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MurderAuction

豪壮なホールにセミフォーマルのドレスコードに準じた連中が詰めかけている。 招待客の最大の関心事はこれから行われるオークションだ。 もっとも、ただのオークションじゃない。 競売にかけられるのはすべて過去に世間を騒がせた殺人鬼ゆかりの品。とくに高額で落札されるのは犯行に使われた凶器とバラされた身体の一部。 凶器は血痕が付いてたり、保存状態が良好なほど喜ばれる。 身体の一部は……詳しく説明するのも嫌になるが、解剖に回された犯人の臓器が主。 犯人が蒐集した被害者のパーツは基本遺族に返還されるが、その遺族が金欲しさにオークションにかけることもあるってんだから世も末だ……まあ葬式終えたあとにホルマリン漬けの眼球やら日干しの指やら突き返されたって処分に困るが。 一方、|被害者の面の皮《デスマスク》を継ぎ接ぎしたバッグを返そうとしたら、複数の人間が素材になってたせいで所有権をめぐる遺族訴訟がおきた、なんて笑い話もある。 そういやオチはどうなったんだっけ。 話の顛末をすっかり忘れてんのに気付き、俺よりは長く生きて物知りらしい隣の人物を仰ぐ。 「呉哥哥、ちょっと前に|人皮《スキン》バッグで一悶着あったじゃないですか。アレ、結局どうなったんでしたっけ」 「係争中じゃね?知んねーけど」 「身内の形見っすもんね……簡単にゃ引き下がれねーか」 考え深げにひとりごちて背凭れに身を沈めれば、「チッチッチッ」と人指し指にあわせ軽快に舌打ち。 「連中が目の色変えて所有権主張してんのは、故買屋通して売っぱらう為さ」 「ンな人でなしばっかじゃないっしょ」 「どうだか。被害者の面の皮を切り貼りしたハンドバックなんてオンリーワンのレアもん、ポンと家一軒買える札束積んでも惜しかねー。大っ体後生大事に持っててどうすんだ、ハロウィンにもらったキャンディ詰めんの」 「……普段使いにして供養とか?」 「レジ打ちが卒倒すんな」 自分で言ってて自信がなくなってきた。 たしかにまともな神経の持ち主なら、いくら肉親の形見だからってデスマスクを縫い付けたハンドバックなんて身のまわりにおきたくない。 呉哥哥が頬杖を付き、試すように訊く。 「殿堂入りを果たしたエド・ゲインのランプシェードがいくらか、お前知ってんの?」 「知んねーけど……」 「|殺人美術館《マーダーミュージアム》の特等席に飾られてるぜ」 殺人美術館はアンデッドエンドの大人気観光スポットで、前世紀のシリアルキラーの所持品を展示している。 シリアルキラー狂の大富豪の遺言で、オークションで落札した私物が寄贈されたらしいが、休日祭日にゃ家族連れも訪れ賑わっている。 「殺人鬼の日記や事件現場の写真を展示するとか、不謹慎すよね……」 「スコットランドヤードの|黒い美術館《ブラックミュージアム》に閃きを得たんだと」 「なんすかそれ」 「著名な刑事事件の証拠品や遺留品を、若い警察官の教育用に展示する犯罪史の|驚異の部屋《ヴィンダーカンマー》。切り裂きジャックが新聞社に送り付けた声明文も保管されてるらしい」 「へえ」 「物知りだろ?褒めていいぞ」 「そういう知識どっから……」 「キマイライーターの自伝」 「読んでるんすか」 「オールタイムベストセラーだもんよ」 驚いた。 ベルベッドの肘掛けに肘をおき、賢しげに結論付ける。 「躍起になって手に入れようとすんのはそれ以上の使い道があるからだ。コレクションの為なら金に糸目を付けねー金持ちはわんさかいる」 「金のたまごを生むにわとりっすか」 「裁判費用はコレクターに賄わせる。終わりよけりゃすべてよし」 「賞金稼ぎが小遣い欲しさに横流ししたり」 「自営業の哀しい性。キマイライーターのような自伝の印税だけで食ってける有名人ならいざ知らず、大半は副収入をあてにしなきゃ立ち往かねえ。生き残りがキビシーのはどこの業界も一緒、不景気でやんなるぜ」 「死体の身ぐるみ剥ぐなんてぞっとしねえ」 「10秒ルール」 「なんすかそれ」 「死にたてほやほやなら好きなもん頂戴していい。殺ったもん勝ち」 「……賞金首の死体を検めると大抵財布が消えてるって言いますもんね」 「愛用の銃やナイフが消えてたら、最初に引導渡した賞金稼ぎ、次に取り調べにあたった自警団を疑え。武器も消耗品だから弾丸ガメり放題よ」 「はあ」 気の抜けた相槌を打てば、企み顔で続ける。 