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第26話
コヨーテ・ダドリーの王国は一夜にして崩壊した。
「おい聞いてんのか無視すんな、今までさんざん尽くしてきただろ!?」
「アンタの為に死体処理の汚れ仕事を請け負った、ポルノ撮影の手伝いもした、そんな忠義な子分を見捨てんのかよ!?」
うるさい。
うるさい。
「ぎゃあぎゃあうるさいわね、あんたらはイヌでしょいっちょ前に人間様の言葉しゃべってんじゃないわよワンと鳴け!」
「この期に及んでご主人様のご機嫌とりたァ見下げはてた野郎だぜオイ、どのみちコヨーテアグリーショーはおしまい、今夜で幕引きだ!」
「大人も子供もみんなが喜ぶ健全なドッグショーなんてデタラメよ嘘っぱちよ、汚らわしい犬けしかけたこと洗いざらい暴露してやるんだからね、マスコミが大喜びよ!」
うるさい。
うるさい。
耳の奥で音が歪んで反響する。
地下室は男女入り乱れ逃げ惑い、惨状を呈す。
金切る罵声に怒号が被さり、甲高い悲鳴と号泣が沸き立ち、かと思えば狂った哄笑が破裂する。この場の誰一人無傷ではなく、理性を保っている者は皆無。檻から解き放たれた犬たちが、自由を得たことに困惑して鳴き喚く。手下の頭髪および全身には、たっぷり液体が染みている。
犬の劣情を昂進する成分を含んだそれは、あやまたず効果を発揮し、ピンク色のペニスを尖らせた雄犬が我先に男たちに飛びかかっていく。
「うわあああああああああああああっあっあァ゛ッ!!」
「どけワン公、頼むやめろ」
哀願の声が虚しく錯綜すれど、人語を解さぬ犬たちは制止を聞かず、醜態を演じる男たちを容赦なく犯す。
嘗て自分に餌を与え鞭をくれた支配者に下剋上を果たし、激しく腰を振りがてら勝利の雄叫びを響かせる。
仕方ない、コイツらはそう躾けられたのだ。
横倒しになったカメラはまだ回っている。無機質な人工の瞳が、異形の影を切り取る。
「あっ、あァっ、そこいっ、もっとォ!」
惨めに這い蹲った男の尻を後ろ脚で立って犯すブチ模様のグレート・デーン、壁に縋り付く女と交わるナポリタン・マスティフ、鉄格子を握り締めて絶頂する男の中にぶちまけるブルテリア……
コイツらはもう犬じゃなきゃイけないカラダだ。
俺がそう調教した。番になるよう仕組んだ。コイツらから生まれた仔犬にもきちんと調教を施し、しかるべき筋に出荷する。そうやって一切合切を取り仕切る。
「イヌに掘られるなんざお断りだ!!」
手下の一人が拳銃を出し、涎をたらしてにじりよる犬を射殺。一発の銃声を皮切りに、手下の大半が銃を抜いて応戦するも、地下室での無秩序な発砲は愚策でしかない。流れ弾をくらい味方が血をしぶく。銃をとる誰も彼も恐怖と焦慮に顔を歪め、憤激に慄く。
コヨーテ・ダドリーは手下の忠義心など信用してない。コイツらは所詮、金で使われる肉盾に過ぎない。自分の評判が悪いことは知ってる。陰口を叩かれてるのも承知だ。いわく犬にしか勃たない変態、生粋の獣姦マニア、鞭使いのサド旦那……全滅したところで惜しくはない。
自分に助けを求める手下の存在を完全無視、大股に突っ切る。
すれ違った女が機材に衝突、勢いよく照明が倒れる。配線が火花を散らしショート、傾いだ棚からなだれ落ちたチラシの一枚に燃え移る。
『WELCOME TO COYOTE UGLY SHOW!!』
カラフルな紙に印刷された二頭身のマスコットキャラ、擬人化されたコヨーテがみるみる燃えていく。
コヨーテダドリー、コヨーテアグリー、そういえば地下室にチラシの在庫をおいといたんだっけ、夜逃げの際は置き去りにする予定で……
紙吹雪の如くチラシが舞い狂うなか、覚束ない足取りで手術台に近寄り、血で黒ずんだ表面をなでさする。
地下室は広い。もともとは核戦争を生き延びるシェルターとして祖父が納屋に改造を加え、さらに父とダドリーが手を加えた。
父はケチだった。犬が怪我をした時でも獣医に行くのをケチり、地下室に運び込んで傷を縫った。ダドリーはそれを見て育ち、自然と縫合の仕方を覚えた。
