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SNAKE DANCE
アンデッドエンドは夜にこそ賑わう街だ。
「おにいさ~んよってかな~い、お安くしとくわよお!ピル飲んでるから生で中出しし放題、後ろの穴は別料金ね」
「ウチの店は天然百パーセントのモノホンバニーガールおいてるよ、さあさ当店自慢の淫乱バニーちゃん達にスペシャルデリシャスなニンジンをプレゼントしたい殿方はカモーン、本場のバーニャカウダプレイをごろうじろ!」
極彩色のネオン彩る歓楽街に立ち並び、甘ったるく間延びした語尾で媚を売る娼婦たち。ゴージャスに仕立てた毛皮のコートの中身は下着同然の薄着、中には絆創膏や星やハートをかたどったシールで申し訳に乳首を隠しただけの猛者もいる。
「100グラム1万ヘルはぼりすぎだろ」
「これ以上はまからねーよ、嫌なら他あたれ」
「チッ、足元見やがって」
路地裏では売人と客が交渉中。腕を組んで闊歩する男女の行き先は、破廉恥なピンクのネオン輝くモーテルだ。
モーテルに消えていくカップルを窓越しに見送り、呉が呟く。
「売春にゃランクがある。路上で身体を売るのは最底辺、お次がモーテルに代表される安宿、その次がホテルを指定できるコールガール」
「いらねー知識どうも。知ってますよそん位」
ハンドルに凭れてふわあとあくびをする劉。
助手席のシートを倒して寝転んだ男は、夜でも外さないサングラスの奥から、面白がるような視線を向けてくる。
「寝不足?おさかんなこって」
「……オンナいねーのわかってて言ってんでしょ」
「自家発電は?」
「オナニーの周期までいちいちご丁寧に報告する義務ありますか」
「運転手の右手が腱鞘炎になったら困んだろ」
「どんだけオナニー命っすか俺。そん時ゃ代打指名してください」
「他のヤツは運転が乱暴で任せられねー。お前が一番ビビりだ」
「事故ったら速攻殺されますからね」
「部下の体調管理も仕事のうちよ」
「なら平均体温聞きゃいいでしょ、1ヘルにもならねーゲスな好奇心は引っ込めてください」
「何度?」
「え……最近はかってねーからわかんねっすスイマセン、たぶん35度?」
「低ッ、変温動物かよ」
「アンタに言われたかねー……」
冷血動物の蛇野郎に言われちゃおしまいだ。
劉と呉は現在、快楽天とデスパレードエデンの境界に広がる歓楽街を車で流している。
蟲中天傘下の店を回って恙無くみかじめ料を取り立てた帰り道、車内には仕事終わりの弛緩した空気が漂っている。
ちなみにこの車は呉の私物である。
ド派手な黄色の|高級車《アルファロメオ》はシートに適度な弾力があり、乗り心地は至って快適。
見た目も外連味たっぷり、いかにも呉が好みそうなデザインだ。
めでたくもないことに運転役を仰せ付かった劉は、ボディにキズを付けたら一回轢いてからバックしてまた轢き殺すと脅されている。
劉はあくびを噛み殺す。うっかり寝落ちでもしたら後が怖い。眠気をやわらげるために至極どうでもいい話題を振る。
「……年代物っスね」
「何が」
「この車ですよ」
「きょうびどこも新車製造なんてしてねーから中古よ。欲しい?」
「いりませんてンな燃費の悪いデカブツ、成金のステータスシンボルっしょ」
「お前さあ……本人の前でそれゆー?」
「スイマセン口が滑りました」
「見回りだ取り立てだ大忙しのマフィアにゃ足が必要だ、蟲中天の縄張りも広ェからコイツは必要不可欠なのよ。もっと出世したらカクテルバーがあるリムジンに買い替えて紹興酒とドンペリちゃんぽんおごってやる」
「ハイオクまぜたら頭がぷすぷす煙ふきそっすね」
ご機嫌な様子でシートの肘掛けを叩く上司を、劉は小声で皮肉る。
「ガソリンだってレアなのに……金持ちの考えるこたあさっぱりわかんねー」
「金ァ使ってなんぼだろ」
呉が突然目をかっぴろげ、鼻息荒く助手席の窓にかぶり付く。
「おい見ろあの巨乳、ラメシールから乳輪がはみ出てら」
「乳首隠して乳輪隠さず」
「うまいこと言うな」
俄然生き生きとはしゃぎ、劉の肩を強引に抱いて窓の方にねじる。
「ンだよノリわりぃなー、辛気くせー顔してっと眉間の皺がとれなくなっちまうぜ。お前だって見えねーものを見ようとしてあの子のスカートの中覗いた少年時代あったろ」
「パンツの中身も興味ねーよ。乳輪ポロリで大興奮って思春期か」
常々ガキがでかくなったような人だとあきれていたが、エロガキがでっかくなったような人に心の中で下方修正する。
付き人は損な役回りだ、労が多く報われない。
呉は気まぐれに劉を振り回し、無理難題を要求する。付き人と言えば聞こえはいいが、やってることはただの雑用係だ。
呉の身のまわりの世話をはじめ運転手やパシリを掛け持ち、一日中こき使われ身も心も休まらない。
蟲中天の幹部ともあらば厄介事は部下に投げ、事務所の椅子にふんぞり返っているだけで事足りるのに、行動派の呉はそれを是とせず、東に夜逃げを企てる経営者がいれば懲らしめにいき、西で抗争が起きれば嬉々として加勢に出向き、劉をあちこち連れ歩く。
本人行動派を自称しているが、単にじっとしてられない性分なのだ。デカい子供と一緒だと劉は的確に分析している。
おかげで同僚にはやっかまれ、依怙贔屓だのお気に入りだの、さらには愛人だのペットだの根も葉もない噂を立てられているが、ならお前が代わってくれよと言いたい。むしろ土下座してでも代打を頼みたい。
呉のお供をしていると命が何個あっても足りない。
「はあ……だりー」
今夜も遅くなりそうだと諦観、無意識に胸ポケットを探りかけ、慌ててハンドルに手を置き直す。
仮にも上司の前で喫うわけにはいかない。劉にもその程度の常識というか、保身に立脚する打算はある。
状況的に喫えないとなると猛烈に喫いたくなるのがヘビースモーカーの辛いところだ。人さし指で苛立たしげにハンドルを叩いて紛わせる。そこに小刻みな貧乏揺すりが加わる。
