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第72話 優しい彼氏
「へぇ、じゃあ、お互いに忙しいんだね」
「はい」
「まぁ、そうだろうなぁ。甥っ子もかなり遅くまで仕事してるようだから」
政治家さんの秘書、だもんね。そりゃ忙しいし、なんかずっと秘書室みたいなところでカタカタやってそう。パソコンとの睨めっこ。そんで、その睨めっこをずっとやってるせいで、あの、難しい顔になっちゃった感じがする。
「そう、いつもそんな顔をして仕事をしているよ」
「!」
国見さんが、キュッと眉間を寄せて、口をへの字にした。バックヤードにいる時の国見さんは少しあどけないというか、口調の柔らかさが増す感じ。接客中だと少しかっこいい度を上げて、仕事できるイメージが強めになるし、こういうオフの時は、少し眠たげにも見える。
「仲良しですよね。国見さんと蒲田さん」
「そうだね。歳が近いからかなぁ。よく一緒に遊んでたから。一人っ子だから、弟みたいに可愛がってるよ」
「あぁ、確かに」
蒲田さんって、なんだか根っからの弟キャラって感じはする。変装が下手だからかな。
「少し抜けてるところが可愛いんだ」
そうそう、そういう感じ。抜けてる。
可愛いかは別にして。
あと「少し」ではないけれど。
「いや、あれでも可愛いところがあるんだよ。去年のお正月には、まだ小学生の姪っ子がいるんだけど、その子が書初め大会で優秀賞をいただいて、その授賞式の時、記念撮影をって言われて、付き添いで同行していた佳祐がなぜか撮られる側に立って、ピースしててね」
あれは面白かったなぁって国見さんが笑ってる。
記念撮影しますよ、付添の保護者さんどうぞ、って言われて、どうぞ、写真に一緒に写ってくださいって意味だと思ったと。
でも実は、どうぞ自由に撮影してくださいの意味で。
そうだとわかった時に真っ赤になって大慌てしてたって。
もう……すっごい天然じゃん。
でも、蒲田さんっぽい。
想像できるもん。
「あ! そうだ! うちのお店はお正月元旦と二日はお休みだからね」
「あ、はい」
「聡衣君は帰省する?」
「あー、いえ……その予定はない、かな」
「そうなんだね。って、申し訳ない。仕事終わりに話し相手になってもらってしまった」
「いえいえ」
国見さんが腕時計を見て慌てだした。
「遅くまで頑張ってもらったのに」
「大丈夫です」
基本、お店は十一時から。お店は二十時閉店。一時間お昼休憩と午前午後で三十分ずつ合計一時間の休憩。その一時間前から閉店までが基本的な就業時間。
今は残業中の時間。
もう九時になるところ。
旭輝、帰ってきてるかな。
「!」
まだ仕事中かな、って考えながら、ロッカーの中に置いておいたスマホを見た。
「急がないと、だね」
「ぁ、えっと……」
旭輝から連絡、来てた。
「はい」
だから、急いでマフラーを首に巻きつけた。
「お先に失礼します」
「はい、また木曜日に」
ペコリと頭を下げると、なで肩だから、今肩にかけたばかりにマフラーがはらりと落ちちゃって。でも、それも構わず、コートを羽織って、もう一度頭を下げて、お店を出た。
「えっと」
手を振ってくれた国見さんが優しく笑ってた。
いや、普通に面白かったのかも。
さっきまでのんびりと話に付き合っていた俺が、急に大慌てで急ぎ出したのが面白くて。
――店、閉まるの八時だろ? 大体そのくらいの時間に外で待ってる。
「えっとっ」
旭輝からそんなメッセージが来てたから急いだんだよ。
「聡衣」
「!」
名前を呼ばれて振り返ると、仕事帰りのまんま、スーツに黒いコート、手をそのコートに突っ込んでる旭輝が立っていた。
「お疲れ」
ほら、話すと、その度にふわりふわりって白い小さな雲が浮かんで夜空に溶けてく。
「ちょ、なんで、待ってんのっ、っていうか、俺、仕事中スマホ持ってないからわかんないよ」
ねぇ、一時間近く待ってたの? このさっむい十二月の、真冬の、夜に?
「あぁ、持ってないと思ってた。気にするな。俺も何も言わずに勝手に待ってただけだから」
「でもっ」
「急いでくれたんだな」
「だって」
「マフラー」
「!」
そう言って、肩から落っこちて、首にぶら下げてるだけになったマフラーを直してくれる。その指先が少し頬を掠めたけれど、飛び上がりそうなほど、氷みたいに冷たかった。
「寒いだろ」
それ、こっちのセリフだよ。寒いのはそっち。
なのに笑って、またその手をポケットに突っ込んで。
「ほら、帰ろうぜ」
たくさん待ってた?
ねぇ、待っていてくれたんだ。
深く、旭輝が息を吐いたのがその口元に漂う白い雲でわかる。
「? 旭輝? そっちじゃないよ?」
「……あぁ」
旭輝は帰るって言った、よね?
なのに、歩き出したのは駅へと向かう方角。国見さんのお店は旭輝のマンションと駅の真ん中にあって、マンションに帰るのなら反対側、なのに。
「あのパン屋でスープ食べて帰ろうぜ」
「……」
いい、けど。でもわざわざそっちに行くの? 俺は、別にいいけど、あのパン屋さんのスープ美味しかったし。この前は王道な感じのスープ頼んじゃったけど、他にもちょっと気になるスープあったし。あそこのメニュー制覇しちゃうのもいいなぁってくらい。でも、旭輝、寒かっただろうし、わざわざ行かなくても。部屋に帰ったほうが。
「帰ったら、飯食いっぱぐれる」
「?」
なんで? 俺、なんでも構わないよ。冷蔵庫に食材まだあった気がするからそれで簡単に。
そんな俺の考えてるとこが聞こえたみたいに、横を歩くこっちへ視線を向けて、北風のさっむい中でふわりと微笑んだ。
「外で飯なら、襲い掛かりたくても襲えないだろ?」
その笑顔を行き交う車のライトが照らす。
「だから、食べてから帰ろう」
そう言った旭輝の笑顔は色っぽくて。
「あと手はここであっためてもらうから」
「!」
「いいか?」
「ぜ、ぜんぜん! いい、けどっ」
すごく、心臓のとこでさ小人でも太鼓鳴らしてる? ってくらいにバクバク騒がしくしながら、コートの中で手を繋いだ。長い指が絡まるだけで、指先がとても温かく。
「……あったかいな」
とても。
「……」
熱くて、ドキドキした。
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