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第64話 赤いパプリカ

 セックス、初めて……じゃない、よ。 「ん……」 「聡衣」 「ん、ぁっ……」  でも、こんなに、終わってもまだ気持ちいいセックスは、ちょっと……なくて。まだ息を乱しながら指先まで痺れるくらいの幸福感なんてさ。 「シャワー」 「あ、ぅん」  ちょっと、困る。  抜ける瞬間すら喘ぐくらい。ずるりと彼のが抜けるだけで溢れる甘い声を喉奥で止めようと俯いたら、キスでそれを阻止された。 「浴びるぞ」 「ぇ、は? ちょっと、う、わっ」  嘘、でしょ? 「ちょ、重たいってば」 「すぐそこだ。暴れるな」 「ちょっ、ねぇ」  まさか抱き抱えられるなんて思ってなくて、腕に抱えられて暴れると、それはそれで旭輝の迷惑になるだろし、じっとしてるしかなくて。  でも、重いでしょ?  女の人じゃないもん。  バスルームはリビングのすぐ隣にある。リビングとベッドのある寝室エリアは棚で仕切られてるだけ。そのベッドからバスルームなんて歩いて数歩だけど。そのたった数歩だって、男一人抱えて歩くなんて。 「加減できなかったからな。痛くないって聡衣は言ってたけど、明日も仕事だろ」 「……」 「違和感でも何でも、おかしなところはないか?」 「な、いよ」  そっとバスルームの手前、マットの上にそっと下ろされた。まるで、魔法でふわりと着地したみたいにそっと。 「聡衣」  わ。すごい。背中。 「あ、あの、旭輝、ごめん。背中に爪立てちゃった」 「あぁ」  バスルームの中に先へ入った旭輝が早速シャワーのお湯を出して、中を温めてくれる。そして、シャワーの水音を派手にさせながら、中へと俺を手招いてくれた。その背中に、どう見たって猫じゃない大きな赤い引っ掻き傷がある。 「気にするな。しみない。それに」 「?」 「謝るのは俺のほうだろ」  言いながら、旭輝が掴んだ俺の手を引っ張って、バスルームに貼り付けられている鏡の前へと立たせた。 「!」  キスマーク、が。 「色、白いから目立つな」 「っ」  これ全部、旭輝の唇が触れたとこ。  途中から夢中だったから、こんなになってるなんて知らなくて。 「がっつきすぎだろ」  旭輝は鏡とで俺を挟むように背後に立って苦笑いをこぼした。 「聡衣」 「……ぁ」 「あんま、そういう顔するなよ」  だって、嬉しい。  ね、だって、こんなにキスマークついてる。こんなに。 「聡衣」 「……ん」  彼に、可愛がられたって、印。 「ん」  背後から抱き締められて、奪うようにキスされた。舌先が絡まり合って、振り返るときつく腕の中に閉じ込められる。さっきまでこの腕の中で何度も突き上げられた身体はシャワーなんていらないくらいに奥がまだ熱くて。 「ん……」 「っ」  旭輝の、が……当たる。 「すごいよ? これ」 「っ、気にするな」 「うん。でも、これ、収まる?」 「っ」  そっと掌で撫でると、旭輝が整った顔を歪ませて、低い声を喉奥で詰まらせた。  だってこれ、こんなに硬くて、熱くて、すごいよ? そう自分の掌で握って、撫でて。 「これ……」  あのね。 「聡衣?」  その、萎えずにいてくれたのすごく嬉しいけど、セックスの最中ってさ、けっこうテンション高いでしょ? でも、今は終わっちゃったから、そこまでテンション高くなくて。裸だって、ほら、普通に男じゃん? 女の人の「ヌード」とは全然違うでしょ? だから、この煌々と明るいバスルームで、裸で抱き合って、それで。 「っ」 「ん……む」  それでも反応してもらえるの、嬉しいよ。 「聡衣、っ」  その場にしゃがみ込んで、頬張った。 「俺がしたいの」  興奮してくれるって。  さっき、たくさん愛されたって思ったよ。 「っ」  だから、今度は俺がたくさんしてあげたい。抱っこなんて重いはずなのに、それでも大事な宝物みたいに俺に触れて、夢中でしがみついた爪痕に嬉しそうに笑ってくれて、すごく愛されてるって思ったから。 「俺が、してあげる」  今度は俺が、してあげたいって思ったの。 「旭輝の……」 「寝る前にこんなにご馳走食べたら、太りそ」  カウンターは身体に負担かもしれないって、旭輝が笑っちゃうくらいに俺の身体のことを気遣って、ソファで食べることにした。