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第32話
「ドラッグ打たれて五感が冴えまくってんだろ」
「ああ」
「視覚、聴覚、触覚、味覚……極め付けが嗅覚だ」
指折り数えて丸めた拳を握る。
コヨーテ・ダドリーの獣化の原因が|ドラッグの過剰摂取《オーバードース》ならスワローと同じ症状がでる。いや、あっちは獣化してるぶん何十倍・何百倍も強烈なはずだ。
「ガスマスクはファッションじゃねえ、下水道の悪臭から顔を守るため。いくら鼻がよくたってこの状況じゃ諸刃の剣さ。今のダドリーは運動能力も感覚も獣並、そこに落とし穴がある。思い出せ、ダドリーはどうやって俺達を追ってきた?」
「犬の血を辿ったんじゃねーのか」
何を今さら、というスワローの認識を正す。
「天井から雫が滴って水たまりだらけ、ンな状況で血を追えっか?途切れたり洗い流されちまったら」
「コヨーテは夜目が利く」
「目だけじゃねえ。視覚と嗅覚、両方そろって完璧だ」
水流で血痕が途切れても尾行できたのは、鋭敏な嗅覚の補助のおかげ。
一方で鋭すぎる鼻はハンデにもなりうる。
ニブい俺たちにゃまだ耐えられないことない悪臭も、今のダドリーにとっちゃ行動不能に繋がる最大の弱み。
「あたり一面腐った死体だらけ、大気にゃ毒素が満ち満ちてる」
「ガス室に放り込まれたのと一緒ってか」
「覆面でちょうどいいなら、あの滑稽なマスクをむしりとってやりゃあいい」
方針は決まった。
スワローと背中合わせに機を窺い、膝を撓める。
死体の山の頂に立ちはだかったダドリーは、両手を広げて咆哮し、猛然と斜面を駆け下りてジャンプする。
標的はドギーだ。
梯子を上るガキの重荷となった犬を再び譲り受け、懐に抱え込む。
「絶対渡さねえ!!」
いきりたった啖呵を受け、マスクの奥の目に真っ赤な憤怒が爆ぜる。
「俺ノ犬……返セ」
「取り返しにきたのか?やなこった!」
スワローを無視して俺達を追ってきたのは、さらわれた犬を取り返すため。
「ダドリーの狙いは犬だ、早く捨てろ!」
「人でなしなか!!」
「犬の乳吸ってデカくなった犬人間が人間性うんぬんすんな!」
俺だってこんなこと言いたかねえが背に腹は変えられない。
苦渋の叫びで急き立てるが、ドギーはくたばりぞこないの犬をぎゅっと抱き締めたまま手放す決断ができず、ダドリーの極太の腕の一振りで地面に叩き付けられる。
「ごはっ!?」
狂おしい執念……凄まじい執着。
肋骨がへし折れたのか、血反吐を吐いて転がるドギーの襟首をむんずと掴んで鳩尾に膝蹴り。
それを見た犬が弱々しく啼き、元の飼い主に前脚をかけ縋り付く。ガスマスクの奥の目に一片の感情が過ぎる。
「コイツハ俺ノ犬ダ」
「テメェの犬ならなにしてもいいってか……ンな極悪非道なご主人様、俺ァ認めねえぞ。他の犬だってそうだ……殺し合いを見せもんにされて、あちこち噛み傷だらけになって、挙句のはてァこんな日の当たらねえジメジメした下水道で死んでくのか」
抑えた声に不屈の力がこもる。
「俺は兄弟を助けにきた」
マッドドッグ・ドギーにとっちゃすべての犬が兄弟も同然だ。
いや、マジで兄弟が捕まってるのかもしれない。
あるいはその子供か孫……自分と共に育てられた犬の血を引く連中が、コヨーテ・ダドリーに私利私欲で食い物にされてるとあっちゃほっとけない。
「ガキん頃連れてかれたお袋の教えだ……兄弟は助け合え、仲間を見殺しにするな……犬は群れる生きもんだ、独りじゃ生きていけねえ……俺の兄貴や弟、姉貴や妹がこん中にまぎれてるかもしれねえのに、おめおめと帰れっかよ……」
マッドドッグ・ドギーは、ここへ家族を助けにきた。
嘗て生き別れになった兄弟姉妹の消息は不明だが、犬に非道を働く賞金首の存在を看過できず、今度こそ再会願うかもしれない望みをかけて、離散した家族を呼び集めたい一心で死地へ臨んだ。
拳を前に出してはいずり、苦しげな声を絞りだす。