ふと窓の外を見ればドラム缶の焚き火にホームレスがたかっている。虚飾の輝きに包まれた歓楽街の明と暗のうち、暗が担当する世界。
フケと垢にまみれた不潔なホームレスの輪の中に、まだ若い母親と娘がいる。
年の頃は二十代半ばか、暴力亭主から命からがら逃げてきたとおぼしき母親の顔は痣だらけ。
不安げに母と寄り添うむすめの姿に、己自身の過去が重なる。
「いい趣味してんな」
おちゃらけた濁声が回想を断ち切る。
現実に引き戻された劉は、露骨に顔を顰めて呉に向き直る。
「は?違いますよ」
「どっちがタイプ?」
「……いい加減にしねえと怒りますよ」
母親と娘をニヤニヤ見比べての指摘に、さすがに気分を害し一段声を落とす。
「そー過敏になんなって、ただのジョークだろ」
「最低のジョークっすね」
呉が両手を挙げて大人しく引き下がる。
劉はため息を吐き、ドラム缶で暖をとる母子から視線をひっぺがす。
「こないだ出会ったガキのこと思い出してたんです」
「ダドリーの一件か?マーダーズのガキが保護されたって」
「ドギーにゃ引き取らないかとか無茶振りされたんスけどね。スワローの口利きで、アイツの兄貴が居候してる孤児院に引き取られることになって」
「待てよ、なんだってツバメちゃんの兄貴が孤児院の世話になってんだ」
「そこの院長だか神父だかが元賞金稼ぎなんスよ」
「あー……」
呉が複雑な顔をする。劉は続ける。
「ちょうどあの子位の年頃だったんで、くだらねーこと思い出しちまいました」
「会いに行ってんの」
「まさか」
自嘲的な笑みを浮かべ、窓の外の少女に顎をしゃくる。
「あのガキにかかずりあったのはマーダーズの商品だから、それだけです。自分勝手な罪滅ぼし……いや、帳尻合わせです。俺が本当にいい人間なら、今すぐドアを開けて可哀想な女の子に駆け寄ってますよ」
すくいあげる子供と切り捨てる子供を選り分ける正義など正義のうちにも入らない、それが劉の持論だ。ヴィクを助けた理由はただの自己満足、それ以上でも以下でもない。
付け加えるなら倉庫の檻に集団で閉じ込められた子供たちと違い、ヴィクの目はまだ死んでいなかった。
あの時点では。
頭の後ろで手を組んで仰向けた呉が茶化す。
「過去の清算ってヤツか。律義だねェ」
「縁は切れました。もう会うこともねーっしょ、多分」
劉にとってもヴィクにとってもそのほうがいいはずだ。
おぞましい体験は一日も早く忘れた方がいい、願わくばモノ扱いされた過去と共に。
柄にもなく浸る劉の感傷を蹴散らしたのは、呉の盛大に道化た声だ。
「マーダーズってのもけったいな組織だなえぇオイ?お前が連れ帰ったガキは貴重な生き証人だ、当局の連中も躍起になって取り調べたんだがなーんも出ねーでやんの、いーい笑いもんだぜ」
「そりゃそうでしょうよ」
「あン?」
しくじった。
が、一度出てしまった言葉はもどらない。器用に片眉を跳ね上げ促す呉をチラ見、仕方なく補足する。
「……ドジって捕まった下っ端や出荷品がべらべら核心しゃべりまくってたら、とっくの昔に当局に踏み込まれて解体されてますよ。連中は薬と催眠術を用いて出荷品の記憶をいじる。結果、覚えているのは製造ナンバーだけ。もてあそんで殺すのに都合のいい、シリアルキラーのオモチャの出来上がり……それ専門の医者もいる」
「たまげたね」
呉が口笛を吹く。
劉はハンドルに顔を埋め、陰鬱な眼差しをフロントガラスの向こうに投げる。
「マーダーズは慎重だ、ボロがでねーように念には念を入れてやがる。ある程度中核にいる人間は、当局に取っ捕まった時用に奥歯に毒物を仕込んでる。徹底した秘密保持が連中の生存戦略……裏切り者にゃ容赦しねえ」
「体験者が語ると説得力あるな」
「俺だって蟲中天の後ろ盾がなけりゃ今頃どうなってたか……」
「|被害者《ヴィクテム》から|加害者《アサルター》へ……てめぇの人生も波瀾万丈だな、山あり谷あり落差が激しくて目が回る」
「車輪のイカレたジェットコースターのような人生ですよ、一度走り出したら振り落とされねーようにへばり付くっきゃねえ」
フロントガラスに滲むネオンの向こうに華やぐ夜の街が広がる。一体この街に、どれだけの犯罪者と被害者候補が紛れているのか……
ネオンに映えるダークブラウンの瞳をゆるやかに瞬き、思念を過去へ飛ばす。
強盗に母を殺された劉は、着の身着のまま家を飛び出し、以来男娼まがいのマネをして生計を立ててきた。
ある日、そんな劉に声をかけてきた男がいた。
当時の失態を思い出し、劉は苦りきった顔になる。
「……久々のアタリだと思ったんスけどね……」
「テメェの目は節穴だな」
「身なりもいいし、金も前払いで弾んでくれたし」
「じゃートンズラしちまえ」
「ぶっちゃけ悩んだけど……いいヤツぽかったんで、持ち逃げは気が引けたんです」
「救えねえお人好しだな」
「マーダーズの裏切り者なんて誤算でした」
その男は自らに課せられた賞金の撤回と身柄の保護を条件に、マーダーズの情報を当局に売り渡そうとしていた。
が、途中で悪い癖がでた。
彼の正体は十代前半の家出少年を嬲り殺すのが大好きな変質者であり、当局の使いと待ち合わせを控えた前夜、辛抱たまらず歓楽街へ赴き、好みにぴったりハマる劉と運命の出会いをはたしたのだ。劉にとっては思い出したくもない、最悪の出会いだ。
呉が先回りして愉快げにまとめる。
「それを返り討ちにして見込まれたと」
「……裏切り者を始末する部隊……マーダーインマーダーズが追ってきてたんです」
全ては不可抗力だ。
劉に選択肢などなかった。
自分を襲った男を返り討ちにしたのが事故なら加減ができず殺してしまったのも事故で、さらにはそれをマーダーズの人間に目撃され、口封じを兼ねて組織に引き込まれる段に至っては完全に予想外だ。
「単に珍しかったんでしょ。ぱっと見フツーの人間で特殊スキル持ちだと色んな使い道があるんすよ」
熱のない口調と表情で語る劉。