「もっと笑える話もある。賞金首の死体を検めたら、背中の皮膚が一面ごっそり剥がれてた。地元の自警団が真っ青になって調べたら、横っちょに突っ立ってた賞金稼ぎが見事なドラゴンタトゥーを広げて見せてくれたってオチ」 「生皮剥いだんすか……」 「吐きたそうな顔すんな、刺青はフェティッシュなコレクターに根強い人気なんだぜ?別名スキンハンターって呼ばれてな、綺麗に鞣した刺青がオークションに出ると血眼で食い付くのさ。もちろん芸術性の高さも吟味されるが、本人を証すサイン付きなら落札額がはねあがる。よくいんだろ、意匠化したイニシャルやテメエの名前入れてんのが。親や恋人、子どもの名前でもいいが、やっぱ本人がいちばんだな。ファーストネームとフルネームなら後のが価値が上。それよりもっと喜ばれんのは、ハンティングトロフィーとして燦然と輝く被害者の名前。犯して殺した46人のオンナの名前を、スキンヘッドのてっぺんからあんよの先まで入れてたヤツもいる。どこだかの若い賞金稼ぎに殺られたんだが、なまくらナイフで全身の皮をゆっくり剥がれて最期は狂い死に」 「自業自得だよ」 とはいえ、錆びたナイフで全身の皮膚を剥がされる地獄の苦しみを想像すると顔が歪む。 痛みへの共感だけは人一倍、われながら厄介な性分だ。こんな話を笑いながら話せるのもどうかしてる。 「ペニスにも入れてたってんだからすげー執念。一種の強迫症か」 「てことは……」 呉哥哥が指のハサミでアレをちょんぎるまねをし、ヒュッとタマが縮む。 嬲り殺した犠牲者の名前をペニスに彫るレベルのドМこじらせ野郎が、悶死に至る拷問。 世の中知りたくねえことが多すぎる。 反射的に内腿を閉じりゃ、呉哥哥が喉仰け反らせ、快活な笑い声をたてる。 「ちょいとオツムが回んなら、引っ張ってきた彫り師に裏付けさせる」 「すげえ手がこんでる」 「たんまり儲けてェなら付加価値をのっけんのが経営の鉄則。やりすぎんと安く見られっからほどほどに」 「風俗店の現役経営者がゆーと妙に説得力ある……前から一度聞きたかったんスけど、アレ道楽なんすか」 「趣味と実益を兼ねて。ウチは女の子の自由意思を尊重する良心的なお店だぜ」 「良心的な風俗店なんて前科持ちの子守並に信用できねえ。おまけに特殊性癖」 「貧乳フェチは健全だろ」 「どこが」 「育て甲斐がある」 「それよく考えたら将来性にヤマ張ってるんで、小さい胸自体を褒めてるんじゃないですよね」 あきれるしかない俺の心中を汲んだか、呉哥哥が剽げて肩を竦める。 「この世界じゃなんにでも値が付く。値札のねえ概念にゃ価値がねえ」 たとえば正義とか、信念とか。 「目には目を、歯には歯を、外道には非道を」 呉哥哥が唄うような言い回しでのたまい、指揮棒に見立てた指を振る。 「イエスさんも言ってんだろ、右の頬をぶたれたら左の頬をさしだせって。違うっけ、逆か?」 「言いたいことはわかります。目を抉られたら抉り返せ、そういうことでしょ」 「で、抉った目はどこにいく?」 犬歯を剥いて笑い、沈黙を守る分厚い緞帳の奥へ顎をしゃくる。 「此処よ、此処。今宵此処こそ世界の中心の|万魔殿《パンデモニウム》てなワケよ」 諸手を広げて宣言する呉哥哥になんだなんだと注目が集まり、俺は「しーっ、しーっ!」と指を立てる。 「……恋人が目を潰された仕返しに、犯人の目を抉ってくれって頼むヤツがいて。産地直送ですって、ドライアイスで冷やした|干からびた眼球《ドライアイ》もってっても喜ばれませんもんね。よっぽどの特殊性癖を除いて」 「|目ん玉とびでる《アイポップ》デリバリーだな、そう考えりゃコイツも一種のリサイクル活動か。あー、もとからチャリティーだっけ」 「一応、そーゆー建前になってますね」 マーダーオークションの出展品は、原則保安局から供出される。 賞金首の死体と一緒に回収された、もしくは犯行現場や潜伏先から押収された証拠品や遺留品が主だが、被害者の血液が付着した衣服や実際の犯行に使われた凶器など、猟奇的なブツほどレアものとして有り難がられる。 被害者の髪の毛を貼り付けたアルバムや、命乞いを録音したカセットテープは垂涎の的。 マーダーオークションは|社会奉仕《チャリティー》の大義名分で行われる公共事業だ。 収益の何割かは遺族に還元され、遺族が受け取りを拒否した際は、病院や孤児院を運営する慈善団体に寄付される。 呉哥哥が伝法に足を組み替える。 「一口にオークションったってピンキリだ。