「ぐ……」
頭が割れるように痛い。
こめかみをかきむしり、手術台に手を突いてくずおれる。錠前が一斉に開いた時、即座に行動を起こせなかったのはコイツが原因だ。
ドラッグ中毒の副作用が強烈な幻覚と頭痛を引き起こし、犬の吠え声が直に頭蓋に響く。
どうにか動けるようになったら既に手遅れ、さんざん嬲りものにしたガキは仲間の手引きでトンズラだ。
アイツ、どんな手品を使いやがった?まあいい、些細なことだ。気になるなら本人に直接聞けばいい。
「コヨーテダドリーはコヨーテアグリー、コヨーテダドリーはアグリーダドリー……」
ブツブツとうわごとを呟き、手術台の周辺を手探りする。
親父はとんでもないゲスだった。息子に殺されても仕方ない人間だ。夜な夜な俺を檻に放りこんで犬に犯させ、ペニスをしごいて笑いまくった。
今でも思い出す醜悪な笑顔、鉄格子を掴んで泣き叫ぶ息子をあやしながら酒を呷り、もう片方の手で俺の頬をぺちぺち叩く。
『いい子だダドリー、犬を上手く躾けるコツがわかるか?飴と鞭の使い分けさ。コイツらは昼間見にきた金持ちに媚びて気に入られたからな、いい子にしてたご褒美をくれてやるんだ。わかるだろ、お前は特大の飴玉だ。ほらごらん、おいしそうにハッハッ言いながらしゃぶってるだろ?大丈夫じきによくなる痛いのは最初だけ。俺んときもそうだった、ははっさすが俺の息子の息子だな勃ってきたじゃないか!』
妄執に取り憑かれた愚かな親父。
本当に主人が強ければ、犬はそれだけでこうべをたれる。
褒美なんかくれてやらなくても、ヤツらは本能で群れのボスを嗅ぎ分ける。
「っぐ……はは」
チラシが次から次へと消し炭に変じ、火の粉が吹き荒ぶ。
一人に二人、二人に三人、三人に四人がかりと即席の徒党を組んで手下どもを袋叩きにしていた捕虜が漸く正気に戻り、梯子をよじのぼっていく。
「火事よ!!早くでなきゃ炎に巻かれて死……」
下から来る奴は踏み台か蹴落とすかで足場を確保、両手を突っ張ってハッチを開けようとした女の後頭部が弾け、後ろ向きに転落する。
自分の身に降りかかった出来事が理解不能といった、凍り付いた表情で床に落ちた女を冷たく一瞥、片手に銃を構えたダドリーが宣告。
「|犬が先《ドッグファースト》だ」
「は……?」
俺はコヨーテ・ダドリー、大いなる犬の王。犬より強く、気高く、賢い。
親父が運転するトラックの荷台に揺られ、買い付けに行った先で聞いた話。
現地の業者は幼いダドリーと視線の高さを合わせ、近くの谷に纏わるインディアンの寓話を教えてくれた。
『あすこにゃ街ができる大昔から人喰いコヨーテが巣食ってる。帰りは気を付けろよ坊主、谷に迷い込んだ人間は必ずコヨーテの餌になる。ここじゃあコヨーテは災いの先ぶれ、悪しき精霊の使いとして忌避されるのさ』
インディアンのスピリチュアルな信仰が魂と共鳴し、俺は強く、気高く、賢い、コヨーテの化身に生まれ変わった。
無垢なる子犬を供物に捧げ、災いの谷を無事通り抜けたことで、俺の身体にはコヨーテの魂が宿り、群れ成す犬たちを従える権能を得た。
俺はもうガキの頃の弱く浅はかな俺じゃない、クソ親父にもてあそばれて泣くしか能のないガキじゃない、アンタに退場願ってからも順風満帆、商売は上手くいってる。ちょっとやりすぎて面倒なことになったが、新天地で仕切り直しゃいいこった。
トラックにゃ荷物を積んだ、ここにいる犬全部は連れてけないから泣く泣く選んだ、あばよ親父、あばよ祖父さん、あばよお前ら……
『……タグ、俺の……かえ、せ……よ』
さっきまで好き放題に犯し、嬲り、もてあそんだ少年の声が殷々と甦る。
ドッグタグを毟り取り、犬に喰わせた時のアイツの表情ときたら傑作だった。思考が全停止した絶望の表情。
なのにどういうわけだか、最後に目が合った瞬間の顔が焼き付いて離れない。
犬のペニスをいやらしく吸い立て、一方でケツにねじこまれ。完全にプライドがへし折れたはずなのに、汚されて虚ろになった目が次の瞬間赤く燃え、ダドリーをまっすぐ睨み返す。
調教完了?
本当に?
アレがその程度の|タ《・》|マ《・》か?