蟲中天には多少なりとも恩義を感じているが、マーダーズにはただただ忌まわしい思い出しかない。蒸し返したくない過去を暇潰しにほじくりかえされ、気分が腐っている。
「マーダーズじゃどんな仕事してたんだ」
「ツマラねー雑用です。賞金首の隠れ家を手配したり身分証を偽造したり……連絡係もやってたけど」
「パシリの年季入ってんな」
「こー……薄平べったくて四角い、ヘンテコな板持たされて。それで連絡とるんです」
手で囲いを示す劉に、シートから跳ね起きた呉がツッコミを入れる。
「はあ?どうやって」
「電話と一緒です。ボタン押すと声が聞こえるんです」
「電話を薄平べったく延ばしたのか。麺棒で?」
「そこまでは……」
「電話線は繋いでねーの?」
「中に入ってんですよ」
「マジか。今も持ってんのかよ」
「割れちまいましたよ、とっくに」
「もったいねー、マーダーオークションに出したら高く売れそうなのに」
「繋がらなきゃただの板ですよ、ネコの爪とぎに回されんのがオチだ」
小遣い稼ぎに欲を出す上司を嘲笑い、ぶーたれた横顔を眺める。
さておき、使い勝手が良い小道具だったのは事実だ。
アレがもっと普及すれば世の中格段に便利になるに違いない、少なくとも呉にドアを蹴破られて叩き起こされずにすむはずだ。
「……マーダーズ関係者の不審死が相次いだせいで、運よく生き残った下っ端もダンマリだ。どんな手ェ使ったのか知りたくもねー」
マーダーズに関しては必要以上に口外したくない。別段惜しい命でもないが、見せしめで処刑されるのは遠慮したい。
その割には呉にぺらぺら喋っているが、繋がりの切れた組織の間接的な脅しより、現在の上司の直接的な仕置きが怖いだけだ。
変な正義感を出して当局にチクる気もなし、マーダーズの内情に関しては墓場にもってく覚悟だ。
『我々はミュータント諸氏の健康と安全を第一に考えております』
「おっと、PPの社長だ。相変わらず髪にポマード塗りたくってんな」
「オリーブオイルじゃないすか」
呉の視線を無関心に辿れば、電気屋のウィンドウに陳列された大小のテレビ画面に、一斉に同じ人物が映し出される。
仕立てのよいスーツを着こなし、一点の曇りなく磨き抜いた革靴を履く、いかにもインテリ風の壮年男性。
見覚えのある顔……先日オークション会場で出会った、製薬会社のCEOだ。
どうやら局の看板ニュース番組にゲスト出演してるらしく、女性アナウンサーのインタビューに淀みなく答えている。
『ファントムペインは我が社が威信を賭け開発した薬です。これさえ飲めば我々の社会に深刻な影響を及ぼすミュータントの暴走もほぼ確実に防げる。暴走の脅威が去れば市民の偏見も薄まり、ミュータントにとって真に暮らしやすい世の中が実現する。それが我々がめざす理想郷です』
『そんなことが可能なのですか、社長?』
「台本通りのリアクションだな」
「やたら肌艶いいオッサンっすね……」
「ディピカ特製細胞活性化ドリンクでも飲んでんだろ」
「ドーピングコンソメスープ?」
「プロテイン注射したか」
「コラーゲンにしときましょうよ」
くだらない小咄をよそに、女性アナウンサーが上品に眉をひそめる。
『もともとミュータントは人道に反する遺伝子操作の産物、彼らの祖先は戦時中に量産された生物兵器。それが長年の交配を経、遺伝子構造はさらに複雑に変化しています。別種の生物ベースのミュータント同士に限らず、ミュータントと人の混血も進む一方。彼らは総じて短命で、五十歳をすぎての生存率は三割未満ととても低い』
「キマイライーターの爺さんはバケモンだな」
「悪魔に魂を売ったんでしょ」
『肉体崩壊と前後して起きる暴走は、キメラの避けえぬ宿命というのが従来の専門家の見解です。私個人としても正直信じられません。ファントムペインの効果は既に実証されていますが、毎日必ず服用せねば肉体の崩壊を防げないのであればいわゆる対症療法に過ぎない懸念を禁じ得ません。専門家の中にはPPの経営方針に疑念を呈す声も強いです。ファントムペンは医療用麻薬のモルヒネと同様であり、それなしでは生きられない中毒者を万単位で量産しているだけだと』
『暗黒バエをご存知ですか?』
『はい?』
穏便にアナウンサーを遮り、優雅に足を組み替える。
泣きぼくろがアクセントの甘いマスクで女性に微笑みかけ、次は視聴者に向かい、カメラ目線で含蓄深く語りだす。
『今から数百年前、普通のコバエ……学術的にはショウジョウバエですか……を闇の中で飼育する実験が、極東の大学で行われました。布で包むなどして完全に光を遮断したシャーレの中でコバエを飼い、その経過を観察するのです』
『はあ』
『実験がどれ位の期間続けられたか、あててください』
『ええと……10年でしょうか』
「5年」
劉がぼそりと呟く。
「37年」
呉がしゃあしゃあと述べる。
「37て半端な」
「端数入れた方がリアルだろ」
『正解は65年です』
もったいぶって社長が答え、劉がさして残念がらずに肩を竦める。
「両方ハズレっすね」
「俺のが近ェから俺の勝ち」
「何の勝負っすか。てか勝って嬉しいっすか」
『半世紀以上……長いですね』
感心すべきかあきれるべきか、話の方向性が見えない困惑顔でアナウンサーが応じる。
『担当者が交代しても実験は継続された。結果、65年後に驚くべきデータが採れました。闇の中で飼育された1400世代にも及ぶハエのゲノムに、5%ほどの変異が認められたのです。ゲノムとはごく簡単に言えば生物の体を作る設計図。匂いを嗅いだり音に敏感になったり、一部のハエは視覚以外の感覚器に頼るようになりました。外見的には微妙に体毛が伸びた程度ですが、肉眼ではわかりませんね』
『たった五%ですか?』
『たった五%、目に見えない微々たる変化です。が、これをもう何十年、何百年と繰り返したらどうなります?やがてハエのゲノムは完全に別物に取って代わられ、全くちがうハエが誕生するのです』
『壮大な話ですね』
あっけにとられたアナウンサーに頷き、両手を広げてみせる。
