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第4章

          5  翌朝、遅く起きた真南人と夏川は、空腹に襲われ、冷蔵庫の中の物を適当に調理し夢中で食べた。こんな二人だけの何気ないやりとりが、いずれ当たり前の日常になるのだと思うと、真南人は嬉しさで胸が詰まり、途中から食べ物が喉を通らなくなった。  でも、一年半年ぶりに会えたというのに、二人でいられる時間は短く、真南人は大学の前期試験のため明日には大学に戻らなければならなく、夏川は帰国して早々、社長を継ぐために専務という立場で経営実務を学んでおり、やるべきことが山積みで、やはり仕事を休めるのは三日が限界だった。  真南人は、これからもきっとこんな風にお互い時間に縛られ、会える時間もままならなくなるのかもしれないと、フランスパンをおいしそうに頬張る夏川を見つめながら、突然そんなネガティブな考えに捕われた。  真南人は、その思いを払拭しようと、自分も固いフランスパンを思い切り口の中に詰めし込み、夏川を見つめながら、やや不自然に微笑んでみせると、夏川が不思議そうな顔をして真南人を見つめた。  遅い朝食を食べ終わると、二人は夕方にはここを一緒に出ようと確認し合い、それまでの時間を、せっかくだから海水浴でもして過ごそうと決めた。  人気のない穴場のビーチを知っているという夏川の運転で、稲村ヶ崎駅より南に車を走らせた。しばらくすると夏川の言う通り、岩場に囲まれた誰もいない小さな砂浜が現れた。   夏川は道路脇に車を止めると、トランクから飲み物と白いビーチパラソルと青いビーチベッドを二つ下ろし、二人でそれを砂浜まで運んだ。  今日も変わらずの猛暑日で、真っ青な空に浮かぶオレンジ色の太陽が、容赦なく自分達を照りつけている。  砂浜にビーチパラソルを立て、その両脇にビーチベッドを並べると、宛ら洒落たプライベートビーチが出来上がり、この二人だけの特別な空間に、真南人のテンションは僅かに上昇した。ただ、どうしても夏川との迫り来る別れの時間ばかりが気になってしまい、今この一瞬を楽しもうとする心が寂しさに凌駕されてしまいそうになる。でも、もし夏川も真南人と同じ気持ちなのだとしたら、真南人は夏川のために、今この時を、更に良い思い出となるよう努力しようと気持ちをこっそりと切り替える。   ジーパンで海に入るのは危険なので、二人はその下に水着を穿いてきていた。泳ぎがあまり得意でない真南人は、躊躇うようにジーパンを脱ぐと、取り敢えず水着姿になり、ビーチベッドに寝そべった。そんな真南人を夏川は横目で一瞥すると、煩わしいようにジーパンを颯爽と脱ぎ捨て、訳の分からない叫び声を上げながら海へといきなり駆け出した。   真南人は、そんな子どもっぽい夏川がおかしくて笑った。 「真南人もおいでよ~」  キラキラと輝く海をバックにそう叫ぶ夏川が眩しくて、真南人は目を細めると、意を決したように立ち上がった。 「僕、泳ぐの苦手なんです……あと、海も」 「へー、そうだったの? 何か悪戯心に火が付くな」  夏川は意地悪そうな顔をすると、真南人の背後に忍び寄り、いきなり腰を両腕で抱き上げた。驚いた真南人を他所に、夏川は波打ち際まで真南人を抱えて歩くと、強引に海の中に真南人を突き飛ばした。 「うわあっ!」 「あはは~、どう? 気持ちいいだろう? もう、真夏に海に入らないでどうするのさ」  波を被りながら尻餅を突く真南人を見下ろして、夏川が愉快そうに笑った。 「ひ、ひどい。いきなり何なんですか?」  びしょ濡れになった顔を拭いながら、真南人は夏川を睨みつけると、油断している夏川の手を掴み、思い切り引っ張った。 「わっ、ちょ!」  真南人に引っ張られ、一緒に尻餅をついた夏川は、悔しそうに真南人に両手で水をかける。  「もう! 子どもみたいです。瑠生さん」 「子どもみたい大いに結構だね! 俺は真南人の前だと自然体の自分でいられるんだから」  はっとさせる台詞に、真南人の胸は素直にときめいた。そんな風に自分を思ってくれる夏川の気持ちに、真南人はちゃんと応えたくなる。 「分かりました。よし! 僕もハメを外します」  そう言うと真南人は、砂浜から勢いを付けて立ち上がる。 「じゃあ、僕が逃げるんで追いかけてください。どうですか? 良くあるシチュエーションですよね?」 「うははー、それいい、やりたい。そういうベタなやついつかやってみたかったんだよ」  夏川は嬉しそうに微笑むと、早く逃げてと言わんばかりに目を輝かせた。 「何かこういうのって、改まると逃げづらいですね」 「……っぷ、ぷふ。真南人ってやっぱり可愛いなあ」 「えー、何ですかそれ! 男に可愛いって言うのはなしですよ!」 「あはは。ごめーん」  気づいたら、真南人が追いかける側になっていた。波打ち際で水しぶきを上げながら男二人が追いかけっこをする姿はかなり滑稽だが、真南人の中の寂しさは、努力せずともいつの間にか薄れ、二人だけの貴重な時間を無心で紡いでいた。

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