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第4話 なんて一日

 けっこういい感じって。 「ふぅ……」  お湯に浸かると、自然と溜め息がこぼれた。  湯船って、すごい久しぶりな気がする。  お風呂に入るのはすごい好き。けど、あいつの部屋はすっごく狭くて、バスルームもすっごい狭かったから、お湯を張ったりしなかった。自分の、もう取り壊されちゃった部屋にいた頃はお湯、入ってたけど。  だから、こんなに「お風呂入ってます」って感じなのは久しぶりで。 「……」  変なことになったなぁ。  何この、俺の根無し草っぽいフラフラした安定感ゼロの生活。  でも、まぁ、とてもありがたい、けど。  足を伸ばすこともできる浴槽の中で、脚を抱えるように丸まって、湯気でいっぱいになった白くもやがかかった向こうにうっすら見えるタイルを眺めた。  ――聡衣、元気出せよ。仕事はすぐに見つかるって。まぁ、それまではうちにいていいし、さ。  今度は、って、思ってたんだ……けどね。  ――とにかく、今日の面接、頑張れよ。  今度こそは、って、あいつとなら、って。でも、部屋、出された後、あいつのところに世話になることになって、でも、それは仕事を見つけるまでの期間限定なんだ、ってちょっと思ったりもした。結構長かったから。二年付き合ったから。いや、あいつにしてみたら婚約者っていうか彼女がもういるわけだから、俺との付き合いは二年じゃないのかもしれないけど。とにかく、部屋、住まわせてくれることにはなったけど。でも。  一緒に暮らそうか。  それは絶対に言われなかったのが少しだけ違和感っていうか、「あれ?」っていうのはあったんだよね。  そうは言ってくれないんだなぁっていうの。  それからまだ別々に住んでた時、土日は会えなかったっていうのも。会社員をしているあいつは土日が休みで、けど、俺はアパレル系だから土日こそ朝から夜まで仕事で。でも、その仕事の帰りに会おうと言われたことは一度もなかった。気がつかなかったけど、その土日はきっとあっちと会ってたってことなんだと思う。  そんなこと思いつきもしなかった。土日に会いたいとか、泊まりにおいでよって言われない理由なんて、考えもしなかった。 「……っ」  いい感じに付き合ってる、そう思ってたのに。  問題なんて一つもない、なんて思ってたのに。 「ごめん、聡衣」 「! は、はいっ」  思わず慌てて、湯に浸かりながら、暴れると、曇りガラスの向こうで久我山さんが「大丈夫か?」って声をかけてくれた。大丈夫ですって慌てて答えると、下着、買ってきてくれたって。 「着替えは、とりあえず今日一日だから俺ので我慢してくれ」 「あ、全然、大丈夫、です。あの」  俺がお風呂入ってる間にコンビニ行ってくれてたんだ。 「ありがとう」  そう、あいつのところのバスルームよりもずっと広いところからお礼を言うと、優しい声が「どういたしまして」って言ってくれた。  そして久我山さんがバスルームを出たのを音で確認して、湯船から上がり、そばに置いていたバスタオルで身体を拭った。  今までと違う洗剤の香り。  今までと違うバスルーム。 「あ、でか……」  久我山さんの服、サイズ一回り違ってるし。  手も足も、それからウエストも余りまくり。ウエストは余るとは思う。俺、メンズよりもウィメンズの服の方がサイズピッタリだったするし。でも、ウエストだけだけど。ヒップは女性サイズだと今度は合わない。余っちゃう。だから、同性の久我山さんの服のサイズが合わないのはわかるんだけど。  っていうか、袖と裾、こんなに余る? 「手足なが……」  身長差けっこうあるんだ。  彼氏の服を借りることなんて何度もあったけど、ここまで余ったことないかも。俺も今日革靴履いてたから、あんまりわからなかった。  鏡の前で、珍しくたくさん服の袖が余ってる自分の格好を眺めてた。  って、ダメでしょ。家主より先にお風呂借りたんだから、早く出ないと。  袖と丈はまぁ、折ればいい。ウエストだけはどうにもならないから、本当、腰に僅かに引っ掛かってる程度。ちょっと引っ張られてらそれで脱げちゃう。  でも、久我山さんはゲイじゃないから男の生足なんて見ても面白くはないだろうし。 「あ、あの、出ま、した……」 「あぁ…………っぷ」 「! な、何?」 「いや、背案外小さいんだなと。細いからか。なんか縦長に見えた」 「! 縦長って、失礼なっ」  そこで久我山さんは笑いながら「失礼」って呟いて。ポットで沸かしたてのお湯をマグに注いでる。 「コーヒー飲めよ」 「あ……ありがと」 「そんで飲み終わったら、ここに置いといていいから。寝室、そっちな」 「え、いいよ。俺はこのソファで」  お風呂も借りて、着替えに、下着なんてコンビニまで行って買ってもらっちゃって、もうそれで充分だしって慌てると、久我山さんも淹れたてのコーヒーを口にした。 「寝床のことは明日。とりあえず今日はベッド使え」 「でも」 「災難な一日だったろ。俺はソファで平気だから。ほら、コーヒー。ミルクだけ入ってる。砂糖足したかったら、あっちに出しておいたから」 「あ、あの、ありがと。何から何まで」  どういたしまして、そう言って、久我山さんが俺の頭にぽんって手を軽く置いた。 「ゆっくり休んどけよ」 「ぅ……ん」  そして、久我山さんはバスルームへ。  俺は、寝室へ。リビングから床続きで、でも仕切り代わりに設置してある棚があるからリビングと寝室ってわけられてる感じ。  シーツ、新しくしてくれたんだ。  そっと腰を下ろして手をつくと、洗い立ての少し硬い肌触りがする。そこにゴロンと寝転がれば、やっぱり違う洗剤の匂いがわずかにした。  そりゃ、モテるでしょ。こんなにちゃんとしてるんだもん。  女子にしてみたらお姫様扱いしてくれるルックスも生活も全部丸ごと王子様な人。好きにならないわけない。 「……すごいな」  そして、根無し草みたいな俺は、偽物だけれどそんな王子様のお姫様役。 「すごい一日……」  庶民にこっぴどくフラれた、そこらへんにいるお嬢さんが王子に気まぐれにピックアップされた、みたいな。  まるでコミカルなおとぎ話みたいな展開のせい。 「コーヒー……飲んだら寝れないじゃん」  目を閉じても、ふわふわとした、高揚感にも似た浮遊感で、根無し草みたいな気持ちはしばらく落ち着けそうもなかった。

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