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第1話
ほとほと嫌んなる。
ランタンの灯りに照らされた宵闇の道の真ん中で、ミケルはひとり立ち尽くした。
自分で自分が嫌になる。
といっても、今さらめずらしいことじゃない。
リディカならこう言うだろう。
「こんなことだと思ってた。だからあれほど言ったでしょ。ミケルは必ずやらかすんだから」
小さいときから遠慮のない幼なじみの彼女は、年下なのに容赦ない。でも、言われてもしょうがないのだ。それくらいミケルは、しょっちゅうやらかすのである。
「絶対遅れないでね。遅れても待たないから。いいわね?」
「わかってるよ。絶対遅れない。リディカ一人じゃ大変だからね」
「別に一人でも大丈夫だけど。まあいいわ、とにかく、ミケルを待ってると時間のムダだから。待たないからね?」
何度も、リディカは念を押した。ミケルだってまさか、本当に遅れるとは思わなかった。
今夜はハロウィーンで、トリック・オア・トリートの日だ。
普段は静かなホーリータウンも、いつになくにぎやかになる。例年なら、仮装した子どもたちが家々をお菓子をもらってまわる。
でも今年は、それだけではなかった。隣町の広場でハロウィーンの催し物 が開かれることになり、子どもたちは町を一巡りしたあと、大人に付き添われて隣町まで遠出することになっていた。その、子どもたちを引率してゆく役目を、ミケルは請け負っていたのだった。
足元だけがぼんやりと明るい夜道を、絶対にありえないとは思いつつ、ミケルはもう一度だけ見渡した。やらかした、と思っていたのが実は勘違いで、どこかからリディカや子どもたちが集まってくるのではないか。もちろんそんなことはあるはずもなく、辺りは静まりかえっている。
待ち合わせの時刻に遅れたのは、時計が止まっていたからだった。単なる電池切れだった。そういう不運を、ミケルはよく招く。
二十七歳、独身、度の強いメガネ、伸ばしっぱなしの髪。常から存在感が薄く、優男、と言えば聞こえはいいが、冴えない頼りない、というのがミケルの自己評価だ。そんなミケルが子どもたちの引率などという大役を任されたのは、ひとえに、ミケルが小学校の教師という肩書きを持っているせいだった。
大人なのに、先生なのに、子どもたちとの待ち合わせに遅れてしまうなんて。
ミケルは情けなくて、がっくりとうなだれた。とはいえ、このままこうして自己嫌悪に陥っているわけにもいかない。深く大きなため息をついて、歩き出す。とりあえず、急いでみんなを追いかけなくてはいけない。
今宵に限り、ホーリータウンから隣町へと続く林道に、ジャック・オ・ランタンが点々と並べられている。外灯のない道を往復する子どもたちのために、ホーリータウンの大人たちが協力してこしらえたものだ。おかげで足元は危なげなかったが、くりぬかれた目や口が不気味な笑顔に赤らんでいて、なにやら薄気味悪かった。
やらかしてしまったのはもちろんだったが、本当のところ、ミケルの気が打ち沈んでいる理由は他にあった。
まさについ先刻、ミケルは失恋したのである。
子どものときからずっと想い続けていた人に。
エリオは、リディカと同様に幼なじみの一人だった。高等院を卒業して町を出て、今は都市部で医者をしていると聞いていた。
「ミケル、俺、結婚することになったんだ。来月、そっちへ帰るから。みんなに彼女を紹介するよ」
そんな電話があった。時計が止まっているのに気づく少し前だ。
電話を切ったあと、彼が町を出てから伸ばしていた髪を、手近にあったハサミでばっさり切った。もちろん散髪用のハサミではないので、切れ味は悪く、髪先は不揃いでひどいありさまになった。
秋の夕暮れは瞬く間に陽が落ちる。待ち合わせ時刻はまだ、かすかに西の空が明るかったはずだが、今はもう暗闇に包まれている。ぼんやりと点在する光を頼りに、ミケルは歩を進めてゆく。
「ミケルの髪はキレイだよな。陽があたるとさ、オレンジ色に光るんだよな」
