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第4章

          1  じりじりと照りつける太陽に無防備に身を委ねるのはかなり危険かもしれない。そのくらい今日は、太陽がいつもよりも威力を増しながら頭上で憎らしいほど輝いている。  江ノ電を降り稲村ヶ崎駅に着くと、夏休み中のせいか、七里ヶ浜へ海水浴に来ているカップルや子ども達を多く見かけた。皆一様に肌が黒く焼けていて、夏を思う存分満喫しているのが伝わってくる。  真南人は、不快な汗を拭いながら海岸の方に向かい歩く。  月日の流れが、幾ばくか自分を精悍にしてくれただろうか? 身長はあの頃より数センチは伸びたが。  夏川と約束を交わした今日まで、自分は毎日努力を重ね、着実に力を付けてきたと自負している。大学にも合格した。そして、父親と同じ脳神経内科の専門医になるということは、今では自分にとってそれが、夏川と一緒に目指す夢への足掛かりであり、自然と生きる希望となって心に強く存在している。その夢と希望こそが、お互いに会わないと約束した時間を乗り越えるための原動力になっていた。  自分は夏川に会えない間、夏川を思わない日など一度もなかった。いつも心の片隅に存在していたし、不意に強く沸き上がる恋情に苦しめられることもあった。また逆に、辛い状況を乗り越える勇気となることも。それはまるで、夏川と共に生きてきたと錯覚してしまうほどの密な時間であり、それだけ自分は、夏川と深く心で繋がっていたのだと思う。  もうすぐだ。もうすぐ会える。  もし夏川が自分を待っていなかったら。そう思わなかったことももちろんなくはない。でも、もしかしたら夏川は、自分以上に自分を待っていのではないかという期待を、それでも前向きに持ち続けてきた。  夏川は、自分を大切に思い必要としてくれる。  その思いが、あの時この場所で強く伝わったからこそ、自分は不安に押しつぶされることなく、今日という日を迎えることができたのだから。  真っ青に晴れた空と、コンクリート打ち放しの壁とのコントラストが美しい。   真南人は、夏川家所有の別荘を見上げると、背中やこめかみに伝わる汗を感じながら、緊張を沈ませるために「はあ」と長い息を吐いた。 玄関までゆっくりと歩くと、靴底にまでアスファルトの熱が伝わるのが分かる。尋常でない今日の暑さは、真南人と夏川を会わせるための演出としては少しばかりやり過ぎのような気がして、真南人は憎々しくもう一度太陽を仰いだ。  胸の動悸を抑えながら木製の大きなドアに手を掛けると、鍵がかかっているのか開かなかった。  真南人は、この状況をどう捕らえようかと冷静に考えようとしたが、否応なく背筋を這い上ってくる不安に、この暑さの中なのにもかかわらず、体が一気に冷えていくような感覚を味わった。  真南人は、取り敢えず別荘の周りを確認してみようと、正面玄関から裏手に回ってみた。すると、別荘に隣接しているガレージに、赤いジープが一台止まっているのに気づいた。普通に考えれば、そのジープは夏川家の物に違いないだろう。でも、夏川は車の免許を持っていなかったはずだ。しかし、会えない間に免許を取得したのだとしたら、夏川は既にここに来ているということになる。   真南人の心は、瞬時に不安から焦りへと変わった。今すぐにでも夏川に会いたいという思いが、軽々と頂点に達したからだ。  もしかしたらと思い、真南人は、裏口から中に入れそうなドアを捜した。すると、キッチンに繋がる勝手口のようなドアを見つけ、慌てて手を掛けてみると、勢いを付け過ぎたせいでハンドル型のノブから手が滑った。  「あっ」  その時、ドアがゆっくりと手前に動いたのに気づいた。 「開いてる」  真南人は慌ててハンドルを掴むと、逸る心を抑えながら、暗い室内の中を窺った。 「夏川さん……いるんですか?」  外から声を掛けてみたが返事はなかった。   真南人は躊躇いなく靴を脱ぎ中に入った。  室内は、まだ今日が訪れていなかのように薄暗く、しんとしていた。腕時計を見ると、時計の針はちょうど二時を指していた。もう少し早くここに来たかったが、前期の定期試験が近いため、昨日は大学の図書館で明け方まで勉強をしていたので、結局今の時間になってしまった。  キッチンを通り抜けると、あのクリスマスイブの日に、夏川と並んで海を見つめた黒いソファーのある大きなリビングに出た。  真南人は、あの夜のことを、今でも切なさとともにはっきりと思い出すことができる。夏川の美しい横顔と耳に響く優しい声。まだ唇に残るキスの感触が、真南人の心を熱くする。 「夏川さん! 真南人です! 夏川さんに会いにきました!」  部屋の中は真南人の声が虚しく木霊するだけで、変わらず静まりかえったままだった。   真南人はがっくりと項垂れると、目の前のソファーに躊躇う余裕もなく倒れ込んだ。ほとんど徹夜に近い状態でここまで来た真南人の体は、既に限界に達していた。  真南人は、そのまま深い眠りに落ちそうになった。いけないと分かっていても体が言うことを聞かなかった。 「夏川さん……」  真南人は譫言のようそう呟くと、一度閉じてしまった真南人の目は、そのまま開くことはなかった。

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