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Snow flakes
「今年のクリプレは毛皮のコートがいいなあダーリン」
「了解ハニー」
「畜生フライドチキン売り切れだ、バッドラックコートの鳩でもむしるか」
「超エロい下着ゲットしたから今夜は楽しみにしてて」
「当店ではクリスマス期間限定特別サービス実施中、ミニスカサンタのかわいこちゃんに乗っかられたい旦那衆は寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
「そこのお父さん、家で待ってる奥さんやお嬢ちゃんにプレゼントは買ったかい?まだ?それはいけない!うちじゃ大人のおもちゃのワゴンセール中だよ、聖夜の営みはもちろん乱交パーティーの余興にもってこい、回転式パラソルバイブレーターの噴水芸をご覧あれ!」
サンタの仮装をした看板持ちが風俗の呼び込みをし、様々な人種と性別の組み合わせが腕を組み、どっさり買い物袋を下げた家族連れがチープなイルミネーションが鈴生る雑踏をのし歩く中、アダルドグッズのワゴンセールに目をやりゃ、トナカイの角を生やしたデブが声を張る。
するとパラソルを模したバイブレーターがドリルみてえにぎゅるぎゅる旋回、先端から真っ直ぐに水が吹き出す。
「ビデ内蔵で膣洗浄もばっちりの親切設計、一本いかが?」
バイブの先端から間欠的に上がる噴水に野次馬がドッと沸き、パフォーマンスがウケた店主がドヤ顔をキメる。
「水の温度は調整可能、色を付けても目に楽しい優れもの。次はレインボーカラーの噴水で一発」
店主の音頭にのっとって、バイブレーターがピュッピュッとピンクや青の水が撒き散らす。品性下劣な野次馬たちは大盛り上がりだ。
「開発者は頭イカレてんな。大人の玩具に自由な発想と遊び心求めんじゃねーよ」
とち狂った馬鹿騒ぎを遠目に眺め、愚痴が漏れ出さねえように煙草で栓をする。
なんだって年に一度のイブにバイブレーターの実演セールスを拝まなきゃいけねえんだ?前世で聖遺物に小便ひっかけたとしか思えない、ツキのなさを呪いたくなる。
人の不幸は蜜の味の反対語、即ち人の幸せはニコチンの味。口ん中に満ちる苦味が、世を拗ねた俺に現実のやるせなさを教えてくれる。
背徳の都、アンデッドエンド。またの名を掃き溜めの街、死なずの行き止まり。
退廃を極めた末、住人が軒並み塩の柱にされたソドムの話を思い出す。が、死なずの行き止まりにわざわざ天罰を下したがる物好きはいねえらしい。いくら熱心に罰しても蔓延る悪徳にきりがないんで、さすがの神様も諦めたんだろうか。
根腐れたモノを根絶やしにした所で、汚染された土地に奇跡は実を結ばない。
悪趣味な誘蛾灯さながら、けばけばしいネオンで飾り立てたモーテルに消えてく恋人たちを車ン中でカウントしてたら突如として衝撃が走る。
「!わっ」
後部シートにふんぞり返ったクソ上司が、足癖悪く運転席の背凭れを蹴り付けたのだ。パイソンレザーのゴツいブーツなんで反動がすごい。衝撃で咥えていた煙草を噛む。
咄嗟にハンドルに取り付き、振り返りざま猛抗議。
「何すんすか突然」
「しんきくせえ顔すんな、俺様ちゃんの運転手が不満か?ご指名もらえて光栄だろ、もっと喜べ」
「人出が多いなって眺めてただけっすよ」
「テメェから立ち込める淀んだ空気とモクのせいでイブだってのに滅入っちまうぜ」
「……スイマセン」
アクセルを踏み、ゆっくりと車を出す。
折角のイブの晩に、俺は呉哥哥の運転手を仰せ仕っている。バックミラーをちらりと一瞥、後部座席の上司を観察。