まだ幼いころ、エリオがそう言ったのだ。無邪気な子どもの言葉だったが、ミケルは褒められたのが嬉しくて忘れられなかった。ミケルがエリオへの気持ちに気づいたのは、それからずっと後のことだ。
いつかはこんな日が来るだろうと思っていた。
でも、知らなければそんな事実は、ないのと同じだった。
わざわざ知らせてくれなくても良かったのに。
誰のものでもないと思っていられれば、それだけで良かったのに。
どうせ、とミケルは思う。
自分なんかが、幸せになどなれるはずもないことはわかっていた。いつも失敗ばかりやらかして、頼りなくて情けなくて、しかもゲイだ。この狭い町で、愛を語り合える相手など見つけられようはずもない。かといって、町を出て広い世界へ飛び出す勇気もない。
このままずっと、誰かの温もりを知ることもなく、一人でいるのだ。
重い足取りで歩くミケルの見るも無残な髪型は、幸か不幸か、フードによって隠されている。この日のためにリディカから渡されていた黒生地のフード付きケープで、ご丁寧にフードのトップに二つの角がついている。
「どうせミケルは衣装なんて作れないでしょうから、これだけでもはおってれば、仮装してるみたいに見えるわよ」
という、リディカの親切なはからいだった。
象牙色の角は最近リディカがはまっている陶芸の作品で、なるほど近くで見ても本物の角と見まがうほど精巧にできている。そのあたり、さすがなんでもそつなくこなすリディカらしいとミケルは感心した。
たった一人で仄かなランタンの明かりの中を歩いているなら誰に見られることもないだろうから、別に髪型を隠す必要も仮装をする必要もなさそうなものだったが、この黒く目深 なフードに包まれていると、ほとほと嫌気がさしている自分自身や今の状況から遠ざかっていられるような気が、ミケルはしていた。
そうして、幾度めかわからない深いため息をついたミケルは、ふと足を止めた。
林道はそう長く歩かないうちに、細い川にかかる短い橋にたどりつくはずだった。橋をこえると外灯のある街道に行きあたり、そこから隣町まではさほどかからない。
なのに、橋も川も、水音の気配すらなかった。
ぼんやりしていたせいで、道をそれてしまったのだろうか。
何も考えず、ジャック・オ・ランタンの明かりだけを追って歩いてしまっていたが、まさか道ではないところにそれが置かれていたのだろうか。
振り返ってみても、ぼうっと赤く点 る光はあちこちに散在していて、どこから来たのかさえ判然としなかった。どうやら、こんな慣れた場所で道に迷ってしまったようだった。
またしても、やらかしてしまったのだろうか。
唖然として落ち込みかけたミケルの耳に、落ち葉を踏みしめる自分以外の足音が聞こえた。
ああ助かった、誰か町の人が通りかかったんだ。
首を巡らすのと同時に、声がかけられた。
「あんた、一人なのか?」
見たことのない青年だった。ミケルよりは少し、年若だろうか。
「一人、だけど」
「良かった」
そう言って、青年は破顔した。幼さの残るその表情に、ミケルは好感を持った。
でもいったい、何が「良かった」んだろう。
続けて、青年は言った。
「あんたも、祭り に行くんだろう? 俺と一緒に行こうぜ」
ミケルにとっては、願ってもない誘いだった。
「君も行くの? 良かった。僕、道に迷ってしまったかと思ってたんだ」
「カーニバルはそうそうあるもんじゃないしな。こっちだ」
踵を返した青年に、ミケルはあわててついてゆく。
青年の格好はいかにも、仮装然としていた。厚地の長袖のシャツは袖の先がふくらみ、腰の辺りをベルトで押さえている。ズボンの裾は革のブーツの中だ。そして項 が短く刈り込まれた頭部の両脇にすらりと伸びた耳は、上部が尖っていて、さらに魚のヒレのように広がっていた。
よくできた耳だ。リディカの角と同じくらい、精巧に作られてる。
感心しながら、ミケルは遅れないよう、青年の後を追った。
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