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第33話
快楽天は盛況だ。
今日も今日とて人波がごった返し、姦しい喧騒が沸き返る。
精緻な螺鈿彫りの窓格子に鈴なりに提灯を吊ったチャイニーズレストランからは、仄白い湯気に乗じて食欲そそる煮炊きの匂いが拡散。
道端の床几じゃ水煙管を咥えた老人が麻雀を打ち、ガキどもがネズミ花火を追って走り回る。
アンデッドエンドは人種の坩堝だ。
華僑の居住区である快楽天も例に漏れず、毛皮に包まれた耳やしっぽを揺らし、滑らかな鱗で肌が覆われたミュータントたちが闊歩する。
ミュータントの絶対数が少ない辺境じゃまずお目にかかれない光景だが、アンデッドエンドじゃもはや驚くに値しない日常の一部だ。
表でネズミ花火が勢いよく炸裂、ガキども特有の嬌声が上がる。
今はもう慣れっこだが、ちょっと前まで銃声と間違えていちいちビク付いてた。
あの頃の無垢な俺はもういない、すっかりスレきっちまった。
「|欢迎回来《おかえり》……いンや、|辛苦了《お疲れさん》」
回転椅子が回り、窓越しに外を眺めていた呉哥哥が身体ごと振り向く。
相変わらず悪趣味な服装。
伊達男を気取っちゃいるが、いいとこ女衒だ。
黒いサングラスで目元を隠し、銀灰に光るド派手な柄シャツに巻いた二連チェーン。ガラガラヘビの模様が浮き出るパイソンのパンツに、爪先が尖ったブーツを合わせたファッションセンスは、俺にいわせりゃ俗悪の一語に尽きる。
「……はあ」
「アレ?なんか痩せた?」
呉哥哥が首を傾げる。
「……心労のせいじゃねっすか。鬼畜上司の無茶振りでドえらい目にあったんで」
「聞いたぜ、コヨーテ・ダドリーをぶっ倒したんだって?いやいやお見事お手柄ちゃんだ、俺様ちゃんも鼻が高ェ。懸賞金はちゃんとぶんどってきたか」
「今日中に申請が下りる予定です」
呉哥哥がにこにこ笑い、今日の新聞とバンチの最新号を机上に投げだす。
「見ろ、どこもコヨーテ・ダドリーの記事でもちきりだ。ドッグショーは幕引き、敷地内に残ってた犬は全部保護団体に引き取られたと。地下室に閉じ込められてた連中も半数は助かった」
「……俺、載ってます?」
「確認してみ」
呉哥哥がにやにやと顎をしゃくる。
俺はおそるおそる新聞の一面に目をおとす。
現場からはさっさとトンズラしたし、スワローやドギーにも、俺の名前は出すなとキツく念押しした。それでも調べりゃすぐわかることだが、記者に付き纏われるのは勘弁願いたい。
適当に新聞を広げ、扇情的な見出しを読み上げていく。
「『コヨーテアグリーショーの全貌を暴露』『ストレイ・スワロー・バード、コヨーテ・ダドリーに勝利』『地下室の惨劇、生存者の恐怖の証言!私は犬にされた』『老若男女が熱狂するドッグショーの裏では、スナッフポルノが大量生産されていた』『マッドドッグ・ドギー独占インタビュー、犬の心がわかる男が体験した悪夢の一夜』『おぞましき獣姦マニアの実態を徹底調査』『因果応報?コヨーテ・ダドリーは脊髄を損傷し下半身不随に』……」
よかった、名前と顔は出てねえ。
面倒くさい取材やインタビューは目立ちたがりのドギーたちに丸投げし、しばらく身を潜めてたおかげで、一週間が過ぎた頃には嵐も過ぎ去った。
言いたかねえが、呉哥哥が裏で手を回してくれたおかげでもある。
「……部屋に記者がきたらどうしようってひやひやしました」
「任せとけ、バンチにゃツテがある」
「顔広いっすね」
「蟲中天の構成員が賞金稼ぎを掛け持ちしてるってなァ、例がねェこたねーが色々と厄介でな。特に最近は保安局がうるせェ、規則を改正して反社会団体のメンバーは免許をとれねえようにしようって議案がでてるくれェだ」
「なるほど……上の事情っすか」
「俺様ちゃんが免許とった時ゃ監視網緩かったんだが。窮屈な世の中になったもんだぜ」