『我が社が誇る優秀なる研究者たちは、ハエのゲノムに変化をもたらした極東の科学者たちに比肩しうる情熱を注いでミュータントのゲノム解析に成功し、彼らのテロメアにバグを発見しました。我が社が特許を得たファントムペインは現状唯一無二の特効薬です。慎重な治験を繰り返して販売に至り、今では本社があるアンデッドエンドのみならず、大陸全土に出荷され何万何十万のミュータントを救っている……』
流暢な滑舌と心地よく響くテノール、内からなみなみと溢れでる自信。
『ご安心ください。我々はミュータントの、ひいては全人類の味方です』
表情筋の動きから目線の配り方、演説の呼吸に至るまで、自然体を装って最大限の効果を上げるように計算し尽くされた一挙手一投足。
PPの社長は素晴らしく人心掌握にたけている。
『ファントムペインを毎日適量摂取するかぎりにおいて暴走の心配は皆無、ミュータントも普通の人々と同じく日常生活を営めます。将来的には人類と同じ、80歳前後まで寿命を延ばせるデータが出ています。人類はミュータントの脅威に怯えることなく、ミュータントは人類の迫害に怯えることなく、真の共存共栄が実現するのです』
新興の製薬会社を一代でトップにのし上げたカリスマ経営者の言葉が、霊感的な説得力の波紋を広げ、購買層のみならず視聴者すべてを取り込んでいく。
『ファントムペインは全人類の希望です』
「でっかくでたな」
「ミュータントをハエ扱いかよ。裏じゃエゲツねー人体実験してるくせに」
「ウチのお得意さんを腐すなよ」
劉が不愉快そうにぼやき、呉がけらけら笑い転げる。
インタビューの前半で既に飽き、受け答えだけ流し聞いていた劉が渋面を作る。
「……な――――――んか胡散くせえよな」
「直感?」
「耳障りいいキレイごと並べてるだけじゃねっすか。それに……」
テレビ画面にそっけなく顎をしゃくり、付け足す。
「聞いてりゃコイツ、ミュータントと人間を分けて語ってる。人類の範疇にミュータントを含めてねえ」
「へえ」
呉が感心したように目を見開く。
「無意識に差別感情が働いてる……ってのは勘繰りすぎだけど、俺は気に入りませんね」
PPの社長が本当に信用に足る人物なら、人類の中にミュータントを含めて語るはず。
ましてや「普通の人々と同じ」なんて、無神経な言い回しは極力控えるはず。
街を通り過ぎるミュータントの数人がテレビの前で歩調をおとし、近い将来自分もほぼ確実に世話になる薬の宣伝に見入る。
デッドエンドジャーナルは全国放送だ。
今、大陸中に散ったミュータントたちが熱心にこれを聞いている。
「……呉哥哥は身体の調子どっすか」
「なんともねーよ、今んとこはな」
「そっすか」
「暴走で自滅するよか抗争でおっ死ぬ方がまだアリだ。鉄砲玉にタマとられるとか、マヌケな死にざまは願い下げだけど」
呉は典型的な太く短く生きるタイプだ。好きな時に女を抱き、たらふく美味い飯を食べ、先のことは一切考えずに人生を楽しんでいる。
他人の顔色を窺いどおしの劉には眩しくて厭わしい刹那的な生きざま。
だから苦手なんだ、この人。
『貴重なご意見ありがとうございました。以上でPP製薬CEO、フェニクス・I・フェイト氏へのインタビューを終了します。続きましてはアップタウンの動物園で生まれたパンダの赤ちゃんのニュースです。全国3千通の応募の中から厳正な審査を重ね、名前はジャイアントキリング、略してジャイアンに決定しました』
社長と握手を交わしたアナウンサーが粛々と締め、別の話題へ移る。
「|不死鳥《フェニクス》たァご大層な名前だな」
「ジャイアントキリングの方が大層では?」
「ジャイアンはかわいいじゃん」
「えぇ……」
「アンデッドエンドなんて街に住んでる輩に命名センス期待すんな」
「街の住人って決まった訳じゃ……なんでもねっす」
ややこしくなるので意見を引っ込め、フェニクスと口の中で転がす。
「……製薬会社のトップにゃぴったりじゃありません?」
「炎の中から何度でも甦る伝説の不死鳥だもんな」
「しっかし……全国に日々何ダースと出荷して、生産追い付いてるんすかね」
「品薄を見越して買い占めとくか」
「意外と堅実……」
「10倍の値で転売すりゃ大儲け」
「前言撤回します」
「50倍に釣り上げねーだけ褒めろよ」
「品薄の付加価値に甘えるのは程ほどに。経営学の鉄則だって、前に自分で言ったの忘れたんすか」
劉のあてこすりをニヒルに笑い飛ばし、とぐろ巻く蛇が印刷された箱から煙草を抜く。
呉のお気に入りの銘柄、|蛇頭《スネイクヘッド》……快楽天に吹き溜まる東洋人の間では、むかし密航を斡旋していたマフィアの名前をもじってショートゥとも呼ばれる。
呉が一筋紫煙を吐く。
「アレとコレたァ別。ファントムペインは今じゃミュータントにとって必要不可欠なクスリ、現状唯一の画期的な延命薬ときたもんだ。10倍だろうが50倍だろうが100倍だろうが、欲しがるヤツは殺到する。利益が鉄板ならいくら暴利だって許されんのが商売の鉄則だ」
とびきりあくどい笑みを見せる呉にそりゃあ詐欺師の鉄則だろとツッコミたいのをぐっとこらえ、無難な感想にすりかえる。
「……ホント、麻薬とおなじっすね」
「毒と薬は紙一重、切れた時の反動がこえーのも一緒」
ニュース番組は終わり、店頭のテレビでは別の番組が始まる。
バンチがスポンサーとして出資する賞金稼ぎ向けの情報番組で、賞金額や目撃情報が更新される、または新たな犯行を重ねるなど、今週目立った動きがあった賞金首を中心に取り上げている。
『ハーイ、今週もやってきましたバウンティ―ショーの時間でーす!司会進行はこのアタシこと爆乳賞金稼ぎのピンクパンサー・スタンと』
『相棒のブラックパンサー・チャーリーがお送りするYO!』
のっけからハイテンションなブロンド巨乳と、コールタール色の肌をしたのっぽの黒人が踊りだし、タンブルウィードが転がる西部劇風の書き割りバックに茶番を演じる。
