50 / 143

第50話 真っ赤な君

 たった二文字。  何も付けなかった。ただ、ほろりと花びらみたいに口から零れた。  素敵なラブストーリーなんて俺にはないよねってさ。もうそんなのわかっちゃってる大人のくせに、今さっきした告白はすごく拙くて。 「…………ぁ」  すごく幼くて。  何、これ。  うちに辿り着いた途端、どうしたらいいのかちっともわからなくなっちゃった。 「外、寒かったな」 「……うん」  どうやって話してたっけ。  いつもどんな会話してたっけ。  こんなに静かだったっけ? いやいや、そんなわけないじゃん。なんか話してたよ。なんだっけ。いつも、えっと。 「……聡衣」 「あ、あぁぁ、そうだ! そうそう! あのっ、えっと、仕事、明日も仕事でしょ? あ、俺も、だけど、ご飯、とか作ってないけど、お腹空いてる? 俺、もう食べてきたからっ、って、あ! あの! 国見さんとは何もないから。オーナーで、すごいいいい人だけど、ホントそれだけで。向こうも、そうだし」  俺さ、今、すごいいいい人って言ったけど、「い」多くなかった? ねぇ。 「あっと、なので、とりあえず、映画は見たけどラブストーリーで俺はあんまで、観客女性が多くて、ちょっと浮いてた。あはは。あ! ご飯は美味しかったです。和食でした。でも、親子丼、旭輝が作ったのってどんなだろうって思ってました! あ、いや、食べたいとかじゃなく。食べたくないわけじゃないけど、そういうことではなく」 「……」 「と! とりあえず! 俺! お風呂入って来る! クリスマス商戦なんで! なんで」  慌てふためくとはまさにこのこと。  でも。  だって。  だってだって。  なんか顔見らんないよ。  どうすんだっけ?  えっと。 「…………はぁ」  閉じこもっちゃった。バスルームの中に。旭輝こそお風呂入りたいのに。先にここに入っちゃったじゃん。ダメじゃん。 「……」  でも、違って聞こえた。  俺を呼ぶ旭輝の声が、今までと違って聞こえてきたんだもん。だから、びっくりしちゃって、ここに閉じこもっちゃったんだ。  本当に?  ね、俺、本当に旭輝と、その、付き合うとか、になったわけ?  だって、旭輝って恋愛対象女の人でしょ? 「ふぅ」  湯船に浸かりながら、昨日、お風呂の中では想像もしていなかった自分の状況に、今更ながら、慌ててる。 「……」  ほら、手だって、全然男だよ? キレイにはしてるけど。接客業だし、ガサガサのささくれいっぱいな手で洋服のこと説明されたって微妙でしょ? だから、そこら辺の男に比べたらスキンケアとかはしてると思う。クリームとかはしっかり塗って、荒れないようにって気を遣ってる。  けどさ、女の子の手からは程遠いじゃん。  触ってもらえた時とか、さ。 「!」  触ってもらう日とかも……来る、んだろうか。 「……」  旭輝に、その……。 「……わりぃ、ちょっといいか?」 「! は、はははは、ハイっ!」 「……大丈夫か?」  いきなりガラスドアの向こうから話しかけられて、ものすごくびっくりして、バタバタと暴れちゃった。中の様子が見えない扉の向こうからはまるで溺れてるみたいに思えたかもしれない。  大丈夫大丈夫って、急いで返事を曇りガラス越しにぼんやりとシルエットだけが見える旭輝へ返事をした。 「そろそろボディソープがなくなりそうだったろ? 足りたか?」 「……あ! あ、うん。大丈夫だった。ストック、入れとく? 俺、やる……よ」 「!」  わ。 「……いや」  今ね、あんま多分、俺ってば頭がちゃんと動いてないっていうか。今日は国見さんの正体知っちゃったし、蒲田さんが本当はいい子らしいんだけど、不器用で猪突猛進な……ところはなんとなく知ってたけど、とにかくいろんなことがありすぎて、頭の中が大騒ぎすぎて飽和状態なんだ。  会議を開いては、かっこいい大人の男な国見さんをお薦めしてくれてた小人も今はとっても静か。会議だって行われてないし。  だから、あんまり考えなしに扉、開けちゃった。 「大丈夫だ。あとで自分でやる」 「……」  開けて、傍からひょこって顔を出したの。 「しっかりあったまれよ」  そしたら、顔を真っ赤にした旭輝がいた。  真っ赤で、さっと目を逸らして。 「あっ、はいっ、すいませんっ」  そんな旭輝は初めて見たから、俺も大慌てで目を逸らして、扉を閉めた。そしていっそいで湯船の中に飛び込んだ。 「……わり」 「い、いえ……」  旭輝がそこにいる。曇りガラスのところ。そこにガラスに背中を預けて座り込んでる。 「いつも」 「……ぇ?」  ぽつりとガラス越しに低い優しい声。 「聡衣が風呂入る時、俺、すげぇ意識してた」 「え?」 「まぁ、好きな奴が風呂入ってるつって意識しない奴いないだろ?」 「ぁ……」  そう、なの? そんなの聞いてないし、知らなかった。 「今日は晩飯、食ったんだっけ?」 「あ、うん」 「俺も、今適当に済ませた。ゆっくり入ってろよ。外寒かったろ。俺は朝、ざっと入るから」 「え?」  曇りガラス越しに旭輝が立ち上がったのが見える。 「なぁ」  寝る、の?  寝ちゃう、の? 「次、休みって、変わらないか? 月曜だろ?」 「あ、うん」 「そっか……りょーかい」 「……」  そこで旭輝がバスルームを出て行った。  次の休みを確認して。  次は、そう月曜日。  お店の休みは水曜日、それ以外にもう一日、国見さんと別の曜日で休日が設定されてる。好きなとこに休んでいいよって言われて、なんかどう選んだらいいのかわからなくて、一番暇そうな月曜日でお願いしてる。土日で買い物してくれるからか、一週間の中で一番、のんびり仕事ができるんだよね。のんびり棚の整理とか、のんびり値札作りだとか。そんな月曜が一番国見さんの負担は少ないかなって考えて。 「……休み」  もういなくなったバスルームをそっと開けて、そこに置いてあったボディソープを取った。詰め替え、入れといてあげようと思って。  とろりとろりってボトルに滴り落ちる白いまったりとしたクリームみたいなボディソープの液を眺めながら。 「……」  次の月曜日まであと何日かなって、ちょっと意識した。

ともだちにシェアしよう!