「コイ、ツだって、俺の兄貴のガキのそのまたガキかもしれね、ぐはっ、バラバラになんのは二度とごめん、だ、あがっ、最後まで家族を守りぬいたお袋に顔が立たねェ……」
ダドリーがドギーを殴り飛ばし、突っ伏した腹をくりかえし蹴り上げる。
膂力と体格の差は歴然。
殺す気になれば簡単だ、勝負は一瞬で付く。ダドリーはわざと手を抜いて楽しんでやがる。
「あがあああああああああああああああああああっああっあ!!?」
傷口に爪先を抉りこまれたドギ―が絶叫、神経が焼き切れる激痛に顎肉ダブ付かせ痙攣する。
ガキはすでに梯子のてっぺんに辿り着き、栄養不良の細っこい腕でなんとか鉄蓋を持ち上げようと悪戦苦闘中。
マンホールが開いたら、音と外気の流れでさすがにバレる。
「服了你了……」
万事休すか。
助けは思いがけぬ方向からやってきた。
頭上で走り回る音がする。
まさかと耳をそだてる……聞き間違いじゃねえ、不特定多数の人間が敷地内をバタバタ走り回ってる。どさくさまぎれに逃げた連中?いや、それだけじゃねえ……
「煙は向こうから?」
「そうよ地下室よ、あのド外道アタシたちを檻に閉じ込めて飼育してたの!挙句とち狂って火ィ付けて……」
「蒸し焼きかよおっかねえ」
「キャンキャンうるせーから来てみりゃとんだ地獄絵図だ」
「生き残りの賞金稼ぎはいんのか?」
蓋に隔てられた向こうの空間で、犬たちが群れて走り回り吠えたてる。
地下室が焼け落ちる、焦げ臭い匂いに興奮してるのだ。
区画整備が行われてないスラムにおける火事は死活問題、すぐ延焼して被害がデカくなるため一筋煙が上がっただけで大騒ぎ。
そこへ素っ裸の女が登場、命からがらダドリーから逃げてきた、火元は地下室だと証言する。アジトはほぼ壊滅状態、敷地への出入りを妨げるものはいないとくりゃ手に手に消火器やバケツをひっさげた連中が押し寄せるのは自明の理だ。
「地面の下から声がするぞ」
「は?マンホールの下か」
「間違いねえ、犬の鳴き声だ。蓋もゴトゴト言ってる……誰かいんのか」
鎮火目的で赴いた近隣住民の囁きに、一抹の光明がさす。
「ここだよ、助けて!」
ガキがちっぽけな拳で鉄蓋の裏を連打、マンホールがゴトリとずれて新鮮な空気がながれこむ。
梯子に取り付くガキに男が面食らい、左右二人がかりで引っ張り上げる。
「捕まってたのか?可哀想に……」
「お前らも逃げてきたのか。待てよ、なんだありゃ……」
頭上に穿たれた一点の穴、そこから顔を突っ込んだ男たちが交互に同情と疑念を口にする。俺は嫌な予感に駆られ、男たちへ怒鳴る。
「引っ込め!!!!!!」
コヨーテが跳ぶ。
ダドリーが梯子の最下段に足をかけ垂直に跳躍、ガキを引き上げた男の頸動脈を掻っ切る。
「あ………」
地面に放り出されたガキが至近距離で鮮血をかぶり、ショックにへたりこむ。
「縄張リヲ荒ラスナ」
青白い月光を浴びて佇立するダドリーの肩には、無造作に犬が担がれている。
「ば、バケモノだ!」
「コヨーテ・ダドリーのヤツ、常々イカレてるたァ思ってたが犬と人間のあいの子までこさえてやがったのか!?」
生きてるのか死んでるのか、この距離からじゃ判じかねる肉塊を地べたに落とし、パニックって逃げ出す連中に片っ端から襲いかかる。
「ぎゃあ!?」
「血が、血がとまンねえ……」
鋭い爪が一閃二閃と振り抜かれ、バケツを捨て身を翻す男女を切り裂く。剛力で殴られた男の顎が割れ砕け、背中を踏み付けられた男が吐血。
一方的な殺戮が繰り広げられる中、梯子をよじのぼって地上へ転げ出た俺は、まず真っ先にガキと犬の無事を確認する。
「怪我はねえか」
ガキが青褪めて頷く。
ダドリーの暴走は続く。
手あたり次第にぶん投げて殴り倒し、剛腕で首をねじ切る。ガスマスクで視界が狭まってるのに動きに遅滞がねえのは、他の感覚が補ってるからか。
小さく手首を振り、回復の度合いを試す。
糸は……出せるとしてもあと一回が限度。
深刻な表情で俯けば、俺の沈黙に何かを察したヴィクがおどおどと申し出る。
