「得意客ねえ。商売繁盛でなにより、今夜で稼ぎ時もしまいだ。夜逃げん時ゃ手提げ金庫を忘れんな、札びらおっことしたらもらってやっから」
第一声は清々しいまでの挑発。
コイツは基本引くということを知らない。
怯えを隠した虚勢じゃない、尊大なまでに本物の自信に満ち溢れている。
場所はコヨーテ・ダドリーの倉庫内。遂に本命がご登場したが、それを待ち受けるスワローは余裕の笑み。
ドギーが軸足を半歩引き、逃げる準備を欠かさぬのとは対照的だ。
緊迫を孕んだ静寂が張り詰める中、スワローが不敵な笑みを片頬に刻む。
「お前がコヨーテ・ダドリーか」
金壺まなこが底光りし、皮膚の下に練りこめられた殺気が毛穴から漏れだす。
「お前はストレイ・スワローか」
バレてる。
ボスの一言に勢ぞろいした舎弟がどよめき、スワローに視線が集中する。
「……え、ストレイ・スワローってあのストレイ・スワロー・バード?」
「バンチに載ってた今年注目株のルーキー?」
「年は若ェが向かうところ敵なしの凄腕ナイフ使い、ガキん頃変態絵描きのレイヴン・ノーネームを倒した武勇伝持ちの?」
「でも髪の色違うぜ、写真じゃたしか金髪の」
「染めたんだろ馬鹿」
スワローは既にコンタクトをとって自前の瞳をさらしていた。
動揺する舎弟どもにとくとキレイな顔を拝ませてやってから、乱暴な手付きでにせものの茶髪をかきまぜる。
「チェックが杜撰だな。髪と目の色変えてマスクするだけで楽々通れたぜ。よく聞けコヨーテ・ダドリー、テメエの家来はそろいもそろってトンマぞろいだ!まんまと俺の策にひっかかって番犬失格だな、ちんちんしか芸ねーのかよ?」
「野郎言わせとけば……ぶちのめしてやる!」
スワローを担当したらしいチェック係が、筋が浮くほど拳を握り締めて憤激。
その太腿をダドリーが容赦なく蹴る。
「安い挑発に乗るな、思うツボだ」
さすが、腐っても群れのボスだ。すぐキレて総攻撃を仕掛けず、成り行きを窺うのは賢い。
摺り足で注意深く移動し、スワローと背中合わせに陣取る。
「どうすんだよ、追い詰められたぞ」
「でけえ口叩いて策はあんのか?」
ドギーが腰を落としてあとじさり、俺達と背中合わせに身構える。
スワローは俺達の質問攻めにも涼しい笑みを消さず、いけしゃあしゃあ人を食った態度でダドリーに話しかける。
「『得意客』って言ったな、アンタ」
「ああ」
「ということは……ドッグショーの裏で別の商売もやってんの。たとえば……人身売買とか、超悪趣味なスナッフポルノ製作とかさ」
「むしろそっちが本業だな。月によってはショーの売り上げを軽くこえる」
「すっげえ、この街にゃヒトの生き死にズリネタにマスかく変態が多いんだな」
「同感だ」
スワローが呑気に口笛を吹いて感心、ダドリーが気分を良くして倉庫内を見回す。
至る所に巨大な檻が設置され、さまざまな犬種の犬が飼育されてるせいか異様に獣臭い。
「う……」
束縛の痕も生々しい手で咄嗟に口を塞ぐ。
ケツに異物が突き刺さってたあいだはそっちに注意が行って麻痺していたが、糞尿がこもった悪臭が鼻腔の粘膜を刺激し、たまらずえずく。
俺に見える範囲でも数十匹の犬がいて、文字通り鉄格子に齧り付いてる。
「ヒントをくれたのは親父だ。息子を犬に犯させて絶頂する倒錯した獣姦マニアだったが、いいアドバイザーでもあった。どうすれば人間がけだものに堕ちるか、本質を理解してた」
「イカレた親父だな」
「最初は一部のマニア向けに趣味のポルノビデオを製作してたが、おもったより需要があってね。そっちメインに切り替えたのさ。知っているか?獣姦の歴史は古い。野郎同士でヤるのを鶏姦っていうだろ?昔の百姓は鶏のケツに入れて悦んでたんだ。俺が提供する商品は手塩にかけて育てた犬、それもただの犬じゃあない、薬剤投与でアレを特別でっかくした凶悪なのさ。闘犬としてもセックスパートナーとしてもフルスタミナで優秀だ」
