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第96話 さて、一夜漬け勉強を共に

 バイヤーってどんな仕事? なんて、高校生とか向けのお仕事紹介サイトとか、休憩時間に見まくっちゃった。  それから国見さんにかかってくる電話に耳を傾けて、何を話してるのか、めちゃくちゃ盗み聞きしてみたり。大体は納期のこととか。海外からの電話だともう全然わからないけど。  日々、どんな仕事してるのかなぁって。 「へぇ……すごいな。こんなにたくさんのアパレルメーカーがあるんだな」 「そーです」  ソファに座りながら、二人で並んで今度の展示会のパンフレットを見てた。 「これを全部頭に叩き込みます!」 「あぁ」 「そんで配置が」 「あぁ、それはもう覚えた」 「………………はい?」  覚えたって、これ全部? スーツメーカーだけでどれだけあると思ってるわけ? 嘘でしょ? って、驚きすぎて、まるでこの前一緒に見た、殺人事件を解決しちゃった凄腕探偵みたいに「はいぃ?」って語尾が尻上がりな返事、しちゃったじゃん。 「覚えた。全メーカーの配置」 「全? って、スーツ以外も?」 「あぁ、ここに載ってる展示ブース全部」 「…………んが」  白目……になっちゃうんですけど。 「餅が喉に詰まったみたいな声出たぞ」 「だって」 「そりゃ、エリート官僚だからな」  すっごい数のメーカーが。いや本当に、すっごおおおい数のメーカーが、この日、次の冬シーズンに向けてのファッション展開を披露する。 「聡衣が前に搬入とかで参加したメーカーは?」 「えっとね……」  何年前になるっけ。あれは旭輝と出会えたお店の次に入ったところだから二十二の時ってことでしょ? 六年も前だ。 「……ないみたい。メンズブランドからは撤退するって言っててさ。それで、その時にお店もやめたんだよね」  やっぱりファッションといえば展開数が多いのはウィメンズ、女性もので、買っていく服の点数だってやっぱり女性の方が多くて。そうなるのとメンズから撤退するメーカーもあったりする。撤退とまではいかなくても縮小しちゃったりとかね。それでなくてもスーツってそう簡単に買えるものじゃないし、Tシャツとかみたいに気軽に何着も買わないでしょ? だから、商品の回転率もそんなに良くなくてさ。それこそハイブランドってなればまた話は違うのかもしれないけど。 「旭輝は? どこか好きなブランドとかある?」  ちょっとここでさりげなくリサーチしてみたり。  バイヤーとして今回、国見さんのお店に置くスーツ担当にさせてもらえたけど、旭輝に似合うスーツを探すっていうのも俺の中には最重要ミッションとしてあるから。ここでなんとなぁく。好きなブランド調査もしてみたりして。 「いや、ないかな」 「ないの?」 「あぁ、適当に……って言うと語弊があるな」  旭輝はそこで笑って、それから俺の頬を突っついた。 「あの時、新卒で田舎モノの俺にお前が言ってくれたんだろ?」  ―― 平気! フルコーデでアホみたいに高いスーツ買わせようとしたりなんてしないから。  ―― そんなに値段高いネクタイじゃないけど、この柄、フレッシュマン向けなのにちゃんとお洒落で、俺のイチオシだから。 「あの時、聡衣はたくさんあるブランドごとに分けられてるスーツの中からランダムに全部揃えてくれた」  何かを思い出すように旭輝が笑って。それからパンフレットを手に持っていた俺の指をそっと掴んで。 「魔法の指先みたいだったよ」 「……」 「迷うことなく、俺に似合うものを探し出してくれる。たまに、考え込んで、俺をじっと観察して、何か閃いたみたいに、ピアノを弾く感じに指先を動かしたと思ったら、俺に似合うってネクタイを選んでくれた。安いけど、一押しって言って」  ピアノなんて弾いたことないよ。旭輝が話してくれる俺はいつもすごく楽しそうで、キラキラで。彼には俺のこと、こんなふうに見えるのかなって。そう思うと、照れ臭くて仕方ないくらい。 「値段とかメーカーとか関係なく俺に似合うものを選んでくれただろ?」 「……」 「だから自分に似合うものをって、選んでる。それから」  そこで今度は旭輝が照れ臭そうに笑った。 「ダークグレーを基本選ぶ、かな」 「ダークグレー……」 「あぁ、聡衣に当時、そう言われたからな。覚えてないと思う。すげぇ俺を見ながら考えて独り言みたいに呟いてたから」  確かに、旭輝にとてもよく似合う色で。  そして、よく、旭輝がダークグレーのスーツを着ているのを見かけてかっこいいなぁって、思ってた。 「!」 「だから! そこでそんな顔すんな」  だって。  だってだって。  それって、旭輝の中にそんな大昔の俺が言った言葉一つ、指先、全部、丸ごと、すごくちゃんと残ってるってことじゃん。  あんなにモテるのに?  何年も経ってるのに?  あーんな美人が旭輝にめちゃくちゃアピールしてるのに?  それでも、旭輝の中には――。 「仕方ないだろ。こっちは田舎者で、あれはまぁいわゆる、初恋みたいなものなんだから」  好きって言ってもらえた時から、あの時の出会いのことも話してもらったけど。いまだに、なんか信じられないし。それにさ。 「だから……そういう顔するなよ。今日はこれ、全部、メーカーの特徴からエリア配置まで全部頭に入れるんだろ?」  うん。そうなんだけど。それ全部が頭の中からポロポロ溢れちゃいそうなくらい。 「ちょっとだけ」  旭輝にたくさん好かれてることが。 「ちょっとだけ、キス」  嬉しくてたまらなかったんだもん。

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