「なにすればいいの?手伝うよ」
「……案はある。連携プレイだ」
うまくいく保証はねえが、これっきゃ手がねえ。
本当は下水道で使いたかったが……風向きはこっちに味方してる。
ガキとスワローに耳打ちして作戦を練る。ガキは素直に感心、スワローは疑念の表情。
「ンなとんとん拍子にいくか?ひっかかったらマヌケすぎだろ」
「わざと的はずしたお前が言うか」
スワローが鼻白み、ドッグタグをいじくって束の間考え込むが、やがて顔を上げて「のった」と宣言。
「たまにゃベッドの上以外で複数プレイもいい」
「馬鹿」
ガキに向き直る。
「お前は?」
「……頑張る」
「よし」
ダドリーは暴れまくってる。
逃げ惑うひとびとの頭を掴んでは放り投げ、合間合間に咆哮する男の死角を、ヴィクが全力で走り抜けていく。
「この子だけは絶対守るっておじさんと約束したんだ、お前なんかに渡さないぞ!!」
目指す先には血だらけの犬。
ヴィクはチビですばしこい。ガスマスクで視界が不自由な上、風が焦げ臭い匂いを運んできた今、ダドリーの不意を突くにゃ適役だ。
漸く取り返した犬が再び連れ去られるかもしれない事態にダドリーが逆上、先回りしてヴィクを制圧せんと膝を屈伸。
今だ。
「しッ!」
歯の間から鋭い呼気を吐き、柔靭に撓る糸を放出。硬度はワイヤー並。高速で低空をかっとんだ糸がダドリーの足首をひっかけ、筋骨隆々の巨体が傾ぐ。
一瞬の隙。
野良ツバメが付け入るにゃ、それで十分だ。
「やっべ、がらあき」
ツバメが宙がえりをキメる。
宙へ舞った身体が月明かりを浴びて弓反り、落下の軌道に捻りを加え背後をとったスワローが計算高く笑み、刃を器用に潜らせガスマスクをかっぱぐ。
「兄貴のお気に入り、返してもらうぜ」
こと瞬発力にかけちゃ、スワローはダドリーを上回る。
「uguaaasがgaaaaaaaaaっぁgaaaaaaッ、あ」
天高く舞ったガスマスクの目の部分が月光を反射、素顔を暴かれたダドリーが大きくよろめき、計算通りにマンホールの真上に来る。
マンホールの底にゃ死体の山……時限爆弾並の強烈な臭気が鼻腔を刺し貫き、たまらず後退しかけた足首を誰かが掴む。
ドギーだ。
「間に合った……!」
狂犬の登場は賭けだった。
『ヴィクは犬にむかって走れ、絶対に捕まんな。アイツはテメェの犬のことになると頭に血がのぼる。そこを糸でひっかけっから、スワローは背中をとれ』
『狂犬にも見せ場をやろうぜ』
『だってアイツは……』
『聞こえねェ、カンカン梯子をのぼってくる音』
『重傷だろ?無茶したら死ぬぜ』
『むざむざ犬死にするくれェならカラダ張って一矢報いんのが狂犬の意地だ。劉、テメェもわかってんだろ?俺たちゃ絶対なにがあっても、ヤられた分のツケだけはきっちり払わせなきゃなんねーんだ。プライドむしりとられたまんま、こんなとこで終われっか』
ここに雁首そろえた全員、コヨーテ・ダドリーに痛い目にあわされた。復讐の動機は十分だ。
さあ、|俺たち《ヴィクテム》の痛みをわからせろ。
ダドリーはマンホールから近付く気配など脅威と見なさない。
あちこち噛まれて肋骨が折れた死にぞこないなど戦力に勘定しない慢心、縁に手がかかればたちどころに蹴落とせばいいとする楽観、犬の王の優越感が生む自惚れ……
ただしそれはダドリーが目先のガキに意識を奪われ、俺の糸が足首をくじき、背後をとったスワローにマスクを剥がれてなけりゃの話。
「犬死に手前でカムバック。今度はそっちが吠え面かく番よ」
「uaggaaaaaaaaruruururururuあッが、はなせ!」
燃え滾る復讐心で胸の痛みを克服し、一段一段しぶとく這いあがってきた狂犬が、憎きコヨーテの足首をがっちりとらえる。
なんもかんもバラバラだった寄せ集めのパーティーだが、ここに来て見事に連携がハマる。
片手で顔を覆いドギーを地獄に送り返そうとするダドリー、その手がズレて剛毛で覆われた素顔が覗く。
