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第30話 雷鬼 其のニ

   (りょう)の言葉に紅蓮(ぐれん)は無言で頷く。  力なく療は空笑いをした。  思い出されるのは、執拗に攻め自分を追い詰めた風丸(かぜまる)と。  同じ長候補として切磋琢磨し、時折教えを請うた時の、困惑しながらもまんざらでもなさそうだった、その姿。  殺されかけた憎悪もあった。だがそれ以上に療にとって、どうしてという気持ちの方が強かったのだ。 「空になった長の座を、同志の頭であった私が継いだ。だが……」    不意に紅蓮の言葉が途切れた。  厳しかった紅蓮の表情が、再び切なく痛いものに変わる。 「だが、里の者は皆、貴方の帰りを待っている。療」  それはきっと紅蓮も同じ気持ちだったのだと、療はその表情で理解した。  そして無言のまま、療は首を横に振った。 「……あの時、追手から自分を救ってくれたのは、(かのと)様と、ここにいる紫雨(むらさめ)だ。恩に報いるまでは、里に帰ることは出来ない」  思い出すのは、麗河の冷たさと河瀬に叩きつけられた痛みと、息苦しさ。追手の数に圧倒され手も足も出なかった自分を、魔妖の王である叶と、天敵の総本山である大司徒(だいしと)に救われるという、『鬼族』の長候補として決してあってはならないことが起こった。だが、療はその恩を忘れることはないと、必ず返すと自分自身で誓ったのだ。  分かっている、とばかりに紅蓮はゆっくりと頷くと、紫雨の方へ向き、一礼をする。  療の背後で驚きの気配が伝わってきた。療もまた、驚愕していた。  気高い自尊心のある『鬼族』が、人に礼を執っている。  それが療自身に対してのことなのだと自覚した時、療は堪えきれずに、彼に向き直った紅蓮に再び抱き付いた。  紅蓮は優しく療の背を手を回すと、静かな口調でこう言った。 「……お前が長だ。私は代理に過ぎない」  だから、お前の帰りをずっと待っている。 「紅蓮……」  紅蓮がそっと療から離れると、療に向かって膝を折り頭を垂れる。  療は何も言えず、紅蓮を上から見つめていた。顔が見えなくなったことで、一線を引かれたような寂しさがあったが、自分を待つと言った言葉と、療に膝を折ることを選んだ紅蓮の姿に、覚悟を決めて療は口にする。 「……申し渡す。現在仙猫山周辺で天妖である鵺が出没している。旅人が街道を通れなくなり、我らの生息範囲内である森に迂回をしている状態である。我々は叶様の命により鵺の偵察に向かう。その間、縄張りに踏み入れる人間に危害を加えることを禁ずる。全ての『鬼族』に下知せよ」 「……御意」  紅蓮は今一度深く礼をすると、高く飛び上がり、闇に紛れてその姿を消したのだ。  療はしばらくの間、紅蓮の消えた方向を見つめていた。 「全くお前といい、療といい、本当に隅には置けんな」  くつくつと笑いながら楽しそうに言う紫雨に、竜紅人はげんなりとした表情をして香彩(かさい)を見た。 「……どうにかしろよ、このおっさん」 「いや、無理」  香彩も竜紅人と同じような表情をして、首を横に振る。 「療はそうかもしんねぇけど、俺はそんなんじゃないっつーの」  竜紅人は大きな溜息を付いてそう言うと、何気に背後に視線を移した。  ゆらりと、動く影がある。 「──……っ!」  影が大きく前に倒れ込むところを、竜紅人が走り込んで受け止めた。 「おい……っ!」  大丈夫かと竜紅人は声をかける。  竜紅人に助けられた少年は、いつ気が付いたのか、竜紅人に向かって歩き出そうとしていたのだ。  少年の瞳が、そっと開かれる。  それは竜紅人と同じ、伽羅色をしていた。  ぼぉうとしていた焦点が竜紅人を見つめたその瞬間だった。 「……りゅ、こう……と」  掠れた声だったが、確かに竜紅人の名前を、少年は呼んだのだ。  少年は再び意識を失ったのか、その瞳を閉じた。 「──(あおい)?」  それは無意識の呼びかけだった。その名を呼んだ瞬間、自分の中にとても大きながらんどうな心と記憶があることに気付く。それ程無自覚な呼びかけだった。 「……って、誰だよ……」  呆然と呟く竜紅人に、香彩と紫雨は無言で顔を見合わせたのだ。 
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