「仕方ないっすよ、賞金稼ぎ崩れの小悪党が免許を転売したり偽造したり後たたねーし……賞金稼ぎ兼賞金首なんてイロモノ増えちゃややこしいっしょ」
「そりゃ当て付けか劉ちゃ~ん」
大の男の猫なで声なんて気味悪ィだけだ。
ちなみに呉哥哥はマフィアの幹部と賞金稼ぎを梯子し、さらには賞金首のリストにも載ってる。
本来命惜しさに逃げ隠れしなきゃいけねえ立場だが、本人がべらぼうに強いのと組織ぐるみの報復が怖いため、市井の賞金稼ぎはびびって手出しできねえ現状だ。世の中理不尽。
「マフィア幹部兼賞金首兼賞金稼ぎ……立派なイロモノじゃないですか、肩書欲張りすぎですよ」
「やりたいように生きてたらそうなったんだもんよ」
ジト目で指折り数えて主張すりゃ、豪放磊落に開き直る。
「大した怪我もねーでよく帰ってこれたな」
「鞭打たれるわふん縛られるわ閉じ込められるわさんざんですよこっちは、特別手当もらってもバチあたらねえ。まだ背中痛ェし……」
「見せてみ」
「は?今ここで、すか」
ちょっと引く。
「今ここで」
呉哥哥は微笑んだまま、無言で圧をかけてくる。
口は災いのもと、余計なこと言うんじゃなかったと後悔しても遅い。俺は観念し、呉哥哥の気の済むようにする。まず後ろを向き、サイケデリックな柄シャツの裾に手をかけ、背中の半ばあたりまでめくりあげる。
「うわ痛そ。ベルトか」
「……見ただけでわかるんすか」
逆にこっちが驚く。呉哥哥は口笛を吹き、机に身を乗り出す。
「コヨーテ・ダドリーはとんだサドだな」
「……俺んこと、犬と同じに躾けようとしたんですよ」
骨ばった男の手がぺたりと背中に触れ、ベルトで鞭打たれてできたみみず腫れを辿る。
「!いっ、ぎ」
「そりゃ捨ておけねえ。お前は俺のなのに」
突如として激痛が走る、呉哥哥が俺の背に爪を立てたのだ。
首をねじっておそるおそる観察すれば、呉哥哥がぺろりと人さし指をなめ、背中の傷痕に唾を伸ばす。
「な、にして」
「玉のお肌に唾付けてんの。こーすりゃ早く治る」
「軟膏ぬってっから大丈夫っすよ」
別に背中が性感帯でもなんでもないが、男に唾をぬりたくられるのは気色悪い。
「っ、」
生理的嫌悪に肌が粟立ち、咄嗟に裾をおろす。
続けざまにバチンといい音が鳴る。呉哥哥が俺の背中をおもいっきり叩いたのだ。
「~~~てぇ!?」
「これでよしっと」
その時目が合った上司は、二股に分かれた舌をちろちろ踊らせ、生娘みてえな俺の反応を面白がっていた。
「……蛇の唾って……むしろ毒だろ」
「なんか言ったか」
「なんもっす」
とぼけて新聞と雑誌を読み比べるうちに違和感が働く。
「どうした?」
「いや……コヨーテ・ダドリーがミュータントでもねえのに獣化したの、話しましたよね。多分アレ、スワローも使われたドラッグのせいじゃねーかって思ったんすけど……」
「ああ、人間やめてコヨーテそのものになっちまったんだろ」
「見た目だけじゃなく身体能力も爆上がりで、ぶっちゃけ勝てたのは奇跡だった。そのドラッグのことがどこにも出てないんです」
机の上に雑誌と新聞を並べ、呉哥哥が見るように促す。コヨーテ・ダドリーがジャンキーってのは、事件前から一部じゃ評判だった。使用した薬物に関して、今さら伏せる意味はない。
「……人間が獣化するドラッグねえ。眉唾だな」
呉哥哥がむずかしい顔をする。
「哥哥も聞いたことないんすか」
「ンなおもしれーもんあったらとっくに耳に入ってるはずだが……てことは、最近市場に出回ってる新種か。ドラッグも年々進化してっから、人間をケダモノに変えるドーピング剤が開発されてもおかしかねえが、新聞にまったく情報が出てねえのは不自然だ。どっかが圧力かけてんのか……」
「どの記事でもダドリーの獣化はスルーされてますね。まるでなかったように……」
「ったって目撃者いんだろ?口封じはどうした、カネまいたのか」
「……なんだかきな臭いっすね」
思ったままを口にする。
