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第79話 満腹で、充足感

「ちょ、いいってばっ! ねぇ、一人で後で入るから」  なにこれ。 「却下。一人でって足腰立たないだろうが」  なにこの騒がしい感じ。 「だ! 誰のせいで足腰立たなくなったと思って」 「聡衣のせいだろ」 「んが! な、なんで、俺っ」 「煽った」 「んがっ!」 「明日から二人とも冬季休暇だぞ。それで煽られて、加減するわけないだろ」 「んなっ!」 「……んが、が、んな、に変わった」 「はい? って、ちょおおおお」  ふわりと微笑まれたところで、隙をつかれ、なけなしの抵抗虚しく抱え上げられちゃった。なにこのフツーのいつもの騒がしい感じ。  それに俺、米俵じゃないんだけど。まるで荷物みたいにひょいって軽く抱えないでよ。ちゃんと、男なのに。 「いーから。シャワーを一緒に浴びるだけだ。襲ったりしないから」 「なっ何、言って」  ベッドのところで毛布にしがみついて微力ながら抵抗してた。シャワー一緒にって言われて。後で入るから旭輝先に入ってきなよって。汗かいてたし。だから先にって。それなのにベッドに寝転がっているところを抱き抱えられそうになって大慌て。  後でいいってば。  後で入るんなら今一緒に入ればいい。  そんな感じの押し問答が始まって、気がつけば恋人の関係になる前の「同居」の時みたいにワーワー騒いでた。 「それに、重いじゃん」 「軽いだろ。ほっそい腰」 「!」  バスルーム手前、マットのところにそっと、そーっと着地させられると毛布ごと抱えられていた俺はそのまま細いと言われた腰を引き寄せられた。 「……やっといつもの聡衣だな」 「……ぇ」 「ずっと、ちょっと違ってた」 「……」  気がついてたんだ。  そうだよ。ずっと、少しだけ緊張してた。恋なんて何度もしたけれど、旭輝相手にはその経験値がゼロに戻ったみたいになっちゃう。 「いつも通りでいろよ」 「ぇ」 「俺はずっと好きだから」  毛布をぎゅっと握っていた手で、今度は旭輝の胸に手を重ねた。  恥ずかしくてたまらなかったのに。  だって、本当に欲しいだけねだっちゃった。くれるだけ欲しがっちゃった。夢中すぎて途中からわけわかんなかったもん。  変な顔とかしてそう。  声、変だったかも。  しがみつきすぎたかも。 「な、何言って」 「何しても可愛いし」 「は、はい?」 「そうずっと前から思ってたよ」  変じゃなかった?  そう思うけど、でも大丈夫だったっぽい。  ね、そんな嬉しそうに笑うくらい、俺として嬉しかったの? 「それから、言ってなかったし、知らなかったからそもそも言えなかったけど」 「?」 「俺、溺愛するタイプだから」 「!」 「知らなかったけど」 「はぁ?」 「知らなかったよ。好きな相手だと俺ってこうなるんだな」 「は、あぁぁ?」  何言ってんの? 旭輝が溺愛するタイプって、知ってる、もん。知らなかったの? 無自覚?  こんなに人のこと甘やかしておいて? 「すっげぇ顔してるぞ」  気がついたらもう抱きしめられながらシャワーの中だった。  濡れながら大笑いの旭輝に、こっちは真っ赤になったりして。 「だって!」  こんなに大事にしておいてさ。  足腰立たなくなるまでたくさんしてもらったけど、そもそも繋がれるようになってないこの身体はあんなにたくさんしてもらったのに、あんなに激しくしてもらったのに、ねだったままに抱いてもらったのに、どこも痛くなくて。  お腹の奥までじわりと気持ちいいのが残ってるだけ。  大事にされてるってすごく感じる。  でも本人知らなかったんだって。  ねぇ、それってさ。  それって、つまり、女ったらしで、たくさんの女の人としてきたくせに、自分が溺愛するタイプって知らなかったのってさ――。 「すげぇ……顔」 「……」 「もうお上品にしなくていいんだなって言っただろ」 「……」 「なのに、そんな顔したら、また……」 「……ぁ」  濡れて、もっと邪魔になった前髪を旭輝の長い指がかき分けてしまう。  おでこ……出すのは恥ずかしいのに。 「……抱きたくなる」 「ン」  そして裸でシャワーの中、キスをした。 「ン……っ」  お湯より熱かった。 「ン、旭輝」  お湯より熱い舌に舌を絡めて。 「ン」  手を伸ばして触れた旭輝のはその舌と同じくらいに熱かったから。  深いキスは熱くてとても気持ちいいから。  旭輝とたった今さっきしてたセックス の、気持ちいい、だけが残ってる身体の奥が、またして欲しいって、切なくなったから。 「ン……旭輝っ」  おねだりするみたいに腕で首にしがみついて、もっとってキスをしながら身体をぴったりと重ねた。  宝物みたい。  大事に大事に。  抱きかかえてそっと運ばれて。  まるで繊細な宝石みたいに扱われて、大事そうに髪の先まで丁寧に。 「……聡衣の髪ってクセっ毛?」 「あーちょっとだけね。っていうか、それ気にしてるんですけど」  くっつくとしたくなる、感じ。 「なんで」 「何でって、やっぱ憧れるじゃん。サラサラストレート」 「……ふーん」  ベッドであんなにしたのに、足りなかったわけじゃないのに、またバスルームでもしちゃった。でも気持ち良かった。  だから今、二人で湯船に浸かりながら、幸福感と、満腹感? は、違うか。満足感、それから、うーん……なんていうんだろ。 「そういうもんか? 俺はこの聡衣の髪がいい」 「……」 「柔らかくて、濡れると余計に柔らかくて、ずっと触ってたくなる。よく、好きだって隠してた頃は髪とか何かにつけて触って、内心、喜んでた。すげぇ気持ちいいから」 「……」 「すけべ」 「あぁ、すけべだよ。男だから。触りたいし、風呂場にいるの想像して意識しまくってたし。寝起きの聡衣は目に毒だから気をつけて見ないようにしてたし」  一人で入ると広いけれど二人で入ると狭い浴槽の中で、旭輝を背もたれにするように後ろから抱き抱えられてる。視界には自分の足と、それよりも随分長そうな旭輝の足があって。腕が俺を抱えてて。  こういうのってさ。 「ね」 「?」 「気持ちとか心とかが満足、満腹って感じ、なんていうの?」 「……充足、感……か?」 「充足感ね」 「あぁ、何?」 「んー?」  気持ちとか心とか、胸のところが満足してる感じ。たくさん満ち足りてる感じ。 「今の気持ち」 「……」 「幸福感と、満足感と満腹感……それから、充足感」  振り返るとものすごく近くに濡髪をかきあげる色男がいた。 「なんだそれ。途中の満腹感って」 「だって」  ちゃんと振り返ると、お湯たちがぱしゃぱしゃと騒いでる。 「だって、旭輝の、ここにいたんだもん」 「……」  そして、その色男にそっとキスをすると、ほら、また。 「だから、満腹感」  満足してるのに、満腹なのに、充足してるのに、くっつくとしたくなる、幸せな感じがした。

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