人間の面影をわずか残しながら口腔が突出したコヨーテの風貌……
人間をやめちまった、おぞましい異形の正体。
正真正銘の|醜いコヨーテ《コヨーテ・アグリー》。
「あっあが、agaaaaaaaaaっ」
ダドリーが突如として苦しみだす。
毛むくじゃらの四肢で大小の瘤が膨張と委縮をくりかえし蠢動、口腔に生えた牙がギチギチでたらめに伸縮。毛細血管が破裂して真っ赤に染まる眼球にどす黒く濁った血が沸き返る……過剰摂取の副作用か?
好都合だ。
「どうしたコヨーテ・ダドリーあんよが縺れてんぞ、さっきまでの威勢はどこやったラストは盛り上げていこうぜ!」
ダドリーが喉の奥で凶暴に唸り、不規則に牙がせりだす口腔をかっぴろげ、スワローに噛み付こうとする。
「コイツを食ってな、お誂え向きの口輪だ!」
生臭い涎をしとどにふりまき、頸動脈を食い破ろうとする異形の大口に横にしたナイフを噛ませて、両手でじりじり押し返す。
ナイフと牙が軋り合い、踏ん張る靴裏が地面を削る。
ダドリーは体格で圧倒してるが、ドラッグで身体能力が上がってるのはスワローも同じ。
ドギーがダドリーの足首に全体重かけぶらさがり、そのせいで僅かに横滑りした足が、先刻頸動脈を切られた男の血だまりに突っ込む。
爪が肉を抉る痛みに苛立ち、足元に注意がそれた瞬間をスワローは見逃さない。
「間接キスのお返しだ!」
顎の力が緩んだ一瞬の隙に涎の糸引くナイフを引き抜き、もう片方の手に拾ったゴツいガスマスクでダドリーの脛を殴り付ける。見てくれはケダモノになりはてようが、二足歩行なら急所は同じだ。
がくんと重心をさげたダドリーをすかさずドギーが引っ張り、無防備な背中をさらさせる。
「がっ、ぐ」
血だまりを跳ね返す足。涎に濡れ光る牙。
どうしたことか、放し飼いの犬たちはダドリーを遠巻きにしてる。
外見が変わり過ぎて混乱してるのか、ケダモノと匂いが入り混じった主人がわからないのか、火事場で鼻が馬鹿になったか……。
「何故こない?!」
あるいは、犬たちの総意。
あの中に本当にドギーの生き別れた身内がいたなら、兄弟が命がけで主人に抗うさまを目の当たりにし、覚醒しないとも言いきれない。
「命令だ、コイツらを噛み砕け!」
絶対服従を強いた下僕の裏切りに、血涙滴る目を愕然と剥くダドリー。悪行の当然の報いとして、コヨーテ・ダドリーは犬にも見放された。
「「「|Go to hell《地獄へ落ちな》」」」
俺とドギーとスワロー、三人同時に叫ぶ。
異形の脊髄が一気にナイフで断たれ、大量の血をしぶく。
手首を捻ってナイフを抜くと同時におもいきり背中を蹴れば、コヨーテに半ば変化を遂げた身体が前傾し真っ暗い穴へ落ちていく。
自らが積み上げた死体の山に抱きとめられたダドリー。
落下の衝撃で折れた骨が臓器に刺さったのか、吐血に噎せる合間に呻く。
「犬ヲ返セ、俺ノ犬………」
「親父の悪癖を受け継いじまったな。躾と仕置きは違うって、よーく覚えときな」
スワローがそっけなく顎で示す。
ダドリーの身体からみるみる毛が抜け落ち、毛細血管が浮いた筋肉が萎み、異様に伸びた口腔が引っ込んでいく。
「ぅが……あが……」
溶けた骨と肉が再生する蒸気をまとい、細胞単位で変容を遂げる苦痛に苛まれ、遂に前進を止めたダドリー。
「……ああ……人間、だ」
自らの顔に震える手を這わせ、輪郭と感触を確かめてから、安堵と絶望の息をもらす。
「コヨーテでも犬でもねえ……所詮は人間だ……俺は……親父も……ざまあみろ……」
片頬を歪め嘲笑い、惰性で血をなすった手を落とす。
もうすぐ夜が明ける。
コヨーテ・アグリーショーの幕がおりる。
「なあ……なんで犬に手当てした」
だるい体をひきずり、穴の縁へ乗り出す。
ダドリーは答えない。
続けて質問する。
「どのみち捨て駒ならほっときゃいいじゃん……殴る蹴る刺す、鞭くれてさんざん痛め付けときながらやってること支離滅裂でわけわかんねー」
どうして傷を縫い、包帯を巻き、手術台に寝かせていた?
