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第3話 早漏とは言ってません。
「適当に座ってて」
「あ……は、ぃ」
案内してもらってしまった。
とりあえず、言われたままリビングのソファにちょこんと座ってみたけれど。
俺にとって今日からの寝床となるそこは男一人で住んでるとは思えない感じに整えられてた。いや、あいつの部屋がごちゃごちゃしてたのかな。あんな仕立てられたスーツ着て、高級時計しているような人の部屋はこういうものなのかも。
「お疲れ」
「……あ、ども」
久我山さんはそう言って、緊張気味な俺を見てから、少し笑って、缶ビールを手渡すと、ソファに座ることはなく、立ったまま同じ缶ビールをプシュッと開けた。
駅からは歩いて十分かからないくらいのところにある十階建てのマンション。
隣がコインパーキングと月極半々になっている駐車場。反対側のお隣は、ビル、っぽい。よくわからない事務所系が入ってる感じの。その無機質な隣同士に挟まれてるからか、ライトアップされたマンション手前の木々が、なんだかホッとさせてくれる気がした。
雰囲気は良いマンション。
あとオートロックだった。
部屋は、すごく広いってわけじゃないけど、良い感じ。
あ、すご……アイランドキッチン、っていうんだっけ? こういうの。なんか今っぽい。
っていうか、俺、本当についてきちゃって大丈夫だった?
免許証見せてくれたからって怪しくない?
いや、っていうか、怪しまれるべきなのはこっちかも。
「っぷ、すげ、顔に出てる」
「え?」
「まぁ、突然すぎるよな。恋人のフリをして欲しいとか、一緒に住んでもらうとか。怪しい奴ではないから安心しろって言われてもな。あぁ、荷物、明日でいいか?」
「?」
「あの、なんだっけ、二股短小早漏男のところにあるんだろ? 荷物」
「……早漏とは言ってないけど」
まぁ、早漏だからこそのデキ婚だったりするのかもしれないけど。
久我山さんは同じことを思ったのか、目が合うと、俺の心の中を読んだみたいに笑ってから、セットされていた髪を窮屈だったんだって言いたそうに片手でわしゃわしゃと崩した。
「荷物、持ってこないとだろ?」
「あ、あの」
「?」
「本当にいいの? っていうか、むしろ、知らない奴を部屋に上げちゃっていいの?」
女の子じゃないし、さっきの展開からいって女ったらしのノンケだから、男の俺がここに上げり込むこと自体は、「そういう意味」では全然安全だと思う。あるとしたら、物騒な、傷害事件的な方向のことを心配くらいなもので。一応、運転免許証見せてもらっているし。住所、もうしっかりわかっちゃってるし。だから、俺としては全然大丈夫だけど。でも久我山さんにしてみたら、大丈夫かどうかなんてわからないじゃん。俺のこと、知らないのに。
「泥棒かもしれないじゃん」
「っぷは、まぁな。けど、泥棒じゃないだろ? それにこっちにしてみたら、都合がいいわけだし」
「あ、あの……聞いても……いい感じ? その」
大先生って?
ご心労って言われてたけど?
「まあ、とある大先生の娘さんが俺に気があって、けど、大事な婚約直前だったらしく、おかしな虫でもついたら婚約がパーになって大変だってことになり、さっきの、あのすげぇ怖い顔したアレが俺を見張ってるってわけだ」
確かに怖い顔してた。目とか吊り上がってたし。
「で、絶対に手を出さないでいただきたいと言われたわけ。兎角、婚約成立ってなるまでは厳重注意」
「それで……」
「そ、男に走りましたって言ったら、もううるさいことは言われないかなって思ったんだ」
そんなことを考えながら、待ち合わせのレストランに行く途中であの痴話喧嘩がトイレから聞こえてきたわけで。
「それでも監視がつくことに変わりなかったけどな」
「そっ……か」
「あぁ、だから、しばらく一緒に暮らしてくれる方が都合がいいんだよ」
「そっか」
そこまで話し終えたところで久我山さんはビールを飲み終わったみたいで、キッチンへとそれを持って行き、ゆすいで、逆さまにして、食器のカゴへと置いた。ちゃんとしてる人だ。あいつだったら、あの浮気野郎だったら、キッチンにそのまま置いてる。
「そんで?」
「?」
「とりあえず荷物は明日でいいか?」
「あ、うん。ありがと。あ、あのっ、俺は枝島聡衣、です」
「あぁ」
もう名前は最初に言ったっけ。
「えっと、今は無職で、住む場所も、その住民トラブル系で、あ、いや、俺がトラブル起こしたわけじゃなくて。別の人が一人でトラブル起こして、アパート出ないといけなくて……それで」
「あぁ」
急に始まった自己紹介に久我山さんは笑ってる。
「あ、えっと、免許証なら俺もあるから」
「いいよ。泥棒だと思ってないし怪しんでもないから」
「けど、明日朝起きたら、家の中の貴金属無くなってるかもしれないじゃん。だから、はい」
財布の中にある運転免許証をキッチンに戻った彼へと向ける。
それをチラリと見てから、「あぁ」なんて、ちっともちゃんと確認せずに言って笑って。
「俺は久我山旭輝」
うん。知ってる。
「ただいま、女性関係のトラブルで困ってる」
はい。俺がそれのお助け役。
「ソファ」
「?」
「座ってもいいか?」
「! ご、ごめっ、どうぞどうぞ」
慌ててソファの端っこに座り直して、この家の主である久我山さんにテレビの、あ、テレビ超でっかい。すご。そんなテレビの大画面真正面を譲った。
けれど、久我山さんはこのソファの真ん中には座らず。俺の隣に座って。
「とりあえず」
俺の手を取った。
「よろしくな」
実は…………さ。
「聡衣のこと泥棒だとも思ってないし、貴金属も持っていかないってわかってる」
少し、痛かったんだ。手。
「早漏短小浮気男にグーパンしてやるくらいの根性があるっていうのと」
だって、人、ぶん殴ったの初めてだし。
「人をぶん殴り慣れてないのもわかったから」
だから、手、ちょっと痛くて。そんなことしたことないから手がびっくりしちゃって、実はずっとジンジンしてた。それにどっかで切ったのかな。あいつのしてたピアスのせいかも。
「切れてる」
その手に久我山さんが絆創膏を貼ってくれた。
「風呂沸くまで、冷たいタオルで冷やした方がいいかもな。腫れてる」
俺も、この人のこと名前と住所しか知らないけど。でも、わかる。
怪しくも、怖くもないっていうのは、ちゃんとわかる。
「あ……りがと……」
「どういたしまして」
「あ、あと! 早漏とは言ってないってば」
久我山さんは楽しそうに「あぁ、そうだっけ」って笑っていた。そして、笑うと、いっそうイケメンっていうのも、今、わかった。
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