気まずい車内の空気を変えようと、無難な話を持ちかける。
「今日はまた一段と気合入ったお召し物っすね」
「サンタコスじゃなくて不満?」
「いえ……」
「テメェにおもしれー帽子被せてもいいんだぜ」
「勘弁してくださいよ」
別段世辞じゃない。
実際呉哥哥は、蛇柄ファーのロング丈コートにパイソンレザーのブーツでしゃれこんでいた。指には最低五本の指輪が輝いている。ショッキングピンクに染めたベリーショートの髪といいアホくさいサングラスといい、存在自体が猥褻物陳列罪のような男だ。長生きしてえなら絶対お近付きになりたくねえタイプ。
なんの因果か、俺はこの人に気に入られてる。
前に理由を聞いたところ、「舎弟ン中じゃテメェが一番安全運転で暇潰しに向いてんだよ」と人権を踏みにじる回答をもらった。死ね。
「年に一度のクリスマスだもんな。愛人ちゃんたちを悦ばせてやりてーじゃん?」
「車ン中でエンジン切って待たされる身になってくださいよ、寒くて凍えちまいそうだ」
「ガソリンは貴重だかんな、節約だよ。俺様ちゃんが帰って来るまでマッチ売りの少女よろしくライターの火であったまってろ」
「ンな殺生な」
思わず弱音を漏らす。
クリスマスは毎年恒例、呉哥哥の愛人巡りに付き合わされる。
蛇のミュータントなのと無関係じゃないのか、精力絶倫で知られる呉哥哥は、この時期になると別宅に住まわせてるオンナ一人一人を訪ね、それぞれにプレゼントをくれてやるのだ。
オンナが欲しがる物はさまざまで、ドでかい宝石だったり毛皮のコートだったりブランド物の香水だったりする。
もちろん、ただプレゼントを贈るだけで済むはずがねえ。ヤることはきっちりヤる、というかむしろこっちが本命だ。
てな訳で、オンナどものリクエストにこたえたプレゼントをトランクに詰め込んで出発してから早半日。呉哥哥はどうだか知らねえが、俺はぐったり疲れていた。身体より先に精神がまいってる。
「もーいい加減にしてください、何が哀しくて哥哥とオンナがあんあんしてる間ぼっちで見張ってなきゃいけないんすか。そーゆープレイっすか。おまけに喘ぎ声クソうるせえし、近所迷惑って概念あるんスか」
「イブは無礼講だろ、近所のヤツも知らんぷり」
「鉛弾で黙らすのがマフィアの流儀っすもんね」
誰もマフィアの幹部とその愛人に噛み付く度胸がないのだ。理不尽な世の中。
俺は口を尖らせぼやく。
「|静蕾小姐《シェイライシャオジェ》のプレゼント、アレでいいんすかね」
「犬は犬だろ」
「快楽天の狗肉市場で手に入れた雑種じゃないですか」
「喜んでんだからいいじゃん」
「トイプーと雑種の区別は付くっしょ」
「新種のトイプードルって言ったら真に受けたろ。実際何分の一か血は入ってっかも、アフロみてえにボンバヘッてたじゃん」
「さすがは二枚舌から先に生まれたガラガラ蛇っすね」
「雑種はいいぜ、タフで賢ェし番犬にもなる」
「だから俺を手元においてんですよね、前に聞きました」
「ちったァ利口になったみてえだな」
言おうとしたセリフを先取れば、背凭れに両手を回し、呉哥哥が剽げた笑いをたてる。
思わせぶりな物言いからすると、カネを惜しんで食肉専門の狗肉市場から調達したわけでもねえようだ。この人なりに考えがあんのか。
「あっちのが脂がのってうめえじゃん」
前言撤回。
「愛玩犬を非常食にするオンナいねーでしょ。まあ喜んでっからいいのかな……いいのか」
静蕾は「きゃーかわいい、よろしくねプーやんママだよー」と、呉哥哥が狗肉市場から連れてきたワン公にこっちがドン引く勢いで頬ずりしていた。臭くて不潔な毛玉にキスする女心はわかりたくねえ。