コヨーテ・ダドリーが使用したドラッグを公表しないように、何者かが裏工作したのなら……
「……ま、人間が突然ケダモノになるとか信じねえか」
そんなドラッグ前例がない。マスコミが取り上げたところで、どれだけの人間が鵜呑みにするか。
コヨーテ・ダドリーの事件は本人の生い立ちや性癖、スナッフポルノの事実だけで十分刺激的だ。「そして彼は本物のコヨーテになりました」なんて、リアリティを薄める蛇足はいらない。
「ほんじゃ本題」
呉哥哥が声を張って仕切り直し、椅子を景気よく一回転。
サングラスの奥で瞠目し、威厳を正して瞼を開く。
「蟲中天の|混老頭《ホンロウトウ》、|呉 浩然《ウー ハオラン》が命ずる。賞金首コヨーテ・ダドリー撃破に至る首尾、および賞金稼ぎスワロー・バードの率直な戦術的評価をお前の口から報告せよ、|劉 薫心《ラウ フェイシン》」
久々に本名を呼ばれ身と心が引き締まる。
できれば忘れたかった名前だが、過去はどこまでも追いかけてくる。
あの人は娘が欲しかったから、俺に女の名前を付けた。
なお幹部は麻雀の役名を冠し、呉哥哥は|混老頭《ホンロウトウ》……主にミュータントで構成される、実働部隊の指揮を執る。
机越しに対峙する呉哥哥は、武闘派を束ねる幹部にふさわしい貫禄を帯び、俺を酷薄に値踏みする。
放たれる威圧に飲み込まれないように顎を引き、胸前に掲げた左てのひらに右こぶしを当て、軽く礼をする。
「蟲中天の|古惑仔《クーワクチャイ》、|劉 薫心《ラウ フェイシン》が|混老頭《ホンロウトウ》、|呉 浩然《ウー ハオラン》に畏み述べる」
|古惑仔《クーワクチャイ》はチンピラを意味する中国語。
転じてこの世界じゃ、マフィアの一般構成員をさす。
「ストレイ・スワロー・バードは頭の回転が速く、我流の戦闘センスには目を瞠るものあり。ナイフを使った近接格闘でその本領を発揮、こと瞬発力においては猫科種のミュータントに匹敵。ただし素行は大いに問題あり、口が悪く態度が悪く性格が悪い。自惚れ屋の自信家で協調性は皆無、しばしば無謀ともとれる単独行動に走る。一種の天才肌なのは確かだが、組織には致命的に向かない人間。突破力のある前衛としては使えるが、周囲との密な連携が重視される後衛では燻る。くわえて、極めてプライドが高く好戦的で扱いにくい。コヨーテ・ダドリーはスワローを凌辱し、その光景をビデオに撮りましたが、今おもえばアレは……」
一呼吸おいて断言する。
「火に油を注いだだけです」
スワローは絶対折れない。
数週間共に行動したが、アイツは誰に何をされても必ずツケを払わせてきた。
「へえ、ンな面白いビデオがあんのか。現物手に入れてーな」
「残念、地下室と一緒に焼けちまいましたよ。持ち逃げされてりゃ別だけど」
胸糞悪い考えを打ち切り、続ける。
「コヨーテ・ダドリーはドッグショーの興行で稼ぐ傍ら、敷地にもぐりこんだ賞金稼ぎを捕らえ、あるいは女子供を拉致監禁し、スナッフポルノを製造してました。正直、俺一人じゃ勝ち目なかった。初っ端から計算通りにゃいかなかった。でもアイツは……ストレイ・スワロー・バードは、何度プライドをへし折られるような目にあっても、コヨーテ・ダドリーへの殺意を捨てなかった」
「どうやってダドリーを倒した」
「俺とスワローとドギー、それにヴィク……ダドリーに捕まってた、名もないガキと手を組んで一気に仕掛けたんです。ダドリーに打たれたドラッグの副作用か、あの時のスワローは無茶苦茶強かった。アイツがいなきゃ俺たちゃ全員殺されてた」
下水道での壮絶な死闘を思い出す。
スワローは獣化したダドリーに対し一歩も引かず、互角の戦いをくりひろげた。
「ツバメちゃんは命の恩人ってか」
「とんでもねえはねっかえりっすよ。手懐けるのは無理だ」
挑むように呉哥哥を見据え、断言。
「ストレイ・スワロー・バード……もとい、ヤング・スワロー・バードは厄種です。下手に手を出しゃ火傷する」
