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第1話

「あれ、一晩早いジャックのお出ましですね」  その晩、まばらにいた客が一斉にドアに注目したのは、かぼちゃの造り物をかぶった騎士のような格好をした男が店に入ってきたからだった。  それでも皆が一瞥しただけでそれほど驚かなかったわけは、今日がハロウィンの前夜だったからに他ならない。  男は店の入口から一番近い、端のカウンターに座り、その被り物を外した。すると、隣にいた女性客がチラチラとその横顔を盗み見る。その男は相当な美丈夫だったからだ。 「今日はハロウィンの練習ですか?」  男が身なりを整えたところで、マスターは誰もが気にしていた理由を聞いた。彼はどこかぼんやりとした様子でマスターを見た。 「はい。娘が……ハロウィンにはジャック・オ・ランタンの格好でお菓子を配りにきてほしいと。当日は都合が悪いから今日来てくれと言われて」 「それでハロウィン前日に仮装して娘さんにお菓子を?いいお父さんだ」  そういって笑いかけたマスターの笑顔に、その男はどこか気まずい様子で頷いた。マスクを外して、乱れていた髪を手ぐしで軽く整えているその左薬指には、緑色の小さな石のついた指輪が光っていた。  マスターが無言で男の様子を伺っていると、しばらくじっと、考え事をしていたような男が小さく首を振った。 「いや……本当は違うんです。そうじゃない。娘に言われたのは本当だけれど。だけど、今日、ソレを実行しようと思ったのは、ただ……このジャック・オ・ランタンが自分に似ていると思ったから」 「似ている?」 「彼はとんでもない悪党で、悪魔を騙そうとしたおかげで死んでから地獄にもいけず、彷徨い歩いている亡霊だと娘の絵本で読みました。……ああ、俺も同じだなって」 「え、貴方はとんでもない悪党なんですか?」  マスターの驚いたような表情に男は一瞬驚いたような顔をしてからクスリと笑って、頷く。 「そうですね。悪党です。結局、娘に会うこともせずに、過去に囚われたまま、こうしてここに来ているのだから」 「じゃあ、貴方のことはジャックとお呼びしますか」 「はは、マスターは面白い方ですね」 「ありがとうございます」 「俺は……つまらない男です。恋人を裏切り、家族を裏切り、ただ、生きているだけだ」 「…………」  マスターに話しかける、というよりも独り言を呟くように、その男ージャックはいった。なんだか訳ありな様子のジャックにマスターはそのまま耳だけを傾け、流し台のグラスを軽く拭き始めた。  隣に座っていた女性客が会計の合図をしてくる。マスターはちょっと待っててとでもいうように、ジャックに視線で合図をして、女性客を見送ってから再びジャックの前へ戻り、口を開いた。 「何をお飲みになりますか」 「ギムレットを」  マスターはジンのボトルを手にとった後、ライムジュースをシェイカーに入れ軽く振った。カクテルグラスに注ぎ込まれたそれに薄切りにしたライムを飾り、ジャックの前に差し出す。  彼はそれにゆっくりと口をつけ、昔を思い出すように目を細めて、そうしてポツリと言った。 「……会いたい人がいるんです」 「奥さんと娘さんですか?」 「いえ、違います。昔の……昔、自分が裏切った恋人です。ずっと一緒にいるって、いつまでも愛しているって約束したのに。それなのに……自分でその約束を破ったんだ」  ジャックは自嘲気味に笑い、ギムレットをまた一口飲んだ。奥で飲んでいた4人組の男女のグループが帰っていき、店の中はまた一段と静まった。マスターは黙ってポツリ、ポツリと話し出す、ジャックの声に耳を傾ける。 「昔、俺はこの辺りに住んでいたんです。結婚はできないけれど、一生を約束したパートナーがいて。幸せでした。けれどある時、自分に良家の婿として3つ離れた街へ来てくれないかと縁談がきたんです。もちろん、自分は断りました。だけど、うちの家計は貧しくて。当時、俺一人の収入ではまだ小さい兄弟や身体の弱い両親を養うことはできなかった。明日の食事すらままならなかった。でも、その縁談先は、自分がきてくれたら、家族の生活を援助するといってくれたんです。俺は……家族を見捨てることはできなかった」  表情を固くしたジャックはグラスに残るギムレットを一気に飲み干した。そうしてしばし続いた重い沈黙のあと、落ち着くように小さく息を吐きだした。

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