『さーて今週のピックアップはなななな、なーんとアンデッドエンドから20マイル西の街でブラックウィドウが目撃された!?』
呉の指がぴくりと動く。
『ちょっとマジっすかそれ、ブラックウィドウといえば惚れた男のペニスをちょん切って持ち歩くヤンデレ賞金首、コレ聞いてる男性諸君はタマヒュン事案っすよ!?』
『スタンちゃんは大分盛ってるけどブラックウィドウが危険な賞金首なのは間違いないYO、彼女の狙いは主に路上で身体を売る娼婦と男娼だ。美しい見てくれと口車にのせられてモーテルに連れ込まれたらジ・エンド、夜明けまでノンストップの拷問タイムのはじまりだYO!』
『でも面食いだからブサイクはお呼びじゃないっス、ブサメンは自動的に安全圏でコングラッチュレイションっス!』
ハリボテのサボテンが生えたスタジオにて、スタンがオーバーリアクションで怯え、マーベルがホワイトボードにブラックウィドウの手配書を留めてくるくる回す。
回転が止むのを待ち、カメラが手配書にズームで迫る。
艶やかな光沢帯びた黒髪を巻き上げて、黒い隈取りを施した切れ長の目は神秘的な紫。口紅は不吉な漆黒。
『ブラックウィドウ・マリー、110件の結婚詐欺と98件の強姦・強盗殺人の容疑で指名手配中。現役娼婦にしてセックス中毒の快楽殺人者、性行為中に相手を酷くなぶるのを好む真性のサディスト。被害者の性器及び肛門にはバールのようなもの、ドリル、スパナ、バーナーなど玩具の他にも多数の異物挿入の痕跡あり。死因は内臓破裂による失血死と大量の薬物を打たれたことによる中毒死オーバードース。ヴィクテムは通り名の由来でもある背中の黒後家蜘蛛の刺青。賞金額は値上がりに値上がりを重ねて驚異の3000万ヘルだYO!!』
『マジっすか、捕まえたら一攫千金億万長者っスね!』
不健康に青白い肌を引き立てる喪服のドレスとレースの長手袋の装いは上流階級の未亡人を思わせる。
沈んだ色彩の中、胸元で輝く大粒の真珠のネックレスが唯一の華やぎだろうか。痩せぎすの長身は肉感的な魅力にこそ乏しいが、貞淑な気品に退廃的な色香を潜ます。
「……哥哥?」
「あ?」
「いや、どうしたんスかぼーっとして」
呉が静かだと不気味だ。うるさすぎる位うるさいのに慣れていると、得体の知れない胸騒ぎが募る。
「あー……懐かしい名前がでたんだよ」
「ブラックウィドウと面識あるんスか?」
「あるも何もコイツは」
その時だ。
「きゃああああああああああっ!?」
「銃撃だ、伏せろ!!」
乾いた銃声が炸裂、続いて電気屋のウィンドウがぶち割られ、鋭利なガラス片が一面にぶちまけられる。
「なっ、」
「伏せろ」
すかさず腕を引かれ運転席の下に転がりこむ。呉の横顔が狂気と殺気にギラ付く。
「敵襲だ」
「鉄砲玉っすか?」
緊張で顔が引き攣る。
一瞬の出来事で何が起きたか混乱している劉をよそに、呉は事態を正確に把握している。
そうっと頭を上げて窓の外を窺えば、銃撃をくらった通行人が胸や腹から血を流し、累々と倒れている。
惨状を呈す現場におもわず舌打ちがでる。
「関係ねーヤツも巻き添えかよ、くそったれ」
「気の毒に、あの電気屋も防弾仕様にしてりゃよかったんだ。保険かけてンの祈るぜ」
硬質な音が爆ぜ、フロントガラスに真っ白いヒビが生じる。放射線状に走る亀裂は紛れもない弾痕だ。
悲鳴をあげて逃げ惑うひとびとがまた一人、また一人と撃たれていく。
劉の頭を掴んで突っ伏し、呉が素早く分析。
「10時の方向に三人、1時の方向に三人の計六人……雑魚だな。本気で俺様ちゃんのタマとりたきゃ倍の倍引っ張ってこいっての」
「言ってる場合っすか、大口径を続けざまに撃ちこまれちゃ防弾ガラス保ちませんよ!」
「んじゃ反撃開始」
「はァ!?」
ピシピシとガラスが歪み粉塵が降り注ぐ中、ヒステリックに喚く劉と対照的に、呉は余裕綽々な態度を崩さない。
「アンタ馬鹿か、全速力で突っ切って逃げるが勝ちが正解だろ!?わざわざ出てくとか連中の思うツボだ」
「ヒトの愛車キズモノにしやがって。生きて帰すのは流儀に反する」
「でも」
「聞け劉。連中、なんで俺がここにいるってわかった」
「…………あ」
「誰かがスケジュールチクらなきゃ待ち伏せなんて乙なマネできねーだろ」
ごくりと生唾を呑む。
「内通者がいるってことか……」
「スパイの正体と連中の正体、野放しでトンズラはうまくねーよな」
呉は待ち伏せや闇討ちを避けるため、集金日ごとにルートを変更している。故に呉と劉が今ここにいることは、身内しか知り得ない事実だ。
裏切り者は誰だ?趙か伊か張か……そろいもそろって品性卑しい悪人ヅラで怪しく見える。畜生、殺るんなら哥哥一人にしとけよ俺まで巻き込むんじゃねえオッサンと心中はごめんだぞ。
プライベートではたいして付き合いもない同僚一人一人を思い浮かべ、疑心暗鬼に駆り立てられる。
『|好《ハオ》』
冷や汗かく部下の隣、シートの下にしなやかに滑り込んだ呉は、懐からもったいぶって拳銃をとりだす。
銃把に蛇が巻き付いた、大口径の二挺拳銃。鱗一枚一枚から瘴気が滲み出すような存在感は、血なまぐさい修羅場をくぐりぬけてきた証左か。
「いまどきリボルバーって……骨董っすね」
「なんで俺様ちゃんがリボルバー気に入ってるかわかる?」
「……かっこいいから?」
「惜しい。ま、及第点はくれてやらァ」
「どうも」
精緻な装飾が施されたリボルバーを両手に構え、飄々と呉が嘯く。
「正解は……安全装置がねーからよ」
呉が反動を付け、両足でフロントガラスを蹴破る。
既に何発も撃ちこまれ、もとから亀裂を生じていたガラスが脆くも砕け散る。
「!?ちょっ、待」
視界一面真っ白に染まる。
劉にとって数少ない幸運を挙げるなら、呉が外へ向かって蹴破ったせいで、降り注ぐガラス片が最小限に抑えられたことか。
ひっかぶったガラス片をぺっぺっと吐き出す劉を背に、フロントガラスから速攻飛び出した呉が車体を蹴って大きく跳躍。
カラフルなネオンに染め抜かれ、長大な放物線を描く先にはアスファルトの地面。