どうでもいいが、呉哥哥は絶倫だ。セックスは激しくねちっこい。早漏だったらものの数分で済むところ最低一時間は切り上げないときて、待ってる方は拷問だ。延々一刻もベッドが軋む音や女の喘ぎ声、どうかすると大人の玩具がフル回転する音やスパンキング音を聞かされ続ける羽目になる。
「|宇春小姐《ウーシェンシャオジェ》、|林杏小姐《リーアンシャオジェ》、|璃茉小姐《ヤ―イーシャオジェ》……全員回りましたね、これにてお役御免っすか」
指折り数えておさらいする。長い一日もようやくおしまいだ。
呉哥哥がカネに飽かせて甘やかすもんだから、愛人どもはわがまま放題付け上がり、宝石だの服だの香水だの高ェのばかりねだりやがる。嵩張る物は俺が運ぶ。クローゼットを一人で運ばされた時ゃ地獄だった。
さて、帰って寝るか。
運転席に衝撃が走る。また蹴られた。
「馬鹿言え、シメが残ってる」
「え?」
背凭れを掴んだ呉哥哥がぬっと乗り出し、凄みを含んだ顔で脅す。
「今から言うことよく聞け劉。ボケたことぬかしたら殺すぞ」
「……な、なんスか」
「本命に何贈る?」
「は?」
「だから本命だよ、テメェん中で一番のオンナ」
予想外の質問に盛大に動揺、首をねじってまじまじ上司を見返す。冗談を言ってる気配はない。むしろ不機嫌そうな、俺が見た中じゃ一番真面目な顔をしてるとさえいっていい。
この人、真剣な顔もできんのか。
「……俺、童貞なんすけど」
「知ってるよ」
「女が苦手な事は」
「だから童貞だろ、耳タコだよ自己申告」
「女嫌いの童貞にその質問ていやがらせっすか」
はあ~あ。呉哥哥が特大のため息を吐き、がっくりとうなだれる。だしぬけにひやっこい手が咽喉に触れる。
呉哥哥が俺の首に手を回し、顎を力ずくで上向けたのだ。
俺の脈をとりながら二股の舌先を出し入れ、ねちっこく耳打ちする。
「使えねーなあ。色恋沙汰に限らねーでも、そこそこ生きてりゃ忘れられねーオンナの一人二人いんだろ」
「ぐ……るし、哥哥やめ」
「オンナが喜びそーなもん聞いてんだよ俺は」
「ど、どんなオンナっすか。それによって違ってきますよ」
「あー……それもそーだな」
喘ぎながらなんとか答えれば、呉哥哥が一旦引き下がって後部シートに凭れる。首をさすって咳き込めば、背後から朗々とした声が流れてくる。
「年は若ェ。すげえ若ェ」
「今の愛人よりもっすか」
「比べ物になんねーな。で、まあなんていうかアレだ。ピュアだ」
「ピュアね……」
呉哥哥の口から出ると違和感しかねえ言葉だ。
呉哥哥は腕組みをし、パイソンブーツの踵でリズムをとりながら続ける。
「性格は内気ではにかみ屋、引っ込み思案だな。それでまあ、優しい子だよ」
ピュアで内気ではにかみ屋、おまけに引っ込み思案……呉哥哥の好みからますます遠ざかっていく。
「好きな物はなんすか」
「わかんねーから聞いてんだろ」
「なんで俺に聞くんすか、少なくとも哥哥のが知ってるでしょうに」
呉哥哥がシートからずり落ち気味に追憶。
「……覚えてる限りじゃ|糖葫芦《タンフール》」
「初耳っすけど」
「中国のさんざし飴だよ。ラムネみてーに甘酸っぺえ、赤くてまあるい実が連なる見た目も可愛くて気に入ったんだろ」
「覚えてる限りってことは随分会ってないんすか」
「聞かれたことにだけ答えろ、殺すぞ」
「じゃあ|糖葫芦《タンフール》でいいんじゃないすか、快楽天行きゃ売ってるでしょ」
「数年前の好みまんまの物をやっても芸がねえ、クリスマスの特別感もねえ」
「無難に花とか宝石じゃだめっすか?きらきらぴかぴかしたの好きっしょオンナって」