コネを使って手に入れたポルノの映像が脳裏をよぎり、嘔吐感がいや増す。
ダドリーは陶然と両手を広げ、饒舌に語り続ける。
「だが何事もマンネリ化する、流行れば廃れる宿命だ。最近は売れ行きが横這いで新しい趣向を模索してた」
「んで、都合よく賞金がかかった」
「ただの獣姦が飽きられたんならモデルを殺せばいい、それでも足りないなら目新しいモデルを引っ張ってくればいい」
毛細血管の浮いた眼球がせりだし、白目が不気味に濡れ光る。
スワローが面白そうな笑みを広げ、シャツの裾から貧相な足を覗かす俺をもったいぶって見やる。
「そこで閃いたのが、賞金稼ぎを使ったスナッフポルノってわけだ」
ダドリーが喉奥で濁った笑いを泡立て、ゆったりと手を叩く。
「お前がいい例だストレイ・スワロー・バード、この世界……特にこの街じゃ、賞金稼ぎは賞金首と人気を二分するヒーロー。もっとも、賞金首なら『アンチ』が付くがな。でかいホシを上げた賞金稼ぎにゃ、雑誌の取材が殺到して顔と名前が売れる。ちやほやもてはやされていい気になってる連中を、当然心よく思わない連中もいる」
「ソイツらに煮え湯をのまされた連中は特にな」
「ちょっと待てよ……ってことは、ここに潜り込んだ賞金稼ぎが帰ってこねェのは……」
常軌を逸した二人の会話に無理矢理割り込めば、スワローが「今さらだな」とそっけなく肩を竦め、立てた人さし指をまっさかさまに下ろす。
その時スワローの顔に浮かんでいたのは、とんでもなく下劣な表情。
自分をこえるゲスに出会って喜んでいるかのような、不謹慎な嘲笑。
「コヨーテ・ダドリーはな、テメエのタマぶんどりにきた賞金稼ぎをかたっぱからとっ捕まえて、エゲツねえスナッフポルノ撮ってやがんだ」
「捕まった賞金稼ぎは……」
「まだ続けんの?お前ならとっくにわかってんだろ」
わかってる。
マンホール下の死体処理場には、雑誌や街角で見かけた腕っこきの賞金稼ぎもちらほら転がっていた。
「狂ってやがる」
ドギーが極めてまっとうな感想を述べる。
コヨーテ・ダドリーは犬の王だ。
犬の群れを率いるコヨーテの王は、自分の城では無敵だ。
ダドリーが腕利き賞金稼ぎに命を狙われてなおしぶとく生きながらえているのは、本人の実力と悪運はもちろんのこと、ヤツに忠誠を尽くす犬の存在が大きい。
「夜逃げ前に一稼ぎさせてもらうぞ」
「キャウン!」
さっきまで俺に纏わり付いていた犬が、喜び勇んでしっぽをふりたくり、主人のもとへ駆けていく。
ダドリーはそれを冷たい目で見下ろし―
「遅い」
息を荒げて甘える犬を、無慈悲に蹴飛ばす。
「!!ッ、」
ブーツの厚底で蹴られてはねとんだ犬が床を滑る。
ダドリーは退屈そうな無表情で犬の顔を蹴り、柔い腹を踏みにじり、酷い虐待を加えていく。
「俺の犬の分際で、どうしてもっと、早くこない?俺の姿を見たら真っ先にこいと、躾けたはずだぞ。そんなにその男とじゃれたいか、番とまぐわうのがやめられないか?節操なしの駄犬め、悪い子にはおしおきだ」
キャウン、キャンと哀れっぽく鳴く犬の声がエスカレートする暴行に比例してどんどん弱まっていく。
さっきまで夢中で俺にじゃれかかってた犬が、口から泡をふいて、痙攣して助けを求めている。
「やめろ!!」
叫んだのは俺じゃない、ドギーだ。思わず駆け出しかけたドギーに周囲の男が銃口を向ける、ドギーが口惜しげに歯軋りして下がる、その間もダドリーの暴行はやまず犬にめちゃくちゃな蹴りと殴打を浴びせている。
「駄犬が。駄犬が。駄犬が」
ブツブツ呟きながら、現実から裏返って過去を視る目で続ける。
「駄犬は檻に入れなきゃ。鞭で躾けなきゃ。なあそうだろ親父、それが正解だろ?コイツは馬鹿だから痛くしなきゃわからねえんだ」
過去の自分に言い聞かせるような譫言。虐待される犬。
