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第51話 わ、わわわ、わ
次の休みを訊かれた。
なんか、たったそれだけのことで、胸のところがキュッとした。緊張とドキドキの紐を胸のところで結んで、その結び目がぎゅっと小さく硬くなるみたいな感じ。
まるでその日を楽しみにされているような気がした。
何かその日にあるような気もして。
なんもないかもしれないのに。もしかしたら、今までとなんにも変わらない一日かもしれないのに。
なんかあるのかなって。
ほら、その、恋人っぽいこと、とか。
いやいや、月曜だって、一般的サラリーマンにはブルーマンデーなんて言われちゃうこともある、お仕事が始まる月曜日だよ? それでなくても旭輝はエリート官僚で、激務で、ネットとかではある意味相当なブラックなんて言われちゃってるじゃん。今だって、帰りすっごい遅い時もあるし。
でもやっぱり休みを訊かれたことにキュッとなる。
どんな顔して曇りガラスの向こうで話してたんだろう、とか。
目が合った時真っ赤だったけど、同じ男だけど、ちゃんと、そういう感じに見てくれてるんだ、とか。
そんなの考えては、湯船の中にぶくぶくと沈み込みたくなったりしてた。
ちょっとくらいはさ、旭輝もドキドキ? とか? したりしてくれたのかもしれない、かもしれない、なんて考えて。
「風呂……上がったのか」
だって……やっぱ、ね。
ほら、俺はすごくドキドキしてるから。
なんか、緊張もしてるし。
「ぁ…………ぅ、ん」
お風呂から上がると旭輝がアイランドキッチンの向こうで食器を洗ってるところだった。
何、食べたんだろ。
俺がお風呂の入ってる間に作って食べちゃうとか、すご。
俺もちょっと食べたかったな、なんて、思ったりなんかして。お腹が減ってるわけじゃないけど、旭輝の作るご飯って。
「あったまったか?」
「ぅ……ん」
好き。
「そっか」
ご飯が! あ、いや、ご飯だけじゃないけど、でも今、好きって心の中で言ったのはご飯のことで。なんて誰にも聞こえないのにね。自分の中でのことだから旭輝に聞こえてるわけじゃないのに。でも、旭輝にはバレてしまいそうな気もして。
「真っ赤。のぼせたか?」
「! う、ううん」
大急ぎで首を横に振ると、キッチンの向こうで旭輝が小さく笑って、そしてテキパキと食器を洗い終わった彼がお湯を止めた。
手を拭って、一つ、小さくだけれど深呼吸をして、こっちへ――。
「まだ髪濡れてるぞ」
「ぁ……旭輝が早く入りたいかなって……思っ」
こっちへゆっくり歩いてきた旭輝がゆっくり手を伸ばして、そっと、髪をひとつまみ、指先で掴んだ。
ただそれだけなのに。
「っ」
困ってるし。俺。
ほら、ドキドキしちゃってる。今、何かしゃべるとしたらきっとへんな声が出る。甲高くて、緊張がもろ伝わっちゃうような、そんな変な声が。
変なの。
こんなに緊張することないじゃん。身構えすぎでしょ。もうどのくらい一緒に暮らしてると思ってんの? 一ヶ月だよ? クリスマス仕様じゃなかったお店だってテレビの中のコマーシャルだって、あれもこれも、今はクリスマスだって騒ぐくらい、そのくらい長く一緒にいるのに、なんで、こんなに。
「無防備すぎだろ」
「!」
「こんなふうに一緒に暮らすことになったきっかけ忘れたのか?」
忘れるわけないじゃん。
蒲田さんがいて、大先生の娘さんが旭輝のことを好きになっちゃって、それで女ったらしの旭輝は。
「女ったらし……手、早いと思わないのか?」
「……ぇ」
髪の毛ってさ。
「……」
神経って通ってるっけ? でも、ピリピリするのは指先だからこれは髪の毛のせいじゃない? 髪に旭輝が触れてるから?
指先。
痺れる。
「……好きだって言ってんのに」
「! そ、それはこっちだって」
こっちだって好きって言いました。むしろ、こっちの方が慣れてるんですけど。あ、いや、同性相手ならってことで。その。
「同じ? なら」
なら? なら、何?
「同じなら…………」
「……」
触れたのは唇。
触れる、キス。
「……」
そっと触れて、そっと離れて、そっと指先から髪が揺れて滑り落ちた。
そして、旭輝がパッと明るい声で「おやすみ」って、そう言い放つと、俺の頭にぽんぽんって優しく触れて、俺の横を通ってバスルームへと入っていった。
「…………」
わ。わわわ。
「……お、おやす、み」
頭ん中、胸ん中、もう「わ」がたくさん出てくるだけだった。
だって、あんなに優しいのしたことないんだけど。そっと、そっと、そーっと、触れるだけ、もしかしたら触れてないんじゃない? ってくらい、本当に優しいの、初めて、したんだけど。
あんな丁寧なの。
びっくりするってば。
ねぇ、すごくびっくりしたんだけど。
頭の中いっぱいに「わ」だけが踊って、廻って、くるくるってしながら、部屋へと戻って、そこまましゃがみ込んだ。
頬、今きっとものすごい真っ赤だと思う。
触れたら溶けちゃいそうに熱かったから。
「わ……ぁ……」
そして、その頬を自分の両手でぎゅっと押さえながら、小さくそう呟いた。頬はとても熱くて、まるで、恋に不慣れた頃にした、そんなキスに、笑っちゃうくらい胸のとこが騒がしかった。
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