「無茶だろ、いい的だ!?」
路地裏に隠れた敵が呉に一斉掃射、無防備な着地と同時に蜂の巣に―
『|你这个混蛋《くそったれが》!』
即座に不可視の糸を放ち、弾丸が飛来する路地裏へ飛ばす。
全員の注意が呉に向いた、今がチャンスだ。
「うおっ、なんだいきなり!?」
「勝手に肌が切れた、畜生蟲中天のヤツ妙な技使いやがって!!」
地面に這わせた糸から殺気を孕んだ振動が伝わる。
誰がどこに潜みどの方角から撃ってこようとしているか、入り乱れる足音に神経を研ぎ澄ます。
「怪しい術使いやがって、テメェミュータントか!?」
「構わねえやっちまえ、全弾ぶちこんでやれ!」
躓き、走り、逃げる。
糸に乗じ伝わってくる振動を貴重な情報源に、随時移り変わる敵の配置を立体的に思い描く。見えざる糸に翻弄される敵のただ中で一人分の振動が遠ざかりやがて消失、はっとする。
「上です、哥哥!!」
『|我明白了《了解》!』
外付けの非常階段から風俗店の看板へ、身軽に飛び移った敵が発砲。
見事な受け身をとって衝撃を殺した呉は、頭を低めて弾道を躱し、鎌首もたげる蛇の如く右手を跳ね上げる。
「ぐはっ!?」
敵の胸が爆ぜて血が飛び散る。
看板から落下した敵がアスファルトに激突するのを皮切りに、左右の路地から弾丸が飛来。
「そうこなくっちゃな!」
呉は実に楽しそうに笑い、敵の死体を踏み付けて跳躍。
歓楽街の往来にはネオンで飾り立てた大小の看板が無秩序に張り出している。
一番低い看板は6フィートほどか。
それに飛び付いて足を振り、反動でさらに一段上の看板を発矢と掴み、壁をよじ登る蛇の敏捷さで上へ上へ移動していく。
「すばしっけえなアイツ、見ろよあの動き蛇かよ気持ちワリィ!」
「関節ねーみてェにぐねぐねしやがって……スピードも半端ねえ!」
呉にむかって乱射するも、スピードに追い付けない。
呉は一瞬たりともじっとせず、看板を支える心棒を掴んで一回転。
かと思えば股ぐらスレスレに弾丸を通し、ネオン看板の上に降り立って鮮やかなステップを踏む。
「なめてんのか蛇野郎っ!!」
顔や肩や腕を掠める弾丸に大胆に身をさらし、踊るように廻り、跳びはね、腰を捻り、僅か数インチの僅差で当たれば即死の銃撃を回避していく。
上で激しい運動をしてるせいか、多数の弾丸を撃ちこまれたのが原因か、看板が遂に故障し『SHAKE DANCE』の「H」の横棒が不規則に点滅。
代わって斜めにラインが走り、『SNAKE DANCE』の文字列が浮上する。
上空はほぼ呉の独壇場だ。
『SNAKE DANCE』の点滅に合わせて粋に踊りながら左右の手を気まぐれに跳ね上げ、下ろし、振り抜き、地上の敵をいともたやすく撃ち抜いていく。
痺れを切らした敵が路地から踊り出、フロントガラスが砕け散った車へ狙い定める。
「先にツレを片しちまえ、妙なスキル使われると面倒だ!」
「待っ、」
先程の一斉掃射でエンジンが損傷し、ガソリンが漏れている。
引き戻す―間に合わない!糸の回収より一瞬早く引き金が絞られ、音速で弾丸が飛来。
ドアを蹴飛ばし転がり出た劉の眼前でタイヤが弾けガソリンに引火、耳を劈く轟音と共に車が爆発。
「げほっごほっ……無茶苦茶しやがる」
激しく炎上する車から間一髪逃げ出した劉は、炎に煽られ逃げ惑うひとびとの間を縫って手近な路地へ逃げ込もうとしたが、ちょうどその入口に尻もち付いた母子が目に入る。
ドラム缶の焚き火にあたっていた、あの親子だ。
「ひ………ひッ」
恐怖で声も出ない母親と抱き合って震える幼い娘。
「アンタ……」
最後まで言わせず弾丸が飛んでくる。
咄嗟に母子を庇い押し倒せば、すぐ頭上の壁に弾痕が穿たれる。連中、たまたま居合わせた一般人を巻き込むことなんて何とも思ってない。
「た、たすけて。この子だけでも」
劉を連中の仲間だと思ってるのか、地面を蹴ってあとじさる姿に嘗て見殺しにした母が重なり、女に抱き付く娘の凍り付いた形相が、ヴィクや檻の中のガキども、そして在りし日の自分の幻を呼び起こす。
苦渋の面持ちで決断、女の肩を押して路地へと急かす。
「命乞いしてる暇あんならとっとと逃げろ、その路地まっすぐ行きゃ隣の通りにでっから!」
「で、でも」
「早く!」
振り返りざま目に感謝の色を浮かべ、泣きじゃくる娘を抱きかかえ逃げていく母親。
路地の暗闇へ消えた親子連れに舌打ち、入口を背で塞ぐ劉のもとへ足音が殺到、瞬く間に包囲される。
一、二、三……合計四人、四個の銃口がジャキリと劉を見据える。
「あー……その、な。まずは物騒なモノおろそうや?」
早々と両手を挙げて降参、口先で懐柔にかかる。
「あのさ、勘違いしてね?俺はただの運転手、付き人。っていうのもおこがましい雑用係。あの人の秘書でも何でもねーの、皆していたぶったところでおいしいネタなんか出ねえって」
「蟲中天の構成員ってだけで死ぬ理由は十分だ」
「今までさんざんコケにしてくれやがって……」
話が通じない。コイツはまずい。
周囲にきな臭い匂いが立ち込める。
ガソリンとタンパク質の焦げる臭気が混ざった、胸の悪くなる匂い。
「てゆーか知り合いだっけ?どこの組織よお前ら、待ち伏せしてたってこたあスパイもぐりこませてんの、全ッ然気付かなかった」
できるだけ軽薄な、いい加減な口調を装い、へらへら笑って時間稼ぎをする。
「随分と余裕だな……助けにくるって期待してんのか」
「!?がっ、」
まんまと挑発にのせられた敵の一人が劉の胸ぐらを掴み、殴り付ける。
「極悪非道、冷酷無比、卑怯卑劣……それが蟲中天の|混老頭《ホンロウトウ》、|呉 浩然《ウー・ハオラン》の本性だ。役立たずの手下一匹、平気で見殺しにする」
「ミュータントの分際でイイ気になりやがって……目障りなんだよ」
「がっ、ぐっ、痛ッあが」
口の中が切れて鉄錆の味が広がる。一人がこめかみを蹴り付け、一人が鳩尾を蹴り上げ、一人が往復ビンタを見舞い、一人が唾を吐きかける。袋叩き……呉を誘き出す為?