シャワーの後なんて、髪まで乾かしてくれるし。  世話焼きタイプ? って言ったら、違うなんて言ってたけど。  絶対、ぜーったい、世話焼きタイプでしょ。 「少し太るくらいでいいだろ。抱いたら、腰折れそうだった」 「折れるわけないじゃん! そんなにか弱かったらアパレルできないってば」  それにそんな、今、旭輝が手で表してくれたほど俺細くないし。わざわざ手で抱き寄せた時の細さを再現して教えてくれる。  シャワー浴びて出たら、俺が肌にクリームを塗ってる間に夕食を作ってくれた。ぱぱぱって。夕食食べてなかっただろ? って言って、作るからそこで待ってろなんて言って。  てっきり簡単なご飯だと思ってた。  お茶漬けとか、なんだろ、納豆お味噌汁かな、とか。  なのに作ってくれたのは遅い遅いクリスマスディナー。日にち的にも、時間的にも大遅刻。クリスマスの翌日、しかもあと一時間でその日付すら変わるような時間に。  パエリアにサラダ、なんて。 「でも美味しいから食べちゃうけど」  パクリと大きな一口分を口に入れると、旭輝が笑って、いつものビールをぐびっと飲んだ。 「クリスマスに作るって言ってたからな。簡単だったろ?」  言ってた。クリスマスの食事はパエリアにしようって。 「聡衣?」  言ってたの、覚えてるよ。ちゃんと覚えてる。というより、そのことをずっと思ってたよ。 「どうかしたか?」 「……あの時、誰とそれを食べるんだろって思ってた。パエリア食べられるか訊かれてさ。食べられるよって答えながら、食べることはないんだろうなぁって」 「……」 「旭輝はどんな女の人をその食事に誘うんだろうって」  あの時は、イカスミのパエリアなんてすごいびっくりして、ぱくぱく無邪気に食べながら、いいなぁって思ったんだよ?  もうそんなクリスマスの頃には蒲田さんも俺たちのことを認めて、このお芝居終了、おしまいってなってさ。俺はここにいないって思ってたから。 「その時、隣にいる人のことが羨ましい…………なぁんて」 「……」  まさか、それが自分だなんて思わないじゃん?  でも、その羨んだ人が、その時自分の席に座っているだろう誰かが、変わらず自分だった。 「あ、あは。これ。ホント! 美味しいっ」  そう自覚しただけで、真っ赤なの。頬も全部真っ赤になる。 「これを食べたい女の人たくさんいるだろうなー。あはは、世界中に羨ましがられそ。なんてね。トイレで痴話喧嘩して、荷物全部粗大ゴミみたいに捨てられかけてたのにさ、すごいよねっ。ホント、ラブストーリーみたい」  ほら、またつい、前みたいに可愛くないこと言って誤魔化そうとしちゃった。 「あぁ……あの時の、あの人と、エダシマさんとこうしてられるなんて、すごいよな」 「……」 「あと、俺が食べさせたいって思ったのは、聡衣だけだ」 「……」  言いながら、きっと真っ赤だろう頬を旭輝の長い指が撫でて。 「あの時の会話、あれは俺の願いだった」  それから、鼻を摘んだ。  願いって、クリスマスのディナーの相手、のこと? 「言い出したら笑うくらい、あれもこれも、全部、聡衣といられたらって願いながら」  あれも、これも? 「デートって言って動物園に誘ったのだってそうだ。陽介との飲み会について行ったのもそう。ランチに誘ったのも、スープを食べに誘ったのも全部」 「……」 「聡衣の本物の恋人になりたいと願いながら」  ねぇ、それも?  じゃあ、あれも?  これも?  全部? 「有頂天だ」 「っ……」  今も? 「今、その恋人になれたから」 「っ」  そして、そっと触れる唇。 「あ……ぁ、旭輝って、キス魔? よく、するよね。あは。なんか」 「知らない」 「……ぇ?」 「キス魔って、今まで女性に言われたことはないな」 「……」 「相手、違うからな」 「……」 「聡衣じゃないから」 「……」  ど、しよ。 「だから言っただろ? 有頂天だって」  そう言って笑う旭輝が本当に嬉しそうで、せっかく作ってくれたパエリアが喉でつっかえちゃいそうなくらい、俺が、有頂天になりそう。 「ずっと、聡衣が好きだったんだ」  今、俺が有頂天だよ。

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