今回はウチが用心棒頼まれたから気合入ってんぜ」 目配せにしたがって館内を眺めまわせば、遥か後方の入口付近に、こわもての黒服がたむろってる。 荒事よろずおまかせあれと顔に書いた蟲中天の下っ端ども。スーツで窮屈そうにめかしこんだあたり、ドレスコードは頭にあんだなと妙なところに感心。周囲に溶け込む努力はしてるらしいが、図体のでかさと眼光の鋭さが祟って殺気が消せてない。 「へったくそな擬態……」 思わず呟けば、呉哥哥が「同感」と頷く。 「マフィアにお守りを頼む運営ってどうなんすか」 「いまさらだな。アンデッドエンドでデケえイベント張るなら、俺様ちゃんたちにケツもち頼むのがいっちゃん安全。序でにセレブとも顔繋げっし」 |死なずの行き止まり《アンデッドエンド》―この街じゃ各勢力に属すマフィアが幅をきかせている。犯罪組織の見本市ともいわれる所以だ。 保安局や協賛企業の利権が複雑に絡むオークションに、儲け話に目がねえ連中が口出ししてくるのは当然の結果。 「…………はァ。帰りてー」 慌てて口を噤むも遅い、しっかり聞かれちまった。 呉哥哥は人の気も知らず笑いだす。 「全面禁煙で残念だな」 「俺……場違いじゃねっすか。シケたなりで付き人なんて務まりませんよ」 無難なだけが取り柄のシャツの胸元を摘まんで不安を述べれば、呉哥哥が正面を向いたまま断言。 「安心しろ、中身相応だ」 「……褒めてないでしょ」 「ジャンキーがジャングルで見る幻覚みてェな柄シャツよかよっぽどマシ」 「オラった女衒みてーなかっこの人に言われたくないんスけど痛っで!?」 「誰がオラった女衒だコラ」 おもいっきり脛を蹴られ、片足を抱え悶絶。 本日の暴君のお召し物は上から下までパイソンで統一。 首元には二連に巻いたチェーンネックレス、銀の光沢帯びた蛇革のレザージャケットは値の張るオーダーメイド。さらには恥骨が見えそうなローライズのレザーパンツに、蹴られたらさぞ痛そうなクロコダイルブーツを合わせている。 呉哥哥のファッションセンスを要約すると一言に尽きる。俗悪。 ここだけの話、隣に座ってるだけで視線が痛い。 隣に座ってるだけで羞恥プレイを強いてくるたあ、どこまでドSなんだといっそ感心。 「他にだれかテキトーなのいなかったんすか……店の子とか」 「やだ。アイツら『ちょーすごい!』『マジやば!』しかいわねーからツマンねーんだもん、オツムも軽けりゃ尻も軽い」 雇い主に似たんでしょ、とか、頭のいいオンナにゃ相手にされねーんでしょ、とは言わない。命が惜しい。 ぶーたれる三十路男に、おずおずと意見を申し立てる。 「愛人は?」 「飽きたとさ」 「はあ……」 「お前もそろそろ経験しとけ」 「いや意味わかんねーし」 「社会見学と割り切れよ」 俺の存在意義ってなに?引き立て役?女を連れ歩くのに飽きたから無理矢理引っ張ってきたの? 場違いすぎていたたまれねえ、今すぐ逃げ出したい居心地悪さが募る。 呉哥哥は薄い唇を引き、あくどい笑顔を見せる。 「人間の本性が見てーなら此処はサイコーの学び場だ、口開けて蠅が入んの待ってるよか有意義な時間だろ」 ……ひょっとして、買ってくれてんだろうか。 日頃殴る蹴るさんざんな仕打ちを受けちゃいるが、実の所右腕候補として目をかけて、使い走りを頑張ったご褒美にオークションに連れてきてくれたとか……? 放埓な行動に屁理屈をこじ付け、都合よい妄想を膨らませりゃ、それを見抜いたように話が切り替わる。 「今回のオークションにゃ蟲中天も出資してる」 「護衛を貸し出してんのは知ってっけど、カネも出してんすか」 「おかげのさまさまで俺様ちゃんは顔パスVIP待遇てなワケよん」 得意げなドヤ顔と係員の慇懃な物腰を重ね合わせ、納得。見てくれはこんなんでも、大口出資者の一人を無碍にゃ扱えない。 周囲に視線を滑らしチェックすりゃ、招待されたセレブの多くが伴侶や愛人を伴っている。 呉哥哥がこっちに身を乗り出し、にやにやと顎をしゃくる。 「よく見とけ、ここじゃ連れの見栄えや立ち振る舞いも採点される」 「上流階級のステータスっスか」 「ペットのお披露目を兼ねてんだ。毛並みがいいほど評価が上がって、声をかけられる回数が増える」 身も蓋もない言い方だが、全面的に事実だ。 現に俺の視線の先、絶倫そうに日焼けした中年男が、男娼上がりとおぼしき垢ぬけた美青年を知人と引き合わせ脂下がっている。 「見た目、地位、財産、知名度、連れの質。