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第4章
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あの別荘での再会から三週間が過ぎようとしていた頃、真南人のスマホに夏川から連絡が入った。夏の終わりの、少しもの悲しいこの時期に、その電話は突然かかってきた。それは、夏川と久しぶりに会えるということを意味していると信じ、真南人は飛びつくようにスマホに出た。
「もしもし! 瑠生さん? はい? 試験? ええ。結果は悪くなかったですよ。あ、あの、今日はもしかして、やっと僕達会えるとかの電話ですか?」
真南人はやや控えめに、でもかなり期待を込めてそう言った。
「うん。時間ができたんだ。今晩大学が終わったら、俺のお気に入りの場所で会おうよ」
「え? 父の病院で? 嫌ですよ。怪しまれます」
「えー、そんなこと気にしてたら真南人とちゃんと付き合えないじゃん。とにかく、今日の夜七時にあの場所で待ってるから。必ず来てよ」
多忙過ぎて時間がないのか、夏川は一方的に約束を取り付けると、真南人の話をろくに聞かずスマホをいきなり切った。
「はあー、ったく」
ため息交じりにそう言ったのは、あの場所で会うという僅かな憂鬱が原因だ。でも、夏川に会えることに卒倒しそうなほど気分が高揚するのは、隠しようもない事実だった。
大森駅を降りた時は、時刻は既に19時を回っていた。遅刻をしてしまったのは、大学での生物実験が思ったより長引いてしまったからで、真南人は駅に向かう人混みを掻き分けながら、足早に父親の経営する病院へと急いだ。
幼い頃から何度も行き来したこの道を通ると、真南人の心に郷愁めいた感情が生まれてきて、その懐かしい記憶が否応にも真南人に父親の存在を強く意識させる。そうなると、これから自分があの病院を継ぎ、そして、暗黙の了解のように永遠と受け繋がらなければならない未来の後継者のことを考えてしまうと、今この時を、ただ無心で自分のためにだけ生きるのは許されないような、そんな罪悪感に苛まれてしまう。
だから、病院では会いたくないとあれほど言ったのに。
真南人は心の中でそう強く叫んだ。
暗い気持ちのまま歩き病院の玄関まで来ると、いつもの一階ロビーのナースセンターにいる看護師が、真南人に気づき軽く会釈をした。真南人はそれにぎこちなく挨拶を返すと、夏川は既に屋上にいると判断し、エレベーターの前まで歩きボタンを押そうとした。
「あの……」
「え?」
「これ」
「はい?」
突然、看護師が真南人の肩を叩き、声をかけてきた。
「これは?」
「はい。渡してって頼まれました。夏川さんから」
「……え?」
「屋上の鍵です。すみません。私、かなりいけないことしてましたよね? でも、夏川さんが真南人さんは何も言わないから大丈夫だって言っていたので……本当にすみませんでした。でも、鍵を貸していたのは夏川さんにだけですから……あの、私クビですか?」
「え? いや、えーと、その……」
「大丈夫です。私口固いですよ。それに、大好きな夏川さんを苦しめることはしません」
「は? な、何? それどういう意味?」
真南人は激しい動揺に声が裏返った。
「お付き合いしてるんですよね? あ、大丈夫です。安心してください。私はお二人の見方ですから」
真南人は看護師から鍵を渡されると、エレベーターの前でしばらく呆然と立ち尽くした。
「どうしたんですか? 早く行かないと。夏川さん屋上の入り口でクビを長くして待ってますよ」
看護師はそう言うと、可愛らしい笑顔で真南人の背中を押した。その笑顔は彼女の人柄を表していて、ちょっと一癖あるが、心は純粋で綺麗なのかも知れないと感じた。
「信じていいんですか?」
「え?……あ、はい。もちろんです」