「馬鹿にしてんの?」
「だって哥哥の愛人は」
「あァ゛?」
「なんでもねっす」
口答えすると殴られそうだったんで沈黙。
唇から抜いた煙草を指の谷間に預け、いいアイディアをさがそうとフロントガラスに視線を投げた瞬間、それが浮かぶ。
「スノードームなんてどっすかね」
「スノー……?」
今度は呉哥哥がサングラスの奥で目をぱちくりする番だ。
ンなもん見た事も聞いた事もねえとすっとぼけた反応の上司に、手振り身振りを用いて説明する。
「ガラスのドームっすよ。中は水で満たされてミニチュアの人形や街が入ってる」
「どうやって遊ぶんだ」
「基本飾るもんです」
「口に入れて大丈夫なのか」
「入らねーし噛み砕けねーでしょ、万一漏れてもただの水だから安心です。てのひらサイズで値段も手頃、観賞用インテリアにもってこいで世界中にコレクターがいるとか。ひっくり返すとパッと雪が散ってキレイだから女子どもは喜ぶんじゃねーかって」
外しただろうか。
呉哥哥の機嫌を損ねれば車から蹴りだされても文句は言えない。固唾を飲んで上司のリアクションを待てば、腋の下から嫌な汗が滲みだす。
「それだ」
少しだけ寿命が延びた。
呉哥哥が軽快に指を弾き、こっちに身を乗り出すや、両手を使って俺の髪の毛をわしゃわしゃかきまわす。
「でかしたぞ劉、褒めてやる。テメェにしちゃ悪くねー案だ」
「はあ……どもっす」
命拾いはしたものの、素直に喜んでいいかどうか微妙な褒め方をされる。
「んじゃとっとと出せ」
「どこへ」
「スノードームをおいてる店に決まってんだろ」
再び後部シードにどっかとふんぞり返り、尊大に顎をしゃくる。仕方なくアクセルを踏んで再発進、スノードームがおいてありそうな店をめざす。俺の知識の範囲内だと、快楽天の片隅の骨董屋しかない。
バックミラーに映る呉哥哥は、こっちに無防備な横顔を向けて車窓を眺めている。サングラスの弦が遮る目元で、縦に切り込みが入ったインぺリアルトパーズの瞳孔が光る。
哥哥が大人しいのは珍しい。
大人しすぎて不吉だ。
コイツは口から先に生まれてきたような人で、しょっちゅうくだらない冗談を言っちゃ大人げなくはしゃいでいるのに、今はどこかよそよそしい雰囲気さえある。
シリアスな呉哥哥なんて、ぶっちゃけ慣れてねえからそわそわする。
長引く沈黙に痺れを切らし、走行音のみが流れる車内で質問。
「あの……聞いていいっすか」
「あんだよ」
「どうして俺に相談を」
「知り合いン中じゃテメェが一番まともそうだったからな。他のヤツはろくでもねえ」
「他の連中にも聞いたんすか。なんて答え」
「大人のおもちゃに惚れ薬、三角木馬にシースルーのエロ下着」
「はあ……」
確かに、論外だ。
指にはめた指輪に返り血がこびり付いている。半殺しにした時に飛び散ったに違いない。
いくら鈍い俺にもだんだんと事情が呑み込めてきた。呉哥哥に落ち着きがねえわけも、なんで俺に特別なオンナへのプレゼントを聞いたのかも、どうして他の舎弟が殴られたのかも。
俺が気付いた事に気付いたのか、呉哥哥が唐突に話題を変える。
「暇だな。着くまで面白ェ話するか」
「どんな話っすか」
あえて何も気付かねえふりでのってやれば、皮肉っぽい笑みを顔中に浮かべ、伝法な口調で話しだす。
「ある所にオンナがいた。若くてべっぴんで気が強えオンナだ。オンナは街角で客を引く娼婦だったが、強欲なポン引きにピンハネされるのに怒って、別の仕事にしてほしい、なんでもやるからと直談判した。オンナが立ち上がったのは我が身可愛さだけじゃなく、不当に搾取される仲間のためでもあった。ポン引きは最初てんで取り合わなかった。たかが売女と軽んじて、殴る蹴る暴力で言うこと聞かせようとした。ところがどっこい、オンナは引き下がらなかった。何度もくり返し直談判され、とうとうポン引きは折れた。別の仕事をあてがわれることが決まったオンナは、仲間たちと手ぇとりあって大喜び」
