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第6話 ビールよりストロングですから

 絵に描いたような良い男って本当にいるんだなぁって。 「っっっっっぷ、はぁぁ」 「溜め、なが」  久我山さんがちょっとだけ笑ってから、プレミアムビールをちゃんとグラスに注いで、それをぐびっと飲んだ。えらいよね。ちゃーんとグラスに注いで飲むとか。俺、いっつもそのまま飲んじゃってたけど。なんか、そういうところに生活水準なるものが露呈する気がするよね。 「いーじゃん! 別に!」  なんて思いながら久我山さんのグラスを見てから、自分が両手に持っていたグラスを見つめた。右手には期間限定梨味チューハイ。もう片方の手に持っているのは同じく期間限定林檎味チューハイ。まずは梨味。それから林檎味もぐびっと飲んだ。 「まぁな」  不思議。  どっちも同じ、少しだけうっすらと黄色がかった泡がシュワシュワとグラスの中で踊ってる。同じ色。なのに、味がちゃんと違う。  いつも缶で直飲みだから色なんてちゃんと見たことなかった。  二人で乾杯した。  新しい生活に。  部屋まで作ってもらっちゃった。  小部屋だけど、そもそもは書斎というか、リモートワークとかもここで可能ですっていう畳四畳ほどの小さなスペース。オンラインミーティングとかをするのに使ってるって。  そこを俺の部屋にしちゃっていいんですか? って、そう思ったけど、期間限定だし。  じゃあ、その間だけお邪魔しますって。  いそいそと午後からは自室作り。  スーツケース持って帰ってきて、今度は買い物にも出かけてさ。とりあえず必要なものを買って。夜には布団まで届いちゃったりした。さすがだよね。いまとなっては一般的に普及しまくってるオンラインショッピング。このおかげで、アパレル業界、というか店をかまえるアパレルジャンルはとっても苦しい崖っぷちだったりするんだけど、でも、今回はそのオンラインショッピングの凄さを実感してしまった。  頼んですぐ、こんなに早く届くなんて。  そして半捨てられ状態だったスーツケースから、もう少しちゃんと入れてくれても良くない? て言いたくなるような皺くちゃに詰め込まれた洋服たちを出して部屋にかけて。 「っていうか、なんか色々、ありがとうございます」 「?」 「部屋」 「あぁ」 「あ! っていうか! オンライン会議する時はちゃんと出ていくんで。部屋から! 服はかけてあるけど、それ持って退避しますんで」  オンラインするのに部屋の壁一面に洋服かけてあったらダメだもんね。 「別に、オンラインで仕事はあんまりしてない。家でまで仕事のことなんてしたくないしな」 「ふーん」  そういうの無縁な生活だったからなぁ。本当にそういう仕事してる人っているんだなぁって。 「あ!」 「今度はなんだよ」 「ね、久我山さん!」 「あ?」  大事なこと、聞き忘れてた!  すごく、大事だよね!  なんか今、自分が仕事してないからか、頭からスポンと抜けちゃってた。 「仕事、何してんの?」 「……」 「ほら、大先生って言ってたじゃん? あの人」 「あぁ」 「だから、もしかして」  ビールって美味しい?  俺、昨日はまぁ酔っ払いたい気分だったからなんでもいいやって感じで飲んだけど、基本、そんなに美味しいと思ったことないんだよね。苦くない? 苦いだけじゃない? そして独特じゃない?  俺には美味しさがわからないんだけど。 「仕事って、学校の先生?」 「っぷはっ」  えぇ、そこで吹き出すくらいに笑う? そんなに? 「違った?」 「あぁ、違った」  なんだ。違った。だって、なに、大先生って。どんな先生よ。そもそも何教えてる人なわけ? 「じゃあ、何? 他になんだろ……うーん」 「あー……」 「?」  