大人も子供も男も女も、人間は生涯マウンティングをやめらんねー生き物だ。同程度の収入、同程度の生活環境の買い手が集まるオークション会場じゃ、それが一層顕著にでる」 「貧乏人は爪弾きっすか」 「一見さんはお断り。モラルの崩壊した俗物の極みの集い、人間観察し甲斐があるぜ」 面白そうに嘯く口調に反し、頬に刻まれた冷笑には滑稽だといわんばかりの侮蔑の色。 習性が悪癖に堕して身を滅ぼす悲喜劇と、それを演じる業深い人間をあまた見てきたに違いない。 マーダーオークションの会場は、上流階級の優雅なる社交場として機能してる。 世間的に有名なシリアルキラーのアイテムをあれこれ品評すること自体が高尚な趣味として持て囃され、場の雰囲気を愉しむだけの冷やかしも多い。 なかには家族連れできた猛者もいて、ロリポップを咥えたやんちゃ坊主がシートの谷間の通路をバタバタ走り回ってる。 およそ考えうる限り、ここほどガキの情操教育に悪い現場もねえ。 「……人殺しの品評会なんざイカレてる」 もとよりマーダーズにいた俺が言える立場じゃないのは百も承知だ。 それでも、毒が強すぎる。 気まぐれだか悪ふざけだか、よりにもよって俺なんかを同伴にご指名した呉哥哥の真意はもとより推し量るほかないが、善悪の彼岸がひっくり返った光景にゃ嫌悪感しかねえ。 「まともなことゆーじゃん」 「至ってフツーの感想ですよ」 「公共事業だぜ?」 「人殺しを持ち上げんのが間違ってんだ」 「賞金稼ぎが正義をお題目に掲げる皆のヒーローなら賞金首はアンチヒーロー、そこに猟奇的な犯行と悲劇的な生い立ちが加わりゃエンターテイメントに化けるって寸法さ。見てくれよけりゃ言うこたねーな、オトコもオンナも面食いなんだ」 「ヒロイン即退場でバッドエンド一直線すけどね」 「被害者はエキストラだろ?死んでもかえがきく」 「これも立派な娯楽ってわけっすか」 「みんな大好き可哀想なサイコパス、テメェの首に縄がかからねー条件付きでな」 正義のヒーローに飽きた大衆は|悪役《ヴィラン》をちやほやする。 犠牲者および遺族の痛み苦しみは加味されない、ブラウン管の外の現実を持ち込むのは興ざめだ。 他人の痛みはどこまでいっても他人事でしかない。 この狂った世界じゃ、邪悪な殺人鬼と戦慄すべきその所業すらも無限サイクルで消費される娯楽でしかない。 体に悪いとわかっていてもだれもが食べたがる|刺激物《ジャンクフード》と一緒だ、毒されてるとわかったときにゃとっくに手遅れ。 「嫌悪と羨望、忌避と憧憬は磁石の対極。底がねえ腹ん中をかきまわしゃ、同じ磁力でくっ付きたがる。自分にゃ絶対できねー、そこに痺れる憧れる、殺人鬼ってのはそういうもんだ。そこに凡人がエキサイトする」 居心地悪さに身じろぎ、貧乏揺すりを止めようと膝を掴む。 「やだ、なんでミュータントがいるの?」 「見てよあの鱗、気持ち悪い……」 生理的嫌悪が滴る陰口に振り向く。 二列挟んだ後ろの席に掛けた若い女二人連れが、こっちを見てこそこそ囁き合ってる。視線は俺の隣、呉哥哥の薄緑の肌色と顔の鱗を見比べている。 こんなこと、日常茶飯事だ。 「…………チッ」 聞こえるように舌打ち、お喋り好きな女どもを睨み付ける。 「あ」 示し合わせたように口を噤み、気まずそうに俯く。 「!?いたっ」 平手で頭をはたかれる。 「お嬢さんがたにメンチ切ってんじゃねーよ」 「だって」 納得できず食い下がれば、女への愛想を常に忘れない呉哥哥がにっこり笑い、さっきまで自分の悪口で盛り上がっていた女二人にひらひら手を振る。 「…………」 同時に俯くが、今度は頬が染まっている。 呉哥哥がドヤ顔で振り返る。 「ツラがいいと得だろ」 「厚かましさは尊敬しますよ」 蛇の特徴が強く出た見た目こそ異様だが、薄緑の肌と鱗が慣れて気にならなくなれば、呉哥哥は結構な男前だ。 腕っぷしと度胸を恃みに裏社会を渡ってきた無頼漢特有の剽悍さが崩れた色気に繋がり、水商売の女に殊更モテるタイプ。 「…………」 なんかもうぜんぶ理不尽だ。 スーツ姿のボーイが歩いてきて、銀盆に乗ったグラスを配る。 さすが各界セレブご用達、なにからなにまで至れり尽くせりサービスが行き届いてやがる。お子様用にノンアルコールまで取り揃えてるのがまた憎い。 「いかがですか」 「謝謝」 呉哥哥が軽く礼を述べてグラスを受け取り、一気に干す。 次いで俺へと愛想よく盆を回してくるが、片手で遮り辞退。 「あー……俺はいい」 「ただ酒だぜ、遠慮すんなよ。