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【番外編】歪んだ真珠の肖像(9)
その後は私も忙しくなり、オットーとの距離はますます遠のいていった。 逆にこの時期オットーよりもずっと近しくなったのがグスタフ殿下であった。
というのも、私が二十五歳になったときに王弟のグスタフ殿下がデーア大公の称号を得たのだ。それと並行して大公領は国として独立することになった。このときグスタフ殿下が新しいデーア大公国の宰相として指名したのが他でもない私だった。
当時の私はクレムス王国の宮廷でさほど重要なポジションには就いていなかった。そんな若輩者である私への急な指名にとても驚いた。しかしもしこれを引き受ければ立身出世の夢が叶う。できるか否かは別として、私はこの辞令をお受けすると返答した。
政治においてさしたる実績もない私が大抜擢されたことに不満を持つ重鎮も多かった。しかし、幼い頃から交友関係を築いてきた甲斐あって殿下は私を強く推してくれた。表立った実績は無いものの、グスタフ殿下の信頼を得るために小さな相談などにも真摯に対応してきた。そのお陰で、老人達の反対を押し切って私を宰相に任命してくれたのだ。
そもそもこのデーア大公国独立はかなり特殊な出来事だった。元のデーア大公であったグスタフ殿下の叔父リヒャルト様が急に爵位を返上して旅に出ると言い出したのが事の発端だ。
グスタフ殿下の放浪癖はこのリヒャルト様譲りで、これまでも各国を飛び回るのにグスタフ殿下を連れて行かれることがしばしばあった。
今回殿下の叔父上は「どうしても登りたい山があるから」という常人には理解しかねる理由で爵位を返上されたそうだ。
これはかなり異例なことなのだが、クレムス国王が承諾したのには理由があった。国王は叔父上に似て放浪癖のあるグスタフ殿下を大公とすることで、一つところに腰を据えて欲しいと考えたのだ。
現実にはそう簡単に殿下が改心されるとまではいかなかったが、このクレムス国王のひらめきのおかげで私は宰相になれたのだからありがたいことだった。
これまでリヒャルト様に代わって大公領を治めるための実務を担当していたロッベン卿は「これで重責から解放される」と言ってさっさと隠居してしまった。新たに何がしかの役に就くことを提案されたのにも関わらず、だ。それだけ心労が絶えなかったのだろう。
卿が辞めていく際、「リヒャルト様に似たグスタフ様の下で君が宰相になるのならそれ相応の覚悟が必要だ」と言われた。そして憐憫のこもった目で私を見て、心から同情すると言って去って行った。
実際にこの方の言葉は正しかった。グスタフ殿下は大公になられたからといってこれまでの生活を改めることはなかった。今までと同じように頻繁に国外へ出掛けて行ってしまう。
その間国を任されるのは私だった。始めの頃は私が宰相を努めることに反発心を持っていた大臣らも、徐々に同情的になり、仕事に協力してくれるようになっていった。
他の廷臣達との仲が上手くいくようになったのはある意味でグスタフ殿下のお陰とも言えた。
国が独立したのに合わせてリヒャルト様の住まいであった屋敷は宮殿として機能するように増設が決定した。その手配等も含め、私はこの時期目が回りそうなくらいの忙しさだった。
そのせいでオットーのことを考えずに済んだから、しばしの間は心の平安も保たれていた。
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