話の切れ目に一息吐いて、俺の背凭れを人さし指でトントン叩く。
合図の意味を正確に解し、口から抜いた煙草を渋々渡せば、呉哥哥は「いい子だ」と微笑んでそれを唇に挟む。
オレンジに爆ぜる穂先から立ち上る紫煙が天井に淀み、緩慢に渦を巻く。
「ここで終わりゃあめでたしめでたしでしめられたんだが、そうもいかねえ。オンナの新しい仕事は、ポン引きの知り合いんちにガキを送ってく事だった。オンナは喜んだ、もともと子供好きだったからな。楽しい仕事だった。後部シートではしゃぐガキどもに、ハンドルを握ったオンナは即興で面白い話を聞かせ、連中が知らねェ歌を教えてやった。一人は男、一人は女。兄妹だったのかな……ガキどもはミュータントだった。獣の耳としっぽが生えてたが、それ以外は人間とおんなじ。ガキどもの親が留守の間知人に預けるだけだと聞かされた女はなァんも疑わなかった。仕事をはたした数日後、テレビのニュースでガキどもの写真を見た。下水に流れた死体。犯され、苛まれ、殺されていた」
穂先から灰がぱら付く。
「その時んなってオンナは知った、自分がなにをやらされたのかを。なにをしちまったのかを。直後、ブチギレた女は銃を引っ掴んでポン引きんちに殴り込んだ。びびりまくったポン引きは洗いざらい白状したよ。コイツはミュータントのガキを変態に売り付けて、そのアガリで暮らしてたんだ。オンナはポン引きの頭に銃を押し付けキッチンまで歩かせると、ヤツの前でミキサーのスイッチを入れて言ったんだ。自分の手を切り刻むか、脳髄吹っ飛ばされるか選べって」
呉哥哥がピストルを模した人さし指で虚空に向け、「バン!」と銃声をまねる。
「ポン引きの兄貴が駆け付けた時ゃひでー惨状、キッチンにゃ血と肉が飛び散って掃除が大変。オンナは銃を持ったまま、逃げるでもなく突っ立ってたよ。肝が据わってたんだな……マフィアが噛んだ仕事をほかして、テメェがどうなるかもとうぜん想像付いた。その上でこうのたまったのさ」
『このクズが二度と子供たちに手出しできないようにしただけよ』
「手がズタズタになりゃ手出しできねーってオチ」
「……その話のどこに面白がる要素あるんすか、胸糞悪ぃだけだ」
我慢して最後まで聞いたのを後悔、苦りきった顔で恨み言を吐けば、そんな俺の反応すら予想済みだったようで、呉哥哥が清々しげに爆笑する。
「イイ女だろ?俺なら惚れちまうね」
その通りなのだろうきっと。
笑い所がわからない胸糞悪い話をしている間、呉哥哥の口吻にはまるで昔話でもしているような、懐かしげな感傷が漂っていた。
「お前は?ねェの、おもしれー話」
「……おもしれーかわかんねーけど、やけに印象に残ってる話なら」
「聞かせろ」
唇をなめて前を見る。言葉を選んで話し出す。
「……ある所に仲の悪い夫婦がいました。母親は淫売、父親は無能。夫婦はしょっちゅうけんかをしていました。二人には子供がひとりいました。小さい男の子です。夫婦は男の子を邪魔くさがり、喧嘩のたんびに当たり散らしちゃクローゼットに押し込めました。ある日、夫婦喧嘩の真っ最中に強盗が入ります。お仕置きと称してクローゼットに閉じ込められた男の子は、扉の外で何が起きているかわからず、ただひたすら息を殺しています。強盗は夫婦を縛り上げて金目のモノをあさったあと、隠してるのはこれで全部かと、ナイフを突き付けて脅します。