庶民にゃ縁のねー上等なシャンパン、飲みだめしときゃ後味反芻するだけで三か月はしのげる」 「鉄くせえ水道水で十分っす」 「お手軽な鉄分補給だな?ぐいっといけぐいっと」 匂いのお裾分けとばかりに空のグラスを突き付ける呉哥哥。イケイケでけしかける兄貴分を睨み、そっけなく呟く。 「……付き人が酔っ払っちゃダメでしょ」 呉哥哥が一時停止、まじまじと俺の顔を見詰める。 無理矢理引っ張ってこられたからって、手を抜く言い訳にゃならねえ。 付き人はボディガードを兼ねる。 万一のことが起きたら、俺はこの人を守らなきゃいけない。 その為にもはじまりから終わりまで素面を保たなきゃいけない。 「………………は」 呉哥哥の口端が微痙攣、歪な微笑を形作り……次の瞬間。 「ははははははははははっコイツあ傑作だ、ちゃーんとそのへんわきまえてんだな感心感心、なあ劉おまえってば変なトコで馬鹿真面目だよな!!」 下卑た哄笑が炸裂、顔面に唾の飛沫がとぶ。 周囲の連中が一斉にこっちを見るのも構わずひとしきり笑い続け、俺の薄っぺらい背中をバシバシ叩く。 「あーおかし、腹いた」 「……いや、おかしくねェし。ンなウケることすか」 俺は弾除けだ。 女を犯し、男を殺し、子どもを売る。 この人がどんな腐れ外道でも、組織の幹部である以上は守り通す。一応は拾ってもらった恩もある。 ようやく笑い済んだ呉哥哥が、頬の引き攣れで元から獰悪な表情をさらに邪悪に歪めて向き直る。 「お前程度が本気で俺を守ろうって考えてんだ?そりゃウケんだろ」 取って食いそうな顔で迫られ、反射的に身を引く。 「……どういう意味っすか」 「翻訳するとな、お前程度に守ってもらうほどおちぶれてねえって意味よ」 「じゃあなんで連れてきたんすか」 「こーゆートコに縁のねー貧乏人をいじって遊ぶため。お前がいちばんおもしれー反応すんだ」 ……開陳された理由のひどさに絶句するしかない。 「……余裕ぶっかましてると背後から刺されますよ」 せめてもの意趣返しに嫌味を投げれば、哥哥の背後に忍び寄る影……噂をすれば、か? 「おっひさーラトルスネイク!開口一番挨拶がわりに目ん玉おいてけー」 は??? 体当たりの勢いで呉哥哥にうしろっから抱き付いたのは、12・3程度の女の子。 エキゾチックな風貌の美少女だが、服装が奇抜すぎる。 丈長のだぶだぶ白衣の裾をひきずって、あざと可愛い萌え袖をぶんぶん振り回せば、頭の左右でシニヨンに揺ったお団子頭がぽよんぽよん揺れる。白衣の下は安っぽいプリントTシャツとデニム地のホットパンツで、膝小僧が眩しい。 きめ細かい褐色肌と茶褐色に澄んだ円らな瞳はインド系の特徴。身長は小さく、俺の胸あたりまでしかねえ。 真ん中で前髪を分けて秀でた額を露出してるが、その中心に光を反射するラメ入りビンディが貼られている。ヒンドゥー教では眉間は特別な場所とされていて、コイツは叡智の結晶、物事の真実を見極める第三の目とも言われてるそうだ。たまに行くインド料理屋の店主が教えてくれた。 その得体の知れねえメスガキは、呉哥哥に大胆に頬ずりし、なんとサングラスを外そうとして手の甲をはたかれる。 「ねえねえボクずっと待ってるんだよキミが死んでくれるの、約束忘れてないよね、死んだら目をくれるって書面に契約したでしょ?あーでも目は傷付けないでねそれだけは絶対ダメ、他はいいけど目だけはダメ!ねーなんでマフィアなんて危ないお仕事してるくせになかなか死なないの、悪運強すぎだよー。もう十分生きたでしょ、生きたよね、だったら死んで?」 むー、とむくれる。 「はは、やなこった。まだオンナを抱きたりねー遊びたりねー」 「往生際悪いよーそろそろ次の世代に活躍の場譲ろうよ?」 なんなんだコイツ。 呉哥哥と謎の美少女のやりとりにあっけにとられる。 呉哥哥はキレる素振りもなく美少女の頭をなでくりまわし、美少女はまんざらでもなさそうに甘えながら、無邪気に死んで死んでとくりかえす。 天然の媚態を含んだ流し目でこっちを一瞥、愛くるしく微笑む美少女。 「こっちの彼はだれ?お友達?右腕候補?とうとう跡目を譲る気になったの、寿命のカウントダウンはじまりだね!」 「ばーか、付き人だよ」 「ちぇー残念。ラトルスネイクさー、ボクほら平和主義だし乱暴なの好きくないけど生きてるうちに眼球摘出したっていいんだかんね?だいじょーぶチクッとお注射すれば痛くない、眠ってるあいだにすぐ終わっちゃうから」 「平和主義がよく言うぜ。