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love potion前

マフィアの下っ端は損な仕事だ。 「はァ……だりー……」 階段を上る足も嵩む一方の疲労で重くなる。 実際のトコ呉哥哥の側近は|重労働《ハード》だ、労多くして実りは少ねえ。あの人レベルならもっと有能な側近を採用できるだろうに、俺なんかを飼ってる時点で物好きの極み。 まあ退屈しのぎに小突き回せるからちょうどいいのかもしれない、おかげで生傷の絶えねえ日々だ。 二階事務所への階段を上りがてら指折り数えて今日のスケジュールを確認する。 「洗車OK、便所掃除OK、オンナへの月謝払いOK……あの野郎、愛人のご機嫌伺いまで投げんじゃねーよスケをコマすのはテメェの仕事だろーが」 俺はぐったり疲れていた。 絶倫で鳴らす呉哥哥は常に不特定多数の愛人を囲ってる。 多い時は五人、少ない時でも三人。俺が知る限り女が切れた試しはねえ。で、コイツらの家を自由気ままに渡り歩いてやがるんだが、呉哥哥が甘やかすもんだから女どもは付け上がり、やれ新しい服が買いたい宝石が欲しい犬が飼いたい挙句に店を出したいとわがまま放題なのだ。 しかもそれぞれ悋気が激しく嫉妬深いときて、哥哥は今どの女に一番ご執心なのか、最近ご無沙汰だけど心変わりしたのか、小遣いを渡しにきただけの俺にまで絡んできて手に負えない。 呉哥哥は羽振りがいいからまとめて面倒見れるんだろうが、ちょっとは節度ってもんを学んでほしい。 『このカタログにのってる最新旗袍ステキ、シルクだから肌触りも抜群なの。来週の誕生日に欲しいなあダメかなあ?ね、ね、劉からも頼んでよ。無駄遣い?自分磨きよ、スリットから覗く脚線美によろめかない男がいる?』 愛人その1。 『トイプードル飼いたい。名前はもう決めてるんだ、プーやんっていうの可愛いでしょ?したら哥哥がこなくても寂しくないしィ~。ねーお願い買ってちゃんと世話するから劉にお散歩押し付けたりしないから~!だって哥哥全然子作りに乗ってこないしツマんないんだもん、後継ぎ欲しくないのかな?アタシ若くて健康だから二人でも三人でも産んだげるのにさー』 愛人その2。 『哥哥てば最近すっかりご無沙汰じゃない、不義理だってアンタから叱ってやってよ。やっぱり若い子のほうがいいのかしら……聞いたわよ、新しく十代の小娘愛人にしたんでしょ?今じゃそっちに入り浸りだって……何さ若い子に鼻の下のばして、そりゃお肌の張りじゃ負けるけど男を悦ばせる手管ならこっちが断然上よ。さんざん昇天させてやったんだから四十路の年増はお払い箱なんて言わせないわ!』 愛人その3。 『もー帰っちゃうの?ツレないなァ。ね、劉も遊んでかない?バレたら殺される?黙ってりゃわかんないって、万一バレてもその時はその時よ、哥哥は寛容だから命まではとらないって。童貞だって噂ホント?耳にピアスいっぱい、遊んでるふうに見えてこことかここ未使用なの?……あはは赤くなっちゃってかーわいー。リラックスしてよ、かわいがってあ・げ・る』 愛人その4。 呉哥哥はまったく女の趣味が悪い、そろいもそろって性悪だ。年齢はばらばらで下は18上は43、全員綺麗どころなの除いて共通項はねえ。 愛人におさまった経緯も様々で、店から引き抜かれた女優志望、行き倒れてたのを拾われた家出娘、抗争で運悪くおっ死んだ部下の古女房と個性的な面々が揃ってる。 まァあんなアクが強ェののオンナになろうって時点でしたたかなのは言わずもがなだ。 マフィアの幹部は女癖が悪く愛人を囲うのが常だが、呉哥哥は誰とも籍を入れちゃない。認知してるガキも今んとこいないそうだ。 いないそうだと曖昧にぼかしたのは、本人がそっちにてんで興味ねえから。 愛人の中にゃ他に差を付けたい一心で子種をせがむのもいるが本人がちっとも乗ってこねえと愚痴を聞かされた。 