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第98話 迷子の指先
普遍的なのって大事だと思う。
誰でも着られるのって。
でも旭輝が着るなら、いろいろ考えたの。今日、金曜日で、仕事に行く時の彼のスーツ姿を見ながら、紺もいいし、もう少し明るい色もいいよね。けどやっぱり色んな色を考えつつも原点っていうか、ダントツ、ダークグレーかなぁ、って。できる限り黒に近くて、でも光沢が少しあったほうがいい感じ。高身長で颯爽とさ、背筋をピーンって伸ばして。
けどさ。
けど……バイヤーとして今ここにいる俺は他のお客さんにも合う物を探さなくちゃ、きっといけないんだよね?
たくさんあるメーカーの、たっくさんあるスーツの中から俺はお仕事として、「商品」も選ばなくちゃいけなくて。
でも……なんて言ったらいいんだろ。
いつもは違うんだよね。この中から選んでみよう、なんだ。けど、今、ここでは、どれを選ぶのも自由。
自由すぎて、どうしたらいいのかわからなくなるっていうか。漠然としすぎてる感じ。手を伸ばしても壁がないから、感覚が掴めなくて、どこまで手を伸ばせばいいのかわからない。
選択肢が多すぎてどうしたらいいのかわからない感じ。
どれを選んだらいいのか――。
「聡衣君?」
「……ぁ」
別の場所で小物を見ていたはずの国見さんがいつの間にか隣に来ていた。
そして、俺の、宙ぶらりんになったまま、「商品」を手に取ることなく、ぴたりと止まった指先に視線を向ける。
どうしようって戸惑って、止まった指先を。
「……えっと」
情けな……。
「……あの」
すっごい調べたんだよ。数日しかなかったけど、旭輝が手伝ってくれて、一緒にメーカーの特徴とか見てくれたりして。どこのメーカーがどんな雰囲気なのか。こんなのをチェックしたいとか、たくさん。
たっくさん調べたんだ。
あんなに調べたのに。
どのスーツを見てみればいいのかわかんなくなっちゃった。
最初はダークグレーのを中心に見てたんだけど、でも、なんか色々考え出して、考え出したら、止まらなくなってぐるぐるぐるぐる……そしたらもっとわからなくなってきて。
今、迷子になってる。
「あの、すみません」
「いや、たくさんあるよね」
国見さんがぐるりと周りを見渡した。そう、たっくさんある。
「なのにどれ一つとして同じものがない。これ、素敵だなぁって思ったんだ。ニット、なんだけど、色はこっちの方が僕はいいと思う」
そう言って、国見さんが右手に持っていたニットを差し出した。確かに明るすぎないサーモンピンクは性別問わずに着られそう。
「でも、ボタンがついてるこっちのデザインもいい」
本当だ。可愛い。大きなボタンが袖のところに三つずつぶら下がるように並んでるのが可愛い。けど――。
「ただ色がね……」
そう。そうなの。色がちょっと濃い。これじゃ、あんまりたくさんの人は着られない。でも、最初の、色味がいい感じの方はデザインが普通でちょっと個性がない感じ。「ふーん」って感じ。
「さて、こういう時、君ならどっちを店に置きたい?」
「あ、えっと……」
指差したのはボタンがついてる方。
「その基準でいいよ」
「……」
「君の勘をとても評価している」
「……」
「それと、君の仕事への熱意も信頼している。だからそのまま」
迷子の指先がピクンって反応した。
「そのまま」
――迷うことなく、俺に似合うものを探し出してくれる。たまに、考え込んで、俺をじっと観察して。
お客さんはたくさんいるけれど、その人たち全員が買ってくれそうな服じゃなくて。
――何か閃いたみたいに、ピアノを弾く感じに指先を動かしたと思ったら、俺に似合うってネクタイを選んでくれた。
大丈夫。俺はきっと魔法が使える。ねぇ、そのくらい、俺もこの仕事、頑張ってきたんだ。
――安いけど、一押しって言って。
高卒からずっと、服を人に選んで、その人それぞれに合ったものを、ちゃんと。
―― 値段とかメーカーとか関係なく俺に似合うものを選んでくれただろ?
きっとちゃんと選べる。それだけの知識と経験なら、あるよ? 頭なんてちっとも良くないけど、でも、センスはあると思う。勉強は好きじゃないけど、お客さんへこの春夏コーデのアイデアなら山ほど頭の中に入っていて、いくらでも提供できる。
「そのまま、君のセンスだけで選んでごらん」
「……」
「それが小規模店でのバイヤーっていう仕事の面白いところだよ」
俺は、魔法をかけてあげられる。服ひとつでその人の身長が一センチ、ううん、二センチくらいは余裕で伸ばしてあげられる、そのくらい背筋が伸びちゃうかっこいい人にしてあげられる。
「はい!」
「じゃ、僕はあっちで可愛いベルトをたくさん見つけたから行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
「あ! 聡衣君!」
「は、はいっ」
パッと振り返った国見さんに、気をつけ、の視線で身構える。
「予算オーバーはしないように」
「! は、はいっ」
そして元気に返事をした俺の指先はずっと気になっていた、光沢が少しだけあるかなり暗めのダークグレーのスーツを一つ、もう迷うことなく手に取っていた。
すごい。
すごい時間がたくさん流れてた。
あんなにスーツのこと楽しく語ったの初めてかも。
あんなにスーツのこと突き詰めて考えたの初めてかも。
こんなに……。
「わ、ちょっと足が……ヘトヘトすぎる。足の裏……痛い」
この仕事してて、歩き慣れてるし、一日立ってるなんて全然余裕のはずなんだけど、それでも足が「きゃー! 疲れた!」って悲鳴あげてる。
「おっとっと……」
靴を脱ぐのに片足上げただけで、地面にくっついてた方の足が「無理無理」ってふらついたくらい。
「大丈夫か?」
その声に顔を上げた。
旭輝がこっちへ手を伸ばしながら心配そうに見つめてる。国見さんはお店に戻るからって言ってて、だから、二人で駅から歩いてきたの。それでお店のところでさようならってして、俺はそこからここまで歩いて。だから、迎えに行くぞって言ってくれた旭輝には心配かけちゃったよね。でも。
でもね。
「仕事……」
あのね。
「すっごい! 大丈夫! すっごい」
ねぇ、やっぱり、この仕事。
「楽しかった!」
「……っぷ。声、でかい」
旭輝はホッとして、顔をくっしゃくしゃにして笑って、よろける俺を支えてくれた。
その手に思い切り寄りかかりながら、俺も顔をくっしゃくしゃにして。
「どうだった? 楽しかったか?」
笑った。
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