聞いたぞ、エゲツねー実験してたって。人買いから買ったオンナに、バケモンの子供孕ませたんだろ」 「それ盛ってるよー。畸形動物の異種交配にはちょっと前までハマってたけど、試行錯誤の結果受胎は不可能って実証済み。遺伝子配列は人間に近くても、累積した放射能がテロメア変異を促したせいで、生殖機能が著しく衰えちゃってんの。畸形ってさ、そもそも自然界のバグなんだよね?ありうべからず異端なワケ。ラトルスネイクも知ってるでしょ、ライオンと豹、馬とロバ、系統が近い種でも混血は一代限りで生殖能力を持たないって。もともとヒョウとライオンは生息地域は重なってても交尾の前例まったくなくて、小さい時からいっしょに育てて、交尾の時は精神安定剤まで投与して、やーっとレオポンが誕生したんだよね!人間と動物なんてもーっと構造かけ離れちゃってるから無理無理、どうしてもっていうならまず精子を元気にしないと!その点ミュータントは面白いよね、交配の多様性は人間ベースだから?」 「なんだ、バケモンに犯させたんじゃねーのか」 「そんな非効率なことしないよ体外受精だよ!生命倫理だかなんだかツマンないタブーにこだわって卵子の提供者がいないから、仕方なく飛び入り業者におねがいしたの」 「蟲中天はスルーか」 「余暇にやってる趣味の実験に経費おりないもん!思った以上にろくでもない連中だったみたい。やっぱ飛び入りはダメだねー、ちゃんと裏とんなきゃ」 「ざまーみろ今後ともご贔屓に」 肩を竦めて愚痴る少女を、呉哥哥が皮肉っぽく茶化す。 「ま、そんな感じで素体の供給も断たれたんで実験は打ち切り。残念無念また来世、引き際が肝心だよねー」 余った袖口をたらしてにへらと笑い、顔の上半分だけ狡猾そうに眼を細める。 俺はすっかり空気に呑まれ、呉哥哥と謎の美少女を見比べる。 「……お知り合いっすか?」 「じゃーん、愛人でーす」 「ロリコンかよ」 「ちげえよ」 「ボクこーゆーものです」 萌え袖でバンザイしてからポケットをごそごそやって名刺をさしだす。 「はあ」と生返事で押し頂き、目を通す。 『PP製薬開発部門統括責任者 ディピカ・クマール』 「PP……」 「パンデミック・パンデモニウムの略」 「正気か?」 「ウチのCEOお得意のブラックジョーク。正式名はえーと」 呉哥哥が口を出す。 「|プロヒビティヴ《禁じられた》・|ペイン《痛み》」 「そーそれ!」 「ぜってー舌噛むだろ」 あははと笑ってごまかすディピカをよそに、ご親切にも解説をおっぱじめる。 「新聞やテレビで見たことねえ?アンデッドエンドに本部をおいてノシてる製薬会社、コイツはそこ専属マッドサイエンティスト」 「だって……子どもっすよ」 「|才能《ギフト》に年齢は関係ないよん」 蕩けそうに笑み崩れ、呉哥哥に頬を寄せる。 「神様は差別はしないけど、贔屓はするよね?」 その瞬間、何故かぞくりとする。 艶めかしく蠢く手指が目元に這いずり、サングラスの弦に戯れに触れては離れ、頬でゆるやかに円を描く。 「はやく欲しいなあラトルスネイクの眼。ボクが見た中でいっちばんキレイな生きてる宝石、手に入れる日が待ち遠しい。ホルマリンの瓶詰にして飾るのも捨てがたいけど、樹脂加工して口の中で可愛がってあげたいな。オーダーメイドのキャンディみたいに」 呉哥哥はプライベートでもサングラスを絶対外さないせいで、様々な憶測が飛び交ってる。 拷問でくりぬかれた、抗争で潰された、円らなおめめが恥ずかしいから隠してるetc……舎弟のあいだじゃ瞳の色をあてる賭けまで行われてるが、サングラスを奪い下剋上を企む勇者はおらず、「呉哥哥のグラサンをとってくりゃ十万ヘル」と別口の賭けがおっぱじまる始末。 俺は黒に二千ヘル賭けている。あたりますように。 なんかの偶然で割れるか落っこちねえかな落ちろ落ちろ落ちろ、むしろカチ割れて破片よ刺されとサングラスを見詰めて念じりゃ、話題は本日のオークションへ移っていく。 「お前がきてるってこたァ、眼球が出品されんのか」 「そ、カタログ42ページに載ってるホークアイ・フェザーの右目。ねえ知ってるラトルスネイク、凄腕狙撃手には共通点があってね、みんな限りなく薄いアイスブルーの瞳をしてるの。優秀な狙撃手ゲットしたけりゃ青い目の人を選べばいい」 「俺が知ってる奴ァ目ん中に天国があるな」 「|天国の青《ヘブンリーブル―》?詩的な表現だね」 「あの目ェ見るたび銃口ぶちこみたくなる。