女を抱くのは大好きでも自分の種を残す欲はこれっぽっちもねえのだ、あの人は。 案外家族を足枷だと思ってるタイプかも知れねえ、一代限りの無頼漢なら守らきゃいけねえもんを増やすのは厄介だ。 死に際を誰かに看取ってもらおうなんざ毛ほども思ってねえあたり、楽天家と厭世家は紙一重だと常々あきれてる。 俺が一番苦手なのは愛人4だが、言い分は概ね正しい。呉哥哥は基本女に対し寛容な方だ。ただし面子を潰されりゃ別。 それが証拠に金庫番と組んで組織のカネを持ち逃げした売女は見せしめに酷ェ殺され方をした。他の幹部の手前見過ごせねェし、落とし前は必要だった。 『よく聞け、テメェは死んで当然の屑だ。なんたって娘の目の前で母親の頭を吹っ飛ばした、愛想尽かされたって世話ねェよ。娘は?どうしてる?元気でやってんのか?どんなカオして一緒に暮らしてるのか、ぜひ聞かせてほしいね』 階段をのぼりきりノブを掴んだ途端、先日の男の下卑た声が甦る。 「…………」 呉哥哥に娘がいるなんて初耳だ。 最初はハッタリかと思ったが、呉哥哥の顔には紛れもない憎悪が炸裂していた。凄まじい形相だった。 そういやクリスマスの晩に行き会った時、あきらかに不自然な女児向けの人形を抱えてやがったっけ。今思えば娘へのプレゼントだったのか。べろんべろんに酔っ払ってたってこたァ、結局渡せずじまいだったのか。 ガキをこさえようとしねえのは過去の体験が原因か。 『座る時は足を閉じて。開いちゃダメ。あなたは女の子なんだから……』 自分が人の親になるなんて想像できない。なりたくもねえ。 俺なんかのガキに生まれたらきっと不幸になる。 俺は正しい親を知らねえから育て間違って地獄を見せる。 呉哥哥が実の娘にしちまったみてえに…… 「その前に童貞捨てなきゃな……ははははは、はあ」 いらねえ心配かとがっくりうなだれる。 「ただいま戻りました」 気を取り直してドアを開け放ち、面食らった。 「…………夜逃げの準備っすか」 事務所ン中には段ボール箱が無造作に積み上げられていた。今しも三箱分を抱えて横切った呉哥哥が、待ってましたとばかりあけっぴろげな笑顔を作る。 「おー、いいとこ来たな劉」 「は?意味わかんねーんすけど」 「ウチの店に卸す精力剤、発注間違えて多く仕入れすぎちまってさ」 「はあ……」 読めてきたぞ。 「お向かいさんにお裾分けしたらいいんじゃねーんすか。ほらなんてったっけ、とち狂った名前の……ミルクタンクアボンだかって」 「済」 「済かよ。嫌がらせじゃねーか」 「世話んなってるお返しに入口前に積んでトンズラしてきた」 呉哥哥はマフィアの幹部の傍ら風俗店の経営にも手を出してる。 今回は店に卸す媚薬を発注ミスで仕入れすぎちまったみてえで、事務所内のあちこちにダースで放置されてるって訳だ。 「だからって事務所を物置にしなくても……足の踏み場がなくてクソ邪魔ッでえ!?」 言ったそばから段ボールの角に足の小指を痛打し悶絶、片足を抱えて跳びはねる。 滑稽な独り芝居を眺め、呵々大笑した呉哥哥が付け加える。 「文句ゆーな、あぶれた分を引き取ったんだよ」 片隅にドサリと段ボールを置き、蓋を開けて中身を引っ掻き回し、茶褐色の硝子瓶を振る。 見た目は市販の栄養ドリンクと似ている。ラベルには可愛らしくデフォルメされた蝮のイラスト。 「蝮じるしの絶倫ドリンク、聞いて平伏せ蛇帝倫液。一本飲めばおめめもアソコもぎんぎらぎん、抜いても出しても疲れ知らずの超勃起、連続絶頂酒池肉林。へこんでるもんならマンホールにもムラムラして出っ張りならドアノブにも欲情するってなァ優れもんだ」 女郎屋と精力剤は切っても切り離せない。個人的には精力剤を飲んでまで女を抱こうするヤツの気が知れねえが、それはそれだ。男の股間と沽券に関わる譲れねえ何かがあるんだろうきっと。 「ゲロまずなのが難点」 唄うような節回しで宣伝してからネジ蓋を開けて一気飲み。 