久我山さんはまたニヤリと笑って、グラスに残ってた最後の一口を飲み干した。 「仕事は公務員」  そしてキッチンに行き、もう一本缶ビールを持ってきた。つまりまだ飲むんだ。時間延長っていうか。 「へぇ、公務員!」 「そう」  プシュッと缶を開ける。  注がれたビールは俺が両手に持ってるチューハイよりもずっと黄色がかった琥珀色。 「なぁ、聡衣?」 「それ、美味いか?」 「梨? 林檎?」 「いや、どっちも。チューハイ。甘くないか?」  何そのお子様の飲み物だな的な。 「美味しいし! ビールこそ、苦くない? 苦いだけじゃない? 言っておきますけど、アルコール度数で言ったらこっちの方が断然高いんで。こちら、ストロングなので。ビールよりもずっと強いお酒なんで」  ドヤ顔をして、左手に持っているグラスの方をぐびっと飲んだ。 「梨味、美味しいし!」 「聡衣」 「?」 「それ、林檎味」 「へ?」 「右手に持ってるのが梨味、左に持ってるのが林檎」 「えぇぇぇ?」  そうだっけ。 「やっぱり、それ、甘いだけじゃねぇ?」 「!」  そして、苦い苦い、とにかく苦いばかりにしか思えないビールをまたぐびっと久我山さんが飲んで、ニヤリと笑った。 「……ふぁ……あ? アタタタタ」  起き上がると頭がぐらりと揺れて、頭痛に思わずぎゅっと顔をしかめた。  完全二日酔い。  それでも鳴り響くスマホを手探りで、新しい布団の中から探し出すと、まだ寝ぼけてる目を細くしながらその画面を見つめた。 「久我山、さん?」  連絡先なら交換済み。しっかり登録してある。その久我山さんから月曜日の……朝? ぁ……すでに十時だから、朝とは言わないか。午前、に電話が来た。 「は、ぃ」 『悪い。寝てたか?』 「ううん……寝てない」 『っぷ、そうか? 寝てたっぽいけど。そしたら悪い。特に予定もなかったら頼み事があるんだ』 「……いー……ケド」  仕事中? ガヤガヤと雑多な声がするから外、っぽい。  だよね。  市役所から私用電話なんてかけられないよね。  久我山さんって電話越しだと声、ちょっと聞き取りにくくなるんだ。低いからかな。  なんて考えながら、耳にぎゅっとスマホを押し当てた。 『書類を……』  そして、久我山さんから頼まれた「お使い」を聞き漏らすことのないよう、その聞き取りにくいけれど心地いい低音に耳を傾けた。  公務員っていったよね?  そしたら、フツーあっちを思い浮かべない?  ねぇ。  こっちを思い浮かべる人、いなくない?  わざとでしょ? ねぇ。絶対わざと、そこ、言わなかったでしょ? ねぇねぇ。 「……な」 「聡衣」 「なんっ」  なんか、颯爽と登場したし。 「悪いな。持ってきてもらって」 「なんなっ」 「すぐにわかったか? 書類の場所」 「何っ」 「ありがとうな」  わかるわ。あーんな、「僕、書類です」と言わんばかりにアイランドキッチンのカウンターに茶封筒が置いてあるんだから。アホでもわかるわ。 「助かったよ」  久我山さんは優しい笑顔を顔のぺったりと貼り付けて、俺の手から茶封筒を受け取る。それをぽかんと見つめてた。だって、ビックリしすぎて声なんか出ないよ。完全に騙されたもん。そしてそんな騙されましたって顔に嬉しそうな顔されてさ。  真っ直ぐな道路をものすごい速さで行き交う車たち。それが巻き起こした風が立派な街路樹の間を通って、俺の前髪をボサボサにしたのを、満足気に久我山さんがそっと手櫛で直してくれた。 「それじゃあな」  はい。それじゃあ。  手を振る彼に、ただ条件反射で手を振りかえして。 「……わ……本当に入ってく」  そして久我山さんがとある立派なビルへと戻っていくのを見送った。  霞ヶ関にある、とっても大きなビルへと。

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