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第13話 秋の訪れと宝石獣
暑かった夏が終わりを告げ、風は少しずつ涼しくなっていく。
秋の訪れだ。
秋になると、街中であっても自然の移り変わりが感じられる。
見覚えのない草花が増え、見覚えのある木々も葉の彩りを変える。
異世界の紅葉は青紫色に近い。見慣れない色の紅葉が美しくて、マコトは通勤中つい上を見上げながら歩いていた。
「ひゃわっ!」
何かを踏んづけたマコトは、つるっと滑って道のまんなかで転んでしまった。
起き上がったマコトはまず、眼鏡の心配をした。よかった、割れてない。
「それにしても何が……」
何を踏んづけたのかと道を見下ろすと、黒くて丸い石のようなものがたくさん散らばっていた。
まさかここで黒真珠のネックレスをバラバラにしてしまった貴婦人でもいたのだろうか、と慌てて一個拾ってじっと見つめてみる。
近くで見ると、黒真珠というほど光り輝いてはいなかった。
他のも拾ってみると大きさも形もまちまちで、綺麗な丸いのもあれば楕円形のもある。
石は思いの外軽かった。石とは思えないまるでプラスチック製のような軽さだ。
「どうしよう……」
宝石のような貴重品には思えないが、自然物にも見えない。
困ったマコトは、一つ残らず拾い集めて誰かに尋ねてみることにした。
ポケットが黒い石でパンパンになった。
「おはようございます!」
冒険者ギルドに出勤したマコトは、元気よく挨拶した。
今日は受付仕事の担当だったはずだ、と黒板に書かれたシフトを確認する。
「よ、マコト!」
「あ、先輩!」
振り向くと、フェリックスがそこにいた。
マコトは顔を輝かせた。
誕生祭の屋台巡りは楽しかった。
あれからもたびたび二人で食事に行ったりなどしている。
あの時のように妖しい雰囲気になったり、顎をくいっとされたりといったことはない。あれは一体なんだったのだろう。
「そういえば先輩、これ道で拾ったのですけれど……」
マコトはポケットから黒い石を取り出した。
「マコト……! まさかポケットに詰まってるもの、全部これか!?」
彼は黒い石を目にすると、たちまち真剣な表情になった。
「は、はい……。なんかまずいこと、しちゃいました?」
「いや、なんだ、その……ふふっ」
マコトは彼の肩が震えていることに気がついた。
笑いを堪えているのだ!
「なんで笑うんですかー!」
「あっはははは、ごめんごめん、シイの実でポケットいっぱいにしてくるなんて子供みたいで!」
「ええ、これ木の実なんですか!?」
マコトは驚いて、黒い石を見つめた。
光沢が木の実っぽく見えなくもない。木の実であれば、軽さにも納得だ。
「シイの実はカーバンクルの大好物なんだよ。今度山にそれ持って一緒に行こうか? 野生のカーバンクルとお友達になれるかもしれないぞ」
「カ、カーバンクル……!」
マコトはキラキラと目を輝かせた。
カーバンクルと言えば、物語の中では可愛らしい小動物として描かれることが多い。
想像して、期待に胸が膨らんだ。
「はい、ぜひ行きたいです!」
「じゃあ今度の週末は一緒にハイキングだな。この間みたいに、グリュっちで迎えに行くぜ」
そういう経緯で、フェリックスと一緒にハイキングに行くことになった。
待ちに待った週末。
マコトは暖かい上着を着て、グリュっちの背中に乗せられていた。
初めて乗せてもらったときのようにマコトが前で、フェリックスが後ろから手綱を握っている。
高速で空を飛ぶグリュっちに乗って風に嬲られていると、結構冷える。
出発前に暖かい上着を着こむようにフェリックスに言ってもらえて、助かったとマコトは思った。
目指す場所は王都のすぐ近くの山だ。
あまり高い山ではないが、すぐ近くにあるので王都のどこからでも見える。
それに、王都に近いゆえに凶暴な魔物が出没した際にはすぐに討伐される。安全な山だということだ。
カーバンクルなど温厚な魔物がのびのびと暮らしている山らしい。
「わああ!」
空中からだと、山の紅葉が一望できた。
真紅から青紫までのグラデーションが綺麗に山を覆い尽くしている。
美しい光景に、マコトは感嘆の声を上げた。
葉が赤くなるところと青紫色の違いは、気温の違いなのだろうか。それとも木の種類の違いだろうか。なんて、思案する。
山の中でも木々の少ない場所を見つけると、グリュっちはゆっくりと高度を下ろしていった。
「よし、到着」
フェリックスが先にグリュっちから降り、そのあとマコトを抱えて降ろしてくれた。
ちょっぴり照れ臭かった。