「あっ!?」 「う゛え、吐きそ。効っくわー」 「無茶よしてください……」 茶色く染まった舌を突き出し顰めっ面、おっかなびっくり段ボールを避けて進む俺をよそにどっかりソファーに掛けて足を組む。 「で、愛人ちゃんたちはどうだった」 「相変わらずっすね、みんな元気してましたよ。|静蕾小姐《シェイライシャオジェ》がトイプードル飼いたいって言ってました」 「犬肉市場にひとっ走りしてこい」 「欲しいのは愛玩犬っスよ」 「犬は犬だろ?飼ってるうちに情がわく。それに雑種のが人懐こくて可愛いじゃん」 「俺見ながら言うのやめてください、ダドリーのクソ野郎思い出す。|宇春小姐《ウーシェンシャオジェ》は新しい旗袍欲しいって」 「こないだ買ってやったじゃん」 「今夏のトレンドらしいっす」 「どーせならエロい下着欲しがれよ」 「……|林杏小姐《リーアンシャオジェ》は最近ご無沙汰で寂しがってました。若い子に目移りしたんじゃねえかって」 「チクってねーだろな?」 レンズを透かしてもわかる、針のような眼光で一瞥され身が竦む。 「しませんよンな命知らずなマネ。まあどっからか漏れてるのは確かっすけど……たまには寄ってやったらどうすっか、飯は一番美味いんでしょ」 林杏小姐はもともと呉哥哥の部下の女房だ。 旦那があっけなく抗争でおっ死んで、育ち盛りのガキ三人抱えて路頭に迷いかけたところを呉哥哥が面倒見てる。 部下の女房を寝取っただのちゃっかり後釜におさまっただの口さがない連中は言いたい放題ぬかしまくり、挙句部下の女房欲しさに抗争を仕組んだなんて疑われちゃいるが、俺が見たとこ後見人の形容の方がしっくりくる。 ……が、未亡人の方は旦那に操を立てようなんて殊勝な気持ちさらさらなく呉哥哥の訪問を心待ちにしている。 「よっしゃ、行くか」 もとよりその気だったのか、呉哥哥が肩を回して立ち上がる。 「車出してきます」 「お前は帰っていいぞ」 「え?」 間抜けな返事に投げてよこされたのは、やんちゃな悪童めいた笑み。 「たまにゃ水入らずでしっぽりやりてーんだ、わかれよ」 車のキーを出して退室しかけたところを呼び止められ、その代わりにと段ボールを三箱押し付けられる。 「っと、とと」 「在庫処分頼まれてくれ」 「はァあ?ちょ、無理だって突然……この量どう捌けってんですか」 「そこを上手くやんのがお前の裁量だろ?ご近所に配るもよし馴染みの娼婦にプレゼントもよし、っていねーかわりぃわりぃ。トイレやドブに捨てンのはもったいねーからなしな、もしやったら丸裸でふん縛った上にちゃんぽん飲ませっから。童貞悶絶イき狂いとか銘打って販促素材売り込みゃちったァ元とれんだろ?心しとけよ、じゃあな」 重さによろける俺に清々しく無茶振り、すかさずキーをひったくるや意気揚々とでかけていく。 ノブに手をかけると同時に振り返る。 「そうだ、|璃茉《ヤ―イー》はどーしてた」 『哥哥にはナイショだよ……』 「…………別にどうも。早く哥哥に会いたがってましたよ」 顔を赤らめて俯けば、おめでたい上司は「そっかそっか俺様ちゃんてば大人気で参っちまうぜ」と真に受けて、二股に分かれたいやらしい舌をチラ付かす。 「いっそ下の方も二本に分かれて欲しい位だ」 股が裂けて死ね。 「あれ劉、どうしたのその箱」 アパートに帰った俺は、ご近所住まいの賞金稼ぎの片割れと廊下で鉢合わせする。 「重そうだね。手伝おうか」 「ああ……マジ助かるわ頼む、腰が死にそうだった」 親切心から申し出て、段ボール一箱分を抱えるモッズコートの男の名前はピジョン。一応、俺のダチだ。 タイミングよくやってきたエレベーターに二人して乗り込む。運がいい事に今日は珍しく故障してねえ。エレベーターの中は落書きや煙草の焦げ跡だらけ、床にゃガムや吸い殻がこびり付いて不衛生だ。 