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終章
あの日から数日が経過した。あの後、音もなく姿を消した二人をアーティとリヒテルヴェニアは診療所内を慌ててあちこち探して回ったらしく、戻るや否や二人仲良くアーティに説教される羽目になった。リヒテルヴェニアは特に口を出すことはしなかったが、アーティを止めもせずに眺めていた辺り、同様に心配していたのだろう。
あの従者については、ペルナから連絡が入った。テイルラの証言をペルナに書面で送ったところ、それを元に従者を問い詰め、相応の処理をしたとのことだった。侯爵家がどうするかは知らないが、ペルナの方からテイルラにはもう手を出すつもりはないらしい。どちらにせよ、二度とテイルラをあのような目に遭わせることはしない。別の刺客が送り込まれようと、テイルラはこの手で守ると誓った。
数日かけて、テイルラの体からすっかり毒は抜けていた。それでももしもの時のことを想定し、しばらく診療所に入院することになり、テイルラはリヒテルヴェニアの世話になっていた。
そして、今日。テイルラは晴れて退院する。退院後はシャトンには戻らず、アダマスの屋敷で生活するとあれから二人で決めた。入院中にテイルラの私物は運び込んだため、屋敷で生活する準備は整っている。後はテイルラ本人が回復するのを待つばかりの状態だった。
現在、アダマスは診療所までテイルラを迎えに来ている。アーティと共に退院の支度をしているテイルラを待合室で待ち焦がれるアダマスに、声をかけたのはリヒテルヴェニアだった。軽く何気ない言葉を交わしていると、「そういえば」とリヒテルヴェニアはアダマスを見やる。
「結局、テイルラをつがいにはしてやらねェのか?」
「あぁ……、いや、それが認められるまで待つことにした」
「なんだ、テイルラまだ怒ってンのか」
「もちろんテイルラもだが、それだけではない。……アイツの、『保護者』もな」
リヒテルヴェニアの眉がひくりと跳ねる。次いでフンと鼻を鳴らしたリヒテルヴェニアは、「俺は厳しいぞ」と口の端を吊り上げた。「望むところだ」と笑い返したアダマスの瞳に、もう迷いはない。逃げないと、決めたのだから。
「そうだ。実はな、『つがい』についての話には続きがあってな? 昨日こないだの論文の写しが届いて、全文を読んでみたンだよ。そこに記述されていたのは『魂のつがい』についてだ」
「魂……?」
「正味、俺は運命だとか奇跡だとか不確かなものは好かん。ンなもんあるなら医者はいらねェんだ。……だが、目の前で本物見せられたら信じざるを得ないな。……『魂のつがい』、それは、運命だ。発情とか理性とか関係なく、本能的にお互いのフェロモンに惹かれあう。言葉通り、魂で繋がったつがいだとよ」
「俺とテイルラがそれだと?」
「実際にお前はこれまで性的興奮を知らなかったのにテイルラを魅力的に感じたんだろう? テイルラもそうだった。お前と出会ってからこれまで以上にフェロモンを噴出しところ構わずお前を誘おうと躍起になった、違うか?」
言われてテイルラとのこれまでを改めて思い返す。リヒテルヴェニアの言う通り、テイルラを特別に感じた瞬間など何度もあった。少し前まで、アダマスはそれらをテイルラの特殊な性によってもたらされたものと信じて疑わなかった。
「……違う」
「へぇ?」
「実際のところはそうなのかもしれない。確かに、最初は体に惹かれた。アイツが纏ったフェロモンに惹き付けられ、初めて性的な魅力を感じ取った。抱きたいと、感じた。だが、最早そんなものはどうでもいい。運命だろうと、本能だろうと、俺は今、『テイルラ』という存在を愛している。それがすべてだ」
「そうかィ、それなら野暮だったな」
テイルラと出会ったことは、テイルラに惹かれたことは運命だったのかもしれない。それでも、本当の意味でテイルラがアダマスを、アダマスがテイルラを選んだのは運命でも本能でも何でもない。お互いが、お互いに惹かれたから。愛したい、愛されたいと願ったから。理屈では説明できない、心の交流が導いた本物の愛だ。
「アダム! あれ、なんか先生と話してたのか?」
「ん、少しな」
そうしている内に、テイルラがアーティと共に診療所の奥から姿を見せた。アダマスを見つけたテイルラは分かりやすく表情を明るくし、ぴょこぴょこ耳を揺らしてアダマスへと駆け寄っていく。その耳を、あのリボンが飾っていた。まだ片足を庇っている様子はあるが、星を瞬かせる瞳は明るく、それだけで全快が伝わってきた。兎というより子犬のようなテイルラの耳の付け根を撫でてやると、嬉しそうに頭を手のひらに擦りつける。そんな仕草だけでアダマスの表情は緩んでいく。こうして寄り添いあえることがどんなに幸せなことか。
アダマスはアーティから荷物を受け取ると、テイルラに一言「帰るぞ」と声をかける。テイルラはまだアダマスにくっついていたかったようだが、「屋敷に戻ればいくらでも撫でてやる」と告げるや否や「早く帰ろう」と今度は元気よくアダマスの手を引いた。素直なものだ。
アーティとリヒテルヴェニアに頭を下げ、アダマスは診療所を出る。後に続いていたテイルラは、入り口付近でふと立ち止まり、二人を振り返った。その視線は、まっすぐリヒテルヴェニアに向かう。
「……ルナリア、おじさん」
「は……、な……っ!」
当然実の名を呼ばれたリヒテルヴェニアは見たこともないほどの動揺を見せ、慌ててアダマスを見る。テイルラのそれを話す心当たりなどアダマスしかいない。
「んー……、なんかそわそわする。やっぱり、先生のままでもいい?」
「っ、……ふ、はは、好きにしろよ」
「うん、……先生、今度、いっしょに母さんのお墓参り行こうよ」
「……あぁ、そうだな」
静かに微笑んだ、温かなリヒテルヴェニアの瞳に、テイルラは屈託のない笑顔を返す。
そして、テイルラは診療所の外へと足を踏み出す。広い世界へ飛び出したテイルラはリボンを揺らし、待っていたアダマスに飛び付く。
「帰ろう! アダム!」
空は雲一つない快晴。今夜の星空は、さぞ美しいことだろう。
アダマスは、今そこにある確かな温もりを受け止め、二度と離すまいと強く抱きしめた。
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