「山の中でも綺麗ですね」
と、マコトは頭上の木々を見上げた。
「マコトの世界ではこういう紅葉はないのか?」
「ありましたよ。でも色味が違います。僕の世界では、赤と黄色になる葉が多かったです」
「へー、それはそれで綺麗そうだな」
彼が綺麗そうだと言ってくれたことが、マコトには嬉しかった。
前の世界では酷い目に遭って危うく電車に轢かれるところだったけれど、それでも前の世界のすべてが嫌いなわけではないから。
「マコト、シイの実は持ってきたか?」
「はい!」
シイの実は革袋に入れて、腰にくくりつけてきた。
腰の革袋を手に取る。
「よしマコト、カーバンクルを呼ぶためには適当な場所にシイの実を置いて放置しておくんだ。あそこの切り株の上なんか、目立ってよさそうじゃないか」
「はい、わかりました!」
マコトは大きな声で返事をして、切り株の上に革袋の中身をひっくりかえし、シイの実をじゃらじゃらと広げた。
「あとはカーバンクルが来るまで待つだけだ。切り株の上に注目したりしないように気をつけろよ、見られていると感じるとカーバンクルは寄ってこなくなる」
「は、はい、気をつけます!」
本当にこれだけでカーバンクルが見られるのかなと思うと、チラチラと見たくなってしまう。
けれど彼の忠告は守らねば、とマコトをは気をつけることにした。
「オレたちは近くでランチにしようぜ」
二人が降り立った場所は、山の中のちょっとした野原だ。名前も知らない草花が天然の芝生を作り出している。
彼は敷物を広げ、グリュっちに積んでいたバスケットを降ろす。
彼はバスケットを開けた。途端に食欲を誘う匂いが広がった。
「あ、バーンドですね!」
「ああ、屋台で買ってきたんだ。こういうときは手作りが定番だろうけど」
彼は肩を竦めた。
貴族で実は王子様なのだから、料理の腕は期待する方がおかしい。
マコトも三食すべてコンビニ飯で済ませていた影響で、料理は全然できない。
「屋台のバーンド、好きです! ありがとうございます!」
また彼に奢られてしまった。
バーンド代だけでも後で彼に支払った方がよいだろうか。
ハイキングにお金は必要ないと思って、財布は家に置いてきてしまった。
まあ、いまはランチを楽しもうと気持ちを切り替える。
「いただきまーす!」
「ふふ、いただきます」
バーンドを前に手を合わせ。
マコトはバーンドに齧りついた。羊肉の旨味が口の中に広がった。今日のバーンドにはチーズが入っている。バーンドを頬張ると、チーズが長く長く伸びた。
最近ではすっかりマコトもバーンドが好物になっていた。彼が好む気持ちもわかる。
ただでさえ美味しいのに、中の具次第でいろいろな美味しさを演出してくれるから飽きることがない。
今日のバーンドみたいにチーズが入っていることもあるし、肉も羊肉だけじゃなく鳥肉だったり牛肉だったりする。
毎日職場近くの屋台でお昼ご飯を買うしかない身にとっては、バリエーションの豊かさが嬉しい。
ランチをにこにこと食べていると、切り株がある方角から物音がした。
「来たぞ、カーバンクルだ。まだそっちを向くなよ」
「はい……!」
囁き声に、振り向こうとした動きをビクリと止める。
カリッ、パキッと噛み砕くような音が響き始めた。
シイの実を噛み砕いて食べているのだろうか。殻ごと食べているのかな、それとも中に美味しい実が入っているのかな、などと想像する。
「シイの実をたくさん食べて満足したみたいだぞ。ゆっくり振り返れ、いまなら大丈夫だ」
視界の端に捉えるようにしてカーバンクルの様子を窺っていたフェリックスが、教えてくれた。
カーバンクルをびっくりさせないよう、マコトはゆっくりと振り返った。
「わあ……」
猫くらいの大きさの小動物が、切り株の上で満足げに舌舐めずりをしていた。
額に紫色の宝石がついている。
「カーバンクルは別名を宝石獣といって、額に宝石を戴いているんだ。あれはエメラルドのカーバンクルだな」
カーバンクルの周りに、黒い殻が散らばっている。どうやらカーバンクルは中身だけ食べたようだ。
つと、額の宝石と同じ緑色の瞳をしたカーバンクルと視線が合ってしまった。
「あっ」
逃げられてしまう、と思った。
だがカーバンクルはゆっくりとまばたきを一度、二度と繰り返した。
なぜだか「ありがとう」と言っているように感じられた。
カーバンクルは方向転換して尻を向けると、尻尾をゆらゆらと揺らした。
身を屈めたかと思うと勢いよくジャンプして、森の奥へと消えていった。
「ふわふわで可愛かったなあ……」
額に宝石のある神秘的で可愛らしい生物。