「でかけてたのか」 「マーケットに弾薬買いに」 「スワローは一緒じゃねェの」 「あちこち飛び回って巣作りしてる」 「名は体を表すってなァ本当だな」 「最近スロットにハマってるんだ、派手にスッてこないよう祈りたいね。これ以上家計を圧迫されたら全食マカロニ&チーズになる」 拗ねた横顔を見せるピジョンに心から同情。俺は上司、コイツは弟。放蕩が過ぎる身内に苦労かけられっぱなしで嫌になる。 よく見ればモッズコートの片ポケットが膨らんで、新聞紙に包まれた固形物がちらっと覗く。アレが弾薬か。 見た目は物腰柔らかい優男だがその筋じゃ結構有名な狙撃手なのだ、コイツは。 段ボールを落とさないようしっかり抱え直して疑問を呈す。 「これ何?やけに重くてガチャガチャいうけど……割れ物?」 「栄養ドリンク」 飲めば元気になる薬だからこの説明で間違っちゃない。 「ダース買いしたの?」 ピジョンが素で驚き、同情の眼差しでしみじみと俺の顔を観察。 目の下のどす黒い隈を見詰め、さもありなんと納得して頷きやがるのがなんかすげえムカツク。 「過労で倒れそうな顔色。ちゃんと食べてる?夜は寝れてる?相変わらずキツいのか仕事、やっぱり辞めた方が……おっかない上司にいじめられてるんだろ」 「うるせェな太れねー体質なんだよ」 好奇心を刺激されたピジョンが段ボールの中をごそごそ漁り、一本抜き出してから裏返し、細かい字が印刷された瓶の説明書きを注視。 「珍しいラベルだな。蝮じるしの……残念、漢字は読めない。色々と有り難い効能が書いてあるんだろうね、快楽天の仕入れ品?」 「よく効くって評判なんだと。一本でギンギンに」 「貰おうかな」 「え?」 ドン引きする。 ピジョンが情けなさそうに苦笑い、精力剤がぎっしり詰まった段ボールを覗き込む。 「張り込みで徹夜することよくあるし、ライフルの整備や撃ちっぱなししてるとどうしても宵っぱりになりがちで。屋上借りれるのは夜だけだし」 「昼は洗濯物干してて使えねーもんな」 「練習場として使わせてもらえるだけ有り難いけどね。よく効くんだろコレ、一本でギンギンに冴えるって言ったじゃん。ラベルの蛇も二頭身で可愛いし、実はちょっと興味あったんだ漢方って。中国四千年の神秘を体感したい」 「ああ…………」 「こんなにあるならちょっと位……って、怖い顔だな。さすがに図々しかったか、気に障ったんならごめんよ」 「いや、引き取ってくれんなら助かる。間違えて買い過ぎちまってさ」 「気を遣ってる?」 「いや全然なんも逆に真面目に助かっから。引き取り手見付かって恩の字だ」 「よかった。でも一箱は気前よすぎ、こんなに貰えない」 「遠慮すんな、スワロー被害者の会筆頭の俺とお前の仲じゃねーか。困ったときはお互い様、実は俺も心配してたんだよお前最近調子悪そうだし」 「え、そうかな初めて言われた」 「鏡見ろ、目の下に隈できてる。朝帰りの弟待ちぼうけて寝オチ?その顔図星かよ美しい兄弟愛に涙がちょちょぎれるぜ。一本飲めば一日中元気いっぱいヤる気満々、残弾尽きるまで撃って撃って撃ちまくれることうけあいよ。せっかくだからスワローにもくれてやれ、一日中ギンギンでハッスルできんぞ」 「ほんと悪いって、いくら劉がいい人だからってそこまで甘えられない」 「悪くねえってのわかんねー奴だな腕が痺れっからとっととお払い箱にしてーんだよ!」 おんぼろエレベーターが縦揺れ激しく上昇して目的階に到着、軽快なチャイムと共に扉が開く。 翻意する前に慌てて言い切り、一箱を抱えたまま躊躇するピジョンを半ば強引に押し出す。 「飲んだら感想言うよ、お楽しみに」 他人を疑うことを知らないピュアな笑顔と感謝の言葉をよそに、無慈悲に閉じた扉に凭れてずり落ち、後からこみ上げてきた半端ない罪悪感の荒波をひたすらに耐え忍ぶ。 「どうなっても知らねーぞ俺は」

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