8 / 46

8 いつか泣いてくれますか?

 良輔が居なくなったであろう時間を予測して、シャワーを終えた俺は、部屋へと戻ってきた。火照った肌に化粧水をたっぷり叩いて、使い捨ての美容マスクシートを顔に貼り付ける。 「ふぅー、気持ちーっ」  ひんやりしたマスクシートは心地良い。爽やかな香りも気に入っていた。 「ったく、心配症なんだから」  背中を伸ばしながら、良輔を思う。あんな風に心配されては、やりにくいじゃないか。 (そんで、あながち的外れでもないんだよな)  良輔の不安を、苦い気持ちで思い出す。  俺は――監禁された経験がある。誘拐と言った方が良いかもしれない。 『泊めて欲しいんだけど』 『――っと、急に……そんなことを言われても……』  中学の頃だ。常に夫婦喧嘩をしている両親と、都合が悪いとすぐに家を出てどこかに消える父親。残されたヒステリックな母親に、何度「あんた、あたしのこと笑ってるんでしょ!」と叩かれたか解らない。  そんな家に居たくなくて、友人の家を点々と泊まり歩いていた。ついには泊めてくれる友人の当てがなくなり、殆ど会話をしたこともないクラスメイトを訪ねて断られ、「そりゃそうだよな」と、途方にくれてコンビニで時間を潰していた時に、その男に声をかけられた。 『どうしたの? 家出? 良かったら、家に来る?』  俺は男だから、なにもされないだろうという気持ちと、何か危ないことをされるだろうな、という気持ちが、両方あったと思う。両親が泣いて心配するところなんて一ミリも想像できないのに、心配させてやれという気持ちがなぜかあった。まだ、期待していたんだろう。  俺は男に連れ去られ、五日間監禁された。その五日間で、俺は男の味を覚えた。 (アレを、軽くは考えてないけどさ)  怖い思いはしなかった。結局、俺はそっちの人間だったから、いずれ覚えていたと思う。けど、殺される可能性だってあった。解ってる。良輔が言いたいのはそういうことだ。 (そりゃ、解ってるけど)  良輔はこっち側じゃないから、そんな風に思うんだ。必死に俺を日差しの方へ連れていこうとしてるけど、俺は結局こちら側にズブズブと浸かっている。  いつか惨めな死に方をしたって、仕方がないと思うのは、悪いことだろうか。立派に生きなきゃ人間らしく死ねないというのなら、俺は人間じゃないのだろう。  両親に見捨てられ、兄弟も親戚も居ない自分の死に様は、誰も見送ったりはしない。本当に、誰も居ないんだから。 (ああ、でも)  もしかしたら良輔は、見送ってくれるのだろうか。  あの男なら、「馬鹿が」と言って涙を流してくれそうだ。 「……良輔より先に、死なないとな」  フッと笑って、俺はマスクを剥がしてゴミ箱に放り投げた。    ◆   ◆   ◆  朝飯を食いに食堂に向かう。うちの寮は専属で管理栄養士を雇っていて、社員の健康を管理しているとかなんとか。とにかく、安い、上手い、健康的の三拍子が揃っているので、俺も大抵は食堂利用だ。お弁当も作ってくれれば良いのに、と密かに思っている。  腹回りを気にして野菜中心、穀物なしのスタイルを数年貫いているが、いまいち理想の体型にならない。酒が悪いんだろうな。うん。  トレイにサラダとヨーグルト、野菜ジュースを取って席を探していると、良輔たちが座っている席を見つけた。丁度一席空いている。 「おはよー」 「おはよう」 「おう」 「おはようございます」  良輔の向かいに座っているのは、同じく同期の星嶋芳。その隣に我が寮での人気が高い美人、上遠野悠成だ。星嶋と上遠野はタイプが違う人間だが、馬が合うのか良く一緒に居る。俺的には色白美人で仕事も出来るとか、嫌味過ぎて近寄りたくないって感じだ。あの肌、俺にくれないかな。  じっと見ていたら星嶋に「なに見てんだ」という顔をされた。 「お前、また草ばっか食ってんの」 「ダイエット中~」  星嶋が言うのにそう返すと、良輔が眉を寄せてこちらを見る。 「何で、太ってないじゃん」 「二の腕ー? 顎のラインー?」 「てめぇは女子か」  星嶋は呆れたようだった。良輔は不満そうだ。どいつもこいつも、男がダイエットとか気に入らないらしい。 「今時男子は体型とか気にしなきゃですよねえ、上遠野さん」  上遠野からの掩護射撃を期待した訳ではない。先程から一言も喋らずに、聞いているのか居ないのか解らない顔で澄ましていたので、話を振っただけだ。見目は良いが、親しくなれそうな雰囲気のない男だ。どうして星嶋と仲が良いのか解らない。  俺の声に、上遠野は顔を上げて綺麗な顔で薄く微笑む。 「そうだよね。若い男子とかは特に、体型とか気にしてるんじゃない?」 「そうなんですか?」  良輔は未知の世界のようで首をかしげる。良輔は上遠野に対して敬語のようだ。確か、一つ歳上だった気がする。 「うん。お肌の手入れとかもね。過度なダイエットは良くないけど、健康に悪くないなら良いと思うよ?」  意外だ。上遠野は理解あるタイプだったらしい。もしかしてあのツルツルもちもちの肌も、何か手入れしてるんだろうか。 「上遠野さんも何か手入れとかしてます?」  しているのなら、是非とも教えて欲しい。潤いとか、ハリとか、是非。 「あ、いや、おれは特に何かしてるってわけじゃないんだけど」  はい、敵認定ー。  なにもしないでその肌とか、敵じゃん。  思わず睨みそうになった俺を遮り、星嶋が箸で指す。 「渡瀬はなんかやってんのか」 「うるせーな、やってるよ。洗顔、シートマスクは朝と夜、化粧水に乳液、クリーム。あと目元用美容液だろ……」 「メチャクチャやってんな」 「やっててこれなんだよ!」  ダンとテーブルを叩いてレタスを口に運ぶ。本当に腹立たしい。 「気にする必要あるか?」 「止めておけ良輔。言うだけ無駄だ。本人が気にしてんだから」  星嶋はよく解っているようだ。周囲にいくら「平気」って言われたって、俺が嫌なのだ。白くてスベスベの肌が羨ましいのだ。 「うーん……」  良輔は納得が行かない、といった様子だった。 「人は見た目が九割って言うだろ。中身がどうのこうの言っても、最初に懐に入れなきゃ終わりよ」 「……営業だから?」 「なんでも」  良輔はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、結局それ以上はなにも言わなかった。

ともだちにシェアしよう!