俺なら止められる。
あのワン公にゃさんざんな目にあわされたが、それがなんだ。
アイツは正気じゃなかった、コヨーテ・ダドリーの命令で俺をメスだと思い込んでじゃれかかっただけだ。
ダドリーに痛め付けられる犬が袋叩きにあって身を縮める俺と重なり、爪肉のあいだから糸を紡いで……
「……十秒だ」
咄嗟に引っ込める。
スワローが俺とドギーにだけ聞こえる小声で囁く。
「ドギー、今から十秒後。一瞬でいい、連中の注意をそらせるか」
「……手はある。でもいっこ条件だ」
「なんだ」
ドギーがジト目を横へ流し、自身を銃口で追い続ける男を釘さす。
「撃たれそうになったら助けてくれ」
「根性だせよ」
「根性で弾道そらせねえよ」
「……チッ、わかったよ」
スワローの視線が続いて俺に移り、ぎらぎらと戦意に輝く。
「劉。てめえに男を上げるチャンスをくれてやる」
「どうする気だ」
「ちょっと走りゃすぐんとこに大本命がいるんだ、首とらずに帰れるかよ。見たとこ連中イヌほど忠誠心がねえ、ボスが倒れりゃ総崩れさ。早い話ダドリー一匹殺りゃ万々歳。俺達包囲して余裕こいてる今がチャンスだ」
コイツ、正気か。
相手は二十人以上、おまけに周囲にゃ闘犬が閉じ込められた檻が無数にある。
そんな状況の中、まだ勝ちを捨ててねえのか?
コヨーテ・ダドリーをブチ殺して、敵の本拠地から大手を振って帰れるって自惚れてんのか?
……思ってるんだろうさ、きっと。
スワローの眼差しはどこまでもまっすぐで、とことん不敵で、本命を仕留めるまで決して牙を折らぬ苛烈な戦闘本能を剥きだしている。
この手の顔をするヤツをよく知ってる。
呉哥哥がそうだ。
俺はこの手のヤツに弱い。絶対無理だとわかっていても、ごり押しされたら従わざるえなくなる。どのみち目の前でいたぶられてる犬と、どこかにいるガキを見捨てちゃ帰れない。
それをやっちまったら、金輪際、なんにもなくなる。
人として最低のプライドとか意地とか今さら持ち出すのも恥ずかしいが、標的を見据えて動かぬ横顔に触発され、諦念の声をだす。
「……で?何すりゃいい」
「いい子だ」
スワローが耳元で囁く。俺は一瞬驚き、不承不承頷く。
「じゃあいくぜ。十、九、八、七……」
スワローがゆっくりカウントダウンをはじめる。
吐息だけで囁く声に聴覚を研ぎ澄ませ、背中合わせの二人とタイミングをはかりあい、ここ一番の瞬発力を発揮できるように膝を撓める。
「ゼロ」
倉庫に遠吠えが響き渡る。
俺のすぐ隣に突っ立ったドギーが、大きく仰け反って喉から咆哮を放てば、周囲の檻で変化が起きる。
檻の中で伏せっていた犬や鉄格子に齧り付いた犬が、一斉に行儀よくお座りし、見えない月を仰いで長く吠えだす。
「なっ……!?」
寄せては返す波の如き遠吠えの連鎖は倉庫の奥の奥どこまでも広がっていき、やがてドギーが短く区切った吠え方に変化し、犬たちもてんで好き勝手に吠え始める。
先祖返りを促す遠吠えが、虐げられた犬の野性を呼び覚ます。
肺活量の限りを尽くして吠えるドギーは完全に犬と|同調《シンクロ》し、緩急や強弱、それに息遣いの微妙な変化を付けて分断された群れを引っ張っている。
「ボス、犬どもがいきなり……」
「こら暴れんじゃねえ、檻が壊れんだろが!」
ドギーの喉が膨らんで萎むたびとても人間の声帯が発してるとは思えない音域の咆哮が放たれ、興奮した犬たちが檻の中で暴れ回り、パニックが波及していく。
「妙なまねしやがって犬男が!!」
ドギーのすぐ隣で銃を持った男が今まさに引き金を引こうとした瞬間、勢いよく撓った何かが宙をすっとんでいく。
「ぶっ!!!!?」
ナイフ……じゃない。
スワローが靴裏に踏み付け、今まさに蹴飛ばした棒状の物体は、さっきまで俺のケツを犯してた極め付けに悪趣味な玩具。
「目が、目があああああああああああ」