引き金引くと天国が真っ赤に燃え上がんだ、アレがぞくぞくしてさァ……俺が焼き滅ぼしたみたいで」 当時体験した興奮の余熱を反芻してか、鱗で半ば覆われた顔がおぞましい嗜虐の愉悦に蕩ける。 サイコパスの会話にドン引きする俺をよそに、ディピカが親指と人さし指で輪っかを作って目にあてる。 「狙撃手の視界ってどんなだろうね、ボク興味あるなーきっと遠くまで見渡せるんだろうね。ホークアイの目を移植したらボクも狙撃手になれるかなあ」 「なれねえよ」 「心臓移植はドナーの嗜好が伝染るっていうじゃん、眼球だって試してみなきゃわかんないよ」 呉哥哥から離れ、ディピカが小走りにこっちにやってくる。 「んー」 じろじろ不躾に観察される。 俺の顔を間近で覗き込み、たまらず目を逸らそうとすれば両手でがっちり固定し、人さし指と親指で片目を押し広げる。 とんでもない長さの睫毛と高い鼻梁、彫り深くコケティッシュな美貌がギリギリまで迫り、全身の毛穴が開いて嫌な汗がふきだす。 「なにす……まぶしっ!?」 ディピカがポケットからペンライトを取り出し、俺の片目に光をあて、瞳孔の収縮を見る。 「瞳孔の反射は良好、収縮筋に異常なし、虹彩はダークブラウン。白目が血走ってるのは寝不足の症状だね、ビタミン不足だよ。ドライアイ?モンゴロイドとコーカソイドの混血は劣性遺伝で茶色になるんだ。ありふれた配色だけど、光をあてるとセピアに透けるのがキレイだよね。飴色ってゆーか……水あめのように透き通った感じの黄色になって、おいしそー……」 ディピカが爪先立って舌を出し、俺の片目をべろんと舐める。 「ひっ……」 生まれて初めて眼球をなめられた。 生理的な嫌悪が膨れ上がり、気色悪さで喉が詰まる。 ディピカは俺の顔を押さえ、ラリってるような恍惚の表情で、丁寧に眼球の表面をなめまくる。 ちゅぱ、ちゅぷ、ちゅぱ、いやらしい音が目と耳を犯す。 「ん……おいしぃ、ボクこれ好きぃ。いいモノ持ってるじゃんキミ、死後献体してくれない?」 ちゅぱ、と音も卑猥に吸い立ててから身体を離し、あっけらかんと宣する。 「呉哥哥、なんスかこの変態」 「ディピカは|眼球性愛者《オキュロフィリア》なんだ」 「オキュ……何だって?」 「目ん玉がおいしそうでおいしそうで抉って食べちゃいたくなる症状だよー。性倒錯の一種に分類されてるけど、失礼な話だよね?」 ディピカが吐息を荒げ自らを抱き締める。頬が淫蕩に上気したメスの顔。 「ボクの夢聞きたい?世界で一番キレイな瞳を自分に移植して、毎日鏡を眺めて暮らすの」 「したらもうしゃぶれなくなるな」 「そこは仕方ないから我慢する!いまんとこラトルスネイクは最有力候補、美しさとレア度で他の追随を許さないよ。ホントは死後献体じゃなく生体移植がいいんだけどね、鮮度が段違いだもん。死体の瞳はどうしても濁っちゃうから……防腐処置にも限界あるし」 滔々としゃべりながら、白衣の懐から一枚の書類を引っ張りだし、俺にペンを握らせる。 「さ、さ、受諾欄にサインを。字が書けないなら拇印でも可」 「いや……ちょっと考えさせて」 「どうして?死んだあとに目をもらうだけだよ、痛くないよ」 「メリットねえし」 「だったら前金出すよ、いくら欲しい?支払いは小切手でいい?トンズラしたら追い込みかけるからね、なんならキミの体内にチップ埋め込んで追跡するから」 「死体をもてあそばれるのはちょっと」 俺の死体から摘出した眼球をディピカがうっとりなめまわす妄想が頭にこびり付き、よそよそしくペンと紙を突っ返す。 渋々書類とペンを受け取るも、めげずにぐいぐいくる。 「じゃあキミの知り合いに珍しい瞳の持ち主がいたら教えてよ、紹介料弾むから」 某兄弟の顔が脳裏をよぎる。 感情が高ぶると|鳩の血色《ピジョンブラッド》に変化する赤茶の瞳は、珍しいといえなくもない。 俺の知る限り、あの手の虹彩の変化はドラッグ服用者の特徴なんだが……弟はともかく、兄貴は無縁なはずだ。 「まー減るもんじゃなし、契約書だけでも持っといて。気が変わるかもよ?」 俺の手に再び契約書を押し付け、軽やかに踵を返す。 「そろそろ行かなきゃ、CEOが待ってるんだ。まったねー」 スキップするような足取りで去っていくディピカを見送り、犯された目を手の甲でくりかえし拭う。 「なんだあのイカレ女……」 「男だぜ」 「は??」 階段を上るディピカを見る。 俺の視線に気付き、ひらひらと手を振ってくる。見た目は完全に華奢な美少女……天使のような、と形容してもいい。 