それが俺の結論だ。
「燃えてきたね」
「……正気?」
呉哥哥は肩を竦める。
「今すぐどうこうってのはねえよ、安心しな。お前の話参考になったぜ劉……」
ああ、コレはダメな兆候だ。完全に面白がってる、もっと言やわくわくしてる。呉哥哥は強くて綺麗で根性のある若いのが大好きなのだ。
「俺たちよそもんがアンデッドエンドでノシてくにゃ即戦力の若手がいるんだよ。蟲中天はいずれ劣らぬ曲者ぞろいだが、噂のツバメちゃんなら活躍が期待できそうだ」
「金持ち向けの暗殺者に育てるんすか?」
「それも一興」
「……自分でやりゃよかったのに……まわりくどい」
「幹部の辛いとこだな。その点顔バレしてねー下っ端は安心安心、現にすっかり仲良くなったじゃん」
「どこが。振り回されてさんざんだ、もうコレっきりにしたいっす」
とにかく、報告は終わった。
これで晴れて自由の身、スワローと縁が切れると思うとせいせいする……いや、まだやることがあった。
「じゃ、失礼します」
「待てよ。ご褒美だ」
一礼して顔を上げ、当惑。
呉哥哥が机の抽斗から出した缶切りで缶詰を開け、なんだかよくわからない豆煮をさしだしてくる。
「……豆?」
「スープだよ。栄養あるぜ」
平然と言い放ち、背後に積まれた段ボール箱から別の缶詰をとりだす。
「こっちがフルーツのシロップ漬け、こっちが魚の水煮。スパムもある」
「はあ……非常食の買いだめっすか。籠城作戦に備えて?」
要領を得ない俺の前で、匙で中身をほじくりぱくり。
「ん。なかなかイケんじゃん」
「全然イケるイケる」「ちょっと塩気が強ェがうま」とうるさく感想を述べながら、机に並べた缶詰の中身を匙で抉って賞味していく。
「あーん」
「…………」
あ、すげえデジャビュ。
仕方なく大口開けて待てば、おもむろに匙が突っ込まれる。
覚悟を決めて咀嚼……刹那、目を見開く。
「……好吃」
前回のクソまずい缶詰とは完全に別物だ。
至高のグルメとまではいかないが、ちゃんと人間が食えるものに仕上がってる。
呉哥哥はにししと歯を見せ、豆のスープを直に飲む。
「俺様ちゃんの舌ってばアテんなんねーから、毒見を手伝ってほしかったのよ」
机の隅の黒電話がけたたましく鳴り響き、呉哥哥が缶詰を食いがてら受話器をとる。
そのまま肩と顎で受話器を挟み、矢継ぎ早に指示をだす。
「おー、手配できたか。在庫は運び込んだ?んじゃ朝昼晩……二食でいい?ばっか、ウチの主力商品だろ。栄養不良で返品されたら蟲中天の名前にキズが付く、一日三回食わせとけ。納品先が売春宿だろうがマッドだろうが、いい塩梅に肥えて健康な方が高く売れるに決まってらァ。いいか、品質管理も大事な仕事だ。賞味期限切れのクソまずいメシで腹壊されたら面倒だろ、もうちょいマシなの食わせとけ。コストかけた分きっちり回収するがな……あーあーうるせェ上にゃ俺から言っとくよ、自腹切りゃ文句ねーよな」
一方的に電話を切り、椅子に深く掛ける。
「……今のって……」
倉庫の檻に閉じ込められた痩せっぽちのガキと、そのガキたちの為に死んだ男が脳裏に過ぎる。
『よっく言うぜ、あんな犬のエサにも劣る腐った残飯食わせといて……!』
呉哥哥は、この人は、ちゃんと覚えていたのか。
俺には呉哥哥がわからない。
男を殺し女を犯しガキを売り、極悪非道の外道働きでのし上がってきたくせに、倉庫に監禁されたガキが犬の餌にも劣るメシを食わされてると聞けば実際に自分の舌で確かめ、自腹を切って改善策を講じる。
無策でガキを救おうとした男と、メシの質と量を底上げした男と、一体どっちが正しいのか。
俺の感慨を知ってか知らずか、缶詰をすっかりたいらげた呉哥哥が、匙で底をこそいで残りをなめ、すこぶるご機嫌に言ってのける。
「馳我吃飽了、都很好吃、謝謝」
腹いっぱい、ごちそうさんと。
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