「可哀想に、テメェを見捨てた兄貴分を恨むんだな」
力ずくで前髪を掴み、仰向かせた顔をしたたかに平手打ち。
こみ上げる屈辱と激痛にひたすら耐え、滴る鼻血を噛み締めて耐え、アスファルトをかきむしりさらに耐える。
「その分だとマジでなんも教えてもらってねーのか、笑える」
「よく聞け小僧、あの外道はな……」
頭がクラクラする。瞼の裏がチカチカする。誰かが劉の胸ぐらを引き上げ、耳打ちせんと前傾し―……
均衡は破られた。
「げはっ!!」
劉を締め上げた男が、肩から勢いよく血をしぶかせ倒れる。
「俺の子蜘蛛、返してもらうぜ」
どよめく敵陣の中心、看板から舞い降りた呉が落下の勢いに任せ銃を乱射。
それを凝視し、敵の一人が慄く。
「落ちながら弾込めするとかバケモンか!?」
口に咥えた弾丸を弾倉に詰め、回す。
風切り落下中に無造作に腕を伸ばし、ありったけの弾丸を叩きこみ、無防備な脳天を柘榴に変える。
敵には呉が瞬間移動したように見えるが、それは間違いだ。
劉は呉が助けに来るのを確信し、身を挺して時間を稼ぎ、呉は段々になった看板の死角を縫い、ネオンが消えて翳るタイミングをはかり、すみやかに接近していた。
垂直に落ちた体が宙で屈伸、靴裏を支点に地面へ衝撃を拡散。
蛇の着地はおそろしく静かだ。優雅とすら表現していい。
その静が、刹那に動に移行する。
「はっはァ!!」
およそ三階分の高みから着地した直後のハンデなど微塵も感じさせず、両手の銃を鮮やかにぶん回し、呵々大笑の苛烈な勢いで残党を駆逐していく。
「どうしたボヤっとしてんなよ、まだまだ遊び足りねーぞ!」
「イ、イカレてる……皆逃げろ撤退だ、いくら札束積まれたってンな汚れ仕事割にあわねえよ畜生!」
「ラトルスネイクなんぞに関わったのが運の尽きだ、コイツは最悪の厄種だ、笑いながら虐殺できるキチガイ野郎だ!」
重傷の身でろくに抵抗できない敵一味は銃の台座で顎を打ち抜かれ、お次はこめかみを殴られて、あっけなく昏倒する。
躍動感漲る近接格闘は、ガンファイターの本領発揮だ。
「さて、と。生きてるか?」
「死んでたら返事しませんよ」
劉が顎を拭い、血の混ざった唾を吐く。
「……もうちょい早く助けにきてくれてもよくないすか?」
「いンや、なかなかどーしておもしれー見せ物だったぜ」
「……楽しんでたのかよ。死ね」
「いっちゃん上の特等席から車が炎上するのよーく見えたし」
「序でに花火も打ち上げろ」
「いいねェ、快勝祝いにパーッといくか」
呉に蹴られ不承不承起き上がる。
敵の手前過剰に痛がるフリをしていたが、それとなく急所を守り通したおかげで、ダメージは最小限ですんだ。
「ざまーみろ、こちとら受け身のプロだっての」
あんまり自慢できない自慢を呟き、足をひきずって呉に近寄る。
「コイツらどうします?うっちゃっていきます?」
「面倒くせェな……車が存命ならトランクに一人二人詰めとけるんだが。お前が背負うか?」
「勘弁してくださいよ、足もって引きずるんでギリですから」
幸い、辛うじて命はある。
スパイの存在を炙りだす為、鉄砲玉の正体を突き止める為、ぜひとも身柄を確保しておきたいところだが……
ごぼ、と男が噎せる。
「気ぃ付いた?」
呉がにこやかに笑い、大股開きでしゃがんで覗きこむ。
「悪いがまだ死なれちゃ困るんでな、テメェにゃ聞きてーことがたくさんある。なんで取り立てのスケジュール知ってンの、とか、どこのトンマの差し金だ、とか」
男の瞼が微弱に痙攣、震える片手で弱々しく銃を持ち上げる。
「!」
反射的に一歩踏み出す劉を片手で制し、呉が微笑みを深める。
死に逝くものを看取るような慈悲深い微笑は、されどそこはかとなく粘着質な狡猾さを秘め、男が力尽きる瞬間をただ待っている。
まさしく蛇の生殺し。
「楽にしてやろうか」
「……ッ、ぐ」
「残念無念まだおあずけ。お前はこれからお持ち帰りされ蟲中天の拷問吏に引き渡される、そこで洗いざらい吐いてもらうのよ。ウチの拷問はキッツイぜ、中国ん千年の伝統だかんな。そーそー、蟲中天の由来知ってる?中国の故事・壺中天と古の呪法・蟲毒を掛け合わせたハイブリッド。やっぱな、先人へのリスペクトは忘れちゃいけねーよ。ってことで……則天武后スタイルで四肢切断後に酒壺に漬けられてみる?」
絶句する男を至近で覗き込み、二股の舌を出す。
嗜虐の愉悦に蕩けた声が、ねっとりと鼓膜を犯す。
「あー、則天武后スタイルっても漬けられたのは別人な。たしか王氏と蕭氏……だっけ、皇帝の王妃と側室だよ。則天武后ってなァおっかねェ女でな、うまれたばかりのテメェの娘を殺して、その罪をおっかぶせたんだ。陰謀下毒の罪だとさ。策略家だよなァ……哀れな王妃と側室は酒壺ン中で数日間泣き叫んで息絶えたんだが、そん時放ったセリフがまたふるっててよ。『骨まで酔わせてやる』だとさ」
「……ッ……ッ」
「中国じゃ悪女扱いだが、善政を敷いて民衆にゃ慕われてたとか。気の強ェ女は嫌いじゃないね。それとも……そうだな、蟲毒スタイルで行ってみるか?首から上だけ出して壺に入れて、中を蟲で満たすのよ。毛虫、百足、蜘蛛、蛞蝓……足の先からゆうっくり齧られて、数日後にゃ全身に毒が回る。最後まで生き残ってられっか見ものだぜ」
「悪趣味っすよ哥哥。死にぞこないビビらせて楽しいっすか」
とうとう見かねた劉が口を出し、呉が「ヘイヘイ」と片手を振る。
「後始末は任せたぜ」
「は?哥哥は」
「ひと暴れして疲れた。足もパアになっちまったし、テキトーにタクシー捕まえてくらァ。チップ弾めばトランクに一人二人押し込めんだろ」
「面倒なことは全部俺任せ……」
「お前が引いてくってんならリヤカーでも」
「外道、が」
劉と呉が息も絶え絶えに一声放った男に注目する。
呉が生ぬるい笑みを浮かべ、男の胸板を爪先で軽く小突く。
「無理して喋ると肺痛めるぞ。肋骨折れてんじゃねーの」
「ッ、ぐゥ……蟲中天の|混老頭《ホンロウトウ》、|呉 浩然《ウー・ハオラン》……聞きしに勝る外道だな……」
軽やかに揶揄する呉を殺意をこめて呪い、脂汗が冷えた顔に開き直りの笑みを浮かべる。
「そうやって……テメェの愛人を、ガキの前でブチ殺したのか……」
「え?」
脈絡ない独白に、劉が固まる。
男は苦しげに息を荒げ、今にも落ちそうな手で必死に銃を支え、ブレまくりの銃口で呉の眉間に狙いを付ける。
「賞金首に人質にとられたオンナの頭を、よちよち歩きの娘の前で吹っ飛ばした感想はどうだ?可哀想に、娘はお袋の脳味噌をまともに被って……嗚呼まったく酷ェ話だよなァ、泣ける話だよなァ!なんだよ部下は知らねーか、何も話してねーのかよ?その賞金首だって元ァお前が恨みを買ったヤツだ、オンナは逆恨みで監禁された。えェ、犯されたのか?犯されちまったのか?アハハハハそりゃあ業腹だな、言うこと聞かなきゃガキを殺すって脅されたのかよ可哀想に、生き残った娘もとんだトラウマ背負っちまったな!」