嘘を吐いたら命はないと迫られ、クローゼットを背にした二人は首を横に振り続けます。クローゼットの中身を怪しんだ強盗は、そこにカネが隠されているに違いないと邪推し、ナイフを持って向かっていきます。男の子は暗闇でじっとしています。その時、男と女は父親と母親になりました。二人はそこに何もないと口々に言い張り、男の子を閉じ込めたクローゼットを庇います。子供を守る為に共同戦線を張ったのです。両親はおたけびを上げて強盗に挑み、あっさり殺されてしまいましたが、最後の力を振り絞ってクローゼットに押し被さり、自分たちの子供を守り抜きました。おしまい」
「美談かそりゃ」
「いい話っしょ」
刺激が少なく退屈だったのか、呉哥哥が些か鼻白み、「で、生き残ったガキはどうなった」と詮索。
「どうなったんスかね。元気でやってるといいんすけど」
そんなガキ、本当はどこにもいない。
俺の体験を下敷きにした創作だ。
聖夜に奇跡が叶うなら、アンデッドエンドで自由を手に入れた今の俺は、あの人が生き返るのを望むだろうか。
「ド腐れ夫婦が最後の最期に共同戦線組むってなあオチとして悪かねェ、クローゼットにゃ少なくとも骸骨よかいい物が入ってた訳だ」
「でしょうね。着きましたよ」
呉哥哥の奔放な声に相槌を打ち、ブレーキを踏んでスピードを落とす。車を停めたのは快楽天の街角にひっそりたたずむ、古風な店構えの骨董屋だ。
「行き付けかよ」
「入るのは初めてっすけど、行きがけにショーウインドウにおいてあるの見たんですよ。ほら」
店の一面に張られたガラスに顎をしゃくれば、レトロなスノードームが大小数個陳列されている。中にはもっとありそうだ。
先頭に立ってドアを開けると、涼やかに澄んだベルが鳴る。
年季の入ったカウンターにゃ萎びた爺さんが一人、安楽椅子でうたた寝していた。
チャイムに反応してうっすら目を開け、しゃがれ声で挨拶する。
「いらっしゃい」
「ニーハオ爺さん、スノードームはどこだ」
「真っ直ぐ行って奥の棚です」
「謝謝」
礼を述べて先へ進めばまたもや舟をこぎだす。迎えの近い年寄りをこき使うのも気が咎めるんで俺が案内役を兼任する。
「こっちですって」
時が止まったような店だ。
店内には埃っぽい木製の棚があり、アンティークな壺だの瓶だのオルゴールだの人形だの柱時計だのが犇めいている。
入口から真っ直ぐ行って突き当たりの棚、その中段におめあてが待ち構えていた。
「へー、これがお前が言ってたのか。逆さにすると雪が降んのか、おもしれェこと考えんな」
呉哥哥が適当に掴んでひっくり返すと、冬の街を精密に再現した箱庭に白いかけらが吹雪く。
「見ろ劉、よくできてんな。ちっちぇえ人間もいる、橇のってっからサンタか?」
目を輝かせて仕掛けに見入る横顔が、子供っぽくて微笑ましい。
「ンだよ」
「別に、なんでもねっす」
この人を可愛いと思う日がくるなんて衝撃だ。いや、正確には可愛げがあるか。
呉哥哥は飽きずに右へ左へ揺らしちゃまたひっくり返し、スノードームをシャッフルする。そのたび新しい雪を降らしちゃ、静穏なガラスの世界をのぞきこむ。
「面白えっすか」
「まあな」
「ホントに一度も見たことないんすか」
「キレイなもんはな」
ガキの頃から汚ェもんをとことん見飽きて、綺麗なもんはあんまり拝めなかったと。言葉にできない憧憬と、羨望と名付けるには遠い思いが滲む横顔で噛み含める。
「で、どれがいい」
「そこまで俺に選ばせるんすか……自分が決めてくださいよ」
うんざりして判断を投げる。というか、この人が決めなきゃ意味がねえ。