「好きなのか嫌いなのか、どっちだよ」
「俺の犬を殺していいのは俺だけだ」
地の底から濁った呪詛が湧く。
「……他の誰にもやらない……殺らせねえ」
「生かすも殺すもお前次第か」
「物心付いた時から一緒だった……クソ親父より誰よりも、犬のことはいちばんわかってる。コイツらが死ぬ時は俺が手をくだすんだ」
「勝手な言い分だな、闘技場で殺しあわされる犬の気持ちは無視か」
ドギーの憎々しげな訴えにダドリーが返す。
「アイツらはそれしかできねえように作られた……勝てる闘犬を生み出す為に選び抜いて掛け合わされた種……遺伝子にゃさからえねえ」
「殺し合いを愉しんでるってか?」
「闘犬に生まれたら闘犬として死ぬしかない。他の犬とおなじ檻にほうりこんだら弱いヤツから食い殺される。闘いを禁じられたストレスで、テメェのしっぽを噛みちぎるヤツもいる。路地裏でのびのびマーキングしてた野良犬上がりに、檻ン中で生まれ育った|闘犬《俺たち》の流儀はわからない。打たれ強くならねえと、生きてく資格すらもぎとれない……」
「犬にしか勃たねー手遅れの獣姦マニアが、負けを悟った途端にべらべら語りだすんじゃねー。可哀想な生い立ち?知るか。闘犬だろうが野良犬だろうが、俺に言わせりゃ|dog days《盛り》を愉しんだモン勝ちだね。イケてるメス犬とファックしてえなら、その立派な顎と牙で鉄格子食い破れ。歯を立てるのやめた時点で心が去勢されちまってんだよ」
砂埃にまみれたガスマスクを持ち、スワローが穴の底を見下す。
犬や人間を虐待する外道にゃ違いねえが、コイツは案外、本当に躾と思い込んでたのかもしれない。
ヤリ方は最悪に間違っちゃいたが、そもそも犬に対する情愛がかけらもなけりゃわざわざ取り戻しにこねえし手当てもしない。
親父譲りの躾け方をひたむきに実践していただけなら、ダドリー一人が悪いと言いきれるのか。
コイツだって、性癖を歪められた犠牲者じゃないか。
虐待を躾と置き換える自己欺瞞が働いたなら。
イカレた親父の仕打ちを心のどこかで愛情と信じたなら。
犬を痛め付けることこそダドリーが唯一知る正しい愛情表現だったなら、本当に救いがない。
奈落の底で静かになった主人を弔うように、地上と地下に分かたれた犬たちが遠吠えを始める。
夜明けの予感に澄んだ空気が震え、錆びた金網を張り巡らした敷地をとびこえ、ジャンクヤード中へ物悲しい遠吠えが浸透していく。
「……|コヨーテ・アグリー《醜いコヨーテ》にゃもったいねえレクイエム」
月が白けて明るむ空を見上げる俺の鼻先に、どこからか一枚チラシが吹き飛ばされてくる。
火の粉で端がめくれ、ところどころ血糊が付いたそれは、緩やかな螺旋を描いて闇を滑りくだり、人間に愛想を尽かして畜生に堕ち、されど獣になりきれず終わった男の顔を慈悲深く覆い隠した。
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