血と糞がこびり付いた球が両目を強打、銃を取り落とし悶絶する男の顔面に続けざま膝蹴りが炸裂。
その時にはドギーも動く。
「なめやがって!」
「もういい蜂の巣にしちまえ、死体はあとで始末しろ!」
「待て。犬男は殺していいが、残り二匹はだめだ」
「そんなボス……」
「アイツらはいい素材だ、きっとカメラ映えする。できるだけ傷付けず捕獲しろ」
舎弟どもが銃やナイフを抜いて襲いかかるが、ダドリーに殺害を禁じられてるせいで、どうしても狙いが甘くなる。俺たちにとっちゃ好都合だ。
スワローが素早く銃を蹴ってドギーに渡し、ドギーがその銃で照明を狙い撃ち。
甲高い破裂音と共に電球が爆ぜ散り、倉庫が暗闇に包まれる。
俺の出番だ。
『右から二番目、スキンヘッドに鉤十字の革ジャン』
スワローがさっき言った。
『ソイツがナイフをもってっから、なんとかして俺によこせ』
『なんでわかんだよ?』
『歩き方と手でわかる。アイツの左手にゃナイフ使いに特徴的なマメがある、くわえて左利きならすぐ抜けるよう右ポケットに仕込んでやがる。よーく見るとシルエットがちょい角張ってんだろ?』
『今だしてるヤツから奪うんじゃだめなのか』
『お前にできんの?』
『…………』
『アイツが一番近い。出す瞬間なら不意を突ける』
あきれて物も言えない俺をいたずらっぽく見返し、やさしく脅す。
『上手にとってこいができたらご褒美やるぜ』
いらねえよ。
そんなもん欲しくねえ。
明かりが消える間際、膝にためたバネをいざ解き放ち全力疾走、頭を低めて突撃。スキンヘッドに鉤十字を体当たりで押し倒し、右ポケットのナイフを手掴みで奪おうとして顎に一発かまされる。
「ボスのケツバイブ奴隷が調子のりやがって、テメエなんざバカ犬といちゃいちゃしてんのがお似合いだ!」
激しく暴れる男に肩といわず胸といわず殴り付けられ、あえなく引っぺがされる間際、指先から糸を奔らせる。
最初からこうすりゃよかったと悔やんでも後の祭り。
せめてあかりが消えるまではヒトでいたかった、なりそこないのくだらない意地が、反則的な能力に頼るのをギリギリまでためらわせる。
指先から射出した糸が男のポケットから半ばとびでたナイフに巻き付くのを確認、迅速に手元に回収。
「ストレイスワロー!!」
喉も切れよと名前を叫ぶ。
『俺は暗闇でも目が利く。なんでかそうなってんだ』
「|Good boy《いい子だ》!!」
横を駆け抜けた烈風が力任せに投げたナイフをキャッチ、まっしぐらに本命へ疾駆。
コヨーテ・ダドリーを殺せばすべてが終わる。
このくそったれた地獄から生きて帰れ、見たくもねえ呉哥哥の顔がまた見れる。
そんなめでたくねえ想像に心を飛ばしてるあいだに、スワローは名前通り飛燕の如しスピードで標的に迫り、闇に白銀の弧を描いてナイフを振り抜く。
真っ赤な血が勢いよく吹き出し、スワローの顔をぬらす。同時に懐中電灯が点き、惨劇の現場を克明に暴きだす。
「嘘、だろ……」
銃を持った腕をだらりとたらし、ドギーが膝を付く。
その虚ろな眼差しの先には、主人を庇ってナイフを受けた犬がいた。
長い毛先から鮮血の雫がぽたぽた滴る。
ダドリーの暴行で傷だらけだったのに主人の身に迫る危機に反射的に動いたか、闇に紛れて押し被さり、身代わりに深手をおい……
「本当に犬死にだな」
ダドリーがそっけなく呟き、まだ息のある犬を無造作に投げる。
まさか犬が身代わりになるとは予想してなかったのか、ナイフを抜くのが一瞬遅れたスワローは、ダドリーが投げ捨てた大型犬と縺れて倒れ、駆け寄る俺とドギーの眼前で、舎弟が振り上げた懐中電灯をくらって……
「似合いの口輪を誂えてやる」
また捕まった。
まったく嬉しくないが、仲間が増えた。
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