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第3話 先輩と一緒に飲み屋へ
フェリックスがマコトを連れてきた店は、居酒屋のような店だった。
店内では、職人風の大柄な男たちが木製のジョッキを豪快に煽ってはガハハと大きな笑い声を漏らしている。もしかすれば、ラクード地区には職人の工房が多いのかもしれない。
マコトは飲み屋が苦手だ。
上司たちに無理やり連れて行かされた飲み会を思い出す。
上司は、マコトが下戸だと分かっていて一気飲みをさせようとするのだ。
けれども、彼に連れられて足を踏み入れた居酒屋はきらきらと煌めいて見えて、なんだかワクワクする。飲み屋特有の喧噪が、心地良く感じられるのは初めてだった。
ここが異世界の居酒屋だからだろうか。
(それとも、先輩と一緒だから……?)
フェリックスは明るくて、信じられないほど優しい人だ。
彼と一緒ならばどんなところも楽しく感じられるだろう。そう思われた。
そうだ、きっと彼と一緒だからワクワクして感じられるんだ。
二人はテーブル席に向かい合って腰掛けた。
「マコトがどんな料理が好きか分からないから、色んな料理を注文しておくな」
「はい! あ、あの、僕、お酒はあまり飲めなくて……」
彼はお酒を飲むのが得意な人だろうか。
もし彼が自分と一緒にお酒を飲むことを楽しみにしていてこのお店を選んだのだとしたら、がっかりしないだろうか。お店に入る前に申告すべきだったろうか。
やらかしたかもしれないという恐怖に、心臓が嫌な感じに鼓動する。
「じゃあマコトの分は果実水か何かにするか」
彼は不快に思うでもなく、さらりと答えた。
途端に、詰めていた呼吸ができるようになったような感覚を覚えた。
そんなマコトの様子に気付く様子もなく、彼は店員に注文をしていく。
やがて二人のテーブルに、料理が並べられていった。
パンともナンともつかない穀物を焼いたもの、豆と肉の煮物、正体の分からないペースト状の白いもの、卵状の謎の物体、肉の串焼きなどなど……名前は分からないけれどどれもこれも美味しそうな匂いがする。食欲が刺激され、お腹がくうと鳴った。
マコトの分の飲み物は葡萄ジュースが運ばれてきた。
フェリックスの前に置かれた木杯にも似たような色の飲み物が入っているように見えたが、温かな湯気が立っていた。
「それって何の飲み物が入っているんですか?」
「異界には葡萄酒ってないのか?」
彼は驚いた顔をした。
温かそうな飲み物はワインで間違いないようだ。
「あ、葡萄酒なんですね。この世界では温めて飲むものなんですか?」
「そうだよ。香辛料とか蜂蜜とか入れたりもする」
「へえ……」
お酒なんて苦くて値段が高いのに、飲まなければ大人扱いされない理不尽な飲み物だと思っていた。
けれども彼の言葉を聞いていると、温かい葡萄酒というものに興味が湧いてきた。
「なんだか美味しそうですね。お酒は苦手ですけれど……試しに一口だけ飲んでみたいです」
「ああ、いいぜ」
彼が木杯を差し出してくれた。
「すみません、ありがとうございます」
木杯を受け取ると、葡萄酒の温かみが杯ごしにじんわりと伝わってくる。
マコトが木杯に口を近づけると、湯気と共に葡萄酒の香りが鼻を擽った。
葡萄に、刺激的な香辛料の匂い、くらりとしそうなアルコールの匂いと、それからほのかな木の香り。
(ワイン樽の香りなのかな……?)
少し匂いを嗅いだだけで頬が火照ってきたような気がする。
マコトはゆっくりと杯を傾け、葡萄酒を一口口に含んだ。
葡萄酒を舌の上で転がし、味わってから飲み下した。
「どうだ?」
「……僕にはやっぱりお酒は苦すぎます。あはは」
豊潤で複雑な奥行きを持っていそうに感じられたそれは、口に含んだ途端強すぎる苦味に塗り潰された。アルコールから苦味しか感じ取れない自分の味蕾が恨めしかった。
「でも、温かい葡萄酒の方がなんだか香りが良かったように思います。香りは結構好きです」
「そうか、オレもこの香りが好きなんだ」
マコトの言葉を聞いて、彼はぱっと顔色を明るくさせた。
「貴族ならお抱えの魔術師の一人や二人いるから夏でも冷やした葡萄酒を飲んでたりするけど、オレは温かい葡萄酒の方が好きだな。香りが優しい気がして」
「優しい香り……」
同じ感想をマコトも抱いていた。
暖かくて優しくて――――なんだか彼に似ている。
(そっか、この世界には冷蔵庫がないんだもんね。冬なら冷たいお酒を飲めるのかな)
自分の葡萄ジュースに口をつけてみると、常温だった。
これが普通なのだろう。
ともかく、この世界にも四季が存在することは知れた。
「さ、料理に手をつけようぜ」
「はい、いただきます!」
彼に勧められて、両手を合わせ食事を始めた。
まずは比較的味の想像できる、豆とお肉の煮込み料理に手をつけてみることにした。赤いスープに浸されていて、トマトスープみたいで美味しそうだ。
匙でお肉に触れてみると、ほろりと柔らかく崩れて簡単に掬い取ることができた。匙を口まで運ぶ。
「はむっ」
肉の旨味が口の中に広がり、柔らかいお肉は溶けるように消えていった。
「美味しいです!」
「お、じゃあこの世界で好きな料理がまず一個できたな」
「好きな料理一個目……」
好きな料理一個目。
その響きに、心臓がドキドキとする。
自分はこれからこの世界で、好きなものを増やしていけるんだ。
その事実に気が付いた途端、まるで今までずっと止まっていた心臓の鼓動が動きを再開したかのようだった。
思えば、社会人になってからというもの好きなものが増えたことなどあっただろうか。
今までは死んでいたようなものだったのかもしれない。
手違いで召喚されてきたこの異世界で、第二の人生が始まるのだ。
この瞬間、初めてそのことを自覚した。
「えっと、その、それは何ですか?」
フェリックスが今しがたパンにつけて食した、白いペースト状の物体を指し示して尋ねた。
「これはサジ豆をすり下ろしたものだよ。さっき食べたやつにも、サジ豆が入ってただろ?」
マコトは目を丸くして、煮物の豆と白いペーストとを交互に見比べる。
ペーストの正体が今しがた食べた豆だなんて。
彼の真似をして、ナンのように薄いパンをちぎってペーストにつけて口に運んでみる。サジ豆のペーストはクリーミィでパンによく合った。
「……早速、好きな料理第二号ができました」
この世界で生きていこう。
そして、好きなものをたくさん増やしていこう。そう思えた。
マコトは次々と他の料理にも手を伸ばした。
黒い卵のように見えた物体は、ミンチ肉の素揚げだった。緑の葉野菜が目にも鮮やかなサラダは、フレッシュで美味しかった。羊肉の串焼きも美味しかった。たこ焼きのような丸い揚げ物を口に入れてみたら、甘くてビックリした。
そんなマコトを、フェリックスは暖かく見守っていた。
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