看護師は大きな声でそう言うと、真南人の背中を軽く叩いた。
「だって、私この病院大好きだし。真南人さんはいずれこの病院を継ぐんでしょ? だったら、私尚更応援しちゃいます。あ、ほら、エレベーター来た」
真南人は看護師にエレベーターの中に押し込まれると、慌てて振り返った。看護師はドアが閉まるまで、笑顔で真南人に手を振っている。
何を考えてるんだろう。
真南人は混乱する頭を抱えると、誰もいないエレベーターの壁にそっと凭れた。しばらくして、チーンという音が鳴りドアが開くと、その先の真正面に、憮然とした夏川が立っていた。
「うわっ、ちょ、ちょっと、びっくりするじゃないですかっ」
「何だよ。もう、待ちくたびれたよ。久しぶりに会えるってのに、何してたの? 鍵は? 早くドア開けてよ」
「か、鍵ってこれのことですか? 何でこんなこと。あの子がおしゃべりな子だったらどうするんですか? この病院の息子はゲイで、製薬会社の跡取りと付き合ってるなんて知れたら、大スキャンダルじゃないですか!」
「いいから……早く開けてよ」
夏川は有無を言わせぬ雰囲気でそう言った。
「わ、分かりました。今開けますから」
今まで見せたことのない夏川の様子に気圧されながら、真南人は屋上に出るドアのカギを慌てて開けた。
ドアが開くと、むあっとした生温かい外気が入り込んできて、もうすぐ夏が終わるというのは嘘なんじゃないかという気にさせた。
「あー、やっとここに来られた。俺ここに来るの、あの日以来なんだよ」
夏川は、待ち切れないとばかりに、すり抜けるように屋上に出ると、感慨深気にそう言った。
「……瑠生さん。あの、僕の話ちゃんと聞いてましたか?」
真南人は夏川の行動が理解できず、苛立ちながら夏川の背中に向かい問いかけた。
「大丈夫。彼女は信用できる子だよ。それに、俺達の関係を知っていても応援してくれる人がいるって、すごく嬉しいし、それが俺達の強みになると思わない?」
「そうだけど……でも、やっぱり心配です。もし、僕達の関係が大々的に知れたら」
「そんなに怖い? ばれるの」
「え?」
「一番はお父さんに……かな? 不思議だな。ここで俺を諭してくれたのは真南人なのに……」
真南人ははっとして俯くとそのまま黙り込んだ。その直球な言葉は、真南人の心を深く貫き、痛いほどに抉ってくる。
「愛してるよ。真南人」
「え?」
「ここに真南人と初めて来たこと思い出すなー。すごく素敵だった。ここは俺にとって一生最高の場所だよ……ああ、でも寂しいな。もうすぐ夏が終わっちゃうね」
「瑠生さん?」
「俺と真南人はここでお互いに運命を分かち合ったんだよ。覚えてるだろう? だから俺達は死ぬまで運命共同体なんだよ。そう思えば何も怖くない。大丈夫。何があっても俺が真南人を守る。絶対に……」
真南人の目から大粒の涙が溢れるのに少しの時間もいらなかった。真南人は自分の頬を伝う涙で、都会のくすんだ夜景がキラキラと滲んでいるのをぼんやりと見つめた。
「……バカです。瑠生さん。彼女、多分いい子なのに、可哀そうです」
「うん。そうだね。俺のことが好きってのはかなり見る目あるし、本当にいい子だよ」
「……罪作りですね」
「いいんだよ。真南人とここで会えるためならね」
「本当にあなたって人は……」
「おいで。真南人。ここでキスしよう」
夏川は誘うような艶のある目で真南人を手招くと、真南人は引き寄せられように近づき、夏川の頬をそっと両手で包んだ。
「瑠生さん。僕もあなたを一生守ります」
まるで、神様の前で誓うかのように、真南人は生真面目にそう言った。
そして、徐々にお互いの唇が近づき触れ合った瞬間、ふと真南人が肌に感じた空気は、紛れもなく夏の終わりを忍ばせていた……。
了
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