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第27話

靴裏が底流を踏み冷たい飛沫が散る。 犬を背負ったダドリーが先頭に立ち、ガキが二番目、三番目が俺とスワローと縦一列で下水道を進む。 「真っ直ぐだ」 「テキトーかましてんじゃねえだろな|蜘蛛野郎《スパイダーマン》」 「蜘蛛野郎いうな。あとな、答え合わせ乞われても期待にそえねーぞ。とっ捕まった時に虎の子の地図没収されちまった」 「役に立たねえェ……」 ドギーが大袈裟に天を仰ぎ、俺は自らの内にこみあげる不安をごまかすように安請け合いする。 「まあ大丈夫だろ、要はこの匂いを辿りゃいいんだ」 「ひっでえ匂い……この先なにがあんの?」 「世の中知らない方が幸せなこともあるぜ」 「すまん忘れてくれ」 片腕でスワローを支え、もう片方の袖口で鼻を覆ってるせいで、もごもごと声がくぐもる。 不衛生な下水道に充満する腐臭は、最初に俺が辿り着いた場所から発している。 あそこへ戻ればあとは記憶をたどって帰れる。 もう一度腐敗した死体の山を踏み越えなきゃいけないと思うと気が重いが、贅沢は言えない。命を拾った悪運に感謝すべきだ。 「元の待ち合わせ場所からそう遠かねえ、足元に気を付けて急げよ」 「お前ミュータントかよ」 「それがなんだよ」 「さっきみてェに指から糸だして道探りゃいいじゃん」 「カロリー切れ」 「はァ?」 俺は肩を竦める。 「お前さ、俺が無限に糸出せると思ってんの?」 半信半疑のドギーの前で人さし指から糸を出すも、くたりと垂れたままそれ以上伸ばせない。 「原理はよくわからねーけど、コイツは俺の体内で精製されている。言っちまえば汗や涙と同じ排出物、走ると汗をかく、気が高ぶりゃ涙がでるのと一緒。汗や涙が大量に出たあとは水分を欲するだろ」 「糸を出し続けるとどうなんだ」 「ぶっ倒れる」 「ストレートだな」 「コイツはけっして無敵じゃねえ。きちんと代償を伴うし、濫用すりゃ最悪衰弱死もありうる。レントゲンなんか撮ったことねえから想像で話すけど、体ン中にもいっこ器官があって、常に余分な栄養を回さなきゃいけねえって考えてみろ」 「ああ……」 「わかったろ、オールタイムグロッキーなわけが」 「最低限度に文化的で健康的なゾンビって感じの顔色だもんな」 妙な成り行きに困惑を禁じえない。行きは二人、帰りは四人、まったく嬉しかねえが道連れが増えた。いや、最初から別行動をとってたことを考えりゃ行きも一人か…… マッドドッグ・ドギーの名前と変人だって噂は知っちゃいたが、当の本人とのんびりお喋りする機会が巡ってくるたあ、ほんの数時間前まで想像だにしなかった。しかもこんな、自分のルーツに纏わるナイーブな話を。 ……かえって他人だからこそ、話せるのだろうか。 「はーだりー重ェーーーーーー……早く帰って寝てえ、ベッドと深い仲になりてえ」 「見た目じゃわかんねーもんだな……ハーフ?」 「わざわざ教える義務も義理もねー。きょうび何十万ミュータントがいると思ってんだよ、先祖さかのぼりゃどっかで雑ざってるさ、純血のヒトのが珍しい」 「言われてみりゃな、俺の鼻が利くのも犬の血が入ってるからかもしれねえし。ていうか、そんな便利なチカラあるならテメェで錠前破って逃げりゃいいじゃん。俺はまァ別枠として、スワローは完全無駄足じゃん」 「うるせえな思い付かなかったんだよ……」 それは正しくない。できるはずないと思い込んでた、が正確だ。 踏んだり蹴ったりろくでもない人生を送ってきたせいで、すっかり諦め癖が付いちまって、何事もチャレンジする前に投げ出していた。 選択肢として発想に至ることさえ、もう一枚の皮膚として全身をくまなく覆う無力感に奪われていた。 スワローが目と鼻の先で実演してくれ、その手順を辛うじて覚えていたからこそ成し得た奇跡だ。というかケツにモノ突っ込まれた上、犬に惚れられ掘られかけた状態で淀みなく思考が働く人間がいたらお目にかかりてえ。 「ッ……」 「大丈夫か」 右腕に鋭い痛みが走り、ドギ―が心配する。 