床に転がるゴツい口輪を見、渋面を険しくする。
仮に調教が済んでない犬を放したのなら、コヨーテ・ダドリーの経歴に傷が付く。アイツの存在は汚点になる。
過去と現在、時系列がばらされたフラッシュバックに眩暈が襲い、たまらず奇声を上げて手術台の上のモノを薙ぎ払えば、奇行の連続に怯んだ連中があとじさる。
離反した「元」手下どもが銃を構え、ダドリーを威嚇する。
「普通じゃねえ、狂ってやがる……」
「畜生、早くやめりゃよかった!アンタいかれてるよなにやってんだ、いかれたポルノといかれたクスリといかれた犬、アンタの王国でいかれてねえもんなんかいっこもねーじゃんか!」
「撃てるものなら撃てよ。俺の犬たちが黙っちゃないがな」
俺はコヨーテ・ダドリー、ここの王様だ。
祖父さんも親父も成し遂げられなかったデカい夢を一代で実現し、王国を築いた。コヨーテアグリーショーは一躍人気を博し……
「あっが、あァ」
頭痛が酷い。ものを上手く考えられない。手術台の周囲をめちゃくちゃにひっかきまわし、注射器と小瓶を見付ける。
「飼い犬に手ェ噛まれた気分はどうだよ」
「アンタと心中なんざごめんだ、俺ァ逃げるぞ」
手下たちはまだ撃たない。震える手で拳銃を握り、ガチガチと歯を鳴らし、嘗てのボスを牽制している。引き金を引かない理由は僅かに残る情か、狂気の伝染を警戒してか。
元手下に背を向け、注射器のポンプを押し、瓶の中身を吸い上げる。
「マッド、ダッド、デッド、ダーティ、ダッド、デッド」
イカレた父さん死んじゃった、ヨゴレた父さん死んじゃった
「ドッグ、ダッド、デッド、ダーティ、ドッグ、デッド」
犬の父さん死んじゃった、ヨゴレた犬が死んじゃった……
でたらめな歌を口ずさみ、恍惚と目を閉じて腕の静脈に針を擬す。
ああ、実にいい気分だ。
このクスリには随分前からお世話になってる。試しに犬の餌に混ぜてみたら、連中にも好評だった。
最初に手に入れたのは|裏市《ジャンクヤード》、売人の方から接触してきた。次からは個人発注。売人とは何度も接触したが、まだ三十路をこえたかどうかの外見でやけに胆が据わっていた。
『心して使えよ、コイツは夢を叶えるクスリだ』
『夢?』
『アンタの夢はなんだ』
『俺の夢は……』
コヨーテになること。
コヨーテの王となって、犬の群れを率いること。
『初回に聞いたろ、すげえ強い何かになりたくねえかって』
『ああ』
だれにも奪われない犯されない、強い何か。
『アンタはコヨーテになりてえと答え、俺はコイツをプレゼントした』
茶褐色のガラスの小瓶にはラベルが貼られ、無個性な活字がタイプしてある。
「キメラバースβ 素体:コヨーテXY」
『|Congratu《コングラッチュ》|lations《レイションズ》!コイツを打ち続けりゃモノホンのコヨーテに生まれ変われるぜ』
あの男……名前はなんといったか……イエローゴールドの髪をモップのように乱して。
「オス。準成犬。推定年齢15歳。体長6フィート0.5インチ、体重136ポンド。体毛はイエローゴールド、瞳はセピアレッド。栄養状態良好、犬種はアングロサクソン系ホワイト。特記事項、手足が長く均整がとれ容姿は特上……」
スレた笑い方が、あのガキそっくりで。
「調教は途中だ」
静脈に打ち込んだ薬が血流に乗じて巡り、全身の筋肉が隆起する。
密度を増した筋肉が灰茶の被毛に覆われ、瞳孔が肉食動物の如く小さく収縮し、骨格が伸び縮みする異音と共に鋭い鉤爪が十指に生え、裂けて突出した口腔に牙がせりだす。
「ァ゛ああァあッああ゛ッ」
壮絶な激痛を中和する壮絶な高揚感と全能感、過剰分泌された脳内麻薬が暴走しズボンの股間が張り詰める。
燃え散る紙片が詩情を帯びて降り注ぐなか、元ボスの変貌を目の当たりにした手下が絶叫して銃を狂い撃ち、飛来した鉛弾が被毛を薄く削ぐ。
「ははっコヨーテ・ダドリーが本物のコヨーテになっちまった……」
「現実逃避する暇あんなら逃げろ、かないっこねえ!」
「冗談キツいぜなんだあのバケモノ!」
逃げろ逃げろと息巻く手下の頭を片手で掴んで潰し、死体を放り捨てたのち次の襟首を掴み、壁に叩き付け永遠に黙らせる。
初めて体験する圧倒的なエクスタシーに酔い痴れて、コヨーテ・ダドリーは高らかに哄笑し、嘗て手下だった裏切り者どもを虐殺していく。
その目が使用済みの手術台から空っぽの檻へと移り、不快感も露わに剣呑な輝きを増す。
「コヨーテ・ダドリーは侮辱を許さない。ましてや脱走は万死だ」
犬は俺の下僕。
犬は俺の財産。
それを横取りして逃げたヤツは……
「殺す」
床に点々と落ちた血痕を辿り、身も心も獰悪なコヨーテに変貌を遂げた暴君は、金網の外れた暗渠へ足を踏み入れた。
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