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【番外編】歪んだ真珠の肖像(8)
知らぬ間に眠っていたらしい私は人の気配で目を覚ました。解体作業を終えたオットーが台の横に立って私を見下ろしている。
「……終わったのか?」
「はい」
「どうした? 眠らないのか?」
「その……さっきは、本当に……」
「もういいから。来なさい」
私は先程とは逆にオットーの腕を強く引いて自分の隣に横たわらせた。毛布でくるんで腕枕してやると彼は恥ずかしそうにそれを辞退しようとした。
「マルセル、重いですから」
「なんだ? さっきは君がこうしてくれただろう。私が腕枕もできないと思っているのか? 見くびられたものだな」
「いえ……私に近づくのはお嫌ではないかと思いまして。無理はしないで下さい」
オットーはすっかりしょげてしまっていた。こんなに気落ちした彼を見るのは初めてだった。彼の頭を抱きしめ、乾きかけの髪の毛を撫でる。
「気にするな。先程のことなどもう忘れた」
「マルセル……」
身体は大きくなったがやはり私にとって彼は年下の若者だ。さっきは私も変に彼を意識してしまったが、寒さで思考力が鈍ったせい……一時の気の迷いに違いない。
それにこういう非常時だからこそ私が彼を安心させてあげなくてどうする。
「こうしていると、君がまだ子どもだった頃を思い出す」
「え? いえ、こんなこと未だかつてして頂いたことはないはずですが」
たしかにこんな距離で触れ合ったことなど今までにない。
「細かいことはいいんだ。とにかく君がしおらしくしているなんてもうここ数年は無かったことだからね」
――そう。年々彼は立派になって、まるで同年代かのように錯覚しかけていた。
いつも彼の誘いに乗るだけで私から会おうと言ったこともなかった。私は無意識のうちに友人として彼に甘え過ぎていたのだ。よき友としてこの関係を続けるための努力を怠り、全て彼に頼りきっていた。
もしかするとそのせいで彼は私に対する感情を恋心と勘違いしたのかもしれない。そうだ。私があまりに情けないから……彼は私を気にかけるあまり、その気持ちを見誤ったのに違いない。
「君はもっと私に頼ってもいいんだ。私は君に甘え過ぎていた……謝るよ」
「そんな……謝るだなんて」
「私も君のことを愛しているよ、友人としてね。だからこれに懲りずにこうやってまた狩りに来よう」
オットーは一瞬目を見張ると少し傷ついたような顔で微笑んだ。
「ありがとうございます。またお誘いします」
こう言ったオットーであったが、実際にはこれ以降ぱったりと狩りに誘って来なくなった。
というのも翌朝私達が夜明けと共に山小屋を出発して帰宅すると、私が帰らないことを心配した叔父が人を集めて捜索隊を組み今にも出発しようとしているところに鉢合わせたのだった。
「あなたの叔父上にも心配をおかけしてなんとお詫びしたらよいか」
オットーはいつになく意気消沈し、肩を落としたまま帰っていった。こちらの方が年上なのだから本来私が彼を家まで送るべきなのに……。
叔父にもきつく叱られた。鹿を仕留めたのが嬉しくて探すのに夢中になりすぎたのが間違いだった。日が落ちる前に諦めて帰るべきだったし、その判断は年長者である私がすべきだったのだ。
このような経緯でオットーは私を狩りに誘うことはしなくなった。私は元々狩りが好きなわけでもないし、誘われなければこちらから誘ってまで行こうとは思わない。心配性な叔父ももう私と彼だけでは山に向かわせてはくれないだろう。
狩りだけでなく、その後は茶会に招かれる頻度も減った。お互い気まずい思いをしたし、少し距離を置いてくれたのは内心ありがたかった。あの夜の出来事が頭から離れず、彼にどういう顔をして会えば良いのかわからなかったからだ。
彼は私を愛していると言っていた。私だって彼を愛している。でも考えれば考えるほどこの気持ちが自分でもよくわからなかった。口付けされてあのように恍惚となったことが答えなのだろうか? 私は恋愛対象として、同じ男性アルファの彼を好いているのか?
――いや、これはただの友情なのだと信じたい。
◇◇◇
オットーのことを思い悩みつつそれを忘れようと努めていたある日、裏庭の片隅で叔父が剣を振っているのを見た。事務官に配置換えになった後もああして剣技の鍛錬は欠かしていない。彼は今でも戦地へ赴きたいのだろう。
私も成人してしばらく経つし、もう近くに居て見守ってもらう必要はないと何度も言ったのだが、結局私が頼りないせいで叔父は自由になれずにいるのだ。
そのことにもどかしさを感じると共に、私はある過去の出来事を思い起こしていた。
あれはまだ私が子どもの頃、十歳くらいのことだったと思う。叔父に連れられて騎士団の修練場に赴いたことがあった。
そこでは若い騎士達が鍛錬に励み汗を流していた。
それを見て私は恥ずかしいような、むず痒いような、見てはいけないものを見たような気がした。ただ男達が剣を合わせたり走ったりしているのを見ただけだったのだが何故そんな気持ちになったのか当時はよくわからなかった。
それを今になって思い出し、私は頭を抱えた。
――あれは……幼いながらに彼らに対して性的な興味を持ったということなのだろう。
そのことに無意識のうちに罪悪感を抱いて記憶に蓋をした。私はアルファ男性なのにも関わらず、自分よりも屈強な男に興味を示す性質だったのだ。しかしその後事故に遭ったせいでこのことにきちんと気付かずに思春期を過ごしてしまった。
肉体的に不能になった上に、精神的にも倒錯した嗜好を持っていたと今更ながら気づいた。つまりそもそもオメガの女性と婚約したこと自体が間違いだったのだ。自分の性的志向を知らずにこの歳まで生きていたと思うと恥ずかしさで目眩がしそうだった。
「私はオットーのことを……」
口にしかけてその先をどうにか飲み込んだ。
――忘れるんだ。彼には世継が必要で、私とどうにかなる可能性なんて無いのだから。
この気持は墓場まで持っていく他ない。
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