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第2章

                               1  暑かった夏休みが終わると、当たり前のように新学期始まった。授業も終わり、帰宅する生徒達でざわざわとし始めた教室で、真南人は横山を探した。横山は何人かの男子と輪になり、放課後どこに行くかなどいう話題で盛り上がっている。真南人は横山が一人でいるところをあまり見たことがない。いつも友人らしき人間を両脇に従わせ、まるで当たり前のように自分はその中心にいる。それが横山を安心させ、そのことで自分の存在意義を確認しているようにも見える。   真南人は意を決すると、横山の輪に近づいた。横山は真南人に気づくと、少しだけ驚いたような顔をした。大人びた面長な顔。女子にそこそこモテる一般的には格好いい部類に入る男。でも、真南人にとっては、特に何の興味も湧かないただのクラスメイト。 「横山。ごめん。ちょっと生徒会室に来てくれない?」 「は? 何で?」 「駄目かな? 話があるんだ」 「……突然どうしたの? 珍しいじゃん。柏木が俺に話なんて」 「ちょっとね。時間は取らないから」 「ふーん。……まあいいけど」  横山は、真南人の話の内容を勝手に想像したのか、ひとり納得したように頷いている。 「ありがとう。鍵空けて先に待ってるから」  真南人はそう言うと、自分の席戻った。そして、もう一度横山の輪の方に目を向けると、横山が複雑な目をして自分を見ていることに気づいた。そんな目で横山から見つめられるのは初めてで、真南人は何となく嫌な胸騒ぎを覚えた。  生徒会室は校舎三階の一番西側にある、テーブルと机しかない殺風景な部屋だ。ここで、週に二・三回程度、意欲的な役員が集まり、生徒会の活動を活発に行う。真南人は、強引に押し付けられた副会長という任務を嫌々全うしていることで、この部屋を自由に使える特権を手に入れた。  職員室で鍵を借り、三階の一番西側まで歩くのは、いつものことだが面倒だ。  真南人は、部屋の前まで来ると、横山がまだ来ていないことを確認し、素早く鍵を開けた。九月に入ったとはいえ、まだ夏の暑さと大差ない気温の今日では、締め切った部屋の中は、むあっとした熱気に包まれている。また、西日が窓から燦々と差し込んでいるせいで、余計に暑さを感じる。真南人は一直線に窓へと進むと、教室の窓ガラスをすべて開け放った。 「お待たせ」  突然声がして、はっとして振り返ると、入り口に立っている横山が、こっちを見て微笑んでいる。 「ああ。僕も今来たところだよ。すごく部屋が暑くて、窓を開けてたんだ」 「ほんと、あっついな。俺暑いの苦手なんだよね」  横山はそう言いながら、真南人に近づいた。そして、窓まで来ると、窓から顔を出し、きょろきょろと外の景色に目を凝らす。 「何してるんだ?」 「いやー、生徒会室なんてまったく縁ないから、ここからの景色を堪能してんの」 「はは。僕だって好きで副会長してるわけじゃないよ。強引だったからな。クラスのみんな」 「それはさあ。きっとみんなイライラしてたんだと思うよ。柏木のその態度に」 「は?」 「そのさ、自分は何にも、誰にも、興味ないみたいな冷たい態度にだよ。分かる? 柏木って寂しいんだよ。すごく。だから、みんな柏木と何かしら関わりたくて、生徒会副会長に祭り上げたんだよ」 「そ、そうなんだ」  真南人は、クラスのみんなからそんな風に自分が思われていることを薄々分かっていた。でも、ちょっと前の自分だったら、そんな告白をされてもたいして傷つきはしなかっただろう。でも、今、真南人ははっきりと傷ついている。そんな自分を恥じている。 「俺もだよ」 「え?」 「俺もその中のひとり……」 「横山?」 「……そうだ。話って何? なんとなく想像はつくけど。どうせあの講師のことでしょ?」  横山は窓の外に背を向けて、後ろ手に両手で窓の桟を掴んだ。 「ああ。あのさ。夏川さん。塾辞めたって僕に電話してきたんだけど、あんまり急で不思議に思ってたら、横山がこの間僕に意味深なこと言ってたのを思い出したんだよ。あれはどういう意味だったの?」 「ああ。そうか。やっぱりクビになったんだ。俺の親父の力ってすげーんだな」 「え?」  真南人は、話しの意味がさっぱり理解できず、眉根を寄せながら横山を見つめた。 「俺の親父ね、俺達の通ってる塾の筆頭株主なの。だから塾の経営なんかに色々口出しできるんだよ。俺がさ、ゲイの講師がいて困ってるなんて言ったら、親父目の色変えて、俺が何とかするとか言って息巻いちゃって」  話の途中で、真南人は横山の両肩を痛いぐらい掴んでいた。青筋の立った手が肩に食い込み、怒りで小刻みに震えている。 「何だよ。怒ってんの? 感情表現が乏しいお坊ちゃんだと思ってたのに、そんな風に怒れるんだ? へえー、これは驚きだ」 「何で……何でそんなことしたんだ!」   怒りが滲んだ、とても低い声が真南人の口から発せられた。真南人は感情に任せ、横山の胸ぐらを掴んで引き寄せると、二人の顔は鼻先がくっつきそうな程近くなった。 「気に入らないからだよ。あの講師が」 「どうして! あの人がゲイだから? 