短い時間だけだったけれど、見ることができてよかったと思ったのだった。
「おいマコト、切り株の上に何か残されているぞ」
「えっ?」
彼と一緒に切り株に近寄ってみると、それは緑色に光るエメラルドだった。
「え、宝石取れちゃったの!?」
ジャンプしたときにカーバンクルの額から取れちゃったんだ、とマコトは慌てた。
「ああ、カーバンクルは秋に宝石が生え変わるんだよ」
「宝石が生え変わる!?」
宝石が生え変わるという聞き慣れない概念に、マコトは目玉が飛び出るほど驚いた。
「よかったなマコト、さっきのカーバンクルに気に入られたみたいだぜ。古い宝石をマコトに託そうと思ってくれたみたいだ」
「ぼくに……?」
確かにさっき目が合ったとき、お礼を言われたように感じた。
けれどもらってしまっていいのだろうか。
「これはマコトのものだ」
彼がエメラルドを手に取り、マコトの手の上に乗せてくれた。
「え、でも、もらっても家にしまっておくしかないですし……」
「カーバンクルの宝石は縁起がいいんだぜ。身に着けておけば、マコトの身を守ってくれるよ。エメラルドには、例えば解毒の力とかがあるんだ」
「身に着けるなんて言われても……」
突然手に入れることになってしまった宝石に、マコトは動揺が隠せない。
「よし、じゃあこうしよう。オレが知り合いの職人に頼んでこの宝石を装飾品に加工してもらうよ。それをプレゼントする」
「え、ええ!? プレゼントだなんて、悪いです!」
「マコト、誕生日近かったりしないか?」
「え、誕生日!?」
突然の質問に、マコトは前の世界でのことを思い出す。
小さい頃は両親が誕生日を祝ってくれた。自分の誕生日を忘れることなど決してなかった。
高校生のときに、両親が他界した。マコトは奨学金を借りて大学に進んだ。
大学卒業後就職した会社がブラックだった。だが奨学金の返済があるために会社をやめられない。転職しようにも、仕事が忙し過ぎて転職活動をしている暇がない。
誕生日を祝ってくれる友人もなく、誕生日を気にしている余裕もなかった。誕生日は気がついたら過ぎ去っているもので、いつの間にか二十四歳になってしまっていた。
いや、もう二十五歳か。
「あの……僕の誕生日、夏なんですよね。もう過ぎちゃいました」
「え、そうだったのか!? 教えてくれればよかったのに、祝いそびれちゃったぜ! じゃあ、オレのプレゼントは過ぎちゃった誕生日の分ってことで!」
「え、え、はい」
彼が手を差し出したので、マコトはエメラルドを反射的に手渡した。
なりゆきで彼からプレゼントをもらうことになってしまった。
(誕生日プレゼントをもらえるだなんて……まるで普通の人生を送っているみたいだ)
異世界に来てからというもの、止まっていた時が動き出したかのようだ。
(それにしてもプレゼントをくれるだなんて、先輩は優しい人だな。……優しいからっていうだけなのかな)
ブラック企業でなければ、同僚と誕生日のプレゼントを贈り合うのはごく普通のことなのだろうか。普通の感覚がマコトにはわからない。
「あ、そうだ! 先輩の誕生日も教えてください!」
「お、マコトもオレの誕生日祝ってくれちゃう? オレの誕生日は冬の終わりと春の始まりの境目さ」
気障ったらしい表現に、マコトはくすりと笑った。
「冬と春の境目、素敵な表現ですね。絶対に僕もプレゼント用意しますね」
「おう、楽しみにしてるよ」
彼も微笑みを返し――それから、真面目にマコトを見つめた。
「あのさ……前から聞きたかったんだけど」
「はい?」
独特な空気にトクトクと心音が大きくなる。
前に気軽に顎をくいと上げられたときの妖しい空気とも、また違う感じだ。
「マコトって……オレのこと、好きだったりする?」
彼は緊張しているかのようにゆっくりと口を動かして尋ねた。
その問いに、マコトは迷わなかった。
「はい、大好きです! 尊敬しています!」
目にいっぱいの尊敬の気持ちをこめて、彼を見つめ返した。
「尊、敬……。そっか、尊敬か、ははは……」
急に彼の身体から力が抜けて、しおしおと萎んだように見えた。
「先輩!? なにか気に障ることを言っちゃいましたか!?」
「いや、いいんだ……いいんだよ。マコトは悪くないから」
彼はしばらくしおしおとしていたが、山の空気を満喫しているうちに元気を取り戻してくれた。
帰りも家まで送ってくれて、預かったエメラルドを装飾品に加工して贈ってくれることを改めて約束してくれた。
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