男の告発に衝撃を受け、胸中に動揺の波紋が広がる。
劉はどんな顔をしていいかわからず、横目で呉をうかがって絶句する。
「よく聞け、テメェは死んで当然の屑だ。なんたって娘の目の前で母親の頭を吹っ飛ばした、愛想尽かされたって世話ねェよ。娘は?どうしてる?元気でやってんのか?どんなカオして一緒に暮らしてるのか、ぜひ聞かせてほしいね」
死期を悟った自暴自棄か、心身ともに極限まで追い詰められ躁状態になっているのか。
口角に唾液の泡を噴き、饒舌にまくしたてる。瞳孔は開き、ギラギラと輝く。
「これから先が傑作だ、耳の孔かっぽじってよーく聞け。コイツの娘がいちばん最初に喋った言葉、わかるか?『|妈妈《マーマー》』だ。乳恋しさに頭が爆ぜた死体にとりすがって、|妈妈《マーマー》と……」
男の手首に穴が開く。
呉が無言のまま己の銃口を男の手首に押し付け、引き金を引いたのだ。
「!!!!!!!!!ああァああああァがあああああァあッ」
激痛に悶絶する男。弾丸は骨を砕き、腱を断って手首を貫通し、ブシュブシュと間欠的に血が噴き出す。
銃を放り出して苦しみもがく男の、汗と涙と洟汁と、血でぬめり汚れた顔に銃口を埋め込む。
「よ――――く知ってんな、お利口さんだ」
引き金にゆっくりと指をかける。
「ひあッ、あァっ、手、俺の手が」
「肺活量が続く限りべらべら喋らしてやってもよかったんだが、長話にゃ飽きてきた」
「呉哥哥、殺しちゃまずいですよ!」
呉の肩に手をかけようとし―……凄まじい殺気に気圧され、手を引く。
劉はなんとか踏み止まり、必死の形相で訴えかける。
「殺しちまったらスパイが誰かもわかんねーままですよ、軽はずみなマネやめてください」
ああ、しくじった。
こうなる前にとっとと糸で締め上げときゃよかった、続きを言わせるんじゃなかった。あんなこと、俺だって聞きたくなかったのに。
自己嫌悪渦巻く後悔の念に押し流されかけながら、劉は歯を食い縛りせがむ。
「頼むからこらえて……」
「四肢切断」
呉が無感動に呟き、目にもとまらぬ速さで発砲。男の手足がでたらめに跳ね、四肢がちぎれんばかりに弾丸が撃ちこまれる。
「あとは酒に漬けりゃ完璧だな」
サングラスの奥の素顔は不吉に翳って見えず、うっそりと執念深い声音が響く。
人ならざる灰緑の肌と鱗を、車が噴き上げる炎とネオンの光がおぞましくも美しく照らす。
こんな光景見たくない。
呉は確かに極悪非道で無茶苦茶だが、瀕死の敵をいたぶるような残忍さを発揮したことはなかった。
けれど今。
呉は確かに、笑っていた。
劉が今まで見たこともないような限りなく酷薄な顔で。限りなく薄めた笑みで―
―「|诗涵《シーハン》!!」―
引き金を引く瞬間、切羽詰まった絶叫が響く。
「あ……」
ぺたん、と力なく座りこむ女の子。
先刻劉が逃がした少女が再び舞い戻り、路地からとびだしたその瞬間、銃声に度肝を抜かれる。
女の子を追ってきた母親が心底安堵し、腰を抜かした娘を抱き締める。
「馬鹿っ、どうして勝手に行っちゃうの!」
「ごめんなさい|妈妈《マーマー》……お兄ちゃんが心配で……」
母に縋り付く少女の目から、大粒の涙が零れる。
べそをかきながらも離れたところに立ち尽くす劉を発見、くしゃくしゃになった顔に笑みが戻る。
「幼女にモテモテだな」
呉がしらけて呟き、懐に銃を戻す。
彼の銃弾は男の右耳を付け根から引きちぎり、肌色の肉片に変えていた。
「……尋問する時ゃ左から言わねーと」
なんとも言えない顔でたたずむ劉とすれ違い際、ポンと肩を叩く。
「運べ」
「……了解」
撃たれた脚を掴んで引きずる、という拷問まがいの行いを従容と引き受ける。
本人は気絶してるし、まあ文句は言わないはずだ。
母子のそばを通る際、呉と娘の目が一瞬だけ合い、すぐまた離れていく。
大股に歩く呉に侍り、おずおずと横顔を仰ぐ。
顔半分を艶めく鱗に覆われた異形の男は、返り血のように赤いネオンを受け、ほんの少しだけ寂しげに見えた。
「…………」
聞きたいことは山ほどある。
が、言葉がでてこない。
俺なんかが聞いていいのか。また怒らせるんじゃないか。踏み込んでいいのか。
ぐるぐると雑念渦巻く頭で決めあぐね、漸く口を開く。
「車、残念でしたね」
結局出てきたのは無難な慰め、当たり障りない同情の言葉。
「『残念でしたね』じゃねー、テメェのせいでオシャカだろーが」
「は?ちょ、誤解ですよじゃなきゃ濡れぎぬです。俺は哥哥の時間稼ぎしようとして、痛でッ!?」
「弁償代よこせよ」
「ンなの無理だって、借金まみれで首回らねーの知ってるでしょ」
膝裏に蹴りを入れられ小躍りする劉に鼻をならし、胸ポケットを探って停止。
「……妈妈的。落っことした」
「煙草っすか。メンソールでよけりゃありますけど」
「銘柄は?」
「モルネスっす」
「……仕方ねェ」
尻ポケットに突っ込んでいた煙草を出し、呉哥哥に渡す。ライターを片手で囲って点火すれば、穂先にボンヤリ灯り、劉と呉の顔を等分に照らし出す。
さっきのマジですか。
マジで愛人を殺したんですか。
娘の目の前で―
喉元までせり上がる問いを煙草で封じ、そっぽをむく。
ほんの数十分前まで人ごみで賑わっていた歓楽街の一画は廃墟と化し、ネオン看板が虚しく輝く中、肩を並べて煙草をふかす。
メンソール特有の後味が慣れないのか、いちいち顔を顰める呉にちょっとだけ留飲をさげた劉の耳に、のほほんとした声がとびこんでくる。
「お兄ちゃーん」
ふと見やれば先程の娘がこちらに手を振っている。
「シカトすんな」
ニヤケ面が回復した呉に突付かれ、仕方なく手を振り返す。
母親と手を繋いで去っていく後ろ姿を見送り、呉が訊く。
「ダドリーんとこの商品といい、ガキに好かれる秘訣でもあんのかよ」
「小便くせえガキにモテたって嬉しかありませんよ」
靴裏で煙草を揉み消し、死にぞこないの回収にいく劉の背を見詰め、一人残された呉は夜空に紫煙を送り出す。
「……俺がモテてェのは一人だけだ」
まだ喫える煙草を後方に放り投げ、威風堂々歩きだす呉のすぐ背後で弾痕だらけの看板が落ち、大量の粉塵を巻き上げる。
アスファルトの路面でひしゃげた看板が茶番劇の終演を告げるが如く、ジジジと虫の息の火花を散らす。
『SNAKE DANCE』の文字列が消え、あとには暗闇だけが残った。
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