「なんともねえ……ってのは嘘だけど、まだイケる」 鞭打たれて出来た蚯蚓腫れが熱を帯び、糸を出し過ぎた消耗も乗じ、全身がひどく気怠い。足を引きずり歩くだけで精一杯なのに、ぐったりおっかぶさったスワローが邪魔くさい。捨てていきたい。 「ぼくがおんぶしようか」 おそるおそる伺いを立てるガキの声で、遠のきかけた意識が現実に立ち戻る。 「……ひ弱じゃねぇよ」 憎々しげに毒突き、ガキを押しのけるように力強く歩みを再開。コイツがなけなしの良心を呼び覚ましてくれなきゃ今頃どうなってたか……たぶん、絶対捨ててた。 「聞こえてるかスワロー、しっかり歩けよ。もたもたしてっと追ってくるぞ」 余力を振り絞ってスワローを抱え直す。 コイツには借りができた。 俺はスワローを助けることもできたのに、嬲りものにされるコイツを見殺しにして、錠前を破る方を選んだ。起死回生の一手に賭けた。 やりようによっちゃ針金に鍛え上げた糸の遠隔操作で口輪を外し、拘束を切ることだってできたかもしれねえのに、コイツを時間稼ぎに使って自分とその他大勢が助かる道をとった。 俺の顔色で何かを悟ったか、見た目よりゃ遥かに他人の心の機微に敏感なドギーが口を開く。 「起きたら半殺される覚悟しなきゃな」 俺も同類だ、と暗に含めて慰める。 「コイツが体張って引き付けてくれたおかげで他の連中も解放できた」 「ああ……」 「あそこで助けたって結局殺されてたよ、数が違いすぎる。味方を付けた上で不意打って一気に攻める、コレっきゃなかった。スワローは若ぇしタフだ、足腰だって頑丈だ、ゲス野郎のフニャチン咥えこんだからって死ぬこたァねえ」 スワローのタフさを信じた。コイツなら大丈夫と慢心した。そして俺は、他人の痛みに鈍感になることを自分に許した。くだらねえ言い訳を重ねて、狡さを正当化した。 ポケットの中で弾むナイフがやけに重い。胸を苛む罪悪感と一抹の後悔に、ほんの少し混ざる痛快さ…… ざまあみろ、大人を脅して恥かかせた報いだ、自業自得だ。俺にナイフ突き付けてオナニー強制したヤツを、なんで助けてやんなきゃなんねーんだよ? 「……ホント言うとちょっとスッとしたわ」 子どもが困惑、ドギ―が絶句。 「お前……スワローとコンビじゃねえのか」 「余り者同士、無理矢理組まされたんだ」 「相棒だろ?」 「コイツにゃ先約がいる、俺はただの暇潰し要員の尻拭い係。好きで組んだんでも組まされたんでもねえ。コイツの無茶苦茶っぷりにはしょっぱなからウンザリしてた、人の話聞かねーしすぐ蹴るし殴るしナイフ抜くし……ちったァ痛い目見りゃいいのにって心ン中で願ってたさ」 だからこそなおさら、見返してやりたくて頑張った。 俺が最大限チカラを引きだせたのはコイツのおかげだ、コイツを見返したい底意地が尻ひっぱたいて限界を突破させたんだ。 物言いたげなドギーとガキ、最後にスワローの顔を見詰めて宣言。 「四人で帰るぞ」 「あのさ……」 割といい雰囲気に、ドギーがためらいがちに水をさす。 「下素っ裸で格好付けても寒いぞ?二重の意味で」 「………………あ」 忘れてた。はいてないじゃん俺。 いやそんなこと忘れるわけあるかってツッコミはごもっともだがそれどころじゃなくて丈長のシャツの裾が膝上まで来てるから大事なトコは見えねェしギリセーフかなって 「し、しかたねーだろズボンさがしてる時間なんかねェしテキトーなヤツの剥ごうにも銃弾飛び交って生きた心地しねーし、いいじゃん別にギリ隠れてんだから問題ねーだろ野郎同士で、それとも何かチラリズムに興奮するたちか、目障りならテメェのズボンかパンツ脱いで貸す男気見せろよ!」 「るっせ」 「!?うぐっ、」 死角の膝裏に素晴らしい蹴りが入る。 躓いて勢い前のめれば、スワローが怒りを滾らせて呟く。 「……頭がんがんすんだよ……耳元ではしゃいでんじゃねー」 憎まれ口を叩く体力は回復したようだ。夢遊状態から目覚めるなり、今すぐ駆け戻りたそうに後方を振り仰ぐ。 「コヨーテ……タグ……あの野郎、目にもの見せてやる」 その手首を掴んで引き戻す。 「行かせねえよ」 「あァ゛ん?」 怪我した犬のお守りは子どもに任せ、加勢に入ったドギーが反対側の腕を羽交い絞めにする。 