横山は平気で人を差別するような人間だったの? 横山がしたことは完全なる人権侵害だ!」 「ねえ、柏木……何であの講師なの?」 「え?」  真南人はその言葉にはっとし、思わず掴んでいた手から力を抜いた。 「何であの講師には心を開くの? あの講師と俺達何が違うの? いつだって他人になんか興味がなかった柏木がさ」 「そ、それは理由なんてないよ。た、ただ、僕は人として夏川さんを尊敬してるし、とてもおもしろい人だから、一緒にいて楽しいし」 「柏木さ。俺をこんなところにわざわざ呼び出しておいて、まだそんなこと言うわけ?」 「は?……な、何が言いたいんだ?」 「はっきり言えばいいじゃん。柏木はさ、あの夏川って講師を好きになっちゃったんだろう?」 「す、好き?」  真南人は横山の言葉に、自分が今まで考えすぎるほど考えてきた行場のない答えを、いとも簡単に突きつけられたような衝撃を受けた。 「安心しろよ。癪だけど、俺も同じだから」 「え?」  横山は、力を抜いた真南人の手首を掴むと、そっと自分の胸に真南人の手を置いた。 「俺はずっと柏木に話しかけたかった。すごく友達になりたかった。今まで誰かにここまで惹かれたことなんてなかった。柏木が友達になってくれるんなら、いつも一緒にいるたくさんの友達全部失っても全然平気だって思った……」 「よ、横山?……な、何を言ってるんだ?」 「俺がいつも柏木を見てたってこと全然気付かなかった?」 「き、気づくわけ……ないじゃないか……」  真南人は、突然の横山の告白に愕然とした。これは白昼夢に違いないと、そう思ってここから逃げ出したかった。真南人の目的はこんなことではなく、夏川が突然塾を辞めた理由を知るためだ。もし横山がそれを知っていたら、そこからどんな糸口でも良いから手繰り寄せ、夏川と自分を繋ぐ糸をどうにかして元のように繋ぎ合わせたいと思ったからだ。でも、こんなことは想定外だ。  真南人は強く掴まれながら横山の胸の上に置かれた自分の手を、ただ凝視することしかできないでいる。  「聞こえる? 俺の心臓の音。人間にはちゃんと心があるんだよ。それをないがしろしてきた柏木には分からないかな? 俺の気持ちなんて」 「は、離して……お願い。僕はそんな話がしたくて横山を呼んだんじゃない!」 「はあ~。柏木ってほんと傷つくこと平気で言うよな。じゃあ、どんな話がしたかったわけ? 俺にあの講師のこと聞いたって何も出てこやしないぜ?」  真南人は、横山の心臓の上に置かれた自分の手を素早く解くと、そのまま横山の両肩に手を乗せ、強く前後に揺さぶった。 「何でもいいんだ。夏川さんのその時の様子とか、どんな些細なことでもいいから教えてほしいんだよ! 夏川さん、もう二度と僕とは会わないって……そう言ったんだ。何故だろう? 何で突然……」 「そんなの、柏木をこれ以上好きにならないために決まってんじゃん」 「え?」 「柏木だって気づいてたんじゃないの? あの講師が自分を好きだってこと。俺は気づいてたぜ。二人のこといつも見てたから。多分、ノンケ男子高校生の健全な人生を狂わせちゃいけないって思ったからだよ。自分の欲望のまま暴走したらやばいってあの講師もさすがに気づいたんじゃないの? だって俺や柏木の好きっていう感情はさ、うまく説明できないけど、あの講師とは違うだろう? 俺達は女の子としかセックスできないんだし」  真南人は理解できないというような顔を作り、横山をまっすぐ見つめた。 「待てよ。それおかしくないか? じゃあ横山の僕に対するその感情は何? プラトニックなただの友情? 僕は違うよ。僕はセックスに結びつかなくなんかない。僕は夏川さんとそうなってもいいぐらい、今、夏川さんが恋しくてたまらない」 「か、柏木?」 「そうだよ。そうだったんだ……ねえ、横山。僕は今自分に正直になりたいって初めて思ったよ」 「はあ? ま、待って! 柏木」 「何を?」 「え?……だ、だから、あの講師のところに行くなんてバカだよ。あの男はゲイだぜ? 柏木とは違う……」 「違わないんだよ。きっと。多分同じなんだ」 「ち、違うって! 柏木、それってひどい勘違いだぜ? 正気に戻れよ!」 「ありがとう。横山。これでやっと僕は人並みの体温を手に入れられる」 「……は? 何? 意味わかんないんだけど」 「横山も、後悔しないで生きた方がいいよ」  その時、弾かれたように見開かれた横山の目を、真南人は見逃さず静かに見据えた。 「こ、後悔って何だよ……俺はただ、柏木ともっと親しくなりたくて……ただ、それだけ……」  真南人はぎゅっと横山の手を握ると、横山の体を引き寄せ抱きしめた。 「か、柏木……」 「ありがとう。横山。僕を好きになってくれて。そして、ごめん。たくさん傷付けて。でも、僕はどうしてもあの人を探さなきゃいけないんだ」 「……か、柏木。いやだ……行かないでくれ」  途切れ途切れに懇願する横山を、真南人は切ない瞳で見つめた。そして、その姿をしっかりと目に焼き付けなければと思いながら、真南人は静かに横山から後ずさりをすると、踵を返して、生徒会室を後にした。

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