呉哥哥は拗ねたように下唇を突き出すものの、お仕置きは俺の膝裏に蹴りを入れるだけにとどめ、じっくり手にとって一個一個検分しだす。
スノードームを見立てる顔は真剣そのもので、ひたむきな父性があふれだす。
「女の子が気に入りそうなのっていやクリスマスツリー、サンタ、ログハウス、トナカイ、ウサギ……ああくそ、沢山ありすぎてわからねー!」
「売り物投げないでくださいよ、壊したら弁償っすよ」
「るっせ、わかってら」
今まさに腕振り抜いて床に叩き付けようとしたドームを大人しく定位置に収納、視線を奥に移す。前列のドームに阻まれ見難かったが、奥には一回り小さいのが埋もれてる。
「観覧車っすね、珍しい」
呉哥哥がむんずと掴んだのは、雪降る広場に聳える観覧車の模型が入ったガラス球。
「これにするわ」
「え」
即決だった。
「いいんすか他の見なくて」
「いーのいーの俺様ちゃんピンときたの」
「ドームん中じゃけっこー色物っすよ」
「かまわねェよ」
めずらしもの好きの呉哥哥は、観覧車が中心にある小さな世界をいたくお気に召したようだ。
会計をしにカウンターへ向かいかけた呉哥哥が、虚空に投げ上げたドームをあざやかにキャッチする。
「……観覧車にのっけてやるって約束したんだよ、昔」
はたしてそれは誰と誰がいた昔なのか。
俺の知らねえ過去の断片をほのめかすや、肩を窄めて笑いだす。
「覚えちゃねえだろうけど」
「わかんないですよ」
呉哥哥には隠し子がいる。
『これから先が傑作だ、耳の孔かっぽじってよーく聞け。コイツの娘がいちばん最初に喋った言葉、わかるか?妈妈だ。乳恋しさに頭が爆ぜた死体にとりすがって、妈妈と……』
以前捕らえた刺客の呪詛をまざまざ思い出す。
目の前で母を撃ち殺され、心を壊して孤児院に保護された娘は、父と交わした幼い日の約束を覚えているのだろうか。
俺はあの時、たまたま運転手兼ボディガードとして現場に居合わせた。
呉哥哥と愛人の間にできた娘の存在と、手放すに至る経緯を知っちまった。
沢山の舎弟や愛人を侍らし、高級車を乗り回すマフィアの幹部。
そんなヤツが世界で一番とまで豪語する、他の誰とも比べ物にならねえオンナへのクリスマスプレゼントを相談できるのは、結局の所俺しかいなかったのだ。
「どんだけ不器用だよ」
ったく、振り回される身にもなってほしい。新しい愛人と勘違いして、大人のおもちゃだの過激なランジェリーだのを勧めたアホどもに同情する気はまるでおきないが。
頬にチラ付く苦笑の切れ端がバレねえように俯いた時だ。
棚の端っこ、ちょこんと置いてあるスノードームが目にとまる。
「あ……」
嘘だろ、と唇が驚きを紡ぐ。
「どうした」
「いえ……昔うちにあったのとそっくりだったんで」
呉哥哥が大股に引き返してくる。俺は片手に持ったスノードームを目の位置に翳し、じっくりと細部まで確かめる。見れば見るほどよく似ている。
何の変哲もない、雪だるまと丸太小屋の模型が入ったスノードーム。
鼓膜の裏側に懐かしい会話が甦る。
『おかえりなさい』
『ただいま、ごめんねイブなのに遅くなって。いい子で待ってた?』
『本読んでた。なあにそれ』
『プレゼント。お仕事の帰りに通りのお店で見かけたの、とっても綺麗でしょ』
『うん、すごいすてき』
『揺らすと雪が降るの、ロマンチックよね。あなたにあげる』
『謝謝、だいじにする。……あのね✕✕』
『どうしたの可愛い子』
『大好き』
今の今まで忘れていた。
あの人がまだ壊れる前、そんなクリスマスの記憶もたしかにあったのだ。