「コヨーテ・ダドリーの首はどうでもいいのか」 「どうでもよかねえさ」 脂汗にまみれた顔でやけっぱちに笑い、ドギ―が腕に力をこめる。 愛情深い眼差しの先には、子どもにおぶわれた包帯だらけの犬。 「けどよ、死にぞこないの犬を連れだすほうがもっと大事だね」 「悪党の死よか犬の命か、マッドドッグはだてじゃねえ」 「傷は針と糸で縫ってあるが、早いとこ医者に診せねーとダメだ。仲間を見殺しにしたら天国のお袋が哀しんで、ドッグフードも喉に通らねェよ」 「てめえはクソ犬抱いて天使のおむかえ待っとけ、鼻でご機嫌にラッパ吹いてな!俺は違うぞやられっぱなしでおめおめ引き下がれっか、あのクズの首落としてお手玉するんだ、とってこいすりゃ犬どもも大喜び序でに胸糞悪ぃポルノの出演料ぶんどってやる!!」 「一旦引け、仕切り直しだ!」 「夜逃げされちまうだろ、チャンスは今夜っきゃねえんだ!」 たまりにたまった激情をぶちまけ絶叫するスワローに手こずるも、二人がかりで引きずっていく。 「逃げるんじゃねえならなんで排水溝のこと教えたんだよ!」 「足手まとい追っ払うために決まってんだろ!」 背筋に寒気が下りる。 「俺たちがお前を捨てて逃げるって言いたいのかよ」 犬歯を剥いて毒々しく嘲笑、俺の手に爪を立てる。 「びびってたくせに」 そうだ。 怖かった。 あんなことされりゃだれだってそうだ。 「近寄るたんびぎょっとして……はっ。女の子みてーにべそりやんの」 あんなことされりゃだれだってそうなる。 俺も、お前も……お前だって、ダドリーたちにマワされてまるきりオンナみてえによがってたじゃねえか。 「一人でやれる」 「クスリきれてねーのに無茶だ、死ににいくようなもんだぞ!あっちは大混乱で、流れ弾もバンバン飛び交って、ダドリーも相討ちに……」 「相棒なんていらねえ」 冷たく冴えた赤茶の目が、俺の汚らわしい本性を暴き立てる。 千里眼の悪魔みたいに。 「俺は|野良ツバメ《ストレイスワロー》だ。ツバメは群れて飛ばねえよ」 「待てよスワロー!」 何が言える? 何を言える? スワローがヤられてるあいだダンマリきめこんでたくせに、いまさら相棒ヅラして引き止めるなんて勝手すぎやしないか? 指の股にスワローの爪が食い込み、皮膚が破けぬるい血が出、ぽたぽたと滴り落ちる。 前髪が陰らす赤錆の瞳が、銃口のごとく欺瞞を撃ち抜く。 「錠前破ったのお前だろ?そんなチカラあんなら出し惜しむなよ、仕返しできてうれしいか、オナニーさせた時すっげえ目で睨んでたもんな、さぞかし留飲さがったろうさ!俺の相棒はたった一人、番いの片割れだ!クソムカツクがアイツがいねーと俺ァただの野良ツバメだ、どこまでいっても野良で飛ぶんだ、ぽっと出のモドキが相棒だの仲間だのお寒い綺麗ごと並べて成り代わんじゃねえよ!」 輪姦の恥辱と憤激が一気に噴き出し、キレイな顔を醜く歪め、俺を罵り倒すスワローを真っ直ぐ見返す。 「プッシーキャット・マクガフィンにもそう言ったのかよ」 罵倒を浴びせようとした唇が引き結ばれる。 いいぞ。 「お前とあの女の間になにがあった。レイプしたって……噂はマジか」 会話を持ちかけろ。 違うことに頭を使わせろ。 頭が冷えて理性が働きだせば、言い争ってる状況じゃねえといい加減わかるはずだ。 スワローを引き離して対峙、指の股の疼きをこらえて続ける。 「実はコンビを組む前、会いに行ってきた。問題児、ストレイ・スワローとの付き合い方の参考に……アドバイスが欲しくてよ。色々教えてくれたぜ、お前がどんなヤツか……結構気が合ってたんだって?ピロウトークもはかどったんだろ。いいな、オンナにモテて。俺なんか全然だよ……」 ぽたぽたと血がたれる。 「胸のキズ、お前がやったの」 叶うなら一生聞かずにすませようとした疑問を、体温の低い質問に代えて投げれば、その声の余韻が消えるのを待ち、スワローがゆっくり微笑む。 口の端をわずか吊り上げ、切れ長の涼しげなまなじりを細め、限りなく透明な…… 憫笑。 あわれみさげすむ微笑み。 「……あの売女。やっぱ殺しとくんだった」

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