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第16話 失恋したんです。

 なんかこの感じがすごく久しぶり。  あっちこっちで色んな会話が飛び交ってる小さな箱の中にいる感じ。  満席になったらどのくらい入るんだろ。二十人くらいかな。小さなお店だけど、雰囲気がよくてお酒も美味しいし、チューハイが安くてありがたくて。大体、ゲイ友達と飲む時はココによく来てるゲイバー。 「はあ? なんだそれ。最悪じゃん」 「あー……まぁね」  久我山さんとずっとゆっくり過ごしてたからかな。  このちょっと耳が困惑する感じの、いろんな会話音が混ざり合う空間がすごく久しぶりに感じられた。  でも、実際はそんな久しぶりでもなくて、まだ二週間も経ってない。あいつと別れる直前にもここで、陽介と飲んでたし。 「じゃあ、何? 俺も一緒に飲んでたあの時にはすでに婚約者がいたってこと?」 「そ」 「そ、ってさぁ……」  その陽介が溜め息混じりに食べ終わった枝豆の空をぽいっと小皿へ投げ入れた。 「全然、そんな感じじゃなかったんじゃん」 「そんな感じがあったら、トイレで痴話喧嘩にならないでしょ」 「……まぁね」  あの時は仕事の面接一箇所受けるとこまで漕ぎ着けたんだぁって、陽介と、それからあいつにも話してたっけ。転職サイトに登録してアパレル系に絞って応募してるけど、ネットだからザクザク切られるんだよね。年齢なのか性別なのか、その辺は定かじゃないけれど。  で、一つ面接受けることになったって、その時報告して、あいつも笑ってたっけ。早く決まるといいな、なんて、陽介と一緒に応援してくれてた。応援してる理由は別にあったんだろうけど。ほら、早く俺出てかないと……だもんね。 「でも、あいつ、元ノンケじゃないよね? 聡衣だもんね」 「……ゲイ寄りのバイ」 「はいぃ? それがなんで、女とデキ婚なわけ?」 「さぁ……でも、歳が歳だしね」 「……」  結婚とかうるさかったりもするんだろうし。男同士じゃ……ねって部分もあるんじゃん? ゲイ寄りのバイだけど。バイなわけだから女が完全無理ってわけじゃない。 「そんで? 今はどこにいるわけ?」 「……ぇ」 「いーま! だって、部屋、出たんでしょ? そしたら帰ることないじゃん」 「……」  もしも、あの状況で、あのトイレでの痴話喧嘩に久我山さんが来なかったら……きっと陽介のとこに行ってた。一晩だけでもって頼み込んでた。 「うちに来なかったってことは……さては! すでに! みたいな? 聡衣って、あんま長く続かないけど、次見つけるのは早いもんねぇ」 「! 違う違う! ないない!」  慌てて手を振った。でも、陽介が信じるわけもなくて。  だって絶対に転がり込むなら陽介のうちだって、そりゃ俺も思うし。 「だってさぁ、けっこう長くなかった? あいつと。その割には落ち込んでないし」 「だって、妊婦さんいるんだから、もうどうしようもないでしょ?」 「まぁね。でも、しょんぼりしてなさそう。っていうか別れたって泣きメッセージ来なかったし」 「それはっ」 「泣きメッセージ来なかったし」 「二回言わなくていいからっ! 本当、そういうんじゃなくて」  だって、本当にそういうのじゃない。そして、何より――。 「はぁ? なんだそれっ! ドラマじゃん」 「あー……まぁね」  さっきとリアクションがほぼ一緒。 「そんなことある?」 「あったの」 「何その。恋人のフリって」 「しないと大変なんだって」 「って、フリしておいて聡衣狙いとか?」 「それはない」  即答? って陽介が笑ったけれど、でもそれは本当にないから。久我山さんの恋愛対象は異性だから。 「えぇ? けどさぁ。聡衣のことゲイってわかっててそれでも普通なんでしょ? めっちゃ普通なんでしょ? フツー一緒に暮らすかなぁ」  そう言って陽介は頬杖をつきながらチラリとこっちへ視線を向けた。  でも、視線を向けられても……ね。本当に普通に暮らしてるだけだし。仮住まいもいいところって感じだし。 「久我山さん、仕事が仕事だから、いい大学出てるだろうし、頭いいからなんじゃない? スマートな人ってそういう偏見とかなさそうだし。賢いから」 「……」 「そういう差別はしないっていうか」  本当にこっちが確認したくなるくらい普通すぎてさ。 「聡衣ってさぁ……」 「?」 「ホント、ノンケ、絶対に手出さないよね」 「……」 「聡衣相手なら、ほろほろぉって魔がさしちゃう男、いると思うけどなぁ」  陽介が舞い散る花びらみたいに手のひらをひらりひらりと揺らして、自分の頬に触れると、まるで小さな子どもが自分の掌を枕の代わりにするように頬に沿わせて身体を横に倒した。  そこからパッと起き上がって、何かを期待するように目を輝かせてこっちを見つめて。 「なぁぁい」  その陽介のドリンクのメニューを差し出した。 「まだ飲む? 俺、そろそろおしまい」 「えー? 早くない? もうフリーなんだしさぁ」 「だからだってば」  久我山さんにはメッセージを送っておいた。今日は友達と飲んでるので帰りが遅いです。  何時になるかまでは言わなかったけれど。  平日は仕事で忙しいだろうが、また週末みたいにご飯を一緒に食べることはないと思う。でも、万が一とも思って。  いやでしょ?  食べると思って適当だろうとなんだろうと食事用意してたのにいなかったら。  それに、久我山さんの言う「適当」って適当じゃないんだもん。だから、早めに帰ろうって。 「部屋、借りてるのに、遅くになって寝てるところとか邪魔できないでしょ。迷惑かけるじゃん。だから」  本当に、ただそれだけ。 「そっかぁ……でもさ」  本当に。  外に出ると、行きとは違ってグンと冷え込んできていた。陽介とバイバイをして、電車に乗って、いくつか駅を通り過ぎて。次、駅を降りたらもっとずっと寒さが増していて。  酔いも少し冷めてきたのかもしれない。  すごく飲んだわけじゃなくて、でもちょっとだけ酔っ払ってる。そのくらい。そのくらいだからか外気の冷たさがむしろすごく感じられて、ぎゅっと肩が縮こまる。  ――そっかぁ……でもさ。  マフラー買おうかな。  ――なんか、聡衣楽しそう。  でも、仕事先に決めないと、だよね。さすがに。 「…………」  楽しそう、か。  そう見えるかな。  フラれたばっかなのに? 「はぁ……」  一つ、大きく息を吐くと、少し白く見えた。ネオンの明かりが派手だからなんとなく、白く見えただけだけれど。 「はぁ」  楽しそう、かな。 「……何してんだ?」  それはまるで。空に向かって息を吐く、俺をその空から見下ろして笑ってる神様が言ったみたいに聞こえた。子どもみたいなことして、何してんだ? って。 「……」  でも、それは神様じゃなくて。 「今、帰ってきたのか?」  仕事帰りでスーツ姿の久我山さんだった。

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