「…………嘘」 「ホント。実際女性恐怖症のお前がぴんしゃんしてんじゃん」 「アレルギー反応たァ違いますよ……」 でも、そうだ。本物の女にあんなことされたら、もっとパニクってたはずだ。見た目だか言動だか、何かで漠然と性別を予感したのか。 呆然と視線を逸らさないでいると、ディピカが謎めいた微笑みを深め、白衣のポケットに手を差し入れる。 取り出した|棒付きキャンディ《ロリポップ》を唇で愛撫、舌を絡めて挑発的に含み転がす。 「…………ッ!」 背筋を冷えた戦慄が駆け抜ける。 通路を挟んだ階段上に突っ立ち、さもうまそうにディピカがなめまわしているのは、お子様向けのロリポップなんかじゃねえ。 特殊加工された目ん玉だ。 ディピカの唾液に濡れ光る翠の眼球とばっちり目があい、凄まじい嘔吐感がせりあがる。 咄嗟に口を覆って突っ伏せば、呉哥哥の笑い声が響く。 「目ェ付けられて災難だな」 「……目と目をひっかけたダジャレ?ツマンねー」 「ありゃあ生粋の眼球フェチさ、オークションによさげな瞳が出回るたんび意気揚々と参戦する。こないだ会った時ゃ、額にお気に入りを移植したいってほざいてたな」 「PP……思い出した。ミュータントの抑制剤で儲けてる……」 アンデッドエンドに数多くいるミュータントは、遺伝子操作の後遺症に悩まされてる。 科学者に好き勝手遺伝子をいじくられた反動で、連中は総じて短命な上、突然死も多い。 成長による体質変化と共に、遺伝子を設計する動物の因子が暴走し、知能が退化しきったキメラに成り果てる事例もある。 それらの症状を抑制・緩和するのが、痛みを幻のように消滅させることから名付けられた薬…… |ファントムペイン《幻痛剤》だ。 「見た目も言動も馬鹿っぽいが、IQ200のデザイナーズベイビーだ。実質PPがもってるのはアイツの存在が大きい、上場企業に躍り出たのもディピカが責任者に就任した五年前だし」 「……で、どんな繋がりっすか」 「ウチのお得意さん。これでわかるか?」 わかってしまった。 倉庫に監禁された栄養不良のガキたちの用途は製薬企業の献体。 PPは蟲中天の人身売買の取引先で、マッドサイエンティストに実験台を提供してる。 その渉外窓口がディピカであり、呉哥哥だ。 「接待したりされたりしてるうちに妙に懐かれちまってな」 「……はァ」 「お前も気ぃ付けろよ劉。ディピカはアレで執念深い、目への執着心ときたら異常だ。血迷って死後献体の契約交わしてみろ、寿命が縮む。もー30回は襲われたわ、ヤッてる最中にトラック突っ込んできたり煙草買いにでた道すがら撃たれたり」 「先に言えよ。ていうか、煙草くらいパシらせろよ」 「えー?だっておもしれーじゃん」 ダメだこの人。 「ホントにアイツなんすか?他の組織のしわざじゃ……」 「顔あわすたんび『えーなんで死んでないの、トラック突っこんだでしょ?』とか『顔面壊すのやだから心臓狙ったのに、空気読んで即死してよー』って残念がられっからそれはねえ」 俺が見守る前で、ディピカは席に座ってた中年男の膝に飛び乗り、その首に腕をかけて甘える。 猫のような仕草で媚びるディピカの髪の毛をやさしくなでる、アレが噂のCEOか。 大音量のブザーが鳴り響き、立ち歩いてたお客がいそいそと席へ戻る。 いよいよオークション開幕だ。 「……今夜のおめあてはなんすか」 呉哥哥がぱらぱらカタログをめくる。 「レイヴン・ノーネームの習作とかどうよ?地元の自警団がゴミ箱から回収したナプキンに描いてあったラフスケッチ、額に入れて飾るんだ」 「ナプキン額入りで飾ったら一階からデリバリーにきた給仕が驚きますよ」 「お前もだれか連れてこい、上司が落札したって自慢してやれ」 「無茶苦茶な……」 ナプキンの落書きなんて見せびらかされて有り難がる物好きがいるとは思えねえが、ピジョンなら素直に感心するかもしれない。 「………ん?」 分厚いカタログを開き、競売予定のレイヴン・ノーネームの習作にじっくり見入る。 ナプキンに描かれた少年の顔がよく知るだれかに似てる気がしたが、きっと気のせいだ。 最後にもう一度振り返り、ディピカの様子を確認し、言葉をなくす。 CEOらしき中年男性に今しも近寄り、何かを囁く男。 CEOが無表情に首肯し、それに応じて離れていく横顔は、目の色以外スワローに酷似していた。

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