玄関のドアを開けた瞬間、コートを脱いだあの人が俺の手に持たせてくれた小さいドームと目の前の商品が重なって、一瞬自分がいる場所がどこかわからなくなる。
子供の頃にもらったスノードームはあの家に置いてきた。持ってく暇なんてなかった。
全部全部、いらねェ過去は捨ててきちまった。
あの家がどうなったか、家の物がどうなったかは知らない。あの人の死体がどんなふうに処理されたか、どこの墓地に葬られたかすら知らねェのだ。
もし俺が置き去りにしたスノードームが売っ払われ、偶然入ったこの店の棚に流れ着いたのだとしたら。
「量産品の安物だから似てて当たり前なんすけどね。ちょっと懐かしくなっちまって」
気の抜けた笑いをあげ、ドームを元の棚に戻そうとする。
もし俺の妄想が当たっていて、これがガキの頃にもらった実物だとして、だからなんだ。
どうせ思い過ごしだ。真実なんかどうでもいい。あの人を見捨てて逃げてきたくせに、今さら感動の再会を気取れってのか?くそったれた神様に、恵んでもらった奇跡に感謝しろってのか。
「……そんだけです。そんだけ」
かじかんだ手がかすかに震える。
ドームを床で叩き割りたい衝動に辛うじて耐えれば、呉哥哥が俺の手からひょいとそれを取り上げ、クリスマスソングを口ずさみながら会計に持っていく。
「ちょ、な」
「何ってクリスマスプレゼントだよ」
俺から没収したドームをポンポン器用に弾ませ、挙句は同時にお手玉し、やんちゃっぽく歯を剥いて振り返る。
「俺様ちゃん今夜は大盤振る舞いだろ」
「だってそんな、悪いっすよ」
「ボーナスはもらっとけ」
呉哥哥が紙幣で支払いを済ませ、「釣りはやる。メリークリスマス」と爺さんの肩を叩く。後を追って店を出るなり、片方のドームを半ば強引に押し付けてくる。
「あいよ」
「でも」
「思い出のブツなんだろ」
「……かもしれねえってだけです」
「もらっといたほうが可愛げあるぜ」
哥哥なりの感謝のしるしだろうか。それ以上断るのも気が引けて、並べて出した両てのひらにドームをいただく。
嬉しいのか哀しいのか寂しいのか疎ましいのか懐かしいのか恋しいのか、感情が渋滞して言葉が詰まる。
手の中のガラス球から、あの日の雪だるまが見上げてくる。
「……謝謝」
クリスマスプレゼントをもらうのは何年ぶりだ?
それがよりにもよってこの人なんて、皮肉な巡り逢わせに笑えてくる。
「にやけちまうほど嬉しいかよ、キメェな」
呉哥哥がこそばゆげに失笑し、雪の日の観覧車を閉じ込めたガラス球を目の上に翳してほれぼれ見詰める。
今度はちゃんと渡せるのだろうか。
道のど真ん中にたたずんで車中の話を回想、あれが哥哥と最高にイイ女の馴れ初めのような予感に駆られ、うぶな俺は次第に落ち着かなくなる。
|掃き溜め《アンデッドエンド》に雪は降らない。
この街に奇跡のワゴンセールは似合わねえ。
『プレゼント、ほんとはちがうのお願いしたの』
呉哥哥にどやされながら愛人巡りをしてる時。
犬が粗相したトランクを半泣きで掃除する俺の隣に来て、|静蕾小姐《シェイライシャオジェ》がしんみり言った。
『哥哥にも手に入らねェ物があるなんて傑作だな』
腕まくりして臭ェ小便を拭き拭き、笑って茶化す俺と並び、何分の一はトイプードルかもしれねえ雑種をやさしくなでる。
『子供が欲しいって言ったの』
雑巾がけする手を止め、犬を抱くオンナに向き直る。
『優しいのよ哥哥は。どうせ不幸にするだけだから絶対子どもは作らないって決めてるの、私たちがどんなに欲しがってもね』
俺はまだ、この人のことをなんにも知らない。
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